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哲学・宗教質問箱

133nao:2007/05/17(木) 09:41:39
愛するということ
大羊さんの質問は本当に皆がお返事しなければならない、大切なことだとおもいました。私は竹下先生のように、知的に問題をうまく整理できませんので、思いのままにかかせていただきます。遠藤周作先生の「侍」という小説ご存知でしょうか?支倉常長がローマからかえつたとき、日本はキリスト教弾圧のさなかで、彼は最後に処刑されることになつてしまいました。彼が刑場に向かうときにそばにいた人が「ここからはあの方が同行されます」といいます。この小説の一番すごいせりふです。私はこの言葉とともに、生きられることがキリスト教の最大のメリツトだとおもつています。夫を焼き場の扉が閉まるまでみおくらねばならなかつたとき、私はやはり夫にこの声をかけました。この言葉に慰めをえられるのは、信仰なくして無理なことですね。私も人生の終わりに近い年齢になつて、自分がお棺の中にいる姿を想像することがあります。しかし「あの方が一緒におられる」とおもうと、恐怖がさつてゆきます。信仰というのは「愛する」ということに尽きます。お子様がおできになるとき、「子どもつて、こんなに可愛いんか」とおどろかれることでしょう。これつて、理屈じゃないですよね。ただただ、可愛いんですよ。それと同じでただただ、キリストに恋するというんでしょうか?私は信仰から、はいつて、勉強はいくらしても結局、わからん(学生時代4年熱心に勉強しましたが・・)ということで、飛び込んでみよう、そうすれば、何かがはつきりする、とおもつたんです。それは予想たがわず、はいつてから、信仰は信念をつくり、人生を単純化し、「愛することだけ」かんがえていれば、よろしい、ととても楽になりました。愛する優先順位は竹下先生とのお付き合いで私も単純です。とにかく、身近にいるかたでこまつている人に手をさしのべる。そこにキリストがいる。そうおもつています。少々癪にさわる人にも、彼が弱い立場にいるとき、私は感情を流しその人のためにいうごくことができるようになりました。いつの間にか、「愛」が先行する人生がつくられていつたわけです。信仰がなければ、癪にさわる奴なんて、許せん!といつておればすみますが、自分も人に癪にさわる人間かもしれず、その償いに、なにかできるなんて、幸せなことだとおもつているんです。キリストが一番惨めな姿でなくなつたことはおおきいです。だれもあんな苦しみにはたえられません。すべての苦しみを凝縮させて、人間を救う神つて、他にはみあたりませんよね。私は夫の介護、自分の病気で随分おおくの方の情けをうけました。このときも自分ができることは「この善意の人のために祈る」ということだけでした。それで、「申し訳ない」から「きつとあなたに幸せがおとずれますように、いのつていますから、当てにしてね」ということができるようになりました。お相手もそえれがとても嬉しいようです。「申し訳ない」なんてばかり言われていると、たまりませんからね。それから、戦うべきときには、かなり勇気がでてくるというメリツトがあります。夫の介護中、随分施設の方と、やりあいました。けんか嫌いの私にも「愛する」ということのためにはこんな勇気がでるんか!!とびつくりしました。これもキリストの勇気を感じてきたからでしょうか?竹下先生のおことばのように、信仰はあれか、これかという対立をこえた世界に目がひらかれてくるという、すごいお恵みだとおもいます。こういう世界にひらかれてゆくのは、一定の「儀式」なしには危険なんです。やみくもに無意識界に参入すれば、カルト的にもなりますし、病人にもなる可能性がでてきます。シャーマンが厳しいイニシエーションをへなければ、できないように、洗礼という扉を通ることがひつようなのです。それだからこそ、「神体験」の世界が理性を破壊せずかえつて、するどくさせるのだとおもいます。信仰の世界は広大です。これなくして、見られない世界の広さは人生をたしかに豊かにしてくれることでしょう。献金はまつたく自由にされています。身分におおじていればいいのです。その強制力もどの教会をえらぶかの指針となるかもしれません。あれこれ書きました。老婆の強みは長い人生をどう生きたかおしらせできることですね。少しはお役にたちましたら、幸いです。


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