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哲学・宗教質問箱

663グラ(愛犬の名称):2013/06/29(土) 06:08:07
「聖母マリア」
聖書での表記も、イエスの母については、マリアとマリヤに分かれといるように、振り返ってみますと、プロテスタントの、それも福音派と呼ばれるキリスト教原理主義では、マリアの生涯、例えば、15歳でイエスを生み、多分、72歳頃に「被昇天」したなどということは、聖書研究でもその対象にすらなりません。

しかし、イエスの十字架は、神学的にも、天と地を決定的に隔てる出来事であると同時に、天と地を結び合わせ、救済する真理となります。そのイエスの生涯に寄り添い、様々な出来事を「心に納めて、思いを巡らし、(ルカ2:19)、心に留めて(ルカ2:51)」、と記すことで、マリアがイエスの生涯を、その真実の姿を十分に理解できないながらも、心に刻むことを、福音記者ルカは強調します。

竹下先生の「聖母マリア」を読むことで、マリアの生涯とその後の民間信仰の展開を通して、私自身の信仰の在り方にリアリティーを齎しました。
ヨハネの福音書によりますと、マリアは、十字架の足元に留まっております。マリアは、自分が産んだ子を罪人として死刑に処せられる場面に立ち会っているということです。母マリアは、母である自分よりも先に死ぬ「親不孝」の場面に無力な姿を晒しています。さらに、十字架上のイエスからは、「女の方」と呼ばれます。

実は、私は教会の礼拝で、時々、信徒説教者として、牧師たちの「検閲」を受けた説教原稿をもとに礼拝説教をします。「検閲」が通れば、7月21日の礼拝で、先ほどの聖書箇所も含め、イエスが、なぜ「女の方」と呼んだのか、これは同じヨハネの福音書のカナの婚礼での奇跡でも、「女の方」と母マリアが呼ばれることと関連付けて、説教をする予定でおります。

とにかく、竹下先生の「聖母マリア」からも大きな刺激を受けて、聖書の読み方が変わったことをお伝えしたかったのです。
わたし的には、依然として、思弁的であり、敬虔主義的でありますが、日本のプロテスタントの教会が絶滅危惧種もしくはガラパゴス化から抜け出す努力をしたいと考えております。

これと関連して、竹下先生にお尋ねしたいことがあったのですが、躊躇しております。
カール・バルトの神学の出発点となった出来事に、「ブルームハルトの体験」があります。この体験については、わたし的には、結局、思弁的、敬虔主義的な理解に留まっているのではないかという疑問が、最近、湧いてきております。これも、竹下先生の本を読むことで、ヨーロッパのキリスト教文化の伝統を踏まえて、「ブルームハルトの体験」を理解しないと、表面的な理解に終わっていたのではないかという反省を持ち始めているからです
この「ブルームハルトの体験」は、
「神の国の証人 ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ」 井上良雄著 1982年3月 第一版第一刷発行 新教出版社
に、詳しく記載されておりますが、いずれにしましても、躊躇しております。


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