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哲学・宗教質問箱

619sekko:2012/07/19(木) 05:28:38
いろいろ大変ですね。
フランスでは、一般的なカトリック信者、なんちゃって信者も含めて(もちろん少数の教条主義的な人はどこにでもいるでしょうが)、つくづく思うんですが、たいていは意識していないと思いますが、もちろん他宗教一般に寛容で、でも、その本音は、前にブログでも書いたんですが、要するに、

「自分ちの伝統宗教だけが宗教だと思っていて、世界の他宗教は宗教じゃなく《文化》だと思っている」

ような気がします。もちろん、自分ちでいろんな原理主義的主張をするイスラムとか、歴史的罪悪感を持たざるを得ないユダヤ教とかについては、同じ「アブラハムの宗教」として葛藤だの警戒だの偏見だのがそれなりにありますが、それ以外の地域の多神教だの仏教だのは「エキゾティックな異文化」程度の認識です。

仏教が無神論で哲学で生き方マニュアルだという見方は根強いですし、仏教、ヒンズー教、神道など、ギリシャ・ローマ神話と同じくらい歴史的、文学的、民族学的、審美的な扱いだし、ヨーロッパに直接の影響関係がない分もっと単純に憧れたり反対にスル―したりするので、セレモニーに参加する機会があるとしても、「信仰の踏み絵」にならず「興味深い異文化体験」か、もしくは「他文化リスペクト原則」の体験という認識だと思います。

いろいろなセレモニーというのは、時代や環境とともに変化してきたもので、セレモニーが人のためにあるので人がセレモニーのためにあるわけではありませんし。

私なんか、母の一周忌のお経をお墓の前で浄土真宗(実家の宗旨)のお坊さんにあげてもらいましたが、その時参加したのはカトリックのシスターたちも含めて全員カトリックだったので、それでもいいですか、と聞くと、お坊さんから「私が行っても、よろしいんですか・・・」と言われてしまいました。でも、浄土真宗では亡くなれば南無阿弥陀仏で即成仏で極楽浄土にいるわけなので、お経も回向のためというより出席者が故人をしのぶためだとも言われたので、どちらもノープロブレムでした。「何教でも何宗でも宗教者が故人のために祈ってくれるのはありがたいことだ」というのは、伝統のメジャー宗教にいる人にはよくある感覚だとも思います。

故人の宗旨をリスペクトして、遺族感情もリスペクトして、自分の立場が周りにとって挑発的なものにならないように控えめにしている、というのが葬儀に臨んでの「普通の大人」のスタンスだという気がします。

http://setukotakeshita.com/


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