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哲学・宗教質問箱
161
:
Sekko
:2007/05/31(木) 01:19:18
イエス万歳
「イエスを神と崇めることと、天皇陛下万歳だとか、北朝鮮の将軍様万歳(マンセー)とかいって崇拝するのと、質的にどう違うのでしょうか?」って。ぜんぜん違いますよ。だって、イエスはもう人間としてはこの世にいないんですから。
イエスを救世主だと認めるとか、三位一体の話とかは、また別です。私は、人が現在生きてる人を拝むのに抵抗があるんです。人だった菅原道真を神に祀って拝むのは平気というか、気にならないんですが、信者に断食させて自分はメロンを食ってるような「尊師」とか、自分は何々の生まれ変わりとか大宇宙の霊神とか、他称自称してる人は、生理的にすごく嫌です。
カトリックは教皇とか偉い人にもまあ、イエスの生まれ変わりと言わせてるのでなく聖ペトロの継承者で、神に関しては仕え人というスタンスなんで受け入れられます。聖人や奇跡やなんかも、生きてる間は認められなくて、死んでからのみの称号であるところが好感をもてます。世界中から聖女のように尊敬されてきたマザー・テレサですら、死後の祈りの中で起こった奇跡だけが審査されて聖女の道を進むのですから、それはもうシンボリックな世界、スピリチュアルな世界です。宗教だからそれでいいのです。でも、今生きてる人が奇跡を起こすとか、癒すとかで崇拝されるのは、どこか間違ってる、と思うんです。
私はチベット仏教のセンターに時々行くんですが、そこのリンポチェ(活き仏)の前でみながはいつくばってお辞儀をします。それは彼という「人間」を拝んでいるのではなく、彼が体現している「智慧」を敬して拝んでいるのだ、と説明されます。そのリンポチェはすごくいい人なんですが、子供の時からある仏の生まれ変わりだと認定されて召使に囲まれて大事に育っているので、亡命の身とはいえ要するに貴族なんですね。みんなに拝まれるのが普通の状態なんです。ダライラマもそうですが、子供には罪がないとはいえ、リンポチェを出したら一族にコネと権力ができますから、大人の欲望や権謀術策が渦巻きます。私なんかから見たら、子供の人権を侵す問題だと思うくらいです。とにかく人は、生きてる限り、多くの人から神のように拝まれる状態というのは、その人にとっても、周りの人にとっても健全でない、と感じます。
もちろん、死んでもうものを言わない神や、目に見えない超越者を掲げて、それとチャネリングできるとかその名を騙って権力を掌握したり独裁者になったりする人もいて、それもまあ、神を自称する人よりもっとたちが悪いこともあります。やはり、その神や神の周りに成立した言説を注意深く検討して、モラルの方向として納得いくものかどうかを判断するのがいいと思います。神でなくとも、奇跡を行わなくとも、「正しい人」というのは必ずいるし、そういう人は、別に人から拝んでもらおうと思わないものです。
それにイエスはわざわざ人間宣言しなくとも、一応、100%人間で、かつ100%神ということで落ち着いているので、人間性は100%引き受けてると思います。だからこそ、「超能力」を発揮せずにむざむざ殺されたんでしょうし。数々の聖人たちも、人間出身で、死後にスピリチュアルな存在として神と人を結ぶ存在として認識されてると言う意味では、死者の霊魂を神として祀る神道なんかと似てますね。祖霊信仰なんかも心理的には近く、生きてるときはうるさいと思っていた祖父母や両親とかも失ってからは心の支えになり、素直に手をあわせて加護を願う心境になるのも良くある話です。
そんなわけで、周りの人の思惑や権力の誘惑なども鑑みて、今生きている生身の人を崇めるのと、歴史に洗われててスピリチュアルな評価の定まった人、生きてる時に残した言行に共感のもてる人、などを崇めるのはリスクも含めてまったく違うというのが私の答えです。
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