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哲学・宗教質問箱

339Sekko:2008/08/25(月) 05:37:33
聖家族とか・・・
 返事遅れてすみません。ひと言じゃいえないし。
 聖家族信仰の成立については、私の『弱い父ヨセフ』(選書メチエ)を一度読んでください。『聖母マリア』には聖母の位置づけの変遷をちょっと書いています。

 私の了解しているキリスト教は、別に聖書のコンテンツを理性で理解して納得して、たとえばイエスがちょっと変な言動をしても、「これには自分の分からない深い意味があるんだろうな」とか、「まあ、これは不問に付しとこう」とか思ってめでたく信仰成立ってものではないです。
 キリスト教の成立したヘレニズム世界はストア派の論客がたくさんいて、福音書の伝承の変なとこはすでに批判されたりもしてました。だから「神の子」の言動にふさわしく改竄するとか、いろいろな手があったかもしれないのにそのまま残したのは、使徒たちや初期共同体の中にも大きな疑問符があったわけで、でもそれをはらんだままでスタートしたということは、ヘレニズム世界の弁証法的思考があったからです。その緊張と本質的な不安が、キリスト教を育てたんだと思います。

 無理があるけど、確かに使徒や初期の信者が確かに信じたと思えるのは、イエスの死と復活と昇天で、ほんとに何が起こったのかは今となってはわかりませんが、それを軸にパウロが各教会に手紙を書きまくったのが、キリスト教の核をなしているわけで、その結果どうなったか、というところが私には興味があります。そしてそのパウロは、聖母がどうしたかとか、復活前のイエスがこう言った、ああ言ったとかはほとんど問題にしてません。その意味では、後からの神学的整合性の追求は別として聖母の処女性とか、イエスの言動とかは、本質的ではないと思います。

 聖書に出てくるとこだけ読んだら、私だって、あんな息子、あんまり欲しくないし、あんなこと言われたらむっとしますけど、まあ、普通の人の言動ですら、文脈を無視したり視座を定めないと、どうにでも編集されちゃいますからね。
 イエスとパウロによって人は、「法」からは解放され、ただ、「愛」についてのみ責任を要求されました。そのせいで生まれたのが「秩序」より「緊張」です。
 これが、キリスト教世界観が円環でなく螺旋であるゆえんですね。

 私は、弁証法的思考法にはまっているせいか、「答えがない状態」が嫌ではないです。すべて、答えのある状態とは、多分弱者に抑圧的に働くと思うから。

 これからも大羊さんは、いろんな答えを知ろうとして「迷える羊」であり続けるでしょうが、そこで見つかるのは、いつも、「答え」ではなくて、「新たな問い」でしょう。でもその問いはどんどん深くなると思います。それが本当にキリスト教らしい旅だと私は思いますけどね。


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