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哲学・宗教質問箱
794
:
若生敏由
:2021/03/02(火) 11:30:57
「神の愛と試練」について
「神の愛と試練」に学ぶところがたくさんありました。
イエスの荒野での試練をエデンの園の禁断の実の話と結びつけた説明は、とても説得的です。
自由を神とのかかわりで考えることは、けっして無益ではないのでしょう。対立や矛盾の根源を受けとめたり、特定の方向への誘惑を調整できる力がなければ、自由は人間どうしで共有し合う価値を備えられないでしょうから。
「神は全てを与える。全体性以外は」という言葉は、だれのものなのでしょうか。人間どうしが自由であるためには、人間につきまとう不完全さや不可知を失念せずに、与えられている生と世界の現実に向き合い、何が可能かを考えつづけることが問われるのだろう、とおもいました。
「聖霊がイエスを荒野に追いやった」というマルコの一節について。
ご存じかもしれませんが、田川健三が自身の訳著で興味深いことを記しています。興味深いというのは、本人が若い頃に出した『マルコ福音書・上巻』(1971)での注解を、『訳と註』(2008)では、不正確だったと率直に認めて、「この箇所は霊が何ほどか強引にイエスを荒野にほうり出した、という意味」であると記していたことです。学者であっても、通念や通説との的確な距離を保ち、確信を提示するのはやさしくはないのだなと感じました。
それにしても、その箇所が三位一体のベースとなるところだという指摘は、信仰のない者を新境地に立たせるはたらきになりました。ほとんど繰り返しでしかありませんが、人間が求める自由に広がりのある秩序が備わるかどうかは、イニシエーションのような試練を経ることが条件になる、と捉え直せそうです。
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