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「俳句ダービー」?
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ネロ−ウェスパシアヌス−ドミティアヌスのユダヤ攻略。この宗教対立の背景はまだ理解しきれない。
失礼、下の書き込みの地図は以下のサイトから。
http://park1.aeonnet.ne.jp/~memoria/lingua/provincia.html
以下、ウィキペディアから抜粋+私見
ウェスパシアヌス、69年 - 79年
4皇帝内乱の時代(68年6月〜69年12月)に終止符を打ち、
自らの血統に基づくフラウィウス朝を創始した。
ネロの命令により、66年よりユダヤ戦争を担当。
当時のローマ帝国は基本的に被支配民族の文化を尊重し、統治者としてバランスのとれた巧みな統治政策を示しているが、多神教文化であった地中海世界の中で、一神教を奉ずるユダヤは特殊な文化を持った地域であったため、支配されていたユダヤ人のローマへの反感は日増しにつのっていった。
ヴェスパシアヌスがエルサレムの反乱を鎮圧している中、
思いがけずネロが自殺に追い込まれ、
ヴェスパシアヌスもエルサレム攻略を目前にして、
ローマへ向かい、ユダヤ戦線は膠着状態に陥った。
70年に皇帝になったヴェスパシアヌスは、
子のティトゥスをエルサレム攻略に向かわせ、
エルサレムは陥落し、74年に、
マサダ要塞でユダヤ人が集団自決したことで、ユダヤ戦争は終結した。
ネロの評判が悪いことには、エルサレム攻略も絡むか?
この後のユダヤ人の動きが興味深い課題だ。
ティトゥス、79年 - 81年
ウェスパシアヌスの長男
70年にエルサレム攻略の司令官となり、イエルサレムを占領し、
マサダの要塞を除き、ユダヤ人の反乱を平定する(ユダヤ戦争)。
ドミティアヌス、在位81年−96年。
ティトゥスの弟。
ネロ、カラカラと彼は、元老院により記録抹殺の刑を受けた皇帝。
ユダヤ人やキリスト教徒を迫害したことでも知られる。
治世の末期は暴虐をもって伝えられる。元老院議員や騎士階級のものをたびたび告発しては死刑にした。貴族階級に公然と敵意を示し、元老院の決議をしばしば無効にした。
96年に元老院議員らや元側近によって暗殺された。
元老院やユダヤ人に敵対的な行動をとったために、
極めて低い評価をされたようだ。
オリンピア競技を模し、
ここで4年ごとに陸上競技や戦車競争などからなる競技大会を催した。
↓
オリンピックは歴史的にはネロ−ドミティアヌスの線なのか?
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