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哲学・宗教質問箱

696sekko:2014/08/17(日) 00:13:24
Keiさま
Keiさま

ドイツはトルコからの移民家族が娘を公立学校で体育に参加させないとかスカーフをかぶらせることにもフランスと違って寛大なので政教分離がうるさいトルコ本国よりもいいねというトルコ人もいると、ドイツのドキュメンタリーで見たことがあります。

すぐれた女子スポーツ選手に同性愛者がいるというのは、優れた男性ダンサーに同性愛者が少なくないことと同じく、驚きません。

筋力だけでなく競争力や努力のパフォーマンスに男性ホルモンが関係しているのは事実ですし。

だからこそ競技では男女が分けられているのですが、グレーゾーンというのはどこにでもあるわけです。
女性ホルモンの多い男性選手がスポーツで有利になるとは思えないので、グレーゾーンはもっぱら女性として活躍する女性の同性愛者で目立つのでしょう。

勝ち負けが商業効果にも関係するプロスポーツだといろいろ問題でしょうが、勝ち負けとは関係のないアートの世界ではグレーゾーンも問題が少ないなあと周囲を見ていても思います。

娼婦が罪の女とか、男装して戦争に行くのが罪とかいうのは、罪と言っても「社会的罪」の側面が大きいかと思います。

その点イヴの罪は、何一つ不自由しない環境(何しろ「楽園」ですから)にいながら、「神の言葉に背く悪」の誘惑に乗ってしまったという意味の罪なので、ちょっと違うかなあと思います。

同性愛の人たちは「性的な誘惑」には異性愛の人同様に負けてしまうことがあるかもしれませんが、「同性愛であること」の誘惑に負けるわけではありません。

最初からグレーゾーンに生まれる人というのは必ずいますから。

ただ世間がそれをどう見るかということの推移はまた別問題です。

キリスト教の原罪説は、人間に罪悪感を植え付けてよくない、などと言われたこともありますが、逆にプロテクトしてくれているという説もあります。

悪いのは人間でなく誘惑したサタンだと責任転嫁できるということで。

人間が自助努力しなくちゃいけないのは、誘惑に耳を傾けない、耐えるという部分で、その反面教師としてアダムとイヴがいるという人もいます。

完全に罪のない人間はいない、つまり完全な善人はいないということによって二元論を避ける意味でも、原罪は役だったかもしれません。

つまり、すべての人は悪の誘惑にさらされているという点で平等で、その証拠に中世のカテドラルの「地獄図」みたいなものには必ず、普通の人と友に枢機卿の姿の人なんかも炎に焼かれていたりします。

日本のイメージでは「家」の中に邪鬼を入れない、疫病神を入れない、みたいな「家内安全」努力があって、その代わり家族の誰かが罪を犯したら「家」全体が「罪」の連座になったりします。

それに対して、キリスト教的なイメージでは、各自が自分の中に悪魔に入られないように、つけ込まれないように、という感じでしょうか。

うちの猫を見てると、罪のない状態というのはこういうのだなあ、とは理解できるのですが…(智慧の実なんか食べなくてもいいからね。)

「修道士ファルコ」は前にもどなたかから名前は聞いたことがありますが読んだことはありません。おもしろそうですね。私もいつか修道院物のホラーとか書きたいなあと思ってるのですが・・

http://setukotakeshita.com/


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