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「俳句ダービー」?
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ガデシュ時代の諸勢力
フェニキア人は、
「紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃にティルス、シドン、ビュブロスなどの
都市国家を形成して海上交易に活躍」
↓
ガデシュの闘いと、戦場、時代が同じで、
ヒッタイトとフェニキアの近い関係を仮定できる。
ヒッタイトはフルリ人の関係で、ミタンニと関係が近いが、
(倭人・フェニキアで同族かもしれない。)
ガデシュの闘いに力を削がれ、アッシリア−ミタンニの対立に介入できなかった。
アッシリアはミタンニから独立し、さらにミタンニを従属させたので仲が悪い。
(アッシリア(漢)−ミタンニ(ミトラ化して中華文化を受容した匈奴、もしくは倭人))
このように仮定しておく。
ミタンニについては、インドを調べながら後に考察する。
ミタンニを叩きたいので、
ヒッタイトからの、ミタンニへの援助を防ぎたいアッシリアは、
ガデシュの闘いにおいて、エジプトに「小規模の」援軍。
小規模なのはアッシリアもヒクソスと仲が良くないから。
カッシートは、海の国を滅ぼしているので、ヒクソス系と以前に推定したが、
推定を取り下げる。
「カッシート人は外来の勢力であったが、バビロニア文化を極めて好み、バビロニアの神々を祭る神殿を盛んに建築し、公文書その他はほぼバビロニア語(アッカド語)を用いるなどし、早い段階で現地に同化した。」
「言葉は主にバビロニア語(アッカド語)が使用されたが、バビロニア文化を愛好するカッシート人達によって、バビロニア以前のシュメール文化も再興され、宗教文学にはシュメール語が使用される場合もあった。」
↓
アッカド語はヒクソスを思わせるが、シュメール語は逆の方向。
「紀元前1595年にヒッタイトのムルシリシュ1世がバビロンを攻め倒すと
バビロン第三王朝を開いた」ように、ヒッタイトとも関わりがありそうだし、
ヒクソスのように強く反シュメール的ではないので、
素朴な遊牧民なのかもしれない。
http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Mithraism_History_West.html
「カッシート人の数は非常に少なかったので、
数世代で完全にバビロニア人の中に溶け込んでしまった。」
↓
カッシート王国は、徐々に長江系シュメールに同化されたと理解しておく。
そのカッシートはヒッタイトと同盟を組んで、
アッシリアに対抗するが、それは隣接する中華内の対立で、
ヒッタイトが力を強めれば、ミタンニが盛り返し、
隣接するアッシリアの力が弱まるから、と推定。
マッティヴァザMattivaza 紀元前1350年 - 紀元前1320年頃
サットゥアラ1世Sattuara I 紀元前1320年 - 紀元前1300年頃
ヴァシャサッタVashasatta 紀元前1300年 - 紀元前1280年頃
サットゥアラ2世Sattuara II 紀元前1280年 - 紀元前1270年頃
の時点でミタンニはアッシリアに従属し、滅亡している。
ガデシュの闘いの後、エジプトと講和したヒッタイトは、
関係の近いミタンニを援助しようとしたが、
戦争で疲弊していたため、逆にアッシリアに負けてしまい、
ミタンニは滅亡したと推定。
エジプトはヒクソスだが、
ガデシュの闘い以外は、地理的に距離が遠いので、
勢力争いへの関係が比較的に薄いと仮定。
以下のサイトからヒッタイトの製鉄。
http://www.atomlt.com/06school/sc04/sc04_02.html
https://img.shitaraba.net/migrate1/6556.shugyo/0002353M.png
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