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「俳句ダービー」?
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西ローマ帝国滅亡後、ゲルマン諸勢力の争いへ。武家優位の時代。
ここから東ローマ帝国を追う。
以下、ウィキペディアから抜粋+私見
アルカディウス、 377年−408年
395年、テオドシウス1世は長男のアルカディウスに帝国の東半分、
次男のホノリウスに帝国の西半分を継がせた。
政治に全く関心を示さなかった。
レオ1世、457年−474年
帝国のゲルマン人軍事長官であったアスパルに擁立された。
このような即位の経緯から、治世前期のレオ1世はアスパルとその息子・アルダブリウスの傀儡にすぎなかった。しかし471年、イサウリア人のタラシコデッサ後のゼノン)の力を借りてアスパル父子を打倒し、皇帝としての地位を確固たるものとしたのである。
ゼノン、474年-491年
ゲルマン人のアスパル父子を倒した功績で、
レオ1世の娘を娶り、子のレオ2世を後見、レオ2世が夭折したため自ら即位した。
彼は民衆の信望も薄く、その治世は人気取りのためのばら撒き財政などに終始した。
彼の時代に西ローマ帝国は滅亡し、西ローマを滅ぼしたオドアケルから
西ローマ皇帝の位を返上されたため、名目上ではゼノンが東西合わせた
全ローマ帝国の皇帝となった。
↓
ローマ分割から、西ローマ滅亡までの約100年間、
東ローマに目立った記述がウィキにはないので、
この時代、ローマの力は東西とも弱く、
ゲルマン・ヴァンダルなどが主役だったのではないか?
それは戦国期に天皇が飾りになり、武家が政治を取り仕切ることに対応する。
アナスタシウス1世、491年−518年
アナスタシウス1世は敬虔なキリスト教徒であったが、単性論寄りであったためにカトリック教会と対立するなど、宗教政策においては苦難を極めた。
単性説は、イエス・キリストには神性のみが存在するという思想。
もともと単性説はネストリウス派の思想に対抗する形で、
エジプトを中心に盛んになった。
現代も続く単性論教会としてあげられるのはシリア正教会、
エジプトのコプト正教会、エチオピア正教会などである。
↓
単性論は、子供を生むことに決めた初期イナンナ派に近いと仮定。
ネストリウス派はマナセ・エフライムをイナンナの子としたい派閥であり、
それと対立する単性論は、伏儀重視のミトラ教や史記とは違って、
イナンナ−子のホルス、イエスという形を重視するが、
断じてヨセフなど夫ではない、夫は伏儀、という思想。
東ローマ帝国で、単性論をとる皇帝が現れるのは、
東ローマが比較的にミトラ勢力に近いから。
ユスティヌス1世
ササン朝ペルシア帝国の侵攻に遭うなど、その治世は多難を極めた。
先帝時代に悪化したカトリック教会との関係修復に尽力した。
地図は以下のサイトから。西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパ。
http://dj.st44.arena.ne.jp/xwin2/mainhtml/others/xwin2_german.html
「西ローマ帝国領内に居住地を得ていたゲルマン各民族は名実共に独立を達成し、互いに相争いながら領土拡張戦争を繰り広げていき、途中、東ローマ帝国やイスラム帝国を交えた後、生き残ったのは大陸になかったアングロ・サクソン系(これも第二次民族移動となるデーン人やノルマン人に滅ぼされる)と、西欧に覇を唱えたフランク王国だけという、まさに弱肉強食の世界がそこにあったのです。
さて、この激しい時代の各王国の国王一覧を掲げます。下マップは、おおよそ西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパの地図です。だいぶ、現在と趣を異にしますが、現在のオランダ・ベルギーあたりにあったフランク王国が、クローヴィス1世という王を得てローマ将軍だったシャグリウスを倒して、南方に領土を拡張したことを契機として、東はアラマニを征服、さらに西ゴート王国からアキタニア地方(南フランス)を征服し、死の直前には即位時の3倍以上の領土としたことが、フランク王国の基礎となったのは間違いないでしょう。
ヴァンダル王国 ブルグント王国
西ゴート王国 東ゴート王国
スエヴィ王国 ランゴバルト王国
フランク王国 ケント王国
エセックス王国 ????ウェセックス王国
マーシア王国 イーストアングリア王国
サセックス王国 ノーサンブリア王国 」
↓
西ローマ帝国滅亡後、西欧はゲルマン、アングロサクソンの争いになるようだ。
この一々の勢力を調べると、現在の西欧にも繋がる各地域が理解できそうですが、
細かいので棚上げ。
勝ち残るフランク王国を調べます。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6556.shugyo/0002533.png
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