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哲学・宗教質問箱

20Sekko:2005/12/05(月) 23:11:54
全免償について
 実は日本語の用語はよく分からないのですが、おそらく、フランス語のIndulgence pleniere 昔で言ういわゆる免罪符だと思います。それなら、2000年の大聖年のときには1年中やってたと思います。金で買える免罪符はさすがに反宗教改革時代になくなりましたが、金でなく愛によって免償できるということになり、完全に消えたことはありません。第2ヴァチカン公会議前のフランスでは、色々な特別の祈りのカードがあって、これを祈れば30年の免償とか書いたのがたくさんあります。罪障消滅の後に課せられる償いの部分が大きすぎ長すぎて、免償なしには一生かかっても償えなかったのですね。でも、第二ヴァチカン公会議以降は、償いが軽くなり、告解に行く普通の人には、事実上、すぐ償えるか、あまり感心を抱かれなくなりました。でもパウロ6世とか、JP2は、この全免償を、多分、信者のコミュニオンの道具として復活させたかったように思います。つまり、個人の罪と罰とかではなく、免償と一人一人の回心が、少しずつネットワーク全体を強くするようなイメージ、です。
 全免償がもらえるような機会に指定された場所で指定された手続きを経て祈ると、そこに参加できなかったすべての人に少し手をさし述べることができる、と思います。大聖年の免償も昔はローマのどこそこの教会とか決まっていましたが、今は、世界中で、司教が指定した場所でもOKとなっています。パリでは、そこかしこで、ここの教会は全免償認定とか書いてありました。私は、時代遅れというより、場所にとらわれなくてすんで、民主的というか、コミュニオンのヴァーチャル力が充実したなあと思いました。
 この時代、心のべクトルを、謙虚に他者に向けることができるような機会があれば、どんな手段でもあり、と私は思います。今のカトリック教会にとっては、免償は金儲けでもなく、脅しでもなく、自らの栄光の確認でもありません。多くの人が、現実のあまりにも物質的な世界から、少しでも頭を霊的な方に向けて、秘蹟の中で、他の人との連帯を感じあえるチャンスがあるなら、アメを差し出すことがあってもいいのではないのでしょうか。少なくとも、ある種のカルト教団が、こうしないと地獄に落ちるとか世の終わりだとか行って、恐怖のムチで、人を宗教に引っ張るやり方よりも健全です。
 今年はパリの不思議のメダイのチャペルの御出現の175年の聖年で、その最後の日が12月8日です。楽しそうなので行こうかなあと思ってます。ともかく、全免償を、なんだか、自分の罪悪感や不幸感に対して、お得感のあるようなものとして捕らえず、ましてや厄除けや願望成就みたいなものとは混同せず、思いを他の人と分かち合うこと、というのが、今のカトリック教会の狙いだと私は理解してます。


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