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哲学・宗教質問箱

287Sekko:2008/01/20(日) 21:10:01
分かんなくてもいいのでは・・
 最近、キューブラー・ロス『子供と死について』(中公文庫)を読みました。

 子供を病気や事故や犯罪で失った親たちがどういう風に生き続けるか、みたいな例がつまってます。

 大筋は、子供の肉体は繭であって、死んだ子は蝶になって飛び立った、っていうアレゴリーなんです。今流行のスピリチュアルの、魂が修行のためにこの世に来る、みたいなのと同工です。

 私は、こういう魂がなんたら、っていうのはあまり信じられないんです。
 まあ、これも証明しようのない話なので、信じてる人はどうぞって感じで、でも、うさんくさいとか思ってしまいます。

 でも・・・

 もし、今、あるいはこれから、自分の子供を失うような体験をするとしたら、
 もう、「蝶々」にまっしぐらだと思います。

 多くの親たちを癒してきたこういう考え方があってよかった。
 こういう本の存在を知っといてよかった。

 と感謝するでしょう。
 そしてこの考えに救われるでしょう。

 だとしたら、私の「信」は、必要から生まれるのです。

 だから、この考え方を知っといて損だとは思わないし、そういう「流派」の中にも、ちゃんとした誠実なのもあれば、親の悲しみにつけこんで、高額で霊媒が死んだ子供と話しさせてくれるみたいな悪質なのもあると学習しときます。

 そしたら、いざ、そういう「信仰」を必要とした時に、つけこまれたりするダメージは少ないかもしれない。自分の悲しみを乗り越えて他の人と連帯する方向にいけるかもしれない、って思います。

 つまり、そうなると、「教義」の字句の内容が問題じゃないんで、どういう文脈でどういう風に語られ、どういう関係性を生きられるのか、が問題なんですね。
 それなしで、字句だけ取り出しても、文脈を共有してない限り、所詮、字句は字句です。

 あまりこだわらないで、今は、「学習」だけで、いいのでは?

 私は、カトリック主流国でカトリック・カルチャーの人と暮らしてますから、年取ったり死んだり死なれたり、という局面には、カトリック共同体が頼りになるかも、と思ってます。だから、別にカトの人に、「三位一体」って変じゃない?とか言う必要も感じません。

 大羊さんはやはり奥様の信仰の関係でキリスト教に近づかれたわけですから、その関係性をいい感じで育んで、長い人生で出会うかもしれない試練を前にした時にささえ合えるような「信仰」を今のところはゆるーく視界にいれとく、だけでいいのでは?


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