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【武術】二刀流、一刀流、念流

1桃李庵主人(管理人):2025/08/08(金) 17:48:37
(1)近年毎日耳にする言葉「二刀流」なのだが…。

宮本武蔵の「二天一流」の場合は、これ、必ずしも「両手に刀を把持して二刀で闘う」というものではない。
武蔵が説くのは、片手で得物を取り回せるように訓練しておけということなのである。
利き手でない方(つまり、左手。包丁と違い刀に左利き用はなく、侍は必ず右利きに矯正されるため、左利きの侍はいない)も同時に訓練するのが効率がよいので稽古の際両手に持つということであると思われる。
ではなぜ片手なのか。

実戦の戦場では両手で刀が持てない場合がありうる。
片手を怪我している、手放せない大事なものを持っている(例えば、敵将の首級)、など。
そのため片手で取り回せるように訓練しておくべきだ、というのが武蔵の二天一流のそもそもの発想であった。

道場での「試合」は当日に合わせて調整したベストコンディションで、足場のよい板の上で、立会人の「始め」「それまで」の声に従い行われ、1対1で助太刀はなく、得物も多くの場合対称的で、分が悪いから隙を作って逃げる、ということも許されない。
実戦は何から何までこれと異なる。
(バーリ・トゥードがいかに禁じ手が少ないとしても、それはやはり「ケンカ」とは違うのだ。それは立会人のある「決闘」に近い)

と、いうわけで、「ふたつのことを両方ともやる」の意味で「二刀流」という言葉を使うのは、必ずしももとの意味に近くはなさそうだ。

(2)さて一方剣術には「一刀流」というものがあるが、これは「二刀流」に対して一刀流、ということではない。
諸説あるようだが、「一刀のもとに斬り捨てる」の意味であるとされる。

(3)ついでに…。奥山念流という流派がある。
池波正太郎『剣客商売』「井関道場・四天王」で、秋山小兵衛が正体を隠して現れた時に名乗った流派。
実際には小兵衛の流儀は無外流。奥山念流は友人・牛堀九万之助の流儀。のちに『仕掛人・藤枝梅安』で牛堀道場の師範代になる浪人・小杉十五郎も同門。

で…「念流」とは何であるのか?
綿谷雪(わたたに・きよし)著『図説・古武道史』(青蛙房 1966年、新装版2015年)p.74以下によれば、その祖が念阿弥慈恩という人物で、念阿弥流、略して念流ということらしい。つまり、「念」は(念を込めるとかではなくて)人名の一部だった。

以上、「○○流」について少し書いてみました。


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