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哲学・宗教質問箱
623
:
sekko
:2012/08/01(水) 01:45:41
迷える大羊さまへ
しばらく留守にしていたのでお返事遅れてすみません。
まず、「教会通い」が親戚のイベントよりも優先したりする話について。
上智大学のサイトのキリスト教Q&Aでこんなのがあります。
54.洗礼を受けたいと望んでいるのですが、家で反対されます。家庭に不和を起こしても洗礼を受けるべきでしょうか。
家の人がキリスト教のことをまったく知らなかったり、伝統的な宗教に熱心であったりする場合には、反対されても当然でしょう。娘が洗礼を受けるとお嫁にやるときに障害になると考える人もいれば、主婦が家事を放りだして信心などにこりはじめると迷惑だ、と考える人もいるでしょう。家の墓はどうなる、と心配する人もいるかもしれません。いずれにせよ、あせって無理をしないようにしてください。
あなたがまだ自立して生計を立てておられないなら、やはりご両親の許しをいただいてください。若い人たちがいかがわしい新興宗教の勧誘にのって大変な被害 をこうむった例もありますから、心配されるのは当然です。指導してくださった司祭や先生に頼んで、ご両親と話していただくのもよいかもしれません。時機を 待てば、そのうちわかっていただけるでしょう。
もしあなたが一家の主婦で、ご主人がキリスト教のことをよくご存じないとしたら、やはりきちんと話しあって、了解を得ておかれることをお勧めします。主婦が教会にいりびたって家事をなげやりにする、というのであれば、それはキリスト教的に見て正しくありません。神への愛はもっとも近い隣人への愛として表れるはずですから。でも、もし教会に行くことが家事に支障をもたらさず、むしろ奥さん、お母さんが教会に行って、喜びをもって帰ってきて、家庭がもっと明るくなった、と喜ばれるようになれば、しめたものです。洗礼の望みも、自然に了解されることでしょう。
確かに福音書には、キリストに従うための厳しい心構えが言われます。「わたしよりも父や母を愛するものは、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」(マタイ10・37)。でも、このような言葉は、それが語られた文脈や状況を無視して理解すべきではありません。 それは確かに、人間が生きていく上でよりどころとする最終的な価値基準のことを言っています。そして神の前で、家族や血縁の愛は決して絶対的な基準とはなりません。でも、その神への愛に目覚めさせ、それをはぐくんでくれるのは、実は他ならない両親の愛であり、家族の愛であり、隣人の愛です。
隣人の愛を深く体験した者のみが、逆説的に、それを越える神への愛を知るようになるのですね。
洗礼は大きな恵みですが、でも、神の大きなみ心を信 じて、あまりあせらないようにしてください。神は一人ひとりを心にかけ、いちばんよいように導いてくださいます。もし神があなたに、洗礼への本当の望みを お与えになったのなら、きっとそのための道も準備してくださるでしょう。
引用終わり。
私はこの意見に全面的に賛成です。
でも、個々のケースで、どんな習慣でも大羊さんのおっしゃるように、「依存症」みたいになってしまうこともあると思います。
それは信仰とかキリスト教とか教会とかとはもう別の次元の問題だと思います。
でも、本人が信仰のため、と思い込んでいるなら、その共同体内のしかるべき人に相談してその依存症状態から脱却するのに協力してもらうことも可能かなあと思います。
その共同体自体が依存性を誘発しようとしているなら別ですが。あり得ない例えですが、もし誰かが私に夢中になって家族関係をおろそかにしているという訴えが家族からなされたら、私なら本人とよく話し合って、もっと柔軟で自由なスタンスでいてくださるように仕向けるでしょう。
もうひとつ、いじめの話。
いろんな言説がありますし、私も書いたことがありますが、
玉聞伸啓さんの「いじめと闘おう!」サイト
http://www.ijimetotatakaou.com/
が、対策と克服を具体的に提示していて今、一番共感しています。
昔のいじめはいわゆる「弱い者いじめ」が多くて、そこにははっきりと「弱い者いじめはダメ」という自主規制もそれなりに生まれていたと思うんですが、今はみんなが横並び的な部分で、何が基準でいじめられているのか分からない、権力関係にも似ていて、外部からの介入がより難しい部分もあるのかもしれません。
ネットを通してなどだとなおさら分からないし。
やられればやり返せ、と言うのも、大人ですら一度自力で負のスパイラルに落ち込んだら鬱から抜け出せないことも多いくらいですから、簡単なことではないし、ましてや赦すとか赦さない以前に、被害者の自死をふせぐためには、これはもう、大人が命をかけて関わるべきだと私は思っています。
大人の社会のハラスメントやDVも、絶対に他からの援助が必要な場合の方が多いと思います。
あとはやっぱり、子どもが幼児のうちから、理屈抜きで、理由なしに誰かをいじめたり攻撃してはいけない、他の子どもたちはたとえ好きになれなくとも絶対にリスペクトしなくてはならないことを徹底的に繰り返すのが必要だと思います。
http://setukotakeshita.com/
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