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哲学・宗教質問箱

160迷える大羊:2007/05/30(水) 23:02:13
毎度お騒がせします
 毎度、お世話になります。?も?も初めて知りましたね。「ピラトによる福音書」ですか?確かにピラトの心境は興味ありますね。思うに、私にとって聖書のキャラクターの中でピラトが、ある意味一番感情移入できる人物、というか気持ちが分かる人物かもしれませんねぇ。私もピラトの立場なら聖書に記述されている通りの行動を取るでしょうね。何の縁もゆかりもない、ユダヤ教の内輪もめなんか興味ないし、そんなことのためにせっかくの総督職を棒に振りたくない、でも、目の前のイエスは明らかに無実、死刑にするにはあまりに忍びない、ああ弱った、どうしよう、そんなこと俺知らないよ、あんたらで勝手にやってよ、俺のせいじゃないって気持ち・・。銀座の教文館で探してみますか。ちなみに私は首都圏在住です。

 そうそう、あとキリスト教についてはもう一つ重大な疑問がありました。信徒の人に向かって面というと激怒されそうで、なかなかいえないし、ここでも嫌われたらどうしよう、と思いながら、質問しますが、イエスを神と崇めることと、天皇陛下万歳だとか、北朝鮮の将軍様万歳(マンセー)とかいって崇拝するのと、質的にどう違うのでしょうか?あと、オウムの麻原尊師の「空中浮揚」を信じることと、イエスの「奇跡」を信じることの違いもなんだかよくわかんなかったりします。どれも、これも私にはいわゆる同じ「現人神」信仰のような気がしてしょうがないのですが・・・。この内、天皇陛下は戦後「人間宣言」をされていますが、キリスト教の世界でイエスの「人間宣言」が為される日はありえるのでしょうか?

 これがイスラム教ですと、ムハンマドは「最高の預言者」で特別扱いはされていますが、一応「人間」ですので、話がまだすっきりしているのですが・・・。

 実をいうと、福音派だろうがカトリックだろうが、キリスト教会に行く限り、このイエス礼賛、崇拝は必ずあるわけで、そのたびに「いいんだろうか?これは一種の個人崇拝ではなかろうか?この民主主義の時代、科学の時代に現人神だなんて・・」と思ってしまうことが、躓きになっております。ただでさえ、疑問を感じるところに奇跡だ、復活だなんてさらに話をややこしくするものが入ってくるところが、困ったところです。

 あと、オウム(現アレフ)の麻原代表には去年死刑判決が下りましたが、まがりなりにもキリスト教の歴史に触れた身で考えるに、死刑はマズいような気がします。つまり、今もなお残る信徒たちに「尊師は我々の罪をその死で贖われたのだ!」ってことで、却って、その信仰、団結を強化することになるような気がしてしょうがないんですよね。そして、数々の迫害に耐え抜き、数百年後は日本の国教に・・・、なんてことになったら怖いな・・。

 不愉快な疑問かもしれませんが、またお時間があれば御意見聞かせていただければ幸いです。


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