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哲学・宗教質問箱

145あんとに庵:2007/05/19(土) 22:35:47
どもども
迷える大羊様

父はクリスチャンではないですが神戸育ちなもんで。聖書も若い頃に読んでいますし、勉強もしたようです。でもバリバリの日本人です。しかも右翼。読んでる本が「正論」取ってる新聞が「産経」・・・ですんで本人は「俺は神道の民だ!」といいながら、永平寺に座禅組みに行ったり、寺の檀家の集まりに行ったり、教会に誘うと大きな声で聖歌をうたったりしています。典型的無節操ともいえるほどの宗教観の日本人です。
あと、子供の頃の環境での馴染があるから抵抗感もなかったのだと思います。父はそのあたりは国境なき思考です。
なんでもいいから宗教心をきちんと持つことが大切だと考えているようです。母なども同じ考えなので教会に関わることには賛成でした。

ヤクザとの関連ですが、ヤクザ組織の家族制って実ははみ出し者を救う機能はありますね。どこにも行けないつまはじきのものを受け入れる懐の深さ故に昔のヤクザ組織は、世間より仁義を大切にしていたわけで。ゆえに失礼ではなく、寧ろ本質ついているかもです。

近代合理主義以降の現代の風潮の欠点を挙げるとするなら、「家族」的なるモノ、血縁でない他者との関わり合いの希薄さが挙げられるかもしれません。やくざもカトリックもその古臭いシステムの中で他者との関係性を大切にするという点では共通してますね。

ま、ローマ時代の伝統的存在といえば、マフィアとカトリック教会。マフィアのファミリーってローマ貴族のあり方が起源だったり。

>でも、それだと、信仰告白の時はどうされたんですか?

信仰告白はミサの度にやります。ニケアコンスタンチノープル信条といいます。検索すると出て参ります。カトリックの教義の全てが詰まっています。「クレド」ってラテン語で言いますね。
そのクレドの「からだの復活を信じます」と言う度に「うにゃぁ@?」となっておりましたので告解したのです。
で、神父様の回答を聞き、判らないことは信じますとは言えないけど信じないとも言えないのが「わからない」ということナンだなと。たぶん自分が死に直面していないから呑気に考えているのかも。でも友人が死んだ時、再び会うために復活を信じたいよなぁと思ったのも事実なので、その「復活の希望」ゆえに信じてみたいとは思っています。

イエスが神になる>

イエスは変身するんではないんですが、笑)生まれた時から完全な人である完全な神って考えるのがキリスト教なんですが、まぁ、普通はなんだそりゃ?ってなりますよねぇ。変ですよ。これは。

この辺り、三位一体論が形成されていく推移を読むとなるほどなぁと思います。ギリシャ哲学的素養を必要とするので、私にはかなり難解で大変でした。あと青野太潮さんというプロテスタント神学者の著作は助けになりました。これを紹介してくださったのはルーテルの牧師さんでしたが、青野氏は福音派の方だったかと記憶します。まぁ、どんなキリスト教派の人も悩みぶつかる問題なんでしょうね。真剣に考えるとわからなくなるから多くの人が、著作書いたり読んだり、2千年間それをし続けているのだと思います。
ゆえにそれがなにかを考えることが信仰の一つの営みだったりします。イエスが神って、それってどういうこった?って考え続けることもまた、祈りの一つなんだと思いますね。


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