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哲学・宗教質問箱

672kei:2014/05/17(土) 14:38:35
ジャンヌ・ダルク炎上と復活
竹下様、「戦士ジャンヌ・ダルクの炎上と復活」拝読いたしました。
ジャンヌ・ダルクにつきましては、実は講談社新書で貴著書に初めて接したのです。
ふとリュック・ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」を観たところ、裁判の理路整然としたジャンヌの論理に触れて、不思議に思い、いくつか読みすすんだものです。
これまでに貴著他、岩波新書、ペヌルー「ジャンヌ・ダルク」、集英社新書「英仏百年戦争」また物語としては映画バーグマン主演「ジャンヌ・ダーク」「火刑台のジャンヌダルク」劇「ひばり」を見ております。
本書は、3つのテーマで、ジャンヌ・ダルクをめぐる歴史的事象について詳らかに述べられています。それは終章に向かう巡礼のようでもありました。
終章において、ジャンヌ・ダルクと聖母マリアが比較されております。
お告げの2つのタイプと書かれていますが、ある意味同じことのように思えます。
ジャンヌ・ダルクの場合も受容であったでしょうし、彼女は自分を声の器と考えていたでしょう。そしてその受容は聖母マリアを心に留めたことでしょう。
また聖母マリアの場合も、拙は「Mary of Nazareth」の影響を受けておりますが、老シメオンに「剣で貫かれる」と予言されたように、その道は苦難であったでしょうし、最後までその言葉の通り自分で歩みぬかれたと今考えております。
「Mary of Nazareth」では、エジプトからの帰還、主イエスに親族と共におしかけたとき、受難のときにおいて、その言葉が試され、聖母ご自分でその都度足を踏み出したように描かれておりますが、拙は聖母マリアのこれまでの違和感がそれで解消されたと感じました。
ジャンヌ・ダルクの生涯を考える場合、受難も通して考えねばならないと思われます。
「フランスを救え」という声はランスではなく、ルーアンまでも含めて貫徹されていたのではないでしょうか?
ペヌルーの著書、「英仏百年戦争」共にジャンヌの処刑以降にノルマンディーでの反乱が起きていることが述べられています。「英仏百年戦争」などは、ジャンヌの戦闘の意義はあまり軍事的に評価されていませんが、死後にこそナショナリズムの「否定できない潮流をつくる」と面白いことが述べられています。
さらに帰天されてからは、今に至るまでフランスを救い続けていると考えることもできると存じます。
考えてみれば、ジャンヌは、諸勢力すべてに裏切られましたが、そのことでかえってどの勢力にも属さない「民衆の聖女」となり、どの勢力にとっても負い目を持ち、掲げねばならない存在になってしまったのかもしれないと思えます。
リュック・ベッソンの映画は「聖戦」という新たな薪を投げ込むこととなりました。
イラクからウクライナに至るまで、現代の「聖戦」は双方の側に双方の側のための殉教者を出しており、それは交わることがありません。
ジャンヌのようにすべての側に負い目をつくる殉教者がない限り終わることがないのでしょうか、イエス・キリストのように?
ともあれ、日本の中世内戦の天下統一は武将の上からの英雄は居ますが、ジャンヌのような下からの英雄はいません。西欧他国でもここまでの存在はないように思えます。それは単にプロパガンダを超えたものがあるのではないでしょうか?


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