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哲学・宗教質問箱
76
:
Sekko
:2006/08/29(火) 18:27:03
一元論と仔猫殺し
個人のメールの方に、近頃ネットを騒がせている(?)女流作家の猫殺しについての意見を求める質問が来ました。猫を避妊手術する代わりに自然な出産をさせて、生れた仔はがけから落として殺すと言う話だそうです。
もうひとつおしゃべりルームに『バカの壁』を読んだ方からこんなコメントが。
{「一元論を超えて」ですが、ここでの「一元論」は竹下先生の論考の「善悪二元論」に相当します(と思います)。
「一元論」(竹下先生の論考の「善悪二元論」)を否定するのであれば、我々は別の普遍原理を提示しなければならない(p,201)、という「常識」重視の立場、論考から結論を得てられます。}
それを受けて
{「一元論」「ニ元論」「それを超える論」について、竹下先生に整理していただき、解説していただきたいものです。}
というコメントも。
それで、まとめてここに日頃の考えを書きます。
まず私は真実はひとつでないとか、全ては相対的であるというポストモダン的言説に組しません。
もちろん真実は皿の上に盛られて出されてくるようなものではなく、我々と対象の係わり合いの中に生れ、ものさしともなり、それを導いてくれるもの、のような感じです。養老さんの話で「一元論」というのは、「許容できる真実はひとつしかなく、よってそれに反するものは全て偽である」という意味で、つまり一元的価値によって「裁く」という善悪二元論につながるということなのでしょう。一元論とは全体主義的ともいえます。一神教が善悪二元論に傾きやすい傾向を持つことは『アメリカに・・・』の本にも書きましたが、この二つは必ずしも一致しないので、気をつけてください。善悪二元論は権力保持者が一般に陥りやすい傾向です。
そして一元が悪いから多元がいいという話も要注意です。多元による分割はコミュノタリスムの罠に陥りやすく、多元間の対立や競争を招くからです。
それで、どうしたらいいかというと、類として(つまり生物学的な条件を共有する人類として一元的で普遍的な価値観を中心に共有して、その周辺部は個人レベルまで徹底的な「多様」を許容し、保護し、残すという立場に私は賛成しています。共有すべき価値観というのは、国際倫理規定にある『全てのヒトの誕生と死を含めた生命のサイクルを安全に全うさせることが善で、それを阻むものが悪』というやつです。
その際、ヒト以外のものの生死や、あるいはヒトの誕生する前や、前世や、死んだ後のことは、それぞれの文化や文明や伝統や革新や流行や趣味の多様性に任せる。ただ、生れて息をした瞬間から最後の息を吐く時まで、この間は、いかなる理由でも互いに傷つけあったり殺しあったりせず、できるだけ守りあい助け合って、それぞれの寿命をまっとうできるようにしようということです。
死んだ後の審判とか生まれ変わりとか、前世が何とか、そういうのはそれぞれの文化や宗教の任せです。しかしどんな古い伝統でも、権力の都合でも、「他のヒトを生贄にする」とか「典礼として特定のヒトを傷つける」とか、「ヒトにヒトを殺させる」とかはやめていこうとするものです。
ヒト以外の動物はというと、唯一、「ヒトから固有名詞で呼ばれている動物についてはヒトに準ずる」とありました。(逆にヒトなら名もないAさんでも権力者や家族でも軽重はつけない)
ヒトには生れて間もない仔猫を食べる飢饉の状態もあれば文化もあるかもしれないし、犬猫を食べるとか、毛皮のために動物を殺すとか、牛は聖なるものだから食べないとか、豚は穢れてるから食べないとか、まあ、食物連鎖だけから言っても、ものすごい殺生のうちにたいていのヒトは生きているので、罪のないもの、石もてこの女を打て」じゃないですが、かなり同じ共同体に生きてるヒト(私の場合は自分の子が仔猫殺しをしたら大問題にすると思います)同士以外には批判的なことはとても言えません。
いったん固有名詞をつけちゃったタマとかポチには責任が生じるのですが、それでも、うちの固有名詞つきの猫たちに牛だとか羊だとか豚だとかのキャットフードを与えていると、食物連鎖からいっても不自然だなあ、牛が猫に食われていいのか、などと嫌な思いをしてます。また私は蚕の幼虫系がすごく嫌いなので、タイの市場などで、それがゆでられて食用に山盛りになっていたら、吐き気です。益虫でも姿が怖いと殺虫剤です。それは個人的なので、他のヒトに不快を与えないように気をつけますが。(蚕の幼虫を食べるタイのヒトを見て叫ぶとか顔をしかめるとかしないように。)そしてうちの固有名詞猫でない猫の仔を間引く作家を批判などしません。もちろん「タマや、こっちへおいで」といいながら毒を盛るのはだめで、そういう人はヒトへのリスペクトも問題ある可能性大です。
とにかく、「中心になるルールは守る、周辺は多様を受け入れてリスペクト」、これが大事です。簡単に聞こえますが、今も、毎日戦争やテロヤ死刑でヒトがヒトを殺したり殺せと命令したり、そうかと思うと、ちょっと他人と違うヒトや弱いヒトを差別したりいじめたり搾取したり、そういうことが茶飯事なのですから、毎日このテーマを反芻して肝に銘じていかないと、と、永遠のテーマになっています。
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