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哲学・宗教質問箱

247Sekko:2007/09/24(月) 23:56:57
お気をつけください
この直前、1件削除しました。このコーナーを宗教の掲示板として使うことはまったく問題ありません。しかしあくまでも竹下節子の考え方のシンパであることがこのサロンのメンバーの条件です。ここでは、いっさいの勧誘や布教はしませんし、どこかの宗派をめぐる内部の対立も持ち込まないようにお願いします。建設的でないもの、適切でないと判断したものははすぐ削除します。

 さて、復活についてですが、復活を物理的事実として原理主義的にしがみつくあまり一人の人間だったイエスの人生の意味を無視する人たち、また逆に「人間イエス」にのみ固執して復活は宗教的蒙昧や単にシンボリックな者として切り捨てるグループ、どちらも本当のミステールが見えなくなる危険があります。

 少なくとも最初の弟子たちがイエスの体の復活を事実として見て、信じた、そこからキリスト教が生まれ、それを語ろうとしてイエスの記録である福音書も編まれたのですから。復活が事実かどうかとは別に、復活を事実とした使徒たちの確信を抜きにしてはキリスト教は語れないと思います。
 そのイエスを神としたリ、唯一の救世主キリストとしたのはまたその後の展開です。まあ、刑死した人が復活、子なる神とされる、というかなりアクロバチックな展開のおかげで、偉大な神、裁く神、罰する神、のイメージから、苦しむ神、悲しむ神、寄り添う神へシフトした部分があるんで、それはなんというか、宗教に、限りないやさしさをもたらしてくれた感じですね。

 イエスの死と復活のストーリーとそれを信じた人たちを通して「全知全能の絶対神」の孤独や犠牲とかを考えると、この世で有限である自分の命に対してもなんか、すなおに受け入れられる気がしてくるんです。


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