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哲学・宗教質問箱
682
:
モトカー
:2014/08/02(土) 09:15:38
旧約聖書
再度のご丁寧なご返答をたまわり、誠にありがとうございます。
「旧約聖書」ですが、私は、加藤隆氏の著作「旧約聖書の誕生」の説が的を得ているのではないかと思っております。
氏はヨーロッパにも留学し、ヨーロッパ人に混じって議論も行った経験もある、ということですが、
みずからの知識とヨーロッパ人とのディスカッションの中から生れたこの考えが真相に近いのではないかと思います。
氏の言説は、「旧約聖書」とは、アケメネス朝ペルシャ帝国が、ユダヤ人に自治を許す代わりに命じて作らせた、
一種の「自治法典」である、というものです。
古代にしては寛容だった同帝国は各民族に自治を許したが、統治上の要請から(=秩序の維持)、
そして、自分たちで規律させるために、ルールブックを作らせた、という仮定です。
その際、ルールだけでなく、民族の自己紹介も記載させたのだそうです。
そしてユダヤ人たちは、帝国の支配者からの命を受け、様々な不文律や慣行、そして語り継がれてきた民族の伝説などを
急いで文書にとりまとめて提出しただろう、というのだそうです。
この仮定の下では、旧約聖書の中にあるさまざまな矛盾も説明できます。
また、アブラハムやヨセフにまつわる物語は、民族の神話であり、「古事記」的なものだと思います。
なので、アブラハムやヨセフ、モーゼのあたりは、信仰的な要素と民話的な要素とが入り混じっており、
未分化で未完成的な説話的なものではないだろうか?、と思うわけです。
”宗教”としてユダヤ教が発達しはじめたのは、北王朝がアッシリアに滅ぼされ、南王朝にも危機が迫ってきて、
預言者たちが活動し始めてからではないでしょうか?
それ以前は、宗教と呼べるほどのものではなかったと考えます。
モーゼ五書と預言者たちの書では、明らかに、傾向が違うと思うのです。
ただ、ユダヤ人たちは、比較的安定したエジプトの富裕で強大な諸王朝と、
変転きわまりないメソポタミアの諸帝国とのはざまで苦労して生きながらえ、
その中から、”民族の処世術”ともいうべきものを学び取っていたのは間違いなく、
それが、アブラハムの流浪の物語から、ヨセフの人生の物語のあたりに結実している、
ということは言えるようには思えます。
いかがでしょうか?
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