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「俳句ダービー」?

25:2006/11/02(木) 16:48:32
サータヴァーハナ朝は、バラモン+ドラヴィダか?
以下、ウィキペディア+私見

サータヴァーハナ朝(前3c?前1c?〜後3c初頭)
パックス・ロマーナ期のローマ帝国と盛んに海上交易を行い、商業が発達した。
この時期の遺跡からは、ローマの貨幣が出土することで有名である。
王たちは、バラモン教を信仰したが、仏教やジャイナ教も発展した。

クシャーナ朝もそうだが、サータヴァーハナ朝もローマとの交易で潤う。
バラモン教は前1500年からのアーリア系の可能性をしめすが、
ヴェーダ文献ではアーンドラ人はダスユ(夷狄 非アーリア人)と呼ばれており、
恐らくドラヴィダ系の集団であったといわれているので、私にはわからない。

前1世紀頃にカーンヴァ朝、ジュンガ家(バラモン勢力)を滅ぼして台頭する。
その後、2,3代のあいだに勢力を伸ばすが、
マウリヤ朝によって滅ぼされたドラヴィダ系カリンガの流れが、
マウリヤ朝の衰退をみて、チェーティ朝が起こされていて、
サータヴァーハナ朝はその攻撃を受け混乱。
1世紀頃まで歴史はほとんどわからなくなる。

サカ族(スキタイ?匈奴?)に圧迫されていたが、
ガウタミープトラ(106年頃 - 130年頃)が、
クシャーナの流れから中央インドを奪取、
更に西北インド方面に力を持っていたサカ人、ギリシア人、パルティア人に対抗して
これを抑え、デカン高原のほとんど全域を支配下に置いた。

バラモン教を重視し、スキタイ、北イ、イラン、ベニヤミンと対立した、
サータヴァーハナ朝は、前1500年からのアーリア勢力と推定できる。

その後もクシャトラパ(クシャーナの流れ)と抗争を続けるが、
3世紀にに入ると中央政府の統制力は弱まり、
地方に派遣されていた王族や諸侯達が各地で自立して急速に崩壊した。

アーンドラ人は非アーリア系であると推定されているが、
サータヴァーハナ王家がドラヴィダ人の母系家族制の影響下にあったことも知られている。

バラモン教を基本としながら、仏教も保護されたのは、
アーリアとドラヴィダの妥協王朝だったためと仮定しておく。

地図は以下のサイトから、デカン高原。
http://www.saiyu.co.jp/osusume/110/india_dekan_ajanta_.html

https://img.shitaraba.net/migrate1/6556.shugyo/0002366M.jpg




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