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「俳句ダービー」?

40:2006/11/04(土) 16:50:17
ササン、大まかな概略
以下、ウィキペディアから抜粋+私見

サーサーン朝の起源については不明な点が多い。サーサーン朝を開いたのは
アルダシール1世であるが、彼の出自は謎に包まれている。
まず王朝の名に用いられているサーサーンと言う人物が何者であるのかもはっきりしない。

サーサーンという名はインダス文明からミタンニに関係ないか?情報求む。

サーサーン朝とローマ帝国(東ローマ帝国)はサーサーン朝が滅亡するまで
断続的に衝突を繰り返した。

ミトラ−イラン、と、マナセ−ローマ帝国、
という対立の図式が、後期パルティアからササン朝に見られそうだ。
宗教的には、バチカン教皇対イランの光の宗教。

ゾロアスター教の祭司、カルティールは権力を握り、
マニ教や仏教、ユダヤ教、ネストリウス派キリスト教を排斥した。

これはササン朝の態度というより、ゾロアスター教の権力志向のためと仮定したい。

シリアやアナトリアがフン族に攻撃されるものの、
サーサーン朝の領土が攻撃を受けることはなかった。

匈奴=フン族はイラン系と推定したが、
ササン朝もイラン系なので、激しく敵対しなかったと仮定。

ヤズデギルド1世には、キリスト教徒の医師が友人にいたために、
キリスト教に改宗したと勘違いされ、「罪人」のあだ名で呼ばれたとされる。

この時代のキリスト教は、マナセ族の宗教。

東方からエフタルの侵入があった。
以後エフタルはサーサーン朝にとって悩みの種となっていく。

エフタルの特定はまだできていない。
ササン(イラン系)、クシャーナ(ベニヤミン系)、グプタ朝(バラモン系)と対立、
突厥(ベニヤミン)と、サーサーン朝に挟撃されて滅ぼされたのをみると、
エフタルには、北イ系の可能性をみたい。

東ローマ帝国ではキリスト教学問の発達に伴って異教的学問の排除が進み、
529年にはアテネのアカデミアが閉鎖された。このために学者がサーサーン朝に移住し、
この結果ギリシア語やラテン語の文献が多数翻訳された。

キリスト教公認後のキリスト教は、アテネ(マナセ系)とも違うのか?
ローマ帝国は後に調べたい。

エフタルに対し突厥と同盟を結んで攻撃をかけ、エフタルを滅ぼすことに成功したが、
今度は突厥の脅威に対抗しなければならなくなった。

エフタルが北イ系、突厥がベニヤミンだとすると、
ササンはイランで、インダスの流れなので、南ユダともやや違う。
インダス−ミタンニ−アナトリア−エジプトという救世主信仰の流れにおいて、
西はイナンナ的、東はゾロアスター的、になったと仮定しておく。

サーサーン朝はアヴァール人と共同で、皇帝が不在な東ローマを攻撃。

アヴァール、柔然も特定できていないが、
突厥との微妙な違いは、柔然(イラン)、突厥(ベニヤミン)の、
インダス−エジプト系の東西2派の違い、と仮定しておく。
それで、アヴァールはササンと組む。

642年にイスラム帝国に敗北、サーサーン朝は事実上崩壊した。
661年 ヤズダギルド3世の子、ペーローズ、唐王朝に亡命。

景教の繋がりもあり、ササン朝と唐の繋がりが気になる。

地図は以下のサイトから。
http://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/eurasia3.htm

https://img.shitaraba.net/migrate1/6556.shugyo/0002381.jpg




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