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哲学・宗教質問箱

229塩梅:2007/08/22(水) 11:05:52
何かが違う「隣人愛」実践の実際
vinoさまの仰るとおりで、「細く長く適度な距離と温度を保つのが無難」だと私も思います。>教会とは

あと、キリスト教の「隣人愛思想」は良い方向に向かうと人間関係の改善や社会貢献に繋がりますが、逆を行くと< 小さな親切、大きなお世話 >になりやすいんですね。聖書の中のイエズスの言葉に基づいてるとされる活動でも、イエズスの実際の行いやその心には基づいてるだろうか、と思うことがあります。信者でない人にも時々そういう風な質問を受けることがあり、困惑します。

大体、熱心な人ってのは、

・『弱者のために』何もかもお膳立てするのはいいけど、それが自分好みの活動にならないと
  気が済まない人
・『弱者のために』と言いつつ、実は自己満足や利益・他者への優越思想のためにやってる人

こんな感じです。(政治的党派性がくっついてくると、さらに面倒です)

そういうことが皆、彼らにとっては『弱者のために』なんですから、誰の忠告・注意も聞かない。
例えば、商業でやることでさえ、リピーターを得るために「リサーチ」するじゃないですか。だけど彼らの多くは、意見をする方を「悪意の人」と見て傲慢な態度を取ったり攻撃をしてきます。『反対者の方が間違ってるんだ』と言わんばかりの対応で、あえて諫言する「善意の人」も退けます。

そして、ますます< 彼らの活動は独善性を増す >結果になります。

しかし実際、こういう方々の「奉仕活動」の恩恵を蒙ることが出来るのは、『個人的にお友達になって』彼らのすることなすことにお付き合いする能力のある方(一種のエリートですよね)か、知能や精神的な障害などにより自分の意思を一切主張出来ない状態にある方ですね。つまり、運動家と『利害関係になる』か『使われちゃう』かです。

こうして彼らは、他の大勢の人たちを置いて行っちゃう。あるいは団体ごと無理に囲い込もうとする。

それだから、医療・福祉の現場で地道に働いている人々、彼らに『弱者あつかい』されている人々のなかには「キリスト教・クリスチャン嫌い」が居ますし、信者で医療・福祉関係者やってる人間にも< 教会の活動の評判 >は必ずしも良くないです。教会によっては、信心業や聖書研究などよりもずっと社会活動を重視されるようなところがありますが、現場としてみれば本当にその道のプロとして取り組んでくれる以外で、(現状の)教会の人に入ってもらいたくないですね。信者さん個人個人の日常生活や余暇まで犠牲にした「生きがい・やりがい」までは、社会は求めてないと思います。

どっちかというと、年に一回の文化祭やイベントに招いてくださる・連れてってくださるとか、例えば施設内なら洗濯モノたたみや共有スペースのお掃除といった『それ限定の方々』の方が入所者の方々や職員も付き合いやすいし、長続きします。というのは、あまり自分の生活を犠牲にしてない人の方が実は聞く耳を持ってることが多いし(意地になったりとかしないし)、お互いの利害関係が後々変に絡む心配をしなくていいので。


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