[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
哲学・宗教質問箱
665
:
グラ(愛犬の名称)
:2013/07/02(火) 18:35:27
「父ブルームハルトのこと」
竹下先生
所謂、「悪魔祓い」のことです。
場所は、シュトゥットガルトから鉄道で2時間、ヘルマン・ヘッセの故郷カルフの町から東北に向かって8キロほどのメットリンゲン村。恐らく、ヒルデガルトのビンゲンとも約々二百キロ圏内かと思われます。
この「悪魔祓い」は、映画エクソシストのような内容で、ゴットリービン・ディトゥス(1815年生まれ)という娘の二年以上続いていた憑依状態のなか、1843年12月のクリスマスの期間に決定的な出来事が起きます。ブルームハルトのヴィテンベルクの宗務局への「報告書」によりますと、「娘は頭と上半身を、椅子の背にのけぞらせていたが、人間の喉から出るとは思えない声で、『イエスは勝利者だ。イエスは勝利者だ。』と、吼えるように叫んだ。この言葉は、それを聞いた限りの人々に理解され、忘れることのできない印象を与えた。」と記されております。
ブルームハルトにとって、この「悪魔祓い」についての理解は、キリスト教教義のいう「恵みの勝利」などではなく、さらに、一つの原理とそれに対立する別の原理の戦いというものではなく、活きた人格的な神とそれに逆らうやはり人格的な暗黒の力とのつばぜり合いの戦いであったということです。この戦いは、「模擬戦」などではなく、事実粗野なまでに「肉薄戦」であったということです。
バルトは、教会教義学で、「イエスは勝利者だ」という節を設け、「この言葉は、当時においても新しい言葉であり、そのような言葉として、当時もそしてその後長い間、孤独な言葉であり続けた。」と記します。
私は、ここでバルト神学を説明する能力もありませんが、しかし、この「悪魔祓い」事件は、ヨーロッパの歴史おいては、竹下先生の「聖者の宇宙」=「聖者システムの歴史と実態と意味」(P12)の一齣であるようにも思えます。
ブルームハルト父子・バルトは、信仰覚醒・教会覚醒に進みますが、カトリック的な理解、ビンゲンのヒルデガルトをブルームハルトも知っていたかも?などと想像しております。
竹下先生にどのように説明しようか、右顧左眄してましたら、
井上良雄著 「神の国の証人 ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ」の一節に、
ブルームハルトが東方教会的だということを言うのは、バルトだけではない。エルンスト・ガウグラ-は、そのブルームハルト論の中に、「あるロシアの神学者」が、ブルームハルトの書いたものを読んで、「父ブルームハルトは、私にはプロテスタントの『長老』のように思える」と言ったというエピソードを伝えている。
と記しておりました。
この長老の注釈として、
「ロシア語で『スターレッツ』は、年老いた人の意。ロシア正教会における宗教的指導者、修道士であるが、「長老」というのが、教会内の階層的な職位として位置付けられているわけではない。霊的な賜物によって、権威を持ち、若い修道士たちの訓練に当たった。「長老」は、東方教会の歴史において古くからあったが、十八世紀の後半から、ロシアの修道生活の中で大きな役割を持つようになった。平信徒たちは、その苦悩を癒してもらうために、その周囲に集まった。われわれには、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に描かれたゾシマ長老の姿によって親しい。」
とありました。
竹下先生には、プロテスタントの視点での、この「ブルームハルト的なもの」を、聖者の宇宙的な視点から意見をいただこうかなと思っておりました。といいますのは、ブルームハルトが「肉薄戦」を闘った人間の現実は、キリスト教会全体の歴史での戦いでもあったと思います。
少なくとも、ブルームハルトの戦いは、聖者の宇宙の一齣として、理解される必要があると思われます。
とりとめのない内容になってしまいましたの、無視してください。
竹下先生の本は、プロテスタント側からもアプローチしなくてはならない本だということを伝えたかったのですが…。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板