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哲学・宗教質問箱
165
:
流れ梅
:2007/06/04(月) 11:23:03
横入り失礼致します。
Sekkoさま、迷える大羊さま>
ここ数日のログを拝見していて、一応、イエスタブーと言われているものと菊のタブーと言われているものは性質も由来も違いすぎるんじゃないかと思いました。ただ、こんなこと書いて右翼認定されても嫌で、書き込みを躊躇しておりました。ですので、以下の内容は右から左に受け流して頂けますと感謝しますし、今回のみでお邪魔をいたします。
皇室というのは、日本とくに日本神道の「祭祀権」を持つお家であるのだと解釈されると分かりやすいと思います。歴史のある仏教寺院の縁起を見ても皇室が関わりになっているところは多いです。天皇家が直接の為政者であったのは平安朝くらいまでのことです。あとは武家が「征夷大将軍」なる位を賜る形で統治をしていました。鎌倉が足利幕府になろうと、戦国の世を誰が平定しようと、そういう皇室のスタンスは変わってないわけです。江戸初期の「紫衣事件」(
http://www.ffortune.net/social/history/nihon-edo/sii-ziken.htm
)みたいなことはありましたが。
そのスタンスが変質をしてしまったのは、「明治維新」と呼ばれる、薩長土肥の徳川幕府に対するクーデターがきっかけでしょうか。彼らは「官軍」になるために『天皇の権威』を有効に利用したと思います。大政奉還も、江戸城無血開城も、「賊軍」に成り下がった側がそれを理解してのことでしょう。ただその後にこれまでの日本神道のあり方を変えて、政治的なイデオロギーのために使ったこと、また廃仏毀釈などを行い、他の宗教と皇室を徹底的に分離したことは、間違いだったのではないかな、と個人的には思います。
というのは、神社神道側の人たちは決して「戦前の国家神道を神道のあり方と考えてない」ようなのです。聞くところ、明治政府があれこれと神道の祭祀に干渉をしてきたそうで、そのために出来なくなってしまっていた祭祀があったそうです。戦後、その出来なくなっていた祭祀が復活したそうでして、つまりは神社神道すら厳しい統制下にあったことには変わりが無かったということなんです。キリスト教ほどに酷い弾圧は受けなかったじゃないか、と怒られればそれまでなんですけど。長い時間かかってるかも知れませんが、現状として神社神道は<全体としては>元の形に戻りつつあると考えてよろしいかと思います。
また、皇室もそうであると思います。皇室というのは祭祀などは勿論ですが、一貫して、日本の伝統文化を継承し守る役割も負ってきたお家です。渡来文化の保護、慈善事業への関わりもしてきています。海外公務が出来たのは戦後ですが、美智子皇后が「皇室は祈り」と発言されたように、戦後の公務の一つの大きなポイントに「戦没者(戦争被害者)慰霊」などが挙げられると思います。
皇室は為政者としてのロイヤルには成り得ないですし、実際、明治から昭和にかけてもそう成り切れなかったのでは?成り立ちや歴史上のことから考察すれば、日本にヒトラーのような独裁者が出来なかったのはそういう皇室の性質ゆえかも知れないと個人的には思う事があります。
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