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哲学・宗教質問箱
116
:
Sekko
:2007/03/02(金) 17:40:43
イエスの墓について
ちょうど2日前に、ある編集者からそのイエスの墓についての話を教えてもらい、意見をきかれました。その時に返事したのをまずコピーします。
「知らなかったですよー。
ネットで検索したら、確かに今日のフィガロの朝刊に載っていました。
ドキュメンタリーのダイジェスト版も見ました。
ヨセフとイエスとユダって親子の骨があって、DNA鑑定で親子だったってだけで、その名の刻み方も考古学者からみたら「?」で、たとえ、ほんとでもヨセフもイエスもユダもマリアも当時最もありふれた名なので、このタイプの墓所と骨箱を作れるくらいに裕福な(ナザレのイエスさんちはそうでなかったし、代々の墓がベツレヘムならともかくエルサレムにあるのも無理がある)一家族の墓だったというだけですね。家族の骨に親子関係があるのは当然だし。
ドキュメンタリーの中でも、インタヴューされたまともな学者はまともに答えてました。
それに確かオカルト世界でのイエスの子供は女の子では? その方がなんとなく納得いきます。
まあ、このドキュメンタリーの背景には商業主義はもちろんですが、エルサレムに対するユダヤの所有権を正当化するイデオロギーと政治的意図があるので、前のユダの福音書なんかのヴァリアントだと思われます。結局、天の父なる神のDNAを採取して鑑定する以外、「科学的証拠」は挙げられないわけで、屏風の虎をまず出してくれ、という話になりますね。
ジェームズ・キャメロンって、そんな変なやつだったのか、というほうが印象的です。 」
私には、イエスの「体」をそんなに気にする人がいまだにいて、それがメディアのマーケットになること自体が不思議です。教義の事実性を確認したいというならまだ分かりますが、聖書の内容や教義は実証とは関係なくそのまま受け入れるかどうかが信仰なので、基本的には「事実性」は問われません。それでも考古学的にちらほら「ほんとだったらしい」という発見みたいなのが今でもニュースになります。でもたいてい商業性はないですね。逆に、「教義は嘘で事実はこうだ」みたいなものが商業価値を持つのは、まあしょうがないです(今度のドキュメンタリーも、キリスト教最大の行事である復活祭前の四旬節の真ん中を狙ってるんですし)。
でも実際は、今となっては、教義の事実性も、反事実も、「科学的に検証」というのは不可能な気がします。「事実」じゃなくて「真実」を標榜する信仰のディスクールには合わないし、意味がないし・・・ 私が興味を持つのは関係性とその文脈、その変化なので。
4月の復活祭に、講談社からトリノの聖骸布についての本(解説を書いてます)が出ます。実物大の精密写真付です。こちらは、受難や復活のストーリーが「事実」だったんだ、という逆のベクトルですね。モノが介在してるので、昔からフェティッシュな信仰が寄せられ、巡礼者に多くの回心や、「奇跡」を起こしてきました。「事実」がどうあれ、そういう信仰を生んだダイナミズムがおもしろいです。私の興味を引くには、つなぎ、結びつける要素が必要です。聖骸布は、20世紀後半からむしろモノとしての信憑性を次第に増してきたので、そういう好奇心も刺激されますが。
今回の「イエスの墓」の骨では、復活昇天を信じる人々の信仰心の基盤と合わないので、それをありがたがって祈る人もなく、したがって「奇跡」も起こらないでしょう。ただの否定の材料なので、私にはあまり意味はありません。
その墓のイエスさんのDNAと聖骸布の血痕のDNAが合ってたりしたら、俄然、野次馬としての興味はわきますが。
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