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哲学・宗教質問箱

563迷える大羊:2012/03/19(月) 22:44:44
キリスト教のメディア戦略
 以前、雑談スレで話題にした、日本のヴァーチャルアイドル「初音ミク」ですが、ネット上を見る限り、その人気はリアルのアイドルを押しのけて世界的になっていて、海外では日本のポップスターといえば「初音ミク」と思われているようで、英国の通信社ロイターが今月3月8日、9日に東京で行われた、彼女(それ?)のライブのニュースを世界中の報道機関に配信したみたいです。

http://www.reuters.com/article/2012/03/09/us-japan-digital-diva-idUSBRE8280DO20120309

 こんなエピソードもありました(毎日新聞WEB版より)

http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20120129ddm002070124000c.html

http://www.youtube.com/watch?v=HWcw8S9_0ts&feature=related

 いろいろ興味深いことが多いのですが、なぜ、哲学・宗教スレで話題にするのか?というと、この初音ミクがメジャーになっていく過程が、イエスとかキリスト教のそれとそっくりなのではないのか?という気がしてしょうがないからです。以前は冗談半分でしたが、詳細を知るにつけ、もう冗談ではないような気がするもので。具体的には・・。

・イエスと「初音ミク」の「キャラクター」設定

 初音ミクに発売元のクリプトン社がつけたキャラ設定は16歳 身長158cmだけ。しかし、その透明さが却ってネットユーザーの想像力は刺激され、動画サイトには思い思いの初音ミク像を反映した自作曲・PVが次々とアップされブーム化。

 イエスも、福音書でもヨセフとマリアとの間に生まれ、家業の大工を営んでいたらしい、ということくらいしかわからず、救い主としてではない、リアルな人間としての「キャラクター設定」はほとんどないような。単に不明なのか?でも、イエスの弟子たちが何も知らなかったとは思えないし、取材だってしようと思えばいくらでもできたわけで、あえて「真っ白」にしているのではないか?と思えるのですが、どうでしょう?パオロもリアル・イエスについては全く追及していませんし。

 初音ミクの場合、オリジナルは存在せず、ファン同士が動画サイトでさまざまな「初音ミク」を共有できたのがブームの理由ですが、初期のキリスト教会もこういう効果を狙ったんではないか?と思えてくるのですが・・。

 ・聖書と「初音ミク」の楽曲・イラスト等の作品

 初音ミクの楽曲等の作品は特定のアーチスト、制作グループが作っているわけではなく、インターネット上のユーザーがプロ・アマ入り乱れてよってたかって投稿(主にニコニコ動画)したもので、そのうち、ネット上で人気のあるもの、高評価であったものがCDになったり、ライブ演奏されたりしているわけですが。
 その辺りの様子はグーグル日本版のCMに要領よく表現されてます。

http://www.youtube.com/watch?v=MGt25mv4-2Q&feature=related

 そういえば、聖書も特定の作家によって書かれたわけではなく、信者(アマ?)、聖職者(プロ?)入り乱れて作り上げた、さまざまな伝承、信仰告白、信仰証言のうち、クリスチャン社会(ネット?)で人気の高いエピソード、信憑性の高いエピソード(曲?)が取捨選択されて、文書となった(CD化?)もので、トップダウンではなくボトムアップで作られた・・という点では共通しているような気が。初音ミクはネット、動画サイト、聖書は印刷機、とその時代の「先端メディア」にうまく乗っかって爆発的に「ヒット」したのも同じ?

 ・二次創作による豊かさの獲得

 「初音ミク」制作のクリプトン社は著作権を厳密に解釈せず、商業目的ではない、過激な暴力・エロがない限り、二次、三次創作を認める、というよりむしろ積極的に推奨する姿勢をとったおかげで、レベルの高い創作環境が整備され、作品世界が非常に豊かになったわけですが、キリスト教、聖書も、それを元にした二次創作ともいうべき、宗教画、彫刻その他の芸術作品が非常に多く生み出され、ヨーロッパの文化レベル向上に貢献、といった面があるのと似てるのかな?と思ったりします。少々大げさですが・・。
 ミケランジェロやダ・ビンチは「オタク」?現代人に生まれていたら、作品をニコニコ動画に投稿したり、2ちゃんねるあたりに「マリア様、マジ女神」なんて落書きをしていた、かもと思うとなんだかおかしいです・・。

 ・「プラットフォーム」としてのイエスと初音ミク

 カナダのフランス語新聞は初音ミクを「人物というより、インターネットユーザの協力、コミュニティの出現、そしてアイデアの流通を許すプラットフォームなのだ。」と評していますが、キリスト教におけるイエスというのも神様へのアクセス、コミュニティの出現、協力を許すプラットフォームみたいな存在、なんでしょうか。

http://www.cyberpresse.ca/arts/musique/201111/25/01-4471639-hatsune-miku-paternite-multiple.php

http://lunaticprophet.org/archives/6013


 クリスチャンが信じているのは、なんというか、プラットフォームとか信仰の集合体としてのイエスであって現実の人間を崇め奉っているわけではない、というのが「人であり神であり」という話なのかも、と思ったりします。
 「復活」も死人が蘇る、ではなく、リアル人間としてのイエスは死んでしまっても、プラットフォームとしてのイエスは永遠に存在する、みたいな話だったのかも。古代世界に、ネットとかバーチャルとかリアルなんて技術も概念もなく、ボキャブラリーも貧困であったために、うまく表現ができず、いろいろな「誤解」を招くことになった・・と思えるのですがどうなんでしょう。

 こうして書き連ねてみると(もし意図的にやっているとすれば)、キリスト教ってすごい宗教だな、2千年以上先のネット社会を先取りしてるじゃないか?と思ったりします。それとも、単にメディア戦略の基本は時代が変わっても変わらない、というだけのことでしょうか?
 また、こういう解釈ってクリスチャン一般の感覚に近いものなんでしょうか?(特にイエスの位置づけとか「復活」とか「人であり神であり」の部分)

 初音ミクの「ライブ」の様子

http://www.youtube.com/watch?v=aY44nr0ZUZ8&NR=1


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