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哲学・宗教質問箱

84あんとに庵:2006/09/27(水) 23:11:12
神学の講義を「神学に逃げる」とはこれいかに?
神学論争に逃げるもナニも、それが為されたのはカトリックの神学校という閉じた場であり、原文読めば神学の話でしかない。つまりイスラム批判などではなく、あくまでも「主意主義」批判の話です。イスラム云々はタマタマ彼が最近読んだ本にあった記述で、そこに見出される事例から読み取れる神観はフランシスコ学派の「主意主義」にあるものでもあり、それがやがて宗教改革のちの神学世界、或いは西洋思想の世界に通じるという話であり、主知主義の再発見を促しているものです。つまり彼の主題は西洋に蔓延するニヒリズム的な思想や、或いは自由主義神学への批判でしょう。寧ろリベラルなプロテスタント神学、或いはリベラルなカトリック神学批判です。あと「信仰と理性」を強調している背景には、カトリック世界が今、このリベラル(理論が先に立つ)と保守(信仰がどっぷり系)が二分しているような傾向もありますから、後者をも批判しているのでしょうね。
この彼の神学論が果たして妥当か?否か?についてはわたしは沈黙する神の時代にどうなのか?と懐疑的ではありますし。教会至上主義な教皇の思考の一端を見たという感じで微妙に批判的になりますが、とにかくカトリックギョーカイ内の神学のミニマムな話であることに変わりはありません。

その「神学論争の場における神学の話」を、政治的な場に持ち込む発想そのものがいかにも宗教を政治的なものとしか捉えられない「ナンセンスな」発想でしかない。そういう場の言葉を一部切り取り取り上げ、政治利用し大げさに騒ぎ立てるマスコミの二分化した発想こそ、先ずアカデミズムへの侮蔑と聖域(神学世界)に生きているものの価値をまったく評価しない、ある種、原理的な視点を感じざるを得ませんね。


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