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「俳句ダービー」?

1651憂い:2016/05/20(金) 23:38:40
Re: ・・
> No.4026[元記事へ]
山田さんへのお返事です。

> >・・用明は『元輿寺縁起』では「池辺皇子」と呼ばれています。しかしこのことは『日本書紀』では書かれていません(「池辺皇子=用明天皇」を隠している、と石渡氏
>
>
> 池辺に立つ池辺皇子が実像で水面に映る用明天皇が虚像か、
> ・・あるいは逆で用明天皇が実像で池辺皇子が虚像か
>
>
> 浅香山影さえ見ゆる山の井のあさくは人を思ふものかは (「大和物語」)
>
> 安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに (「万葉集」)
>
>
> ・・山の井に映るあさか山もさることながら、この二つの歌もどちらがオリジナルか


安積山は、逢瀬町(おうせまち)の額取山(ひたいどりやま)をさす説と、日和田町(ひわだ まち)の安積山をさす説とがあります。http://www.gimu.fks.ed.jp/shidou/jiten/cgi-bin/index.cgi?sheet=detail&name=%A4%A2%A4%B5%A4%AB%A4%E4%A4%DE&area=%B7%B4%BB%B3%BB%D4&hen=sk
「安積山(あさかやま)の歌木簡(もっかん)」の発見
 2008年5月、万葉集によまれた歌の木簡が、全国で初めて滋賀県甲賀市(しがけんこうかし)の紫香楽宮跡(しがらきのみやあと)【奈良時代の都のひとつ】で発見されました。
 木簡とは、うすい木の札(ふだ)に墨で文字を書いたもので、当時は、朝廷(ちょうてい)や役所(やくしょ)の事務連絡(じむれんらく)や帳簿(ちょうぼ)、荷札(にふだ)として紙のかわりに使われていました。この時発見された木簡には、「うねめまつり」の由来(ゆらい)とされる「うねめ伝説」と深いかかわりのある万葉集の「安積山の歌(巻16の3807番)」が記されていました。
 「安積山の歌」は905年ごろに作られた古今和歌集(こきんわかしゅう)の序文(じょぶん)に、「難波津(なにわつ)の歌」とともに紀貫之(きのつらゆき)から「歌の父母(ちちはは)」とたたえられ、和歌の手本であると紹介(しょうかい)されています。
 742年からつくられた紫香楽宮の遺跡(いせき)から二首(にしゅ)そろった木簡が発見されたことにより、古今和歌集(こきんわかしゅう)が作られた約160年前からセットで親しまれていたことがわかる歴史的(れきしてき)な発見として注目されました。
 この「安積山の歌」にかかわる「うねめ伝説」が縁(えん)で、1971年8月5日に郡山市と奈良市は姉妹都市になりました。また、「うねめ伝説」は郡山の夏をいろどる「うねめまつり」として現在も受けつがれています。

古代日本を代表する海人族http://8906.teacup.com/toraijin/bbs
投稿日:2016年 5月20日(金)05時26分27秒




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