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哲学・宗教質問箱
574
:
sekko
:2012/06/12(火) 22:21:08
ルチアさま
ごめんなさい。記事を事前に確認しなかったので、誤解されるような書き方をされていることに気づきませんでした。記事をまとめられた方は、私の著書を読んでキリスト教徒の視点というよりも、客観的で冷静な視点でキリスト教文化を分析し、語っているといつも感じていられたということで、ああいう書き方になってしまったそうです。
信者であることと冷静な視点は両立しますが、キリスト教がマイノリティの日本では、私自身も、昔、宗教学科でキリスト教を教えている人はみんな信者か聖職者、みたいなイメージでバイアスがかかっているんじゃないかという偏見も無きにしも非ずでしたから、特に表に出す必要はないと思っています。
この記事を読んだ担当の編集者は「信仰を明らかにすると何か不都合が生じて、テロリストから狙われるのかと懸念」した、などと言っていましたが、もちろんそんなこともないです。
私は日本でごく普通の家庭に育って、キリスト教とは知的な興味以外の付き合いはありませんでした。ミッションスクール文化ももちろん知りません。
ミッションスクールで中学高校を過ごし上智で洗礼を受けられたエッセイストの故・島村麻里さんは、「竹下さん、日本にはカトリックお嬢文化というものがあるんですよ」と教えてくれ、彼女は馬小屋セットでお人形遊びをしていたとか、「ルルドのひめぎみマリア様」というような「カトリックいろはカルタ」で育ったと言っていました。私は同じころ、「世界の王者ルーテーズ」といった「プロレスカルタ」で遊んでいましたから、あまりの違いに笑いあいました。
島村さんもそうですが、洗礼を受けた後で教会から離れ、少し罪悪感があったのが、私の本を読んでまたカトリックに親しみを受けた、楽しくなったという人は何人もいらっしゃるようです。「実は、私は、幼児洗礼を受けていまして…」と突然「カミングアウト」なさる仕事関係の人もいて、どう反応すべきなのか分からなかったこともあります。
フランスでは幼児洗礼を受けている人は今でもマジョリティですが、教会に毎日曜行っている人は一割をきっています。まあ、日本人がお宮参りに行ったりお葬式でお坊さんを呼んだりするように、クリスマスや復活祭にだけ教会に行ったり、葬儀ミサだけはするという人はたくさんいますが。
フランスでは逆に仏教徒と称する人は、カトリックの洗礼名簿からわざわざ消してもらって仏教の戒を授けてもらって戒名をもらう、という熱心な人がほとんどです。そんなフランス人の集まりに行くと、私なんて、日本人だから、自然に一目置かれたりしますよ。なんか「Zen」な感じがするらしく。それなりの仏教国カルチャーもありますから。
そんな国で、しかも、フランドルの田舎で、今から30年以上前に成人洗礼を受けたのですが、80歳を超えていた司祭は、そもそも成人洗礼のやり方を知らず、多分司教に問い合わせるという智恵もなかったのか、生まれて初めて授ける成人洗礼(その村にはカトリック以外は存在しません。小教区と町内会の区別がないという感じです)に興奮するばかりで、私は、いわゆるカテキズムなどもなしに、幼児洗礼と同じような感じで、洗礼を受けました。(しかも巡礼者が分けてくれたヨルダン川の水で。)
そんなわけでその日には地方の新聞社が来て大騒ぎになり、その地方新聞に写真も載りました。代父も代母も、幼児洗礼なら絶対に選んでもらえないような老人で、とっても感激してました。
でも、聞かれてこの話をすると、フランス人は面白がるだけですが、日本のカトリックの人には、真面目に勉強している他の人に悪い影響を与えるからそういうことを話すな、と注意されたことがあります。まあ、そういうこともあって、なるべく目立たないようにはしていますが、別に、隠れキリシタンをやってるわけではありません。
こちららの子供のカテキズムでは「キリスト教的生活とは他の人の生活をより快適にするよう努力すること」と言われるので、私は、老司祭さん(私の洗礼の後、それをずっと自慢したいて一年後に亡くなりました)も幸せにしたし、村中を喜ばせたので別に罪悪感はありません。そういうコンテキストで、会衆の応答の言葉とかクレドに対して「全部はいまいち信じてないかも」などというそれこそ皆の予定調和の世界を破って困らせるようなことを突き詰めて考えることもありませんでした。
大人が受洗できるかどうかなどは資格の問題ではなく内的な必要に駆られてだと思いますし、基本的に無償でいただくプレゼントだと思うので、それを大事にしていくかどうかはまた別の問題です。まさに「より深く他者と出会う」ことなしには意味がありません。
日本の方に対しては、そんなわけで、信者としてアドヴァイスするような立場にはまったくありませんが、できるだけ他の人の立場に寄り添うことを自分に課すことを続けています。
そして、ある時、誰かに「えっ、あの人がカトリックならカトリックって信頼できるのかも…」と思ってもらえることがあるとしたら、最高です。私の周りにはそういう素敵な人がたくさんいますよ。
http://setukotakeshita.com/
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