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哲学・宗教質問箱

639Sekko:2013/02/07(木) 09:15:50
リジューさまへ
リジューさま、こんにちは。

そうですね。「霊的カップル」っていうのに私もちょっと憧れます。

フランソワ・ド・サルとシャンタルの場合はなんだかんだといっても名士同士、エリート同士かなあ、とも思いますが、それでも、いわゆる「相性」を超えた大きな何かを介在させていたのだなあと思います。

上流家庭で妻母嫁と人生のフルコースを味わってその後またフランソワ・ド・サルのような突出したキャラクターと出あい、共に新しい修道会を創り上げたシャンタルの人生はなかなか羨ましいです。

私の身近でよく知っているのはカトリック関係者とチベット仏教関係者なんですが、どちらも独身の誓願を立てている人たちで、「神仏に帰依して人々を救う」という決意と、自分の「個人としての家庭の団欒や子孫を残すことはしない」という決意とがペアになっているのを見ると、自然とリスペクトの念がわきます。

もちろん家庭を持たれていても宗教的使命を遂行する人もいれば、独身でも俗な欲望にまみれている人もいるわけですが、何につけ、禁欲的に専念しているタイプの人には惹きつけられます(自分がそうじゃないからかもしれませんが)。

カトリックの宣教会のヨーロッパ系の神父さんなどで、若い時からずっと日本に来て、カトリックの少ない日本に骨をうずめたいという方たちにも感心します。

昨年お亡くなりになったネラン神父さまのようにリタイアしてから新宿にバーを開いてサラリーマンに寄り添った人もいるくらい(ネランさんについてブログで書いたことがあります。http://spinou.exblog.jp/15666988/ )で、みなユニークで、それなのになんだか波長が日本人っぽくなっていて親しみやすいですね。

ただ、出会いというもの、人柄というものはすごく大事なので、チベット仏教では一人のラマ(指導僧)につくのですが、10年間は、自分に合わなければ替えていいそうです。

いいかえると、10年くらいのスパンで見ていかないと、本当に自分にとって霊的な指導者になってもらえるかという大切なことの見極めはつかないかもしれないということです。

まあ結婚などでも、一目ぼれで何十年も幸せに添い遂げる人もいるのですから、これは運命かもしれません。

シャンタルだって、運命の人フランソワ・ド・サルに惹かれながら、別に告解僧もいたし、なかなか特別な関係に入れなかったですよね。試練があった方が本物の気持ちを確かめられるかもしれません。

ある程度の年配になるとずっと何かの仮面をかぶってきたり何者かの振りをしてきたりしたような人たちにはそれなりの不透明さが出てくるように思います。

そうでない人は年を重ねるごとに生まれるある種のシンプルさによって信頼感をそそってくれます。

「この人の信じている神さまなら信じてもいいな」と思えることもあるでしょう。

ただ、「理想的な男性を求める」的な惹かれ方は、あまり深入りすると失望したり、相手を困らせたりするかもしれませんから、気をつけた方がいいかもです。

あまりアドバイスになってませんが、ケースバイケースだということで、ひとまずこの辺で。

http://setukotakeshita.com/


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