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哲学・宗教質問箱

196Sekko:2007/07/14(土) 17:30:42
続き
書き終わってないのに勝手に投稿されました・・・続きです。
私の思ったのは、こんな時、一昔前みたいに、ローマ系キリスト教の典礼がみんなラテン語とかだったら、かえって抵抗なく楽だったもしれないなあ、ということです。般若心経を口語訳して唱えろなんて誰も言わないし、言霊がなくなって効果がないような気さえします。カトはその国に根付くようにその国の文化にあわせたやり方をという方針があり、日本でも、ほんとうに日本的なキリスト教とは、みたいな模索もありますけれど、安土桃山とか江戸時代は農民だって「オラショ(祈祷)」をずらずらとラテン語で唱えてて、殉教するくらいに強い自分の信仰にしていたんですからね・・・
今は、ラテン語ミサとかいうと即原理主義とか懐古主義とか思われがちですが、こういう効用もあるなあ、と思いました。私も、日本語のカタカナの世界の賛美歌や祈りの言葉使いは、何か違和感があって、恥ずかしいというより、テーマパークにいるような気がします。テーマパークも隙なんで嫌じゃないですけど・・・とおしゃべりになってしまいました。


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