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哲学・宗教質問箱

245塩梅:2007/09/19(水) 15:56:36
牛歩ながら。
> マスコミ等で騒がれず、いわゆるカルトとされていない、正統派ということになっている教会にも大変問題のあるところが存在するということがわかりました。>大羊さま

あまり書けませんが、今も全国各地で集まりを持っている場所です。残念ですけれども、vinoさま仰るとおりの「単立皇帝牧師」に今はなっておられるお一人というと、もう分かる方に分かるかと。「集まり」、一見開放的なのです。ところがどっこい、入るとまるで違う。これについては賛否両論ですが什一献金。これ、源泉徴収表に書いてある所得(つまり税を引かれる前)からの什一でした。そして、関係著書等の購入やイベントのお誘いのノルマは今思うときつかったです。私はそういうことが得意ではないので、自分の分については他の信者さんの手を借りざるを得ませんでした。そうなると、奉仕活動で補完をせざるを得ません。

しかし、以上のことは『信仰があれば』…つまり本人がやる気なら「本人的に」問題のないことなんでしょう。ただ、信仰生活とは本来別のこの奉仕の部分で、あまりにあまりの部分を見てしまった。スポンサー獲得・信者獲得のためにすることが、あまりに商業的に過ぎて。それも商業なら働いた人にそれなりの報酬が出ますが、信者がやれば奉仕です。「そういう方向に狂ってないか?」という疑念の発端は、集まりの幹部の女性が見た夢の話でした。

”この集まりに相応しい教会堂が与えられる”という夢を。

そして、共同体は「それを正夢にするんだ」という方向に流れたのです。その後、神学校のこと他あり、その女性に「貴女が来ると霊的に穢れるので出て欲しい」と言われまして。私が出て済むならと思いましたが、しかし今に至るまで、その夢を信じて…祈り、奉仕している信者さんがたの夢は叶ってません。また集まりの主宰者たる某牧師先生については賛否両論あることを出てから知りました。それが分かると、出入りを許してくれない教会もありました。『私のしたことでなく、某先生の名前で居られなくなる』ために、教会ジプシー状態でした。

本当に、<神様は好き、でも教会は嫌い・・・・>状態の年月が長かったのです。

個人的にはもっと単純に、神様を信じるもの同士が、、、と思うのです。また社会的にも、信者ではない方々との共存を強く望みます。勿論、おもねることではなく、きちんとお互い腹蔵ない「対話」をしたいし「相互理解」をしたいのです。あくまで理想論ですが・・・

今まで様々ありましたが、歴史・先人の智恵も通じて学ぶのがいいという結論をしています。
これからの信仰生活のためにも。諸事情あって愚図愚図に伸びていますが、お祈り頂けますと感謝します。私も大羊さまはじめ、これからの方々のために祈っています。


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