[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
哲学・宗教質問箱
196
:
Sekko
:2007/07/14(土) 17:30:42
続き
書き終わってないのに勝手に投稿されました・・・続きです。
私の思ったのは、こんな時、一昔前みたいに、ローマ系キリスト教の典礼がみんなラテン語とかだったら、かえって抵抗なく楽だったもしれないなあ、ということです。般若心経を口語訳して唱えろなんて誰も言わないし、言霊がなくなって効果がないような気さえします。カトはその国に根付くようにその国の文化にあわせたやり方をという方針があり、日本でも、ほんとうに日本的なキリスト教とは、みたいな模索もありますけれど、安土桃山とか江戸時代は農民だって「オラショ(祈祷)」をずらずらとラテン語で唱えてて、殉教するくらいに強い自分の信仰にしていたんですからね・・・
今は、ラテン語ミサとかいうと即原理主義とか懐古主義とか思われがちですが、こういう効用もあるなあ、と思いました。私も、日本語のカタカナの世界の賛美歌や祈りの言葉使いは、何か違和感があって、恥ずかしいというより、テーマパークにいるような気がします。テーマパークも隙なんで嫌じゃないですけど・・・とおしゃべりになってしまいました。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板