レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
「俳句ダービー」?
-
金(満州の女真族)を侮って、北宋は滅亡。
以下、ウィキペディアから抜粋+私見
徽宗、1100年 - 1125年
文人、画人としての徽宗はまさしく天才で、宋代最高の一人であるらしい。
芸術活動の資金作りのために蔡京や宦官の童貫らを登用して民衆に重税をかけた。
神宗、哲宗期の新法と違い、自らの贅沢のためだけの重税だった。
蔡京は権力奪取のために、悪辣な手口を使ったのか、
同じ新法派に属する政治家までが彼を告発している。
この悪政への反乱の指導者が明代の小説『水滸伝』のモデル。
方臘の乱はマニ教の主導で起こされている。
後に蔡京政権は、
満州の女真族(後の清に繋がる)と手を組み、
遼から燕雲十六州のうち6州を奪還している。
さらに1125年、宋は残りの州を金(女真族)から奪おうと考え、
遼の敗残軍と手を組むが、金に露見。
徽宗は「自らを罪する詔」を出し、帝位を欽宗に譲り上皇となった。
欽宗、1125年 - 1127年
賠償金と領土割譲する事で金と和約したが、
その後、約束を反故に。
激怒した金は再び開封を攻め、今度は陥落させ、徽宗と欽宗を捕虜とした。
1127年、欽宗の弟・趙構が南宋を興し高宗となったが、
内紛を恐れたためか、高宗は欽宗の返還を断る意向をしめしたため、
欽宗はその後、30年以上も東北に監禁され、北宋は滅亡した。
地図は以下のサイトから。
http://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/eurasia12.htm
https://img.shitaraba.net/migrate1/6556.shugyo/0002431.jpg
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板