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「俳句ダービー」?
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紅巾の乱は、漢人政権への意欲と救世主信仰の結びつきだが、寄せ集めなので政権はとれず。
以下、ウィキペディアから抜粋+私見
紅巾の乱、1351年-1366年
白蓮教を紐帯とし、目印として紅い布を付けた事からこの名がある。
白蓮教は阿弥陀信仰の浄土教結社。
マニ教と弥勒信仰が習合したもの。
本来は仏教の一派だが世の混乱と共に次第に過激化し
「元王朝の打倒とユートピアの実現」を唱える反体制的な教団
1348年、方国珍が浙江、福建で海賊を行い、元の輸送船を襲い始めた。隋唐時代からこの地域は中国全土の経済を支える重要な地域であったためにここからの輸送が途絶える事は致命傷になり得た。政府は討伐軍を送ったが、元々草原の民族のモンゴルは海戦には弱く、討伐軍の司令官が捕虜になる惨敗となった。これにより元朝の衰退ぶりがあきらかとなり、反乱への気運が高まることになる。
紅巾軍は白蓮教団を母体としていたが、実態は盗賊や流民の寄せ集めであり、統率、規律も不十分で暴徒と化して都市や村を荒らしまわる部隊も多かった。また「漢民族の復興とユートピアの実現」を説いてはいたが、具体的な政策があったわけでもなく、漢人知識人層を失望させ彼らの協力を得られなかったことが、紅巾軍の衰退につながったと思われる。
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紅巾の乱は、モンゴル系の元王朝の失政への怒りが、救世主信仰に結びついたものだが、
寄せ集めだったために、政権を取れなかったようだ。
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