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哲学・宗教質問箱

654グラ(愛犬の名称):2013/06/21(金) 05:05:41
トラウマについて
竹下先生
先生がご指摘になった「トラウマ」について、補足的な説明をさせていただきます。
なお、このメールへの返信は、気になさらないでいただければと思います。
しかし、なぜ、竹下先生に、宗教相談のメールをするかというと、竹下先生の著作やブログを読んでいて、キリスト教を平易に表現することを通して、若い人たちにも理解してもらおうという姿勢に貫かれているように思えるからです。この「平易に」という意味は、日常の生活感覚を通してということです。

私は、プロテスタントの福音的な教会に身を置く者です。謂わば、キリスト教原理主義者であるかもしれません(笑)
ただ、この日本のプロテスタントも超高齢化社会の到来とともに、絶滅危惧種にリストアップされそうな勢いにあるということです。
そして、その原因のひとつに、敗戦後のプロテスタントのキリスト教が、マッカーサーの占領政策の一環としてアメリカから直輸入されてきたことにあります。負け犬が虎の威を借る、です。(マッカーサーは本気で、キリスト教による日本人の洗脳を考えていたことは事実のようです。)

問題は、敗戦後のプロテスタントのキリスト教の受容が、こうした卑屈な屈折した気分の中で展開したことですが、さらに問題を複雑にしたのが、無教会主義の台頭でありました。
戦時下、非戦を貫いたということで、共産党と無教会は戦後一大ブームとなります。戦後の初代東大総長は南原繁、続いて矢内原忠雄と、無教会出身者を就任させて、新生「東京帝大」は戦前からの権威付けに成功します。(岩波文化も後押しします。)

無教会主義、特に、塚本虎二を中心としたグループは、「教会の外に救いあり」として、カトリック・プロテスタントを問わず、総ての教会に挑戦します。

以上が、敗戦後のプロテスタントの歴史を、私なりの理解で略述しましたが、問題は、無教会主義は「メイド・イン・ジャパン」なキリスト教であり、「かなり異端臭い」のではないかという疑問です。
内村鑑三が主張した無教会(行くべき教会が無い)と塚本虎二の無教会主義は似て非なるものと思います。
しかし、一世を風靡した無教会主義が今や「風前の灯」であることを対岸の火事とは思えません。カトリック・プロテスタントを問わず、日本においては、遠藤周作が指摘した通り、キリスト教受容の根っこが腐るようになっているのかもしれない、これがトラウマです。

竹下先生の著作やブログを読んでいて、こうした不自由さを感じませんから、この「ご相談」は先生にとっては理解不能のような気もします。

しかし、日本の戦後のプロテスタントは、無教会主義と向き合い、清算すべきものを清算しないのであれば、いずれ絶滅危惧種に確実にリストアップされることになると思います。

私も「天の風」に吹かれてみたいものです。


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