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哲学・宗教質問箱

33Sekko:2006/01/29(日) 02:17:44
落ち込むことんついて
 一日って、年平均したら、半分は夜ですよね。それで、普通の人は、日没の後も人工の光でまだ起きていて、睡眠というブラックアウトを日に7、8時間に抑えているわけですが、昼ばかりだと地球は焦げつき、夜ばかりだと凍りつくというわけで、起きている時間も、その半分くらいは暗くても自然かなあと私は思うのですが。そう、「普通の状態」があってそこから落ち込むというより、光になったり陰になったりするのっぺりした一日の中で、ブラックアウトの睡眠を楽しみ(小さい頃から、毎日やってくる、寝ることの不思議が、気になって気になってしかたなかったんです)、その中で、たまに他人との関係で、傷つけられたり、元気ををもらったりというのはあります。傷ついた時は、猫みたいに傷口ぺろぺろやって寝て治し、元気なときはそれをおすそ分けするためにわりと外へ出しちゃう方なので、外から見てると「いつも元気」っぽく見えるのかも。でも基本的に今落ち込んでるとか元気とか、「自分の状態」の把握に興味を持たないようにし、あるべきモデルも想定せず、自分の心身状態に関して、ぼーっとした距離感しか持ってません。もちろん病気になったら薬を飲むとかの最低限の対症療法はしますが、健康法もなし、健康診断もせず、です。
 最近、エルサレムから数キロのアブー・ゴシュの修道会の院長が変わりました。この修道会は、12世紀にマルト騎士団が建てた教会にあって、現在10人の修道士が住み、今年創立30年を祝います。30年前に、ノルマンディのベネディクト修道会の院長が、世界の分裂の元は、初期キリスト教とユダヤ人の分裂のせいだと言って、ユダヤ、イスラム分け隔てなく門戸を開き地域社会に尽くそうと、この地に4人の修道士を派遣したのです。今回新院長になったのは、最初の4人の生き残り2人農地の一人、シャルル・ガリシェ師です。
 何で、急にこんなことを書いているかといいますと、このガリシェ師の略歴が紹介されてるのを見てちょっとびっくりしたからです。「1976年、アブー・ゴシュ着任」の後、「1993年、鬱病」とあるのです。その後は、「1996年、パリ、サンタンヌ病院精神科看護師」「1999年、サンテ刑務所付き司祭」「2004年、イスラエルへ帰還」「2005年、アブー・ゴシュ修道院の院長に選ばれる」です。
 聖職者(しかも修道院長)の略歴に、鬱病なんて病名を書くなんて・・・でもわざわざ書くということは、それが彼のキャリアにとって大きい意味を持ち、最終的にはポジティヴだったからだろう・・・それにしても・・・一昔前なら、ここは「信仰の夜」と書かれるところだったろうに・・・と感慨を覚えました。逆に、十字架のヨハネからリジューのテレーズまで、聖人聖女を訪れ苦しめた「信仰の夜」、あれも今なら、鬱病と診断されかねない。信仰にも、昼もあれば夜もある。輝く光に照らされる人ほど、夜の冷たさも、睡眠でブラックアウトできずにひっそり絶えなければならないこともあるのだろう。アート評論のところで書いた12月の展覧会で、メランコリアの概念が、神や創造と結びついた後、神を失った近代に、ついに体質と病に矮小化され、鬱病へと変化していくさまをいろいろ見ましたが、神学にまでなっている「信仰の夜」も、ひょっとして鬱病に?
 それで、このガリシェ師がどうして欝になったかといいますと、ノルマンディから一緒に来てイスラエルで17年苦を共にしたアラン修道士の死を看取ったからです。それを振り返って彼は、「信仰は死別の時に役に立たなかった、死はいつも試練だ。しかし、英雄的に喪を生きない、とあきらめて、抵抗せずに受け止めたら、死は新しい生をくれる」と言っています。彼は、2004年にイスラエルに戻り、もう一人の同士である前院長の死を看取り、今度は「欝に落ち込む」ことなく、新院長の任を引き受けたわけです。
 ヴァチカンの聖人認定審査の基本は、英雄的な徳性とか、英雄的な信仰です。だから殉教者などはそれだけで、英雄性が認められるわけですが、この「ヒロイック」というのは、他者のために身を捧げると思えばいいのですが、「強い」とか、「負けない」とかと解釈しちゃうと、夜が来たとき眠れなくなって、「信仰の夜」や欝に突入するのですね。
 ちなみにこのガリシェ師は、1997年の復活祭の夜、ひどい狂乱状態で精神科に運ばれてきた女性が叫んだのを聞いた時に、本当に立ち直ったと言います。看護師がその女性の身につけていた十字架だか聖画のメダルだかを取り外そうとすると、彼女はすごい勢いで、「だめ、これは私の全部だから!」と拒否したというのです。狂乱の中でも残る分かりやすい信仰、小さなオブジェの中にでも自分の全部を託すことができる人の心の不思議、そこにガリシェ師は夜明けの匂いをかぎつけたのでしょう。
 そんなわけで、ショックはできるだけ抵抗せずにやり過ごし、夜が来たら目を閉じ、それでも体調や体質やらの具合で落ち込んでしまったら、それを厳しい目で見ないで、ぼーっと育てていけば、いつか新しい光が差してくるかもしれない、というのが、ガリシェ師に学ぶ欝の正しい過ごし方、でしょうか。
 くみんさんの憧れの質問の答えは、フランス語の質問箱のほうにしますね。


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