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「俳句ダービー」?
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(無題)
以下、ウィキペディアから抜粋+私見
アユルバルワダ、1285年 - 1320年
有力な後継者候補であったため、テムルの皇后により河南に遠ざけられていた。
テムルの皇后は、テムルの死後、
コンギラト部のカイシャンとアユルバルワダではなく、
安西欧アナンダを即位させようとしたが、
コンギラト部がクーデターに成功したが、
兄のカイシャンが大軍を率いて南下してきたので、皇太子に甘んじる。
4年後にカイシャンが死去すると、アユルバルワダが即位した。
カイシャンの重心を追放し、コンギラト派で政権を固める。
財政の問題は先送りにしたが、
貞観政要をモンゴル語に訳し配布し、儒学を重視するなど、
漢文化を優遇したことから、中国の歴史書により高く評価される。
政権を動かしていたのは、母タギとその寵臣テムデルであり、
アユルバルワダには権力がなかった。
母タギには漢の勢力がついていたか?
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