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歴史掲示板

1管理人:2012/01/12(木) 17:24:57
古代史掲示板を新設しました
古代史掲示板を新設しました。画像・動画等の投稿も可能です。古代史関連の投稿をお待ちしています。

8693これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/23(金) 22:05:16
預言者アブラハム(イブラーヒーム)J1
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009150_2M.jpg

.



8694これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/23(金) 22:09:30
Re: 「油を注がれた者」…「???」(emeth、真理)
秦野北斗さんへのお返事です。

> バカ2の原人さんへのお返事です。
>


騙されてるのはバカD原人2もお前も同じ。
バカD原人2はトンデモ・ブログに洗脳されてる。
一方、バカD原人3、お前は自分自身に騙されてる神経症患者。

8695秦野北斗:2019/08/23(金) 23:36:32
Re: 新羅・慶州:角杯
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009152M.jpg

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

よく調べたな、何処のコピペ?

> できごと
> 500年代
> 502年 - 南朝の斉に代わり蕭衍(武帝)が梁を建てる。
> 503年 - 「癸未年八月」の干支銘をもつ人物画像鏡が和歌山県橋本市の隅田八幡神社に伝わる(癸未年を443年とする説もある)。
> 507年
> 男大迹王が河内国樟葉宮にて治天下大王に即位。後に奈良時代に至り継体天皇の漢風諡号が撰進される。
> 鍾離の戦いで、梁が北魏に勝利する。
> ブイエの戦いでフランク王国が西ゴート王国に勝利。西ゴート王国は南ガリアの領土を喪失。
> 507年-511年頃 - フランク国王クロヴィス1世のもとで「サリカ法典」が編纂される。
> 507年頃 - バーミヤンの大仏(東大仏)が建造される(西大仏は551年頃)。
> 510年代
> 515年 - 北魏で大乗の乱が起こる。
> 520年代
> 520年-北魏の使者である宋雲と恵生がバダフシャン付近でエフタル王ミヒラクラに謁見する。
> 523年
> 北魏で六鎮の乱が起こる。
> 527年
> 筑紫国造磐井の乱起こる(『日本書紀』継体天皇21年)。
> 528年
> 筑紫国造磐井斬殺される(『日本書紀』継体天皇22年)。
> 531年
> サーサーン朝ペルシア帝国でホスロー1世が即位( - 579年)し、サーサーン朝が最盛期を迎える。
> 継体天皇死去、安閑天皇即位。
> 継体天皇の陵墓として淀川水系に位置する今城塚古墳が有力視されている。
> 534年
> フランク王国(パリ・ソワソン)がブルグンド王国を征服。
> 東ゴート王国女王アマラスンタが廃位される。
> 北魏が東魏と西魏に分裂。
> 西魏の宇文泰が郷兵を結集し、府兵制が成立する。
> これに伴い十二大将軍・八柱国の軍団が整備され、武川鎮軍閥(関隴集団)が結集する。
> 535年
> インドネシアのクラカタウ火山の爆発による地球規模の大異変が起きる。
> 世界各地の古文書・年代記・伝承などに異常寒波・自然災害・飢饉・疫病が発生し、その結果政変や文明の崩壊がおきたことが記されている[1]。
> 東ゴート元女王アマラスンタが殺害され、東ローマ帝国が軍事介入を開始(ゴート戦争)。
> 536年 - 安閑天皇死去、宣化天皇即位。
> 538年
> 日本に仏教伝来(『上宮聖徳法王帝説』による)。
> 百済の聖王が都を熊津から泗沘(現・忠清南道扶余郡)に遷す。
> 539年 - 宣化天皇死去、欽明天皇即位。
> 540年代
> 546年 - 東ゴート国王トーティラの軍勢がローマを略奪。
> 550年 - 北斉が東魏を滅ぼす。
> 550年頃
> 北アジアで柔然が分裂する。突厥が建国される。
> 日本に仏教伝来(『日本書紀』による)。
> 東ローマ帝国がイタリアの東ゴート王国を征服。
> 東ローマ帝国が西ゴート王国領イスパニア南部を征服。
> 西魏が江陵を陥落させ、梁の元帝を殺害。
> 管山城の戦いで新羅の真興王が百済の聖王を倒す。
> 555年 - 北斉の文宣帝が柔然を撃破。西魏に亡命した一派も突厥により殲滅される。
> 557年
> 西魏に代わり北周がおこる。
> 梁に代わり陳がおこる。
> 558年 - サーサーン朝ペルシアのホスロー1世が突厥の室点蜜(イステミ)と同盟し、ブハラの戦いでエフタルを滅ぼす。
> 562年
> 任那地方を含む加羅諸国が新羅の支配下におかれ,日本の勢力は後退する。
> 570年代
> 570年 - 福岡県元岡古墳群で出土した「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□」の銘文を持つ鉄製大刀が作られる。
> 571年 - 北斉の高官徐?秀の墓(中国語版)が山西省太原に作られる。
> 572年 - 欽明天皇死去、敏達天皇が即位。
> 574年 - 北周の武帝の廃仏が始まる(建徳の廃仏、三武一宗の法難の一つ)。
> 577年 - 北周が北斉を滅ぼし華北を統一する。
> 580年代
> 581年 - 中国で楊堅(文帝)が北周を滅ぼして隋を建国。「開皇律令」が公布される。
> 583年
> 突厥が東西に分裂する。
> 隋の文帝が郡を廃止し、州県制を導入。
> 587年 - 用明天皇死去、蘇我馬子が仏教受容反対派の物部氏を滅ぼす(丁未の乱)、崇峻天皇即位。
> 588年 - 蘇我馬子の発願による日本最初の本格寺院の法興寺(飛鳥寺)の造営が始まる( - 596年)。
> 589年
> 隋が南朝の陳を滅ぼし、南北朝時代が終わり、中国が統一される。
> 590年代
> 591年 - 東ローマ皇帝マウリキオスがカルタゴに総督府を設置。
> 592年
> 隋で均田法が施行される。
> 山西省太原南郊にソグド人を統括する検校薩保府の虞弘が埋葬される(隋代虞弘墓遺跡)。
> 崇峻天皇が暗殺され、推古天皇が即位。聖徳太子が推古天皇の摂政となる。
> 593年 - 聖徳太子の発願による四天王寺の造営が始まる。
> 594年 - 法隆寺五重塔心柱のヒノキ材の伐採年代が年輪年代法によりこの年(推古2年)のものと判明している。
> 598年 - 隋で科挙が行われる。高句麗遠征(隋の高句麗遠征)に失敗する。
> 599年 - 突厥の啓民可汗に隋の義成公主が嫁ぐ。
> 600年代
> 600年 - 日本が第1回遣隋使を派遣(『隋書』倭国伝にみえるが、『日本書紀』に書かれていない)。



8696バカ2の原人:2019/08/24(土) 00:48:22
ソグド人 イラン・インド亜大陸(東方系)
ソグド人
ソグド人は、現在のタジク人で、イラン系の民族になります。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1228118987

「アーリア人」と自称したのはイラン・インド亜大陸(東方系)だけ
古代アーリア人の「ミトラ教」〜中国まで〜
民族移動する以前の古代アーリア人宗教「原始ミトラ教」から /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Ftaishi6764%2Fentry-11996768012.html
ミスラ(Miθra)とはイラン神話に登場し、英雄神として西アジアからギリシア・ローマに至る広い範囲で崇められた神。インド神話の神ミトラ(????? [mitra])と起源を同じくする、インド・イラン共通時代にまで遡る古い神格である。その名は本来「契約」を意味する。
ミスラ神(ミトラ神)は元々は、インド・ヨーロッパ語族の古代アーリア人が信仰する神格群の一柱であり、その際の神名はミスラ神と言われます。
●ミトラ教研究の東條真人氏によると、ミトラ教は時代によって5つに区分することができるといいます。
◎原始ミトラ教時代……紀元3世紀までのバビロニアを中心とした時期
◎西方ミトラ教時代……ローマ帝国とセレウコス朝シリアを中心とした時期
◎東方ミトラ教時代……バビロニア=イラン=中央アジア=中国など
               全ユーラシア大陸に広がった時期。
               伝道者マニの名をとって「マニ教」とも呼ばれる。
◎東方神智学時代………イスラムの神学と融合した時期
◎現代神智学時代
古代アーリア人の共通祭式儀礼は
民族移動する以前の古代アーリア人の共通祭式儀礼
紀元前2500年から紀元前九世紀頃までの古代のアーリア人が古くから信仰してきた自然崇拝の宗教は、祈禱、拝火、犠牲獣祭でした。
最上位の神官階級は、特定の神格に聖なる祈禱マンスラを唱えて犠牲を捧げることによって、その神格から応分の果報を得る能力をもっていた。
まず神官は依頼人から渡された犠牲の獣(牛)を屠って、神々に捧げる。
次にハマオ(薬草の樹液)という一種の幻覚剤を調整して服用し、神託を得る。
神託を依頼人に告げ、神々に捧げたはずの犠牲獣(牛)の大部分を神官の取り分として祭式を終わる。
神官階級が祈りを捧げる神格は、大分すると
?アフラ神群ミスラ、ヴァルナ、アルヤマンなど
?ダエーヴァ神群インドラ、ナーサティヤなど

?古代アーリア人〜日本文化の源流〜
古代アーリア人は、セム系民族とは言語や宗教観念を異にし、西アジアに姿を現した。
それは、メソポタミア平原ではなくイラン高原であった。
古代アーリア民族の宗教は、濃厚な呪術性、思想を神話的イメージにのせて語る。
原始インド・ヨーロッパ語族は、紀元前3000年ごろから、中央アジアのアラル海周辺より東西に民族移動を開始する。
原始インド・ヨーロッパ語族ヨーロッパ系 ドイツ・北欧(西方系)
             イラン・インド亜大陸(東方系)
このうち、「アーリア人」と自称したのはイラン・インド亜大陸(東方系)だけだった。
しかし、広義に用いる場合は、ヨーロッパ系 ドイツ・北欧(西方系)をも示す。
「アーリア人」の概念は、人類学的な形質に基づく種族ではなく、太古の昔に言語と原始的な宗教思想を共有した集団に過ぎないという。
ヨーロッパ系 ドイツ・北欧(西方系)は、ゲルマン民族がアーリア人を称した。
?イラン・インド亜大陸(東方系)は紀元前1500年ころに再び移動を開始する。
インド亜大陸へ進出して定住民になった集団
イラン高原へ進出して定住民になった集団
中央アジアに残ってオアシス都市の定住民になった集団
中央アジアに残ってステップの騎馬遊牧民になった集団
イラン・インド亜大陸(東方系)
インド亜大陸へ進出して定住民になった集団
?インド亜大陸に進出したアーリア人は、先住のドラヴィダ人に変わってガンジス川流域に定住(紀元前15世紀頃)現在のインド人の祖となる。インド人・サカ人、インド・パルティア人
イラン・インド亜大陸(東方系)
中央アジアのイラン系アーリア人の定住民
?イラン高原西南部に進出したアーリア人は、イラン高原全域に拡大してペルシア地方に定住した一派は、紀元前六世紀には全オリエントを統一してハーカーマッシュ王朝ペルシア王国を樹立(ペルシア人)。(紀元前9世紀頃)
?イラン高原西北部に進出したアーリア人は、メディア人
?イラン高原東北部(アム・ダリヤー河上流)に進出したアーリア人は、バクトリア人、マルギアナ人
?中央アジア(アム・ダリヤー河中流)に進出したアーリア人は、ソグド人
?中央アジア(アム・ダリヤー河下流)に進出したアーリア人は、ホラズム人
?中央アジア(タリム盆地南部)に進出したアーリア人は、ホータン、サカ人
イラン・インド亜大陸(東方系)
中央アジアのイラン系アーリア人の騎馬遊牧民になった集団
?ウクライナ平原に進出したアーリア人は、キンメリア人、スキタイ人、サルマタイ人、アラン人
?コーカサス山脈に進出したアーリア人は、オセット人
?イラン高原に進出したアーリア人は、パルティア人
?中央アジアに進出したアーリア人は、サカ人(ギリシア語ではスキタイ人。後にイラン高原東南部、インド亜大陸西部、タリム盆地まで移動)、大月氏、エフタル
?中央アジア(タリム盆地南部)に進出したアーリア人は、ホータン、サカ人
民族移動する以前の古代アーリア人の宗教 三階級構成
アーリア人が民族移動する以前の宗教思想を再現した研究者によれば、
?インド亜大陸アーリア人
?イラン高原アーリア人
?ヨーロッパゲルマン民族アーリア人
・・・・・
ミトラとならぶ最高神
イランでは、宇宙の秩序と人類の倫理を支配する神とされ、ゾロアスター教が成立してからはアフラ・マズダーとされた。
インドでは、『リグ・ヴェーダ』などの諸ヴェーダにおいて、雷神インドラ、火神アグニとともに重要な位置に置かれ、天空神、司法神(=契約と正義の神)、水神などの属性をもたされた。
仏教に採り入れられた際には、水神としての属性のみが残り、仏教における十二天の一つで西方を守護する「水天」となった。
・・・・・
日本の仏教儀式もソグド人と関係があるのかもしれない。
マニ教 ミトラ教 アーリヤ人  ソグド人
マニ教とミトラ教は、どう違うのですか? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq10184307470
ミトラ教とは、もとはアーリヤ人の太陽神(光明神)であるミトラ神(ミスラ神)をまつる密儀宗教であり、イラン人によってゾロアスター教が成立する前から信仰され、アケメネス朝ペルシア帝国の時代に小アジアにまで広がりました。
前1世紀にローマのポンペイウスが小アジアを征服しことをきっかけにローマに伝えられ、同時代に広がったキリスト教が比較的貧しい庶民の宗教にとどまっていたのに対し、ミトラ神はローマの国家神として祭られたこともあります。
マニ教とは、3世紀頃にササン朝ペルシアのマニが、ゾロアスター教、キリスト教、仏教の教義を取り入れて作りだした新宗教です。
マニはこのマニ教の教えを広めることを自らの使命と考え、ローマ、エジプト、中央アジアなどの異民族のもとへ伝道団をおくり、布教と聖典の翻訳を進めました。
この伝道は成功しましたが、同じように伝道を行っていたキリスト教教団と各地で対決することとなり、またローマ帝国からの弾圧も受けます。
ローマ帝国では弾圧の中でもマニ教は勢力を広げ、キリスト教が国教化された当時、マニ教はキリスト教と同じくらいの勢力がありました。
マニ教はその後、世界各地でキリスト教やイスラム教の圧迫を受け、13世紀ころまでに消滅します。

ソグド人
ソグド人は、現在のタジク人で、イラン系の民族になります。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1228118987

「アーリア人」と自称したのはイラン・インド亜大陸(東方系)だけ
古代アーリア人の「ミトラ教」〜中国まで〜
民族移動する以前の古代アーリア人宗教「原始ミトラ教」から /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Ftaishi6764%2Fentry-11996768012.html
ミスラ(Miθra)とはイラン神話に登場し、英雄神として西アジアからギリシア・ローマに至る広い範囲で崇められた神。インド神話の神ミトラ(????? [mitra])と起源を同じくする、インド・イラン共通時代にまで遡る古い神格である。その名は本来「契約」を意味する。
ミスラ神(ミトラ神)は元々は、インド・ヨーロッパ語族の古代アーリア人が信仰する神格群の一柱であり、その際の神名はミスラ神と言われます。

ソグド人が日本 とつながる黄海沿いの港にいたかもしれないという線刻画が見つかっているが ...
ソグド人は日本に来たのか? 〜天皇はどこから来たか〜 (2) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fplaza.rakuten.co.jp%2Foo00wa00oo%2Fdiary%2F200704060000%2F
 川本 30年ほど前に山東半島近くの青州で見つかった。6世紀後半の線刻画で、ラクダを連れて商売するソグド人が描かれている。法顕(337年ごろ〜422年)はインドからセイロン(スリランカ)を経て山東半島へ海のルートで帰ってきたが、そのルートでもソグド人に関係のあるものが出土している
《渡来人研究第1号》
「ウラボン」(盂蘭盆)とは、今の「お盆」の起源でありますが、ペルシャ系のソグド語で「死者の霊魂」を意味する「ウラバン」から来ており、特にソグド人には、家に祖霊を迎え、共に供え物の風味を味わうという祭があったそうです。


8697これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 01:18:56
『キングダム』
嬴政・李信の中華統一を描く漫画『キングダム』。
日本人300万人のO-M117男性がとくに入り込めますが、みんなが読んでる『キングダム』w

『キングダム』を読んだことのない人のための「未ングダム」は、コチラ
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DyaMLyX2DpcA


8698これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 01:47:57
天皇成り上がり一代記?
日本人の3ー4割を占めるD1b(旧表記)が入り込める漫画はないかな?

『縄文男、成り上がり一代』とか?w
私も、以前は、「大王=D1b」だと思っていた。
「高度に弥生化した大王」のD1bが増えていったことで、極度に南方系である縄文人と北方系である現代日本人との形質的・DNA的・文化的乖離が埋められるのではないかと考えた。

その意味では、天皇成り上がり一代記みたいな小説や漫画もできそうだ。


しかし、昨年後半から新知見が立て続けに出て来て、考えを改めた。

弥生人の全ゲノム解析によって彼らにまで縄文ゲノムが多分に見られ、現代日本人成立には古墳時代における大陸集団の流入が重要となった。実際、関東縄文人は古墳時代に急速に日本人化される。

また、金沢大らの研究によって縄文人は古東南アジア狩猟採集民とゲノムを共有する。
後の研究でも確認されている。さらに、村上源氏はO-F438だと言う。

であれば、もはや「弥生化した縄文人の拡大」のような擬制・インチキなど要らない。
単なる土豪による箔付けや権威の簒奪、膨張で説明が付く。


8699バカ2の原人:2019/08/24(土) 02:01:00
高句麗の始祖王 朱蒙の旗印は 「 八咫烏 」…
朝鮮の「天孫降臨」の「檀君神話」では「コム 熊」は「聖なるもの」「神」とされている。高句麗の始祖王 朱蒙の旗印は「八咫烏」である。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fjapanese130.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2014%2F05%2Fpost-cadf.html
檀君神話・古朝鮮 古朝鮮を建国した檀君に関する記録は高麗(高句麗)時代の高僧・一然(イルヨン)の書いた「三国遺事」に詳しく書かれている /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.coara.or.jp%2F%7Emieko%2Fkoreahistory%2Fkoreahistory1.htm

朝鮮民族の始祖とされる檀君 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F451
ダン族(ダンぞく)はイスラエルの12氏族の内の一つである。ヤコブの子ダンを開祖にする。…
檀君の即位年は、紀元前2333年とすることが現代韓国では一般的になっており、かつてこれを元年とする檀君紀元が1961年まで公式に用いられていた。即位年に関する記述は、文献によって一定しないが、いずれも中国の伝説上の聖人堯の在位中とされている。紀元前2333年説は、『東國通鑑』(1485年)の檀君即位の記述(堯の即位から50年目」)によったものである。『三国遺事』では堯の即位から50年目としつつ、割注で干支が合わず疑わしいとされている。他には、『世宗実録地理志』(1432年)には「唐堯的即位二十五年・戊辰」、つまり堯の即位から25年目とあり、李朝の建国が明の洪武25年であることにあわせてある。

朝鮮神話について
檀君は紀元前2333年に朝鮮を建国し、平壌城、阿斯達に都をおき1500年間統治した。 > 檀君紀元元年は西暦紀元前2333年。 ..... その後、エジプト・ギリシア・ アトランティスなどを彷徨し、最も優れた人民であるユダヤ民族を 導いて、神の祝福 する約束の地 ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Frkrc5w2q.dyndns.org%2Fcache%2Fkorea%2Fkaba.2ch.net%2Fkorea%2Fkako%2F1019%2F10190%2F1019023417.html
13 名前: ななっしゅ ◆DDwBCQXw 投稿日: 02/04/17 15:47 ID:p1Xr/pVz
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.lifeinkorea.com%2FInformation%2Ftangunj.cfm
神話には万物の神で空の支配者のファンイン が自分の息子であるファンウン に山や渓間の ある地上に下りて住むように命じ彼を手伝う風伯、雨師、雲師など3000人と一緒に地上へ送 りながら「住みやすい人間世界になるように力になってあげなさい:弘益人間」という建国 理念を提示しました。
ファンウンは今の北朝鮮と中国満州の国境に位する太白山(今の白頭山)に降りてきて そこを 神市 と命じて律法を制定して人間に芸術、医療、農耕術を教えました。
穴で同棲していた一頭の虎と熊が人間になりたくてお祈りしました。それを聞いたファンウン
それを聞いたファンウン 彼らを呼んで20かけらのにんにくと一本のよもぎをあげながら100日間日を浴びないでただ聖なる にんにくとよもぎばかり食べるように指示しました。
虎はすこしして穴を出てしまいましたが熊は 20日を堪えたあげく21日目に女に変わりました。
熊女(ウンニョ)はファンウンに謝して仲間がいなくて寂しくて神檀樹の下で子供を生ませてほしいとお祈りしました。
熊女の祈りに心を打たれたファウンが彼女を花嫁に迎え入れ赤ちゃんが生まれ 彼を祭壇を支配する統治者という意味をもつ檀君(タングン) と名づけました。
檀君(タングン)は賢明で強い指導者として育ちB.C.2333年平壌城(今の北朝鮮の首都)へ移してきて 朝鮮王朝を立てました。
それ以降1908才になる年太白山(今の白頭山)へ戻り山神になりました。
(最近正統性確保のために北朝鮮政府が檀君(タングン)の墓を見つけだしたと主張したことがあります)

北欧の神々が悪魔 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2755
農耕民族の中華族を制圧?…
桓檀古記』に含まれる「檀君世紀」上編[2]によれば、檀君朝鮮は始祖王倹より古列加まで47代続いた王朝であったという。しかし、同書や同じく『桓檀古記』にある「太白逸史」には清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え、「太白逸史」の引用書「朝代記」に至っては男女平等、父権などの近代になって登場した用語が使用されている。このことから、20世紀に入ってから作られた新しい偽書であることが確実視されている。檀君複数存在説を唱える偽史書の中では、『揆園史話』(1675年北崖子著、近年になって原本が発見された)が最古に属し、他に『檀奇古史』、『神檀実記』、『神檀民史』、『符都誌』がある。檀君の即位年は、紀元前2333年とすることが現代韓国では一般的になっており、かつてこれを元年とする檀君紀元が1961年まで公式に用いられていた。即位年に関する記述は、文献によって一定しないが、いずれも中国の伝説上の聖人堯の在位中とされている。紀元前2333年説は、『東國通鑑』(1485年)の檀君即位の記述(堯の即位から50年目」)によったものである。『三国遺事』では堯の即位から50年目としつつ、割注で干支が合わず疑わしいとされている。他には、『世宗実録地理志』(1432年)には「唐堯的即位二十五年・戊辰」、つまり堯の即位から25年目とあり、李朝の建国が明の洪武25年であることにあわせてある。
檀君は即位五十年(紀元前2333年),庚寅の年に平壌を都として「朝鮮」を号した。 ... 虞舜は司空の夏禹を登用して成功する。 檀君王倹は太子の扶婁を遣わし、招いて塗山に会する。 ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmembers3.jcom.home.ne.jp%2Fsadabe%2Fkochosen%2Fkochosen1-dankun.htm
『大朝鮮帝国史』(1994年出版)
 我が民族が住む全世界を朝鮮(チュシン)という。我が民族はパミール高原に源を発して、バイカル湖を経て、不咸山に移動した。不咸山に到着した我々の先祖は、そこを中心に集団で定着し、文化を発達させていった。紀元前六千年頃には紅山文明、続いて黄河文明を興した。我々の先祖は既に紀元前3898年に倍達国を建て、農耕民族の中華族を制圧し、大帝国を建設した。倍達国は十八代、1565年で終わり、その後に檀君朝鮮が建てられた。
『檀君朝鮮』三国遺事
 天帝「桓因」の子である桓雄は、父の命令により天符印三個を携え、人間社会を治めるため天界から、三危太伯山の頂きにある神檀樹の下に、従者三千名を引き連れ降臨した。その土地を神市と呼んだ。そして、雨師(雨神)、雲師(雲神)、風伯(風神)に命じて、地に自然を作り、農業を興し、善悪、法、道徳等、数々の決まりを作った。
 あるとき、桓雄は人間になりたがっている熊と虎に出会った。
 桓雄は、両獣に百日間、陽に当たらず、蓬(よもぎ)と大蒜(にんにく)を食べ続ければ人間になれると教えた。虎は数日で退屈に耐えきれず、太陽を求めて洞窟を飛び出したが、熊は21日目に人間の女性に化身した。人間になった熊女は、桓雄に「夫になるものがいないので、子供を産むことができない」と訴えた。その願いを聞いた桓雄は、瞬時に変身して熊女と情を交わし、二人の間に男児が誕生した。この男児に、桓雄は祭壇を支配する統治者という意味をもつ檀君(だんくん)と命名した。これが古朝鮮建国の始祖とされる檀君王倹である。
 檀君は即位五十年(紀元前2333年),庚寅の年に平壌を都として「朝鮮」を号した。
 治世一千五百年,周王朝の武帝が箕子を朝鮮侯に封じたので,隠退して阿斯達の山神となり、一千九百八歳の長寿を保った。
紀元前2333年
堯・舜と同時代。 のちに、夏王朝の始祖となる。 炎帝. 部落「姜」の長。
禹は、紀元前2000年前の人で、中国古代の伝説的な夏王朝の初代の君主。
堯の治世に大洪水がおき、彼は四嶽(四方の諸侯の長官)に治水の責任者を推薦させた。
前3761年
創世紀元(ユダヤ暦) 5761年 (元年=紀元前3761年
堯=ノア説 - 仏頂面も三度まで
... 伏羲=アダム、堯=ノアなどとする奇説が西洋世界でまじめに語られていた史実があったそうです。 ... 聖書を絶対視するったって、天地創造がいつなのか、ノアの洪水がいつなのか、キリスト誕生がいつなのか、はたまたどういう風に年数を数えるのか(この本読む ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fd.hatena.ne.jp%2Fmujin%2F20090519%2Fp2
岡崎勝世「聖書VS世界史・キリスト教的歴史観とは何か」(講談社現代新書1996)
16世紀以降、それまでヨーロッパ人にはほとんど未知の世界だった中国を知り、その歴史が膨大な史書として編纂され続けていたことがこちらの想像以上にヨーロッパ人に衝撃を与えたことも大きく触れられています。自分たちが信じていた聖書的歴史観からまるっきり外れた長大な歴史に圧倒されてしまったイエズス会士たちやヨーロッパ知識人などは素直に「聖書の方が間違ってた」と考える一方で、中には無理やり整合性を図ろうとするウルトラCも出てくるんですね。
 つまり中国史に出てくる伝説の帝王「三皇五帝」は実は聖書の人物なんだという説でして(笑)。17世紀のオランダの史家・ゲオルク=ホルンなる人物は「伏羲=アダム」「神農=カイン」「黄帝=エノク」「尭=ノア」と「同一人物説」で説明しちゃうんですね。
 この説を受けてイギリス人ウェッブは「尭はノアであり、ノアとその息子たちは中国にいて、箱舟を作ったのも中国。バベルの塔以前の世界も中国にあり、それ以前の人類言語は中国語だった」とまで主張。ドミニコ派のナヴァレッティは「伏羲=ハム=ゾロアスター」という三者同一人物説を主張し、その後も18世紀にかけて「黄帝=ノア説」「盤古=ノア説」「神農=ノア説」とまぁ、これでもかこれでもかといろんな説が唱えられたのだそうで。ここまで来ると笑っちゃうしかありませんが、それだけ中国史との遭遇は「聖書史観」(この本では「普遍史」という訳語を使います)にとって重大な死活問題であったというわけです。
 この本には出てこない話ですけど、20世紀の中国の方でもこれと呼応するよう発想は出てくるんですよね。やはり洪水伝説が出てくることから伏羲=ノア=箱舟説でミャオ族の古代神話だとする見解とか、中国語と英語(印欧語?)は実は根っこがいっしょだとする説とか(まぁ確かに文法的にはねぇ)。

祝融の子孫と唱える楚人 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2076
檀君の後裔の宇陀麻は、周武王の元年に箕子を避けて蔵唐京に遷り、このとき弟の倶婁が蓋牟に遷って蓋氏(及び高句麗王室も含むか)の祖となったと記される。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fshushen.hp.infoseek.co.jp%2Fkodaisi%2Ffusou-g%2Ffusosiso1.htm
朝鮮半島にも扶桑樹に関連するとみられる伝承がある。それが、太陽神の桓雄が地上に降りる通路としての巨樹「神檀樹(シンダンス)」であり、桓雄がその地の熊女と結婚して生まれた檀君は、古朝鮮の始祖となったと伝える。神檀樹の生える地を「暘谷」といい、それが朝鮮の名の起源になったとする。こうした諸事情から、「神檀樹=扶桑樹・若木」ともみられる。この檀君神話が記される現存最古の史料が『三国遺事』であり、十四世紀頃の民間伝承の書だから、高麗の時代には檀君は受け入れられていなかった。それまでは、朝鮮の起源として『史記』などに見える「箕子朝鮮」があり、これが史上最古の朝鮮国とみられていた。それが、李氏朝鮮の時代から民族主義的思考の高まりで次第に「檀君朝鮮」という比重が大きくなったとされる。
桓雄がその地の熊女と結婚
熊女
人間になった熊
その祈りをきいた神様は、うるわしい青年の姿にになって熊女とむすばれました。 やがて熊女は男の子を産み落とし、檀君(タンクン)と名付けました。 檀君は神様の仕事を手伝い、やがて地上の王になりました。 ... 人間になった熊のことは韓国語でウンニョ(熊女)といいます。 ウンニョと結婚した神様はファン
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.chinjuh.mydns.jp%2Fohanasi%2Femaki%2Fkumatora%2Fkumatora.html
そのころ中国では尭帝即位後五十年の庚寅年ということですから、今から4000年以上も昔の出来事だと言われています
禹の正体は恐らく奇獣、熊猫(パンダ)/愛玩物ではなかったか。 いや、マジで。 とは言え筆者は、禹がパンダであったと断ずる根拠を持つ者ではないが、差し当たって禹が熊であったと伝える資料は持ち合わせている。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Flovekeno.iza-yoi.net%2F070707b00.htm

魂で、トモエ紋の箕氏で、発祥が確認される。 ... 韓国神話檀君は帝王で夏王朝の焼き直しである。 ..
http://6309.teacup.com/kobutu/bbs
殷の道衰え、箕子、去りて朝鮮に之く。 ... 越人は無壬を共立して越君の後と認め、禹の祭祀を復活したとされています. 先秦及び漢代の書物から「天子を戒める」に足る遺聞逸事を採録したもの。 ...
http://6302.teacup.com/kodaigiten/bbs
呉は夏王朝ではなく、殷の末裔です
檀君神話 『桓檀古記』は20世紀の初めに桂延寿によって編修されたといわれている。 ... 井上秀雄氏は『古代朝鮮』(NHKブックス)で「この伝承の源流は高句麗や百済の始祖生誕伝承で、中国禹の生誕伝承にも通じ、熊にたいする信仰は、アジア・ヨーロッパ大陸から北アメリカにまで広く分布している民間伝承である。 ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.k4.dion.ne.jp%2F%7Eisshun_y%2Fnote7.html
私(ム) 和(口) 台[われ](ム口) | 古代史掲示板(清談論議)
羽淵神 コン 魂・鯀 ・墾 「記紀」 ... ここで「叶」カノウ夏の禹(禹の父「鯀コン」通称「口」) 禹はム・ヒ・刀・ル・乙・九・弓・・・(失礼、 ... 四嶽が禹に言った、「舜は、鯀が治水の実績を上げられなかったので、おぬしを抜擢して、 ... 三つめの剣を転魂といい、これで月を指すと、 ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2003

[2978] 香木 白檀・・・ダン族が東に逃れ、檀 君 https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/2978
檀の木の岡に降り阿斯達を都とし朝鮮と号した。・・・
檀君
檀君朝鮮(だんくんちょうせん)は、檀君王倹が紀元前2333年に開いたとされたという国の名前。朝鮮半島ではこの年を起点とする記述から計算して檀君の即位した年を紀元前2333年とし、これを元年とする檀君紀元(檀紀)を定め、1961年まで公的に西暦と併用していた。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E6%25AA%2580%25E5%2590%259B%25E6%259C%259D%25E9%25AE%25AE
桓因は帝釈天の別名である)の庶子である桓雄(かんゆう、)が人間界に興味を持ったため、桓因は桓雄に天符印を3つ与え、桓雄は太伯山(現在の妙香山)の頂きの神檀樹の下に風伯、雨師、雲師ら3000人の部下とともに降り、そこに神市という国をおこすと、人間の地を360年余り治めた。
その時に、ある一つの穴に共に棲んでいた一頭の虎と熊が人間になりたいと訴えたので、桓雄は、ヨモギ一握りと蒜(ニンニク、ただしニンニクが半島に導入されたのは歴史時代と考えられるのでノビルの間違いの可能性もある)20個をあたえ、これを食べて100日の間、太陽の光を見なければ人間になれるだろうと言った。
虎は途中で投げ出し人間になれなかったが、熊は21日目に女の姿「熊女」(ゆうじょ、)になった。配偶者となる夫が見つからないので、再び桓雄に頼み、桓雄は人の姿に身を変えてこれと結婚し、一子を儲けた。これが檀君王倹(壇君とも記す)である。
檀君は、堯(ぎょう)帝が即位した50年後に平壌城に遷都し朝鮮と号した。以後1500年間朝鮮を統治したが、周の武王が朝鮮の地に殷の王族である箕子を封じたので、檀君は山に隠れて山の神になった。1908歳で亡くなったという。
『帝王韻記』[編集]
高麗末期の李承休によって1287年に編纂された『帝王韻記』には、桓雄の孫娘が薬を飲んで人間になって、檀樹神と婚姻して檀君が生まれたという。檀君は1028年後に隠退した。ただしこの書は散逸して現存していない。
神人王倹は馬韓を熊伯多、番韓を蚩尤男(蚩尤の末裔という)に治めさせた。
・・・・・・・・
1993年に檀君の墓を発見したと公言(実は高句麗時代の古墳)し、その地に「檀君陵」なるコンクリート製の建造物を建設した。

壇ダン・タン 土部 解字 「土(つち)+亶(厚くて平ら)」 の会意形声。土を盛り平らにした台。 土にかかわらず高い台をいう。 意味 (1)他より一段高くした台。
旦 タン <地平線から太陽が上がる> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F1ddab7ad8110ec78ea0d3d54fb78b5a8
篆文は、「日(太陽)+ 一 印(地平線)」の会意。太陽が地平線から上る形で早朝の意を示す。金文は朝雲から太陽がのぼる形。旦を音符に含む字は、地平線から太陽が上る意から「あらわれる」イメージがある。
旦を音符に含む字は、地平線から太陽が上る意から「あらわれる」イメージ…

古代ユダヤ教では、バール神を明けの明星という別称で象徴しています。
大陽神バールは、冬至の日には力を弱めて死んでしまう。すると世界は暗黒に覆われて農作物も採れなくなってしまう。雌牛も子供を産まず、乳も出な い。そこで永遠の力を持つ、バールの妻神アシュトラは、黄泉の国へとバールを迎えに行って、バールをこの世に連れ戻しに来る。この際にバールとアシュトラ が出現するのは、水辺にある岩からである。
埴安姫(はにやすひめ)は便所の神 ”龍宮” /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F916
「明けの明星」シリウス星
およそ紀元前三千年から二千年にかけて、メソポタミヤやエジプトにおいては、シリウス信仰から太陽信仰への大掛かりなシフトが行われました。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fsinagawa50%2F13154320.html
まず、王が神と名乗り、「われこそは太陽神の化身である」と宣言するようになりました。
 そして、いままでシリウス一色だった信仰生活を太陽信仰一色に塗り替えてしまい、シリウスにまつわる伝統的な神々は太陽や惑星にまつわる新参の神々へと姿を変え、シリウスに捧げられた神殿は太陽に捧げられた神殿とされるようになりました。
 こうして、「シリウス信仰」は民衆から奪われ、太陽信仰は古代世界の民衆に浸透し、太陽に対する民間信仰は生まれたわけであります。
 シリウス信仰はその後、各時代の文明の中心地において「支配者の秘儀」として、命脈を保たれ、秘密結社という形で、今日まで残されています。
 しかし、「シリウス信仰」の全貌を分からず、言い伝えてきていることは、とんでもない勘違いを引き起こし、皮肉的に再び人類を破滅の道に導くことになっています。

古代シリウス信仰を復活させ、ルシファーという悪魔を崇拝していると言われている。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fllumi-jp666%2Fentry-12431515517.html

ルシファーは「シリウス」、イエス・キリストは「太陽」を象徴するが、聖書ではルシファーとイエスは「光」「蛇」「明けの明星」でも象徴されている。
洋ではルシファーやバアルは悪魔とされているが、日本でも陰陽道では国常立尊は祟り神、スサノオも神話では悪神や鬼として恐れられている。
シリウス信仰とルシファー崇拝 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fllumi-jp666%2Fentry-12431515517.html

鳩はシリウスの鳥 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fsimlug%2Fentry-12125353704.html

ワズン/ウェズン
冬の南の星の中で、地平線付近から高く昇らないいくつかの星が同じ名称で呼ばれています。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.7key.jp%2Fdata%2Fconstellation%2Fcol.html

日本の神道と古代エジプトの意外な共通性! /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Ffreedomsnet.com%2Fkodai-amaterasu-235

カラスはアポローンの使いの鳥であった。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
太陽神アポロン   アポローンの恋人コローニス
コローニスは、腹にいるアポローンの子を無事育てて欲しいと告げ息を引き取った。この子は無事育ち、後にへびつかい座になった。この後の詳細はへびつかい座およびアスクレーピオスを参照のこと。カラスは罰として真っ黒に染められ、二度と人の言葉を喋れないようにされたのち、天上に追放され、星座となった。

八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されている /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
古代中国でも、カラスは太陽の使いと言われていたことがあるし、 また、ギリシャ神話においても、太陽神「アポロン」の使いである。
「太陽を導く者」…カラス
金星の正体 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2623
ペンタグラムと占星術における金星のシンボル、メロヴィング朝のユリのシンボルなどがフリーメイソンのルールによって結合された、
そもそも、ザラスシュトラ=金星であり、「太陽を導く者」の意味があったと俺は思うわけだが。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.mkmogura.com%2Fblog%2F2009%2F05%2F27%2F224
ゾロアスター教は、それ以前のインドのヴェーダ神話の中の神から、太陽崇拝の部分を取りのぞいたものである。
取り除かれたベーダ神話の中の太陽の神、それはミトラである。
ここからも宗教の枠組みで言ったら、ミトラス教のゾロアスター派であることが正しいといった意味がわかるだろう。
ゾロアスター教の預言者、ザラスシュトラ=金星(明けの明星)であるわけで。
この太陽信仰を「太陽は夜さぼってる」と考えた占星術的な考え方は、夜も移動する民、シュメールの考え方である。
そして、この宗教は「アーリア原種宗教」であるということ。そして同族婚とくに近親婚を最大の善行として推奨していたということ。
そういうこと、アシュケナジーの日ユ同祖論とセットで出てくる、日本シュメル起源説を知っていればわかる。
白人同士の親族結婚を推奨し、シュメールが世界の起源としている宗教、つまり純粋白人主義的のために構成されたミトラス教の一派=ゾロアスター教なのである。
大昔のインド・ペルシャの宗教から、アーリア人のシンボルは生まれたわけだ。
そこにも、着眼すべき点がある。
それが悪魔崇拝の部分なのだが、ビシュヌ含むベーダ神話の神は、ゾロアスター教の聖典では悪魔になっているんです。
つまり、天使と悪魔が入れ替わってしまったと。
「神と悪魔が入れ替わる世界」というグノーシス主義の際に説明で出てくる言葉そのまんまなんです。では簡単に一例。
ヴェーダ神話における中心的な天空神、仏教で「帝釈天」となったとされるインドラは、ゾロアスターの聖典アヴェスタではアーリマン配下の悪魔です。
ほら、神様が悪魔に、悪魔が神様になっているんですよ。
さらに言うなら、ゾロアスター教のアーリマンは、ベーダ神話では太陽12神の1人の神様、アリヤマンであり、そのアーリマンの配下「ダエーワ(ディーバ?)」は聖書でいう「デーモン」の語源なのだが、これもベーダ神話ではデーヴァという光側の神様です。
さらに、このダエーワという語源を追いかけると、ラテン語では「デウス」となり、これはギリシア神話の主神「ゼウス」なのです。
このアーリマン=ゼウスに対する二元論、光明神アフラ・マズダのもととなるのが、インドの魔族「アスラ」つまり、仏教のアシュラなわけですよ。
仏教では魔王「阿修羅」は、空海の真言密教の根本仏にして太陽神「大日如来」のルーツにもなっているわけです。


8700これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 02:04:29
ヤグノビ人
タジキスタンのヤグノビー人がソグドの末裔と言われているがね。ヤグノビ人はR1bとJが多い。なぜR1bがソグド人の指標と言えるか分からんが。ふつう、イラン系アーリア人ならR1aでしょって思う。中央アジアのアーリア人と一体化したい偽アーリア・ヨーロッパ人の願望も入ってると思う。


8701これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 02:16:51
Re: 『キングダム』嬴政 推定O-M117(O-M133)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009158M.jpg

嬴政
推定O-M117(O-M133)。

秦始皇帝のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1a(O-M133)であると推定される(注1)(注2)(注3)。

秦は嬴姓。
同じ嬴姓の徐福
中国 秦代の方術士・徐福のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1(O-M117)であると推定される(注1)。これは、江蘇省の徐氏 男性複数名から得られたデータに基づく(注2)。
注1)分子人類學論壇『江蘇揚州徐氏O3a3c1,M117+』(2010.6.20)



8702これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 02:26:12
Re: 『キングダム』嬴政 推定O-M117(O-M133)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009159M.jpg

贏政が呂不韋の子という説もありますが、そうだとしてもO-M117(O-M133)。呂は姜姓。
姜は姜姓羌人の姓。



8703バカ2の原人:2019/08/24(土) 02:44:24
檀君(だんくん)は ヤコブの子ダンを開祖…
三国遺事の用語解説 - 朝鮮,古代三国 (新羅,高句麗,百済) についての古記録を収集した書物。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
檀君(だんくん、朝鮮語: ??)は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、伝説上の古朝鮮の王。
1428年(1428 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
朝鮮
李氏朝鮮 : 世宗10年
檀紀3761年…
紀元前3761年
ユダヤ暦は紀元前3761年10月7日を紀元(創世紀元)とする太陰太陽暦

著者は高麗の僧一然〔1206-1289〕
一然(いちねん、1206年 ? 1289年7月)は、高麗時代の禅宗の仏僧。俗姓は金、幼名を見明(または景明)、字は晦然。慶州章山郡(現在は慶山市)の出身で、1283年に忠烈王より国尊の称号を賜り、円径冲照と号した。没後に普覚の諡号を賜り、普覚国尊一然と称されるようになった。三国時代の重要史料である『三国遺事』の撰述のほか、『語録』『偈頌雑著』などの著作がある。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
9歳のときに海陽(光州広域市)の無量寺で出家し、各地を遍歴して仏法を修め、22歳のときに科挙の禅科に合格した。その後は宝幢庵、妙門庵、無住庵で禅の修業を続け、1261年に元宗に召されて開城で禅月堂を開き、牧牛和尚の法統を継承した。1264年には元宗に願い出て都を離れ、吾魚寺(?寺)(慶尚北道浦項市南区)に移り、1268年に朝廷の命で名僧百名とともに雲門寺(慶尚北道清道郡)で大蔵経落成会を行なった。1276年に勅命で雲門寺の住職となったが、1282年には忠烈王に召しだされて開城に移り、広明寺に住むこととなった。1283年には国尊(国を挙げて尊び、師と仰ぐの意)の称号を賜り、尊崇を集めたが、母が高齢だったためにいったん辞職して郷里に戻り、翌年母の最期を看取った。その間朝廷では一然のために麟角寺(慶尚北道軍威郡)を修築しており、復職した79歳の一然に田地とともに麟角寺が与えられた。以後、一然は麟角寺に永住し、1289年7月に84歳で亡くなるまで禅問答を続けていた。
麟角寺には一然のための舎利塔と碑が残っており、碑文には一然の著作として『語録』2巻、『偈頌雑著』3巻、『曹洞五位』2巻、『祖図』2巻、『大蔵須知録』3巻、『諸乗法数』7巻、『祖庭事苑』30巻、『禅門拈頌事苑』30巻などが広く知れ渡っていた、と伝えている。しかしこの碑文には『三国遺事』のことは触れられていない。
正史(『三国史記』)に漏れた様々の事実を意図した「遺事」を取りまとめた『三国遺事』は、一然の晩年の撰述になるものである。しかし内容の分析として、王暦の年表末に記す中国王朝を南宋までに留めて「大宋」と記しており、元を記していないことから、まだ宋が存立していた間におよその撰述を終えており、主要部分については雲門寺に住まう直前の70歳頃から国尊の称号を賜る78歳までの間(1275年 - 1283年)の著述であると見られている。

お隣の国、韓国でも、朝鮮民族のルーツにユダヤ人が絡んでいるという噂があるようです。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.historyjp.com%2Farticle.asp%3Fkiji%3D141

朝鮮民族の始祖とされる檀君 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F451
ヤコブの子ダンを開祖に する。 カナンの分割でダン族が相続した地は、ツォルア、エシュタオル等であった。 それは、もともとペリシテ人が所有していた土地で、ダン族が戦いによって獲得した地と ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%2580%25E3%2583%25B3%25E6%2597%258F
ダン族出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダン族(ダンぞく)はイスラエルの12氏族の内の一つである。ヤコブの子ダンを開祖にする。
カナンの分割でダン族が相続した地は、ツォルア、エシュタオル等であった。それは、もともとペリシテ人が所有していた土地で、ダン族が戦いによって獲得した地と地中海の間の土地である。
しかし、ダン族はすべてを所有できず、エモリ人によって山地に追いやられた。後に、パレスチナ北部に斥候を送り、ライシュ(レシェム)に住んでいた異邦人を追い出し、奪い取り、自らの部族名にちなんでダンと名付けた。
黙示録の7章にはダン部族は除外されている。これは、偽典の『12族長の教訓』の中で、ダン部族の中から反キリストが現れると言われているからという説がある。

檀君(だんくん)は13世紀末に書かれた『三国遺事』にはじめて登場する伝説上の古朝鮮 初代王。三国遺事によると、天神桓因の子桓雄と熊との間に生まれたと伝えられる。檀 君王倹に関しては、檀君朝鮮の項目を参照。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E6%25AA%2580%25E5%2590%259B
檀君王倹という名についても、平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は地名であったことがわかる。

檀君の即位年は、紀元前2333年とすることが現代韓国では一般的になっており、かつてこれを元年とする檀君紀元が1961年まで公式に用いられていた。即位年に関する記述は、文献によって一定しないが、いずれも中国の伝説上の聖人堯の在位中とされている。紀元前2333年説は、『東國通鑑』(1485年)の檀君即位の記述(堯の即位から50年目」)によったものである。『三国遺事』では堯の即位から50年目としつつ、割注で干支が合わず疑わしいとされている。他には、『世宗実録地理志』(1432年)には「唐堯的即位二十五年・戊辰」、つまり堯の即位から25年目とあり、李朝の建国が明の洪武25年であることにあわせてある。

朝鮮神話について
檀君は紀元前2333年に朝鮮を建国し、平壌城、阿斯達に都をおき1500年間統治した。 > 檀君紀元元年は西暦紀元前2333年。 ..... その後、エジプト・ギリシア・ アトランティスなどを彷徨し、最も優れた人民であるユダヤ民族を 導いて、神の祝福 する約束の地 ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Frkrc5w2q.dyndns.org%2Fcache%2Fkorea%2Fkaba.2ch.net%2Fkorea%2Fkako%2F1019%2F10190%2F1019023417.html
13 名前: ななっしゅ ◆DDwBCQXw 投稿日: 02/04/17 15:47 ID:p1Xr/pVz

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.lifeinkorea.com%2FInformation%2Ftangunj.cfm
神話には万物の神で空の支配者のファンイン が自分の息子であるファンウン に山や渓間の ある地上に下りて住むように命じ彼を手伝う風伯、雨師、雲師など3000人と一緒に地上へ送 りながら「住みやすい人間世界になるように力になってあげなさい:弘益人間」という建国 理念を提示しました。

ファンウンは今の北朝鮮と中国満州の国境に位する太白山(今の白頭山)に降りてきて そこを 神市 と命じて律法を制定して人間に芸術、医療、農耕術を教えました。

穴で同棲していた一頭の虎と熊が人間になりたくてお祈りしました。それを聞いたファンウン
それを聞いたファンウン 彼らを呼んで20かけらのにんにくと一本のよもぎをあげながら100日間日を浴びないでただ聖なる にんにくとよもぎばかり食べるように指示しました。
虎はすこしして穴を出てしまいましたが熊は 20日を堪えたあげく21日目に女に変わりました。

熊女(ウンニョ)はファンウンに謝して仲間がいなくて寂しくて神檀樹の下で子供を生ませてほしいとお祈りしました。
熊女の祈りに心を打たれたファウンが彼女を花嫁に迎え入れ赤ちゃんが生まれ 彼を祭壇を支配する統治者という意味をもつ檀君(タングン) と名づけました。

檀君(タングン)は賢明で強い指導者として育ちB.C.2333年平壌城(今の北朝鮮の首都)へ移してきて 朝鮮王朝を立てました。
それ以降1908才になる年太白山(今の白頭山)へ戻り山神になりました。

(最近正統性確保のために北朝鮮政府が檀君(タングン)の墓を見つけだしたと主張したことがあります)


8704バカ2の原人:2019/08/24(土) 03:37:29
花郎〔ファラン 〕の弥勒
〉檀君(だんくん、朝鮮語: ??)は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、伝説上の古朝鮮の王。
著者は高麗の僧一然〔1206-1289〕
吾魚寺は、新羅第26代真平王の時代に建てられた寺としてしられ、元暁大師と恵空禅師が吾魚寺で修行していたときにどちらが法力で小川の魚を生き返らせることができるか競ったことがお寺の由来とされている。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.pusannavi.com%2Fmiru%2F1739%2F
吾魚寺…
吾…我
「"我はありてある者"(I am that I am)と創世記の中で語った創造主は、エル・カンターレである」
「その名を語ってはいけない神様」 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.beach.jp%2Fcircleboard%2Fac86119%2Ftopic%2F1100106614064
魚はキリスト教のシンボル /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.ancient-symbols.com%2Fjapanese%2Fchristian_symbols.html
イオータ、キー、シータ、ウプシロン、そしてシグマ

佐伯真魚(さえき まお)弘法大師空海の出生の秘密と上京 ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Frekishi.sseikatsu.net%2Fkukai1%2F
803年、空海(弘法大師)は最澄と共に入唐し、景教を身につけ、潅頂(頭に潅ぐの意で、キリスト教の洗礼)を受け、「遍照金剛」という洗礼名を受けました /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.ne.jp%2Fasahi%2Fdavinci%2Fcode%2Fhistory%2Fjapan%2Findex4.html
さえき まお…サエキ (佐伯)…
『ノチノツマ(後の妻) タケタ(武田)とサエキ (佐伯) フタリウム(二人生む) ・・・』 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fnamakura0077.com%2F
差益サエキ
中間で「マージン」を取り去る→ 中抜き /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.sun-inet.or.jp%2Fusr%2Fhiro7733%2Fpublic_html%2Fword%2Fword_NAGYOU_LABEL.html
「中貫」の文字を当てる方が適当。
同じ「中」でも、こちらはヘブライ語の「ナカル(nakar)」。
【ナカル】nakar(貫通する、取り除ける、他へ移す) → 「なかなか進まない」 (貫通できない) ...

元暁
[生]真平王39(617)
[没]神文王6(686)
朝鮮,新羅の学僧で浄土教の先駆者。姓は薛。児名は誓幢。幼年を花郎として過し,31歳に皇竜寺で僧となり修道,義湘とともに2度にわたり入唐を試みたが,始めは高句麗軍に阻止され,次は党項城の古塚で大悟して断念。芬皇寺に住み通仏教 (元暁宗,芬皇宗,海東宗とも称される) を提唱,普及に努めた。奔放な性格で,形式主義を批判し,大乗仏教の教理を実践,『金剛三昧経』などを王と高僧に講読する一方,楽器などを用いて民衆を教化し,感化を及ぼした。また瑤石公主と結び,のちの大学者薛聰を育てた。晩年は参禅と著作に没頭,『金剛三昧経論』『大慧度経宗要』『法華経宗要』『華厳経疏』『戒本私記』『十門和諍論』など 100種余,240巻余の著書がある。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
花郎…
花郎(ファラン、かろう)は、新羅で10世紀まで続いた軍事的訓練や文化的教育機関としての青年組織制度またはそのリーダーを指す。花郎制度は原始社会によく見られる男子集会所(メンズハウス)の性質を特徴としている。新羅の貴族時代には仏教の影響もあり、花郎徒は、道義、歌楽、山川渉猟を学び、宮廷に臣下や兵士として仕えたことが伝えられている。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
李朝時代には、花郎は男のシャーマン、シャーマンの夫、芸人、舞童、遊女などを指すようになった。李朝時代、彼らはいずれも社会の最下層に位置づけられていた。民俗学的調査によれば、男覡としての花郎の用法が今日でも全羅道に現存しているという。巫夫としての用法も慶尚道や江原道で確認される。農閑期に乞食僧に連れられて村々をまわり、踊りを踊って銭穀を求める舞童も花郎と呼ばれた。方言で、下賎の娼婦が花娘、花郎または花郎女と呼ばれた。花郎に由来する「ファニャンニョン」(???) が浮気女を意味する単語として辞書に記録されている。李朝時代に、花郎 (郎中) と呼ばれる男覡が女装し淫らな行為におよんだという報告もある。こうした後世の花郎と新羅の花郎の関係は明らかではない。服飾や歌舞に共通の性質を見出すことができる一方、相違点としては、新羅の花郎が上流貴族から出ていることに対して、後世の花郎が被差別階級となっていることが挙げられる。
「花郎精神」はある意味で日本統治下で宣伝された武士道精神の代替であるにもかかわらず、韓国では逆に「日本の武士の原型は新羅の花郎」などとまことしやかに語られている。

花郎〔ファラン 〕の弥勒は、中央アジアのミトラ教(ソグド的ゾロアスター教)の影響の強い弥勒=ミトラであったとする説がある。


8705バカ2の原人:2019/08/24(土) 03:50:41
「日本の武士の原型は新羅の花郎」…太陽神であり武神
花郎〔ファラン 〕の弥勒は、…「カロウ」(呼ぶ)
ローマ人への手紙(43)?献身の勧め(1)? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fmessage-station.net%2Fepisode%2F1429%2F
(3)「パラカロウ」=「パラ」(そば)+「カロウ」(呼ぶ)
      ?ここでパウロは、聖霊の働きを実行している。
      ?新改訳の「あなたがたにお願いします」では、弱い。
      ?直訳は、「あなたがたを呼び、励まし、促し、強く勧める」となる。

…世の光  と呼び
イエスは自らを世の光と呼び、ときに義の太陽と称される。ミトラは光明神であり、太陽神でもある。 このように、ミトラ教の儀礼をみれば、キリスト教にオリジナルな儀礼など、何もないことがはっきりとわかるだろう。 ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq12206374977
キリスト教とはミトラ多神教の焼き直しに過ぎないのではないか?
ミトラ神は、最古の高度文明シュメールの主神であり、紀元前3,800年〜3,600年頃より信じられた、太陽神であり武神。
古代イスラエルの王たちは皆、天のミトラ神に戦勝を祈った
ペルシャでも帝国の守護神ミスラとされ、ミトラ神からアフラ=マズダ神が造られ、ゾロアスター教(拝火教)の主神となった。
ゾロアスター教からユダヤ教が生まれたというのが、現在の有力説であり中身がよく似ている。
やがてインドに伝わり、ミトラ神(アフラ=マズダ)や弟のインドラ神は、バラモン教の主神となった
仏教における、阿修羅、大日如来、四天王(毘沙門天)、牛頭天王、弥勒菩薩は全て、元々ミトラ神である
帝釈天が、弟のインドラ神

【最終戦争とハルマゲドン】
もとはミトラの最終戦争である。ミトラの友は最後の戦いで光の天使軍に加わり、闇の軍団と戦う。『ヨハネの黙示録』によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じミトラも白馬に乗ってやってくる。


8706これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 03:52:46
「有名人のハプロ」のネーミングは分かりやすくて良いかもね。
「有名人のハプロ」のネーミングは分かりやすくて良いかもね。
Y染色体O2a2b系統(秦・西域系)
Y染色体O2a2b1a1系(秦系)
Y染色体O2a2b1a2系(カザフ系)

でも、ワタシ的にはもっと歴史を考慮して、
羌族・西域系O2a2b(O-M134)
羌族・チベット系O2a2b1a1(O-M117)
鮮卑・カザフ系O2a2b1a2(O-F444)

ちなみに、中国のサイトだとO-M134は「華夏族」、O-M117は「秦・蔵緬」としています。

8707バカ2の原人:2019/08/24(土) 04:08:03
魚の日・地球に戻る…「かごめかごめ」
白色矮星による双子星(連星)
〉『ヨハネの黙示録』によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じミトラも白馬に乗ってやってくる。

シリウスは「シリウスA」と呼ばれる恒星と「シリウスB」と呼ばれる白色矮星による双子星(連星)になっています。
シリウスは超新星爆発するのか?最も明るい天体の真実12 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.gibe-on.info%2Fentry%2Fsirius%2F
シリウスの名前はギリシア語の「セイリオス」という言葉に由来しています。セイリオスには「焼き焦がす」や「火花を散らす」という意味があり、あまりに明るいために肉眼でも観測できるシリウスにぴったりの名前といえます。シリウスはエジプト神話にも影響を与えており、神話に登場する「女神イシス」はシリウスと同一視されています。
シリウスは太陽系外の天体であるため、地球から観測するとより近距離に位置する太陽や月、金星や木星ほどは明るく見えません。しかし、位置によっては地球にずっと近い火星や水星よりも明るく見ることもあります。
主星であるシリウスAの年齢はおよそ2〜3億年程度だといわれています。以前は巨大なふたつの恒星の連星だったシリウスですが、今から1億2000万年ほど前に当時の主星だったシリウスBが寿命を迎えます。こうしてシリウスBは縮小して白色矮星になり、主星が現在のシリウスAに入れ替わったのです。

シリウスを観測するなら「オリオン座」から探すのが一番簡単です。オリオン座は10月〜2月の冬の夜空が観測に適しています。星空を眺めていると綺麗に3つの星が並んでいるのが確認できると思います。この3連星の左端の星から垂直に上方に向かうと赤く輝く「ベテルギウス」が発見できると思います。このベテルギウスから今度は「冬の大三角」を探していきます。
三連星からベテルギウスまでの距離の2.5倍ほどの間隔で、こいぬ座の「プロキオン」とおおいぬ座の「シリウス」を結んでいきます。これらの星は周りの星々よりもずっと明るいため簡単に見つけることができると思います。これが冬の大三角です。冬の大三角が観測できたら、ベテルギウスを頂点としたときに右下に位置しているのが今回の主役シリウスになります。シリウスは最も明るい天体であるためきっと見つけることができるでしょう。

少なくとも、紀元前二千年くらいまでは、夜空に輝くシリウス星こそ崇拝の対象でありました。
「シリウス信仰」の真相 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fsinagawa50%2F13154320.html
およそ紀元前三千年から二千年にかけて、メソポタミヤやエジプトにおいては、シリウス信仰から太陽信仰への大掛かりなシフトが行われました。
 まず、王が神と名乗り、「われこそは太陽神の化身である」と宣言するようになりました。
 そして、いままでシリウス一色だった信仰生活を太陽信仰一色に塗り替えてしまい、シリウスにまつわる伝統的な神々は太陽や惑星にまつわる新参の神々へと姿を変え、シリウスに捧げられた神殿は太陽に捧げられた神殿とされるようになりました。
 こうして、「シリウス信仰」は民衆から奪われ、太陽信仰は古代世界の民衆に浸透し、太陽に対する民間信仰は生まれたわけであります。
 シリウス信仰はその後、各時代の文明の中心地において「支配者の秘儀」として、命脈を保たれ、秘密結社という形で、今日まで残されています。
 しかし、「シリウス信仰」の全貌を分からず、言い伝えてきていることは、とんでもない勘違いを引き起こし、皮肉的に再び人類を破滅の道に導くことになっています。
 それゆえに、未開民族と呼ばれていますが、マリ共和国に住んでいるドゴン族の伝承は、価値のある宝物です。
 すべての人々が彼らに心から敬意を払わなければなりません。

ドゴン族神話の粗筋を整理してみると、その一三連星シリウスという星は連星であり、主星全天一明るい星シリウスAとその伴星であるシリウスBおよびシリウスCが存在する。
ドゴン族の天狼星信仰 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fsanxingduiyuqi%2Fe%2F371f70dc2921eb85c682f1fb0f4b207a
その一 三連星
 シリウスという星は連星であり、主星全天一明るい星シリウスAとその伴星であるシリウスBおよびシリウスCが存在する。

その二 目の星は小さくて重い・目に見えない・「時を決める」
 宇宙でもっとも大切な星はシリウスBである。シリウスBは主星シリウスAの軌道を決める。シリウスBは白色矮星であり、つまり、もっとも小さく、そしてもっとも重い
星である。極めて高密度な金属によって構成され、宇宙の監督者としての役目は目を見張るほどのものであって、「目の星」と呼ばれている。主星の影に隠れて、肉眼で見え
ない存在である。シリウスBは宇宙の創造の出発点でありながら、「時」を決める。

その三 水の神・両生類・魚の日・地球に戻る
 もう一つ伴星シリウスCには惑星を持つ。その惑星に棲む両生類生物は遥か遠い昔
地球上を訪れ、人類に文明を与えてくれた。ドゴン族の伝承によると、シリウス星系
は「魚の国」と呼ばれ、その「水の神」と呼ばれる両生人が地球に降り立った日は
「魚の日」とされている。そして、シリウス星人は地球人類の創造主である。必ず、将
来地球に戻って来る。

その四 五十年周期・うねる水路・一直線配列
 シリウスBはシリウスCと共に主星シリウスAの周囲を廻っている。その周期という
のは「五十」年である。この二つの星と中心のシリウスAを結ぶ線が一直線になるようになっている。シリウスBとシリウスCは決して肉眼で見えない存在である。

以上の内容は「青い狐」 「水の神」 「知の起源」にて確認できます。そして1862年シリウスBの存在は天文学者によって確認され、1995年シリウスCの存在も確認されつつあると言われています。
 これらに関する知識、特に縮退物質や白色矮星についての知識は二十世紀に入ってから解明されたものがほとんどであります。従って、同様の知識を現代科学とは無縁の人々が持っていたことは何を意味していますか。なぜドゴン族が遠く離れた恒星とその伴星に生活と宗教の基盤を求めたのでしょう。さらに、なぜ全天一明るくて目立つシリウスAをさしおいて、その陰をめぐる「見えぬ星」をわざわざ崇拝の対象に選んだのか。肝心なことはドゴン族の神話はただの神話であるでしょうか。

シリウス信仰隠蔽の謎 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fsgz02406%2F631205.html
シリウスの冬至における位置は、真南より約20度東に寄った場所。真反対の方向は真北より20度西寄りになる。この二つを結ぶ線が「聖方位」と言われているらしい。驚くことに古い文明の遺跡や都市がこの聖方位を向いているという。例えば、シュメールのジクラット神殿やバビロンの神殿、ティオワカンの太陽の神殿、他にもペルシャや中国の古い遺跡にもその特徴が見られるという。

世界中のピラミット遺跡の信仰の対象は、太陽であったと言われていた。エジプトでは太陽神「ラー」が信仰されていたとされるが、実は太陽神は、わかりやすく大衆のために、後に造られたものであって、それ以前は全て「シリウス信仰」であったという説がある。
紀元前3000年〜2000年にかけてメソポタミヤやエジプトにおいては、シリウス信仰から太陽信仰への大掛かりなシフトが行われた形跡があるらしいのです。なぜ、その信仰の対象を転換しなければならないような理由があったのでしょうか?それが大いなる謎です。

エジプト語でいわれる「イシス神」のイシスはシリウスをさすのだという。そしてイシスはシュメール語ではイナンナ、メソポタミアではイシュタ、アッカド語ではイシュタルと呼ばれ、性愛、戦い、豊穣の女神とされている「イシュタル」をさす言葉でもあるそうだ。この性愛、豊穣の女神と呼ばれる神には人類にとっての大いなる謎が隠されているような気がしてなりません。
そのイシュタルには背中に翼があり、体にはウロコがあったので、「翼を持つ女神」とも呼ばれ龍蛇神でもあったという。これが東洋の龍、西洋のドラゴンの原型であるともいわれている。

「龍」について調べていたら興味深いものがあった、それは日本語における漢字表記の「カゴ」である。竹かんむりに龍という字を当ててカゴって今まで不思議だと思っていたのですが、画像にあるように、竹で編んだカゴの目は六芒星です。これに気づいてふと思ったことがある。童謡として歌われている「かごめかごめ」は宗教的に何かを暗示して謡い次がれているのではないかな。


8708これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 04:12:30
Re: 『キングダム』嬴政 推定O-M117(O-M133)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009165M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009165_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009165_3M.jpg

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

> 贏政が呂不韋の子という説もありますが、そうだとしてもO-M117(O-M133)。呂は姜姓。
> 姜は姜姓羌人の姓。


呂不韋が出たから姜姓いこうか。
図は姜姓分布図。こんな北方に分布の中心があるのがポイント。遼河地域と重なる。

『キングダム』姜姓
桓騎将軍(秦)
斉(姜姓)王室系。

慶舎将軍(趙)
斉(姜姓)王室系。

『キングダム』ではないが『封神演義』の元祖・太公望(呂尚)もO-M117。

韓国の晋州姜氏(慶尚南道)も同様。韓国の姜姓=慶尚南道(キョンサンナム・ド)由来

ウィキ
本貫は文献上に100余本が伝わるが、系譜が明確なのは下記の7本である。皆晋州姜氏の支派である。始祖姜以式は高句麗の兵馬元帥で、隋の軍隊を打ち破った名将である。姜氏は河氏・鄭氏と共に晋州・晋陽の3大姓であり、特に河氏と共に地方の土姓である。

晋州姜氏
晋州姜氏(しんしゅうきょうし、?? ??)は、高句麗の兵馬都元帥であった姜以式将軍を始祖とする韓国の姜氏氏族で、「慶尚南道の晋州」を本貫とする。

姜尚中も晋州姜氏。O-M117認定。
1950年(昭和25年)に、熊本県熊本市で在日韓国人二世として生まれる。父は、1916年(大正5年)に当時大日本帝国が統治していた朝鮮南部の慶尚南道昌原郡南山里(現・昌原市義昌区)に生まれ…




8709これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 05:00:11
Re: 「有名人のハプロ」のネーミングは分かりやすくて良いかもね。
> 「有名人のハプロ」のネーミングは分かりやすくて良いかもね。
> Y染色体O2a2b系統(秦・西域系)
> Y染色体O2a2b1a1系(秦系)
> Y染色体O2a2b1a2系(カザフ系)
>
> でも、ワタシ的にはもっと歴史を考慮して、
> 羌族・西域系O2a2b(O-M134)
> 羌族・チベット系O2a2b1a1(O-M117)
> 鮮卑・カザフ系O2a2b1a2(O-F444)


ところで、皆さんの「西域」の 読みってどう?
私は「サイイキ」なのだけど。セイイキって読む人もいますね。

そこで、nhk放送文化研究所のサイトを見てみると、歴史的な文脈では「サイイキ」だそうです。

コピペw
「西域」は、中国人が自分たちの西方の地域や諸国を総称したことばです。狭義には現在の中国西部の新彊<きょう>・ウイグル自治区方面をさします。読み方には(1)[サイイキ](2)[セイイキ]の両方あり、辞書類の扱いをみても(1)を採るもの(2)を採るもの、両方を採るものとマチマチです。しかし、歴史・文化部門の用語としては、古くから[サイイキ]と読まれ、東洋史などの専門家の慣用的な読みは[サイイキ]です。また、同音語の「聖域」[セイイキ]との混同が避けられるということからも、「西域」を歴史的な用語として放送で使う場合には、[サイイキ]と読んでいます。ただし、現在の新彊<きょう>・ウイグル自治区方面を主にさして言う場合は、[セイイキ]と読んでもよいことにしています。
(『ことばのハンドブック』P72、P73、P99 『日本語発音アクセント辞典』P331、P336、P469、P475参照)



ちなみに、西域の範囲は?
ワタシ的には、甘粛・青海・新疆方面。中国では西域の範囲は広くなりますが、甘粛・青海・新疆より西は「西域」という感じがしませんね。
だから、甘粛あたりで起源したO-M134は西域系として良いと思います。


8710これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 06:09:49
Re: 『キングダム』嬴政 推定O-M117(O-M133)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009167M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009167_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009167_3M.jpg

> 呂不韋が出たから姜姓いこうか。
> 図は姜姓分布図。こんな北方に分布の中心があるのがポイント。遼河地域と重なる。
>
> 『キングダム』姜姓
> 桓騎将軍(秦)
> 斉(姜姓)王室系。
>
>??慶舎将軍(趙)
> 斉(姜姓)王室系。
>
> 『キングダム』ではないが『封神演義』の元祖・太公望(呂尚)もO-M117。
>
>


あ、姜姓と言えば、羌瘣ちゃんも。女性で蚩尤という設定。
姜燕も。
山の王・楊端和もO-M117(マンガでは女性)。



8711これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 09:03:19
辰国と北に接していた濊貊語が日本語に関係する可能性はどうか。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009168M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009168_2M.jpg

辰国と北に接していた濊貊語が日本語に関係する可能性はどうか。

濊貊語は夫余語つまり朝鮮語族に属す。
したがって、辰国や辰韓、古新羅の言語が朝鮮語族であった可能性はない。

江上は、扶余語をツングース語と見なし、日本語もそうであるとするが、扶余語=朝鮮語族も日本語もツングース語ではない。

日本語は、当然に、アルタイ諸語でも扶余語でもない、「日本=チベット・ビルマ語族」である。

ウィキ
濊貊語(わいはくご、かいはくご)とは紀元前数世紀に満州、朝鮮半島北東部に居住していた濊貊によって話されていた言語である。中国の史書には、夫余の出自が濊とみられる記述があり、また貊を高句麗の別名または別種と記していること、濊の言語は夫余と同じ[1]と記されることからも、濊貊語は扶余諸語に含まれることはほぼ間違いないが、言語についての詳しいことはよく分かっていない。
[1]『後漢書東夷伝』『三国志東夷伝』

Ye-Maek (???; 濊貊語), also known as Yemaek and Maek, is a Koreanic language of Manchuria and eastern Korea north of Silla spoken in the last few centuries BC. It is possibly ancestral to both Koguryoic and Han languages.[1]

The Yemaek people had historical ties to later Korean kingdoms and may have been ancestral to several, such as Gojoseon; the Ye of Yemaek are reported to have been a synonym for Buyeo and the Maek for Goguryeo. Their language may have been one of, or ancestral to, the Koguryoic languages.

Evidence for the language is limited to toponyms, and its existence is questionable. Attempts at recovering Yemaek words from toponyms in the Samguk Sagi historical record are disputed.[2]



8712バカ2の原人:2019/08/24(土) 09:42:57
牙人のギルド(行)牙取…差益(佐伯?)
牙行(がこう)とは、近代以前の中国における仲買業者のこと。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
手数料を徴収していた[1]。明清時代にはこうした手数料を牙銭・佣銭と称され、取引額の2-3%を双方から徴収していた[2]。

国造  造 “ミヤツコ”はヘブライ語で「代表者」?? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4202
古代ヘブライ人はサハラの東「カナン」に着くのです。「カナン」とは、「CNNE-NAA」の合成語と考えられ「葦原」を意味します。
「カナン」
河南省
開封のユダヤ教徒は、現在の中華人民共和国河南省開封市に数百年間存在した ユダヤ人(ユダヤ教徒)のコミュニティー。
開封のユダヤ人 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E9%2596%258B%25E5%25B0%2581%25E3%2581%25AE%25E3%2583%25A6%25E3%2583%2580%25E3%2583%25A4%25E4%25BA%25BA
19世紀後半〜20世紀初め頃の開封のユダヤ人
開封のユダヤ教徒は、現在の中華人民共和国河南省開封市に数百年間存在したユダヤ人(ユダヤ教徒)のコミュニティー。現代の中国ではユダヤ人を中国語で 犹太(簡体字)・猶太(繁体字)(地名「ユダヤ」 ???????? の音訳)と呼ぶが、 周辺の漢民族からユダヤ教は挑筋教とも呼ばれていた。これは、「腱を取り除く宗教」という意味で、ユダヤ教の食事規定カシュルートで動物の大腿の腱を食べてはいけないと規定されていることに由来する。
艾牧(かり まき)。…

ユダヤ人は皇帝から 艾、石、高、金、李、張、趙 の7つの姓を授けられた。
稲 負鳥 藍帽回回 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F3581
牙鳥←これを一文字にすると何て読むんですか? - 鴉ですか?カラスです ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1420364534
牙行(がこう)とは、近代以前の中国における仲買業者のこと。 古代中国では牙儈(が かい)・駔儈(そうかい)、唐宋では牙人(がじん)・牙郎(がろう)と呼ばれていた。「牙行」 の名称は五代に成立した牙人のギルド(行)に由来し、元明に入り、牙行をの構成員で ある ...
キバ
ユダヤ人はいつもキバと呼ばれる青い帽子 をかぶっているので /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.ekaifeng.gov.cn%2Fjannews%2Fdetail_2012_08%2F05%2F468.html
今から約千年前の北宋時代にユダヤ人の一部は当時のローマ帝国からの被害を避けるためにシルクロードに沿って、様々な苦難を乗り越えて当時の都−東京(現在の開封に到着した。彼らは当時の皇帝を拝見し、故郷から持ってきた宝石等のお土産を献上した。当時の皇帝から「帰我中夏、遵守遺風、留遺べん梁」との許可をもらったと同時に石、高、艾、李、張、趙、金等の漢民族の名前を賜れた。
この烏帽子のカラスは 、天から舞い降りたカラス、すなわち八咫烏(ヤタガラス)なのです。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fnatural9905%2Fe%2F3785f81eac2a82af01ea6a0642e6fa99
クロノスの像は カラスを従えていたという話がありますがそれは事実でしょうか? またクロノスの語源は 『カラス』を意味する『corone(ギリシャ語)』や『Corvus』なのでしょう ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fclsoc.jp%2FQA%2F2013%2F20130122.html
クロー. claw. 英語で爪のこと。 鉤爪(かぎづめ)、または鉤爪状の器具など。
爪牙の用語解説 - 1 つめと、きば。転じて、人を傷つけ、また脅かす もの。魔手。「爪牙をとぐ」2 主君や国家を守護する家来。主君の手足となって働く家臣。 「爪牙の臣」「爪牙耳目」
爪牙 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F%25E7%2588%25AA%25E7%2589%2599-551865

趙(ちょう)は、漢姓の一つ。『百家姓』で最初の姓である。同時に秦・趙の氏でもある。秦の遠祖は嬴姓(中国語版)であったが、秦の直接の祖である非子(中国語版)は趙氏を名乗っていた[1]
英文表記 Jo, Cho, Cao, Joe, Joh, Jou
皇族に関しては姓名で呼ばれることが多い人物のみを記す。
・・・・
趙鼎 - 後唐から新羅に渡来した。
趙之寿 - 中国から高麗に渡来した。

金(きん、キム、朝: ? )は、朝鮮人の姓の一つ。朝鮮最大の姓である。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
英語表記:Gim, Kim, Kym, Geem, Keem
現在使われている朝鮮人の姓は286種類である。最も一般的な朝鮮人の姓(特に韓国)は金であり、李と朴、崔、鄭がそれに続く。この5つの姓が朝鮮民族の人口の半数を占める。

インドと中国のユダヤ人
第1章:アジアのユダヤ商人 ─ 「陸のシルクロード」と「海のシルクロード」
ユダヤ商人は紀元前数百年の昔から、中央アジア、メソポタミア、トルキスタン、サマルカンド、チベット、インドなどに多数居住しており、東洋にも中国・漢の全盛時代に、すでに入り込んでいる。
そして6世紀には、山西省にユダヤ人は数ヶ所のユダヤ教の教会を持つに至っていた。唐の時代にはユダヤ人の宗教は危険であるとされ、9世紀の中頃、広東で4万人のユダヤ人が殺されたといわれている。
逆に、元朝はユダヤ人を厚遇した。
フビライの宮廷には、ヴェニスの商人、マルコ・ポーロが長年逗留していた。13世紀のころ、北京にやってきたマルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で、「中国東部の開封には大いに栄えているユダヤ人社会が存在していると聞いた」と記している。
(※ マルコ・ポーロはユダヤ人だったとの説があるが、真偽のほどは定かではない)。

開封のユダヤ人
開封のユダヤ教徒は、現在の中華人民共和国河南省開封市に数百年間存在したユダヤ人(ユダヤ教徒)のコミュニティー。現代の中国ではユダヤ人を中国語で 犹太(簡体字)・猶太(繁体字)(地名「ユダヤ」 ???????? の音訳)と呼ぶが、 周辺の漢民族からユダヤ教は挑筋教とも呼ばれていた。これは、「腱を取り除く宗教」という意味で、ユダヤ教の食事規定カシュルートで動物の大腿の腱を食べてはいけないと規定されていることに由来する /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
明代(1368年-1644年)には、ユダヤ人は皇帝から 艾、石、高、金、李、張、趙 の7つの姓を授けられ、これらは今日でも見識することが出来る。これらの姓は本来のユダヤ人の氏族の姓 Ezra, Shimon, Cohen, Gilbert, Levy, Joshua, Jonathan をそれぞれ中国風にしたものであるという[2]。面白いことに、これらの姓の内の2つ石と金は、西欧のユダヤ人の姓に多く見られる Stone (Stein) やGold と一致している[3][4]。

DNAのハプログループD、Eが本物のユダヤ人であると言われています。
そして本物のユダヤ人が偽物のユダヤ人によって狙われて乗っ取りが狙われています。
本物のユダヤ人は日本人(311の人工地震)、キルギス、チャン族(四川人工地震)
中国の支配者層側の裏にいる偽ユダヤ人によって迫害されているチベット、ウイグル
トルコ、台湾の少数民族、スファラディユダヤ人
偽イスラエルにより虐殺されているパレスチナ人
シリア、リビア、イラクなども本物のユダヤ人であるスファラディユダヤ人の土地です。だから空爆、侵略などが偶然を装われて行われてきたのでしょう。
イエメン空爆されているイエメン、南スーダンなどもそうかも知れません。
スファラディユダヤ人が偽イスラエルに帰還した地図をこの前見ましたが、それらの国から帰還している人が多いと分かりました。
全員が帰還したとは考えられないのでそういう国に本物のユダヤ人であるスファラディユダヤ人が多いのでしょう。
偽イスラエルの一級市民は偽ユダヤ人で二級市民とされているのが本物のユダヤ人のスファラディユダヤ人です。
本自体は読んでないですが、「アメノウズメ中級編の13ヒトラーのホロコーストと自決」のコメント欄でこの本の作者のことが書いてあったので見に来ました。
気になるトピックのレビューを読もう
ナチスはアシュケナージユダヤ人(偽ユダヤ人)の集まり ホロコーストを捏造し被害者ぶって古代イスラエルとは別物の偽イスラエルを建国 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F

薛 セツ・かわらよもぎ・はますげ  艸部 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F7da6711e1d41532b2239276291437ac7
解字 篆文は「艸(くさ)+辥(セツの音)」の形声。この字は「艸+屮+?+辛」であるが、隷書レイショから辥の屮がとれた薛になった。草冠があるので、セツという名の、かわらよもぎ・はますげなどの草を指す。
意味 (1)かわらよもぎ。キク科の多年草。 (3)はますげ。カヤツリグサ科の多年草。 (3)国名。姓。「薛国セツコク」(古代中国の山東省にあった国)
国名。姓。「薛国セツコク」(古代中国の山東省にあった国)…

、薛珝(薛ク)は孫晧の父の孫和の寝殿の建設を命じられ、出来上がった寝殿に孫晧は清廟と名付けた。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdic.nicovideo.jp%2Fa%2F
蜀漢が滅び、晋の将軍となった霍弋が交趾に楊稷・毛炅・董元らを派遣して、呉の大都督の脩則や交州刺史の劉俊を戦死させると、大都督に任命された薛珝(薛ク)が虞汜や陶璜(陶コウ)をつれて、吾彦が溜息をつくほどの立派な陣容で出撃した。

薛礼 - 後漢末の武将・政治家。 薛綜 - 三国呉の武将。孟嘗君(田文)の後裔。 薛道衡 - 北斉から隋にかけての文学者。 薛挙 (中国語版) - 隋末唐初に割拠した群雄の一人。 薛収 - 唐の文学者、政治家。 薛仁貴 - 唐の軍人。
著名な人物 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
薛礼 - 後漢末の武将・政治家。
薛綜 - 三国呉の武将。孟嘗君(田文)の後裔。
薛道衡 - 北斉から隋にかけての文学者。
薛挙(中国語版) - 隋末唐初に割拠した群雄の一人。
薛収 - 唐の文学者、政治家。
薛仁貴 - 唐の軍人。
薛稷 - 唐の書家、画家。
薛濤 - 唐の詩人。
薛居正 - 北宋の歴史家。
薛岳 - 中華民国の軍人。

田文は父の跡を継ぎ薛の領主となります。さて田文が薛の当主になった頃、斉の西方にある国が彼に目を付けます。その国は秦です。キングダムで有名になった秦王政の曽祖父である昭襄王は田文の名声を聞き、弟を斉へ人質に出し、宰相に迎えようと使者を送ります。田文は昭襄王の求めに応じ、秦へ行こうとしますが、食客に止められます。しかし、斉王である湣王(びんおう)が「田文よ。秦に行け」と命令。田文は斉王の求めに応じて、秦へ向かいます。
秦の宰相・田文 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fhajimete-sangokushi.com%2F2016%2F01%2F29%2Fpost-9057%2F%23i-2

姓は?、氏は田、諱は文。号が孟嘗君である。斉の威王の孫に当たる [1]。
中国 田(でん)は、中華圏の姓の一つ。 田氏は ? 姓 (中国語版) で、舜の末裔とされる。武王が西周を建国すると、舜の末裔である ? 満(胡公)を陳侯に封じた。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
田(チョン、韓国語: ?, ラテン文字転写: Ch?n)は、朝鮮人の姓の一つである。本貫は142個。2000年の大韓民国の国勢調査による人口は、同じ発音(?)である全・銭と氏合わせて687,867人。
田(でん)は、日本人の姓の一つ。
丹波国の豪農であった家系が著名である。

『丹波国 田村史料』 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.senshu-u.ac.jp%2F%7Eoff1009%2FPDF%2Fnishikawa_43.pdf
丹波国比田村の出身
江戸前期の大坂の豪商。丹波国比田村の出身で,大坂に移住して豊臣秀吉,秀頼の近習として仕えた比田三太左衛門の養子。
薩摩屋仁兵衛(初代)(読み)さつまや にへえ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
近世大坂の代表的上層町人といえる。

〉姓は?、氏は田、諱は文。号が孟嘗君…
舜 舜(?、しゅん)は中国神話に登場する君主。五帝の一人。姓は姚(よう。子孫は?水のほとりに住み?(き)を姓とした) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fhowlingpixel.com%2Fi-ja%2F
舜(?、しゅん)は中国神話に登場する君主。五帝の一人。姓は姚(よう。子孫は?水のほとりに住み?(き)を姓とした)、名は重華(ちょうか)、虞氏(ぐし)または有虞氏(ゆうぐし)と称した。儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ばれて聖人と崇められた。また、二十四孝として数えられている。瞽叟の子。商均の父。
陳の陳氏の祖とされ、陳からわかれた田斉の祖でもある。
ちなみに白川静は舜は元々帝嚳の事であって殷の始祖とされていたと言う説を挙げている。

物部氏はちまたで密かに言われるように中国秦王朝の徐福が連れて来日したのかそれとも江南より呉音霊の祭祀者として来日したのか今後もう少し調査が必要だと感じている。
あるブログに物部の由来について物部=牛を拝むこと勿れの意味があるということが記載されていた。ユダヤ教に付会させようとするとそう捉えた方が都合がいい。
物部=牛を拝むこと勿れ…
聖牛ミトラの弥勒信仰で、牛を拝むことを禁じる物部氏には受け入れられない。しかし、物部氏の祖先は牛頭天王のモーセでこちらも牛。…
小姉君はモーセの妻チッポラ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fefraym%2Fd%2F20180628
…モーセの血統は祭司向き。しかも、レビ族はヤキンという人物を排出するくらい金属精錬に強かった。それで、アロンの祭司より早く日本に来て基盤を作り、まず青銅器で出雲を支配して大国主命を出した。中央では製鉄で武器を作り、石上神宮を建てて物部氏となった。
ところが、南ユダ王国の末裔が新羅(新ローマ)経由で日本に来ると、ユダ族に付帯したアロン系の祭司である秦氏に国譲りを迫られた。大国主の国譲りとは、旧約聖書のモーセ系祭司の物部氏が、新約聖書のアロン系祭司の秦氏に国家祭司を譲ったことを意味するのです。
仏教を巡る物部氏と蘇我氏の対立も、日本書紀に書かれるような内容ではなかったと僕は思っています。なぜなら、聖徳太子の信仰したのはミトラ教(弥勒信仰)で仏教ではなかったからです。
ミトラ教は牛を拝み、また燔祭として捧げる。これが、モーセ系の牛を拝むことを禁じる物部神道と対立することになる。物部氏と蘇我氏+聖徳太子の対立は、廃仏派と崇仏派の対立ではなくて、牛を拝むミトラ教と牛を拝まないモーセ系の対立だった。日本書紀は意図的に歪めているのです→聖徳太子ゆかり太秦広隆寺の牛祭。
さて、聖徳太子の父・用明は首字音訳でイエスの父ヨセフ。同じく聖徳太子の母・穴穂部間人はマリア。聖徳太子自体は厩戸皇子でイエスという構図になっています。これは、ミトラ=弥勒の救世主教の聖徳太子では、日本書紀の都合が悪かったからです。なぜなら、日本書紀は唐に見せるために書かれたもので、それで唐で公認された景教(ネストリウス派キリスト教)の救世主に聖徳太子を重ねて描写するしかなかった。ミトラ教の聖徳太子は抹殺されたのです。
・・・


8713秦野北斗:2019/08/24(土) 10:38:25
Re: 辰国と北に接していた濊貊語が日本語に関係する可能性はどうか。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009170M.jpg

https://tokyox.sakura.ne.jp/wordpress/『唐会要』倭国・日本国伝/



8714バカ2の原人:2019/08/24(土) 12:56:44
Y染色体ハプログループQ系統
〉ユダヤ人は皇帝から 艾、石、高、金、李、張、趙 の7つの姓を授けられた。
Q1b1 (M378)  ハザーラ人、ウイグル人、[34] イラン、ユダヤ人[35][36]。

趙王・闊里吉思 ハプログループQ(Q-M242)である
ハプログループQ* (Q-M242*)
漢代・北匈奴の王庭附近墓地出土・古人骨
漢代北匈奴の夏の王庭から出土した複数の男性古人骨を解析した結果、それぞれハプログループQ*(Q-M242*)、ハプログループQ1a*(Q-MEH2)、ハプログループQ1b1(Q-M378)であることが明らかとなった(注1)。これらは、2007年9月に中国・新疆ウイグル自治区バルコル県の東黒溝遺跡から発掘された古人骨に基づく解析結果である(注2)(注3)(注4)。
注1)呉偉榮『匈奴、孔子、曹操的基因』(2015年秋)
注2)新疆哈密地區巴里坤-?溝梁墓地的發掘, 被認爲是漢代匈奴夏季王庭所在地, 墓地人類遺骸檢測出全是Q類型: Q1a*, Q1b, Q*。 後來的研究表明,還存在幾例Q-M3, 即印第安人的主要類型之一。
注3)中国通信社『新疆東黒溝遺跡は北匈奴の夏の王庭、専門家が初歩的認定』(2007.9.16)によれば「(中国通信=東京)ウルムチ2007年9月16日発新華社電によると、新疆ウイグル自治区文物局と考古研究所は先ごろ、現在発掘、整理中のバルコル県東黒溝遺跡は中国最大の古代遊牧民族の集落跡であるだけでなく、漢代北匈奴の王庭と初歩的に認定されたと発表した。西北大学文化遺産・考古研究センター、新疆ウイグル自治区考古研究所、ハミ地区文物局は昨年から、バルコル県東黒溝遺跡について2年連続の考古学発掘を進めている。これまでに石で築いた高台1基、石で囲んだ住居の土台4基、墓12基が発掘され、大量の岩画が発見され、少なからぬ土器と銅器が出土した。発掘作業の推進者の一人、西北大学考古学科主任の王建新教授は出土文物の真剣な考証を行うとともに、詳細な歴史資料を参照した後、遺跡の年代が最も古くて、戦国晩期から西漢初期に遡ることを確認した。遺跡は同時に、当時強大な匈奴が月氏を打ち破り、この地域を占拠したという史実を証明している。東黒溝遺跡の規模を基に、王教授はこれが北匈奴の夏季の王庭であることを確認した。また、早くもシルクロード開通以前に、東・西洋の各民族間の交流、融合がすでに始まっていたとみている。小河墓地考古学研究の発起人、新疆ウイグル自治区考古研究所所長の伊弟利斯教授は次のように話している。中国で古代遊牧文化の大型集落跡の総合的考古学研究が行われるのは初めてであり、東黒溝遺跡の発見と研究は、古代遊牧文化の社会・経済形態の探求、特に漢代の匈奴と月氏両民族の文化の研究に、非常に重要な最新資料を提供している」とある。
注4)ISOGG Tree(ver.10.79)による表記。原文ではISOGG 2008による旧表記で各々「Q*(Q-M242*)」、「Q1a*(Q-MEH2*)」、「Q1b(Q-M378)」である。

趙王・闊里吉思
元代・オングート(白韃靼)の王で、趙王・闊里吉思(   -1298)のY染色体は、ハプログループQ(Q-M242)である(注1)(注2)。これは、梳?楼墓地にあるオングート高唐王・闊里吉思の遺骨を鑑定した結果による。
闊里吉思は、クビライ(忽必烈)の皇太子・チンキム(真金)の娘、忽答的迷失を娶リ、後にはテムル(成宗)の娘、愛牙失里を娶った。1292年、元の成宗は、闊里吉思を高唐王に封じた。1305年、「趙王」の号を追封され「駙馬高唐忠献王碑」が建てられた。この結果により闊里吉思と同祖で、テュルク系民族の突厥沙陀族出身である後唐の始祖・李克用もまたハプログループQ(Q-M242)であったと推定されている(注3)。

寧夏・彭陽県出土、東周時代貴族人骨
中国・寧夏回族自治区彭陽県から出土した東周時代の貴族の古墓を調査した結果、総ての男性の遺体からY染色体ハプログループQ1a1a1(Q-M120)が検出された(注1)。遺体の傍らには青銅の剣が安置され、東周時代の貴族階級の人々であったとされる(注2)(注3)。

Y染色体ハプログループQ1a2系統
殷・帝辛紂王
古代中国・殷の末代王である帝辛紂王(在位:BC1075-BC1046)のY染色体は、ハプログループQ1a2(Q-M346)であると推定される(注1)(注2)。

Y染色体ハプログループQ1b系統
ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー(大量破壊兵器の開発者)
ユダヤ系アメリカ人の理論物理学者で、原子爆弾(大量破壊兵器)開発の指導者的役割を果たした、ジュリアス・ロバート・オッペンハイマーのY染色体は、ハプログループQ1b(Q-L275)である(注1)。
オッペンハイマーは、ユダヤ系アメリカ人の物理学者である。理論物理学の広範な領域にわたって国際的な業績をあげたが、第二次世界大戦当時ロスアラモス国立研究所の所長としてマンハッタン計画を主導。卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発プロジェクトの指導者的役割を果たしたため「原爆の父」として知られる。オッペンハイマーの父は、ドイツ生まれ。17歳でアメリカに移民したジュリアス・オッペンハイマーで、母は東欧系ユダヤ人の画家のエラ・フリードマンである。オッペンハイマーの開発によって世界の悲劇が始まったと言われている。

ハプログループQ (Y染色体)(ハプログループQ (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup Q (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、「M242, P36.2, MEH2」のSNPの変異によって定義されるグループである。
アメリカ先住民の Y 染色体ハプログループのほとんどはQ系統が占める。Q はイラン付近で17000-22000年前[1][2]または31,400年前[3]に発生したと考えられ、その後中央アジア、アルタイ山脈北辺を通り、北シベリアのステップでマンモスなど大型哺乳類を狩りながら移動し、アメリカ大陸に移住していったと思われる。Q のホームランドに近いアフガニスタンのパシュトゥーン人では Q*が16%観察され[4]、中央シベリアのケット人でQ系統が90%以上を占める[5]など、道中に足跡を残してはいるが、ユーラシア大陸では総じて低頻度である。しかしアメリカ大陸(先住民)において大いに繁栄している。アメリカ先住民にはその他 C2,R1 なども見られるが、Q系統が圧倒的である。
日本人には1%以下のごく低頻度で観察されている[6]。
アメリカ大陸
南アメリカの先住民:91%[7]
北アメリカの先住民:77.2%[8]
ユーラシア大陸
ケット人:93.7%[9]
セリクプ人:66.4%[10]
トゥバ人:38%[11]
ユカギール人:31%[12]
Q (M242)
Q* インド,パキスタンに低頻度.[13] アフガニスタンのパシュトーン人の16%(Q-M242 xMEH2, xM378).[14]
Q1 (P36.2, L232/S432, L273 y L274)
Q1*  イランに低頻度.[15]
Q1a (MEH2, L472, L474 y L528)
MEH2*  4.000-5.500年前のグリーンランドのen:Saqqaq,[16] コリャークの約10%.[17]
Q1a1 (F1096, F1215, F1251, F3243)
Q1a1a (NWT01/F746)  グリーンランドのイヌイットで46%.イヌイットで最もよく見られる型[18]。エスキモー・アレウト語族
Q1a1a1 (M120, M265/N14) (旧 Q1)  日本人、漢民族、回族、朝鮮民族、モンゴル人、ウイグル、サラール族、チベット人、ブータン、ナシ族、モン族 (Hmong)、キン族、ムルット族など、中央アジア・東アジア・東南アジアに広く分布する。[19][20][21]
Q1a1b (M25, M143) (旧 Q2)  イラン、レバノン、トルコ、シベリアとモンゴルでもみられる
Q1a2 (M346, L56, L57) (旧 Q6 y Q4)  インド、チベット人、パキスタン、サウジアラビア、UAEで僅かにみられる。[22] ハンティ人、[23]、カザフ人[24]にもみられる。
Q1a2a (L53, L55, L213)
L53*:  アルタイ地域北部、モンゴル
Q1a2a1 (L54):  アメリカ先住民とヨーロッパ、北アジア[25]. アメリンド大語族、デネ・エニセイ語族
L54*:  アメリカ先住民においてQ-M3に次いで高頻度.[26]
Q1a2a1a (CTS11969)
M1107/CTS3814
Q1a2a1a1 (M3/DYS199, L341.2) (旧 Q3)  アメリカ先住民で高頻度。15000年前に誕生。チュクチ族、シベリアンエスキモー、コリヤークでもみられる。[18] [27][28]
Q1a2a1a2 (L804):  ヨーロッパ (ゲルマン系)[29]
Q1a2a1b (Z780)  アメリカ先住民 [25]
Q1a2a1c (L330, L334)  ケット人、セリクプ人。ヨーロッパ、アルタイ地域南部、モンゴルでもみられる。 エニセイ語族
Q1a2b (Y2659)
L940:  ヨーロッパ、中央アジア、ロシアなど[30]
L527  ヨーロッパ
Z5902:  スリランカ[31]
Q1a2c (M323) (旧 Q5, Q6, Q4, Q1a6) イエメンのユダヤ人に15%[32]
P89.1  北米先住民に僅かにみられる[18]
ss4bp (旧 Q5, Q7)  インド[33]
Q1b (L275)  中央アジア、アフガニスタン、南アジア、東欧、中央タタール人
Q1b1 (M378)  ハザーラ人、ウイグル人、[34] イラン、ユダヤ人[35][36]。


8715バカ2の原人:2019/08/24(土) 13:23:15
「たたら」とは,タタール族が語源
タタール人を「夷(イ)」 と呼び,彼らが造る「てつ」を表 したようです.鉄を伝えたタタール
[PDF]「鉄」のつぶやき - 株式会社IHIhttps://www.ihi.co.jp/var/ezwebin_site/storage/original/application/71810c911d933c8b63f49c1448fc059c.pdf
鉄の利用は,紀元前 3500 年ごろ,隕 いんせき 石の中で遊離した 鉄(隕鉄)や,地表に露出した鉄鉱石が山火事によって 変化した鉄を人類が発見したことが,はじめとされていま す.地中海のクレタ島に住む人が使い始め,紀元前 1500 年ごろ,クレタ島近くのアナトリア半島(現トルコのア ジア部分)のヒッタイト帝国に広がり技術的な整備が行 われ,国家として製鉄を始めたといわれています.
西洋で鋳鉄が造られるようになったのはずっと遅れて 15 世紀で,中国の技術が西欧に逆輸入されたともいわれ ています.日本へは,弥生時代の紀元前 200 年ごろ,青 銅器とともに鉄器が伝来し,西暦 400 年ごろには,北 九州,中国,大和地方で初期の「たたら吹き」製鉄が始 まりました.この「たたら」とは,タタール族が語源と なっています.

中国では「銕」と漢字表記になり ました.タタール人を「夷(イ)」 と呼び,彼らが造る「てつ」を表 したようです.鉄を伝えたタタール 人のタタールとは地獄を意味する タルタルスに由来し,地獄のような 火造りの凄 すさ まじさも表現していると いわれています.
鐵の右側の字体は,鉄を黒金 と読むように黒の意味をもち,呈 (まっすぐ)に戈る(切る)を組 み合わせた合体文字です.タター ル人の造る錬鉄より,中国で開発していった「新素材」と いえる鋳鉄は高性能でした.それを誇示する意味で「鐵」 表記されたと想像すると楽しいですね.

鐵の右側の字体は,鉄を黒金 と読むように黒の意味をもち,呈 (まっすぐ)に戈る(切る)を組 み合わせた合体文字です.タター ル人の造る錬鉄より,中国で開発していった「新素材」と いえる鋳鉄は高性能でした.それを誇示する意味で「鐵」 表記されたと想像すると楽しいですね.

オイラト(Oirad、Oyirad、瓦剌、衛拉特)は、モンゴル高原の西部から新疆の北部にかけて居住する民族。
オイラト人と呼ばれる人々は、15世紀から18世紀にモンゴルと並ぶモンゴル高原の有力部族連合であった、オイラト族連合に属した諸部族の民族である。彼らは近代中華人民共和国、モンゴル国の一部になった後、モンゴル民族の一員とみなされている。ロシア連邦ではカルムイク人と呼ばれ、独立した民族とされている。現在の人口はおよそ20万人から30万人。 内モンゴルなどで使われるモンゴル文字よりも明確に音をしめすトドノムという文字を持っている。 その歴史については東京外大アジア・アフリカ研究所の宮脇淳子のいくつもの著作に詳しい。 新疆・新疆ウイグル自治区のオイラートについては1970年代のNHKのシルクロード取材班が短い報告をなしている。 それよりも新しい日本語での文献も無いではない。トルファン市内とカシュガル市を繋ぐ南疆鉄道が通りその駅もあるバルゴンタイ・巴論台の街にオイラート・モンゴル人の民族中学校やバザールがありモンゴル人の賑わいがあった。バルゴンタイの東の遊牧民の村オリアスタイ・ツァガーン牧場・前進牧場とそのまた東のシャルガンゴル大隊・夏尓溝村に1986年の夏に非合法取材をかけた日本人のルポが1990年の朝日ジャーナルノンフィクションコンテストの佳作に入ったがワープロ本として少部数のみ古書で流通している[1]。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
オイラト族のクドカ・ベキ家は、13世紀を通じてコンギラト部族などと並ぶ、チンギス・カン家の主要な姻族となった民族である。クドカ・ベキ自身はその後、トルイの右翼軍の幕僚となったが、イナルチとトレルチという2人の息子がおり、その妻としてチンギス・カンは、イナルチにはバトゥの姉妹コルイ・エゲチを与え、トレルチにはボルテとの間に儲けた第2皇女チチェゲンを降嫁させている。モンゴル帝国の最後のイラン総督であったアルグン・アカも、クドカ・ベキ家ではないがオイラト部族の出身であった。
グーシ・ハーンのチベット征服[編集]
17世紀のオイラトは、モンゴル高原の西部からアルタイ山脈を経て東トルキスタン北部のジュンガリアにかけての草原地帯に割拠し、ホシュート部族が有力となっていた。
1630年頃の内紛の後、ホシュート部の首長となっていたグーシ・ハーン(トゥルバイフ)は、帰依していたダライ・ラマの宗派ゲルク派がチベットにおいて政治的に危機に陥っているのを救うという名目で、1636年にオイラト軍を率いて出動、1637年初頭、チベット東北部のアムド(現青海省)を制圧、その後ラサに上ってダライ・ラマ5世より「シャジンバリクチ・ノミン・ハン、テンジン・チューキ・ギャルポ」の称号を授かった。オイラト各部の首長たちはチンギス・カンの子孫ではなかったためハーンになることができず、従来は全オイラトを統べる実力者であってもタイシ(中国語の太師)などの称号を名乗っていたが、グーシ・ハーン以後、時代ごとに、オイラトの有力指導者の一人にダライ・ラマがハーン号と印章を授けるという手続きを経て、ハーンを名乗ることができる慣例が生じた。
グーシ・ハーンは1638年より1639年にかけ、傍系の兄弟たち、オイラト各部の首長家の傍系者らをその配下とともに呼び寄せ、彼らを率いて残るチベット各地の征服に乗り出した。グーシ・ハーンの軍は1642年までにチベットの大部分を制圧、ホシュート本領は兄の子で正統継承者のオチルト・ハーン(中国語版、ロシア語版、英語版)に譲り、チベットにおいてグシ・ハン王朝を樹立した。グーシ・ハーン率いるオイラト軍はアムドを主としてチベット各地に配置されたが、彼らのうちアムドに居住する者たちがのちに青海モンゴル族と呼ばれるようになった。また、一部のオイラト部民はラサ北方100キロ付近のダム地方に移り住み、グーシ・ハーン王家に仕える直属部隊となったが、これらの人々の後裔がチベットのオイラト人として現在も続いている。

ダライ・ラマによるオイラトの首長に対する称号と印章の授与


8716弓張月:2019/08/24(土) 14:38:54
東国三社と冬の三角形(続き)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009173M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009173_2M.jpg

お久しぶりにおじゃまします。
今日、佐竹物部氏の居城跡の一部の発掘調査の現地説明会がありました。
その資料です。

次の投稿ホームに続きます。






8717弓張月:2019/08/24(土) 14:51:45
東国三社と冬の三角形(続き)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009174M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009174_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009174_3M.jpg

http://weekly-nagano.main.jp/2012/04/135.html



8718秦野北斗:2019/08/24(土) 20:23:11
Re: 東国三社と冬の三角形(続き)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009175M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=EfNfw_XWrdo



8719これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 21:30:39
Re: 辰国と北に接していた濊貊語が日本語に関係する可能性はどうか。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009176M.png

秦野北斗さんへのお返事です。

> これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
>
> コピペはいかんぞ、過去に『唐会要』倭国・日本国伝を信じたが、今見ると大間違い・・・
> 信じた秦野はアホです。しかし、同じにしたくないが、AI君も負けないな・・・
>


諸君バカD原人2’3と一緒にしてもらっちゃ困る。

『後漢書』は正史だ。
濊貊語については、それ以外に情報がほとんどない。
濊貊語は朝鮮語族。それを信じるしかない。

新羅語もおそらく朝鮮語族に属する。
その前の言語については分からない。朝鮮語族であれば日本語と関係ない。
別の言語かもしれない。しかし、「前新羅語」(新羅語の基層)は高句麗語や百済語など朝鮮語族とは異なるというのが大方の見方だ。

チベット・ビルマ語の「パラ言語」的なものか、非系統的・「ゴミ箱」的な古シベリア諸語。
古シベリア諸語と日本語の系統関係を言う文献はない。
関係があってもニヴフ語との一部の文法の類似にとどまる。

秦人O-M117すなわち戎=羌族(秦は寿〔戎〕なり〔『公羊伝』〕)として認識されていたO-M117辰人の言語「辰語」が日本語というのは十分にありうる。
朝鮮半島東側ではO-M117の比率が高い。
O-M117
全国平均5%。
長崎=10%、岡山=8%、宮城=10%。




8720これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 22:18:57
Re: 高句麗の始祖王 朱蒙の旗印は 「 八咫烏 」…
バカ2の原人さんへのお返事です。

> 朝鮮の「天孫降臨」の「檀君神話」では「コム 熊」は「聖なるもの」「神」とされている。高句麗の始祖王 朱蒙の旗印は「八咫烏」である。
>

あはは。おっかしー。笑

【熊(* ̄(エ) ̄*)】
・チベット語:dom
・ギャロン語:t?-gom、t?-goŋ(ギャロン語はチベット・ビルマ語の化石と呼ばれる東チベットの言語。t?-は接頭辞)
・韓国語:?(gom)
・日本語:kuma

オマケに他の対応例:
チベット語:s-domー日本語:kumo(蜘蛛)、s-は接頭辞。
チベット語:domー日本語:kumo(雲)

分かるかな?
複数の語で同じ対応が見られるってのが重要。こんなの他の言語との比較じゃ見つからない。
チベット語dとギャロン・日本・韓国語g/kが対応しとるでっしゃろ?(チベット語d-はギャロン語接頭辞t?-が残ったとも考えられる)

ギャロン語r?’gu(石)はチベット語r-doに対応します。r-は接頭辞。
ちなみに、朝鮮語「石」はdol。

8721これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/24(土) 22:25:47
Re: 「有名人のハプロ」のネーミングは分かりやすくて良いかもね。
> 「有名人のハプロ」のネーミングは分かりやすくて良いかもね。
> Y染色体O2a2b系統(秦・西域系)
> Y染色体O2a2b1a1系(秦系)
> Y染色体O2a2b1a2系(カザフ系)
>
> でも、ワタシ的にはもっと歴史を考慮して、
> 羌族・西域系O2a2b(O-M134)
> 羌族・チベット系O2a2b1a1(O-M117)
> 鮮卑・カザフ系O2a2b1a2(O-F444)
>
> ちなみに、中国のサイトだとO-M134は「華夏族」、O-M117は「秦・蔵緬」としています。


正確には、中国サイトではO-M117も華夏、そのサブ・グループで現在ほとんどこれしか残っていないO-M133が秦・蔵緬とされている。

8722バカ2の原人:2019/08/24(土) 23:14:46
Re: 東国三社と冬の三角形(続き)
秦野北斗さんへのお返事です。

> 弓張月さんへのお返事です。
>
> 三角縁神獣鏡 青龍三年は西暦235年
> 卑弥呼、台与の痕跡ですな。
>
> ねこねこ日本史 #1「女王、卑弥呼!」
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DEfNfw_XWrdo
>
> 歴史は忍耐とコピペや・・・


魏と 倭…鬼と人…「シリウスA」と「シリウスB」…
シリウスですが、今から1億2000万年ほど前に当時の主星だったシリウスBが寿命を迎えます。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.gibe-on.info%2Fentry%2Fsirius%2F
三連星からベテルギウスまでの距離の2.5倍ほどの間隔で、こいぬ座の「プロキオン」とおおいぬ座の「シリウス」を結んでいきます。これらの星は周りの星々よりもずっと明るいため簡単に見つけることができると思います。これが冬の大三角です。冬の大三角が観測できたら、ベテルギウスを頂点としたときに右下に位置しているのが今回の主役シリウスになります。シリウスは最も明るい天体であるためきっと見つけることができるでしょう。

[4986] 聖方位 ・・・鬼門・・・鬼宿? https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/4986
聖方位は実は、冬至の深夜の太陽シリウスの位置に関係する。冬至の深夜12時が新年の始まりならば特に関係がある。シリウスは大体南南東の夜空に輝く。基本的には真南から20度ほど東に振れた角度の空にである。そのシリウスを遙拝したとすると、その背中に当たる真後ろの方角は真北から20度西に向くことになる。これが聖方位だ。日本ではあるものの真後ろに当たる角度を「後ろの正面」と言って特別視するが、それはここから来ているというのが私の説である。

 委 イ <女が身体をなよなよさせる>
委 イ・ゆだねる  女部 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Fd54b192c223e1a1bb600e10a9e17d690
解字 「禾(穂先がなよやかに垂れたイネ)+女」の会意。女が身体をなよなよとさせる形で、力なく他人に身をまかせる女の意。ゆだねる、まかせる意味を表わす[学研漢和]。
意味 (1)ゆだねる(委ねる)。「委任イニン」「委託イタク」 (2)まかせる(委せる)。「委員会イインカイ」「委譲イジョウ」 (3)くわしい(委しい)。こまかい。「委細イサイ」
イメージ
 女が身体をなよなよさせる形から「身をゆだねる」(委)
「曲がって低い」(萎・倭・矮)
「その他」(魏・巍)
音の変化  イ:委・萎  ギ:魏・巍  ワ:倭  ワイ:矮

魏 ギ  鬼部
解字  巍を参照のこと。
意味 (1)姓のひとつ。 (2)国名。?戦国時代七雄の一つ。現在の山西省西部に建国。のち秦に滅ぼされた。(前403-前225)?三国時代、曹操の子・曹丕が建てた国。(220-265)「魏志ギシ」(『三国志』のうち魏の歴史を記した部分)「魏志倭人伝ギシワジンデン」(「魏志」の東夷の条に書かれている日本についての記述) (3)たかい。高く大きい。(=巍)

倭 ワ・イ・やまと  イ部
解字 「イ(ひと)+委(曲がって低い)」の会意形声。背が曲がって低い人。
意味 昔、中国で日本人を指したことば。やまと(倭)。日本。「倭人ワジン」「倭寇ワコウ」(明代に中国の沿岸を倭人の海賊が掠奪した行為をいう)「倭名ワミョウ」(日本名)

「鬼キ」 <おに> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F982431c65ada4c4c1260172aef21ca1a
解字 甲骨文第一字と金文は「田(仮面)+人(ひと)」の象形。おそろしい顔の面をつけた人を表す。また、甲骨文第二字は、示(祭壇)を付けており神の前で仮面をつけて行なう祭祀を示している。おそらく鬼やらい(悪鬼を祓い疫病を除く)のような祭祀であろう。篆文から尻尾のような形でムが加わった。鬼の意味は多様であるが、古代文字で表されているのは、人に災いをもたらす悪霊であろう。そのほか、鬼は死者の魂、また、神として祀られた霊魂、の三つに大きく分けられる。
意味 (1)おに(鬼)。人に害を与えるもの。かいぶつ。ばけもの。悪い物、恐ろしい物、強い物を象徴する存在である。「邪鬼ジャキ」(邪悪な鬼) (2)おに。死者の魂。亡霊。「鬼籍キセキ」(過去帳)「鬼哭キコク」(死者の霊が恨めしげに哭くこと) (3)ひとがみ。神として祀られた霊魂。「鬼神キシン」 (4)強く大きい者。人間わざと思えない。「鬼才キサイ」 (5)[国]おに(鬼)。想像上の生物。角が生えふんどしをしている。「鬼が島」 (5)勇猛な者。「鬼将軍おにしょうぐん」 (6)残忍な者。「鬼婆おにばば」
参考 鬼は部首「鬼おに・きにょう」になる。漢字の左辺や右辺(旁)また下部に付き、「おに」「霊的存在」などを表す。常用漢字は5字。約14,600字を収録する『新漢語林』では22字が収録されている。主な字は以下のとおり。
 鬼キ(部首):魂コン(鬼+音符「云ウン」)
 魅ミ(鬼+音符「未ミ」)、魔マ(鬼+音符「麻マ」)
 魃バツ(鬼+音符「犮ハツ」)、醜シュウ(鬼+音符「酉ユウ」)
イメージ
 「おに」(鬼・愧・傀・醜)
  強く大きい鬼から「おおきい」(嵬・隗・塊・槐・魁)
  「シュウの音」 (蒐)
音の変化  キ:鬼・愧  カイ:傀・塊・嵬・隗・魁  シュウ:蒐
魁 カイ・さきがけ・かしら  鬼部
 北斗七星の魁(Baidu百科より)
解字 「斗(ひしゃく)+鬼(おおきい)」の会意形声。原義は大きな柄杓(ひしゃく)。大きな天空の柄杓である大熊座の北斗七星に当て、特に枡の部分にあたる4つの星をいう。また、枡の部分の第一星を魁星カイセイと呼んだことから、さきがけの意となった。また、さきがけは先頭に立つ意であり、かしら・首領、すぐれる意となる。本来は斗が部首だが、なぜか鬼が部首になっている。
意味 (1)大きなひしゃく。 (2)おおきい。「魁偉カイイ」(大きく立派なさま) (3)北斗七星。「天魁テンカイ」「魁星カイセイ」(?北斗七星の第一星 ?科挙試験の首席合格者) (4)さきがけ(魁)。物事のはじめとなる。 (5)かしら(魁)。首領。「首魁シュカイ」 (6)すぐれたもの。「魁士カイシ」(すぐれた男子)

蒐 シュウ・あつめる  艸部
解字 「艸(草)+鬼(シュウ)」 の形声。シュウという名の草。あかね草をいう。また、集シュウ(あつまる)・収シュウ(える)に通じ、あつめる意や狩りをする意がある。
意味 (1)あかね草。 (2)あつめる(蒐める)。「蒐集シュウシュウ」 (3)狩りをする。「蒐猟シュウリョウ」
蒐める 蒐猟…
あつめる 狩りをする…参宿?

(3)加わる。集まる。まじわる。いりまじる。
(4)くらべる。しらべる。
参[參] サン・シン まいる  ム部 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F489450704ba013e5ab07530b3b83e43e
解字 金文第一字は、三本のかんざしを頭に挿した人が、ひざまずいている形。第二字は、かんざしの玉が光ることを示す彡サンを加えた形。かんざしを付けて盛装した人が宮中などに参内しひざまずく形で、「まいる・もうでる」意となる。多くの人が行くので、加わる・集まる意ともなる。旧字は「厽 ルイ(三本のかんざし)+人+彡サン」の形になり、新字体は旧字の厽 ⇒ムに簡略化され、「ム+大+彡」の参となった。
意味 (1)まいる(参る)。目上の人の所へゆく。宮中などへ行く。「参内サンダイ」「見参ケンザン」 (2)寺社などに詣でる。「参詣サンケイ」 (3)加わる。集まる。まじわる。いりまじる。「参加サンカ」「参集サンシュウ」「参差シンサ」(いりまじる。ふぞろい。ちぐはぐ) (4)くらべる。しらべる。「参考サンコウ」「参照サンショウ」 (5)人蔘ニンジンの代用字。「人参」 (6)「三」の代用字。
イメージ  「まいる・くわわる」 (参・驂)
       「同音代替」 (惨・滲・蔘)
       「その他」 (鰺)
音の変化  サン:参・驂・惨  シン:滲・蔘  ソウ:鰺

「参宿(しんしゅく)」(中国) 今月の古代人のメッセージはオリオン座の中国名「参宿」です。 古代中国では月の1日の天球上の動きにあわせて、天の赤道周辺に28宿という星座(正確には「星宿」)を作りました。
NO44 「参宿(しんしゅく)」(中国) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fbusiness4.plala.or.jp%2Fkodomo%2Fkodai5.htm
その中で「参宿」はオリオンの三星とその周りを取り囲む4星、つまりオリオン座を現していました。
 「参宿」から来た言葉に「参商」という言葉があります。これは「参宿」と夏の星座さそり座にあたる「商」(一般的には「心」と呼ぶ)が天球上で反対側にあり、一方が昇れば、他方が沈むということで、同じ星空にみえないことから、親しい人と遠くはなれて会わないでいるという例えに使われてきました。これはオリオン座とさそり座についてのオリオンが自分を刺し殺したさそりに会いたくないから顔をあわせないというギリシャ神話と混同されて、「参商」も会いたくないから会わないという例えだと思い込まれているようですが、少なくとも中国の詩人「杜甫」の漢詩の中では「会いたいけど会えない」という例に使われています。
 中国の星座は星の配置と命名が関連ない場合が多いのですが、この「参宿」はおそらく「オリオンの三ツ星」から数字の3も意味する「参」の文字があてられたのでしょう。
「商」(一般的には「心」と呼ぶ)…

商 ショウ <王の宮殿> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Fc0444357b4a0448b7a49036c11ed7f59
商 ショウ・あきなう  亠部
解字 甲骨文字では古代王朝・殷インの首都の意味で使われた。Aは初期に多く「冠の形+建物」で王の宮殿を意味する。末期に出現するBおよび金文以降は、上部が辛に変化し、下部に口(入口)が付く。現代字は上部が帝かんむり(「帝−巾」)に変わった。意味は殷の首都のほか、殷が亡びてのち、その民が行商を業としたので商いの意味を表わすといわれるが、甲骨文字の段階から仮借カシャ(当て字)の用法で下賜する意があり、金文から賠償の意が加わっているので、そこからの転義とするのが妥当である[参考:甲骨文字小字典]。
意味 (1)あきなう(商う)。あきない。「商売ショウバイ」「通商ツウショウ」 (2)あきんど。商人。「豪商ゴウショウ」「隊商タイショウ」 (3)はかる。相談する。「商議ショウギ」「商量ショウリョウ」(あれこれと考える) (4)割り算の答え。 (5)中国古代王朝の名。殷インとも呼ばれる。
賈 コ・カ あきなう  貝部
解字 篆文の賈の上部は襾カ(ふた)で、覆(おおう)の上部と同じく物をおおう形。現代字で襾⇒?に変化した。賈は、「?(おおう)+貝(財貨)」の会意形声。財貨をおおうとは、商品をお金で買ったり売ったりすること。商売する意となる。買バイ・かう(罒(あみ)+貝)と同じ構造だが、買は、かう意に、賈は売り買いする意に使い分ける。
意味 (1)かう。うる。あきなう(賈う)。あきない。「賈人コジン」(商人)「賈船コセン」(商品を積んで売ってまわる船。商船。) (2)あたい。ねだん。
イメージ
 「売り買いする」(賈・価)
音の変化  コ:賈  カ:価

「南ナン」 <苗族がもちいる銅鼓>
南 ナン・ナ・みなみ  十部 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Fc0b8a26492d3128292b26b170343625e
解字 青銅で作られた鼓の象形。南ナンとよばれる釣鐘形式の楽器で、古くから苗族が用いた。底がなく左右の耳輪に紐を通して掛けると南の字形になる。苗族は甲骨文字を使用した殷インの南方に住むことから、「みなみ」の意に仮借カシャ(当て字)された[字統]。
意味 (1)みなみ(南)。「南国ナンゴク」「南極ナンキョク」「南蛮ナンバン」(南の野蛮な人)「南瓜かぼちゃ」 (2)梵語の音訳字として。「南無ナム」(仏を拝するとき唱える語)
イメージ
 「みなみ」(南・楠)
 「苗族の銅鼓」 (喃)
音の変化  ナン:南・楠・喃

苗族の銅鼓
喃 ナン  口部
解字 「口(くち)+南(苗族の銅鼓)」の会意形声。苗族の銅鼓を打ち鳴らす音のように、口からぺらぺらとしゃべること。
意味 (1)しゃべる。ぺらぺらしゃべる。くどくどしゃべる。「喃語ナンゴ」(男女がむつまじくささやき語る)「喃喃ナンナン」(つまらないことをしゃべり続けること)「喋喋喃喃チョウチョウナンナン」(男女が楽しげに語り合うさま) (2)もうし。もし。人に呼びかける声。
「喋喋喃喃チョウチョウナンナン」(男女が楽しげに語り合うさま)…

男女…「シリウスA」と「シリウスB」(女神イシス)…委 イ <女が身体をなよなよさせる>
> 白色矮星による双子星(連星)
> 〉『ヨハネの黙示録』によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じミトラも白馬に乗ってやってくる。
>
> シリウスは「シリウスA」と呼ばれる恒星と「シリウスB」と呼ばれる白色矮星による双子星(連星)になっています。
> シリウスは超新星爆発するのか?最も明るい天体の真実12 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.gibe-on.info%2Fentry%2Fsirius%2F
> シリウスの名前はギリシア語の「セイリオス」という言葉に由来しています。セイリオスには「焼き焦がす」や「火花を散らす」という意味があり、あまりに明るいために肉眼でも観測できるシリウスにぴったりの名前といえます。シリウスはエジプト神話にも影響を与えており、神話に登場する「女神イシス」はシリウスと同一視されています。

青い星シリウス - 連星の天空の舞踏
連星、それは天空でくり広げられる舞踏の姿だ。対となった星と星とによる、天空の舞踏の姿なのだ。 天の狼である青い星は、天空で、人の眼前にゆらぎ、民族の眼前にゆらぐ。
通常、恒星はその位置が安定している。
だがシリウスは安定していない。伴星の存在によってだ。
シリウスは、二つの恒星が互いの重力圏にあって、その位置を影響しあう連星なのだ。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fraindrop_5588%2F55023601.html
青く輝く星は、その燦然とした明るさゆえに、さまざまな民族の神話や伝承で語られてきた。
たとえば中国で「天狼星」と呼ばれるシリウスは、他にも非常に多くの地域で、狼や犬を象徴する存在となっている。
なぜ民族を超えて、狼や犬なのだろうと思う。
漆黒の天空に冴えざえと光る青は、狼や犬に似つかわしいのだろうか。
だがそれらの神話では、ごく一部の神話を除いて、シリウスが連星であることは強調されない。
シリウスが連星である必然性は、ほとんどの神話において無い。
だがシリウスは連星なのだ。
連星、それは天空でくり広げられる舞踏の姿だ。対となった星と星とによる、天空の舞踏の姿なのだ。
天の狼である青い星は、天空で、人の眼前にゆらぎ、民族の眼前にゆらぐ。
そうして、人の目に見えない白色矮星は、いつでもそこに、ともにある。
青く輝く星は、その伴星とバランスをとり続ける。
カランポーの狼王とブランカのように。
ブランカの死によってロボは破滅した。
連星として対にあったものを失い、舞踏はふたたびなされることはなく、ロボは破滅した。


魏志倭人伝の三角の謎?


8723バカ2の原人:2019/08/24(土) 23:36:56
Re: 高句麗の始祖王 朱蒙の旗印は 「 八咫烏 」…
これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

〉ちなみに、朝鮮語「石」はdol。
「DolL」自動人形
オートマトン(Automaton [???t?m??t?n] 単数形)は、主に12世紀から19世紀にかけてヨーロッパ等で作られた機械人形ないしは自動人形のこと /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
人形(ひとがた)信仰はキリスト教が禁止する偶像崇拝に真っ向から対立する面があるが、18世紀から19世紀ごろのヨーロッパでの人の形をしたものを動かすという技術的な試みと、オカルティックな憧憬は、当時の他の文化にも影響を与えた。
偶像崇拝…
偶像崇拝否定のイスラム教の浸入で、石人は急速に衰えていった。
ブラナの塔 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2F9.pro.tok2.com%2F%7Eyucky%2Fcyuouazia-ryokou-burana.html

「お釈迦さま」は、石造り、木造り、銅像、石像など‥ すべての『偶像崇拝』を強く禁じていたので、仏教そのものではなく ⇔ 仏教の中に隠れていた隠れゾロアスター教徒が含まれていたのでは?‥ 思う事があります。 霊石信仰 ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fasakobonobulogu.ti-da.net%2Fe7485751.html
ペルシアにイスラム教が普及した際、インドに渡ったゾロアスター教徒 (ペルシア人) の子孫が細々と今でもインドのムンバイ辺りで暮らし、また世界各国の仏教や景教、他の宗教に隠れつつ、僅かに存在すると云われています。
ゾロアスター教の特徴として、石造り、石信仰、鳥葬 / 風葬などがあるといいます。
『石信仰』の中でも 斉場御嶽 (せーふぁウタキ) は、最も格式高い空間があり ∧ 斉場御嶽は女性の二股 ∧ を意味し、昔は男性が立ち入る事が許されません。
例えばむかし、朝鮮半島の南には、新羅、加羅、安羅、耽羅など‥ 「羅」という地名がいくつもあり、その語源は定かではないが「羅」という文字は、目の粗い繊維 → 網羅など → 目の粗い糸を意味するといいます。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.m.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E7%25BE%2585
漢織 (あやはとり)、呉織 (くれはとり) といった 当初は目の粗い織物 → 羅織や石造りなど‥ 吐火羅人 (ペルシア人) が住んだ跡地・経由地が見られるという。*「呉服」の語源は呉織 (くれはとり) 説もある。
ー・ー
それでは いつ頃?‥ ゾロアスター教が 日本にも流行したかというと、 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fs.ameblo.jp%2Fyuukata%2Fentry-12002475559.html
少し歴史を早回し → してみると →
九州島の磐井軍を倒したヤマト朝廷の主導豪族は → 大伴氏 → 物部氏 → 蘇我氏 と続きます→
その地域には、石人男女像、猿石、亀石、二面石、益田の岩船、酒船石、道祖神石、須弥山像石などの不思議な石造物が点在し、いったい誰が?‥ 何のために造立したのか、まだはっきり分かっていません。 多数の石工人が作ったといわけです。
「明日香」は、飛ぶ鳥 →『飛鳥』と記される場合もあり、
ゾロアスター教の「鳥葬 / 風葬」を連想します。
誰が造ったのかについて、 吐火羅 (とから / ペルシア) 人らしい者の渡来の記事が『日本書紀』に見えることから、 これらの石造物を作ったのは吐火羅 (とから / ペルシア) 人とする説があります。
吐火羅 (とから / ペルシア) 人は朝鮮半島を経由して来たといい、朝鮮半島の南側にも謎の石造物が点在するという。
中でも、 耽羅 (トムラ / いま済州島) に多いトルハルバン (石爺) という石像があり、これを「明日香 / 飛鳥」地域に見られる石人男女像のルーツと云われて、耽羅 (トムラ / いま済州島) からやって来た 吐火羅 (とから / ペルシア) 人とする説があります。
「明日香 / 飛鳥」地域と朝鮮半島の南側に点在する石像の表情もまたペルシア人に似ています。何の目的で作られたのかは不明ですが、 今では子宝の神、村の守り神と信じられているといい、半島情勢の激変のために、彼らが急遽故国へ立ち去ってしまい、石造物が取り残されたと考えられています。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fbeaverland.web.fc2.com%2Foldhist%2Fpersia.html
明日香 / 飛鳥の石舞台古墳 群には、道祖神という石像も含まれていました。
「道祖神 (路傍の神)」は、厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として村内と村外の境界や道の辻 (交差点)、三差路などに主に石碑や石像、自然石の形態で祀られる民間信仰の石仏、石神で、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。 古い時代のものは男女一対を象徴するものになっている。餅つき (男女の性交を象徴する) などにもその痕跡が残る。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.m.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E9%2581%2593%25E7%25A5%2596%25E7%25A5%259E
「道祖神 (路傍の神)」は、全国的に広く分布しているが、甲信越地方や関東地方に多く、とりわけ道祖神が多いとされる安曇野では、文字碑と双体像に大別され、庚申塔・二十三夜塔とともに祀られている場合が多い。
道祖神の多い「安曇野」といえば?‥ 筑紫の君 磐井の子 → 葛子が死罪を免れるため →?? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fs.ameblo.jp%2Fyuukata%2Fentry-12002475559.html
そしてその、「道祖神 (路傍の神)」の役割は「石敢當 (路傍の仏)」= 霊石 (ムンジュル) 信仰と?? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fasakobonobulogu.ti-da.net%2Fe7454034.html
日本列島にも仏教や他の宗教に隠れた『石信仰』← ゾロアスター教?‥ 来ているかもしれません。*隠れキリシタンならぬ、隠れゾロスタン (石信仰) です。



> バカ2の原人さんへのお返事です。
>
> > 朝鮮の「天孫降臨」の「檀君神話」では「コム 熊」は「聖なるもの」「神」とされている。高句麗の始祖王 朱蒙の旗印は「八咫烏」である。
> >
>
> あはは。おっかしー。笑
>
> 【熊(* ̄(エ) ̄*)】
> ・チベット語:dom
> ・ギャロン語:t?-gom、t?-goŋ(ギャロン語はチベット・ビルマ語の化石と呼ばれる東チベットの言語。t?-は接頭辞)
> ・韓国語:?(gom)
> ・日本語:kuma
>
> オマケに他の対応例:
> チベット語:s-domー日本語:kumo(蜘蛛)、s-は接頭辞。
> チベット語:domー日本語:kumo(雲)
>
> 分かるかな?
> 複数の語で同じ対応が見られるってのが重要。こんなの他の言語との比較じゃ見つからない。
> チベット語dとギャロン・日本・韓国語g/kが対応しとるでっしゃろ?(チベット語d-はギャロン語接頭辞t?-が残ったとも考えられる)
>
> ギャロン語r?’gu(石)はチベット語r-doに対応します。r-は接頭辞。
> ちなみに、朝鮮語「石」はdol。

8724バカ2の原人:2019/08/25(日) 00:06:40
シリウス信仰を、まず最初に宗教として確立させたのが、ミトラ教である。
ユーラシア全域に拡がったミトラ教とシリウス の聖方位をもってやってきました。ミトラとは彼らの拠点サカスターンのあったペルシアの国教でした。
シリウス 蘇我氏 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fplaza.rakuten.co.jp%2FPhoenix3%2Fdiary%2F200801260001%2F
蘇我氏がやって来る前に日本列島内には縄文時代から二つの太陽信仰のネットワークがありました。
青森の三内丸山と大和の三輪山を基点とするものでした。
最初、東北のネットワークが先行していました。
こうしたネットワークがあったことが日本列島が中国や朝鮮とは違う強力な太陽信仰の受け入れ地として同じ信仰をもつユーラシアの遊牧民から重視されたのでしょう。
ユーラシアに自分達の存在基盤の揺らぎを感じていた人々が日本列島に新たな希望を求めて渡来してきたようです。
そのほとんどは日本列島内では太陽信仰に於ける先進地帯である北日本にやってきました。
応神、仁徳及び北陸系の王朝はいずれも北日本を拠点にして成立したと思われます。
そうした土台があったところに何波にも及ぶ波の中で最期にやってきて北日本の王となったのが蘇我一族でした。
彼らはユーラシア全域に拡がったミトラ教とシリウスの聖方位をもってやってきました。
ミトラとは彼らの拠点サカスターンのあったペルシアの国教でした。
ペルシアの国教はミトラの太陽信仰が基本でありながら、しばしば折衷的で暦はシリウスの観測を軸にしつつ『副太陽』であるシリウスをも崇拝の対象にしていました。
『副太陽』という意味は、昼間の一番明るい星は太陽なのですが夜間で最も明るい星がシリウスということです。

『副太陽』という意味は、昼間の一番明るい星は太陽なのですが夜間で最も明るい星がシリウスということです。
シリウスは太陽系から8.7光年の距離にある新しい星で古代日本でも『大星』といわれていました。
人は『光』の根源を太陽よりシリウスに感じはじめていました。
紀元前500年頃、ペルセポリスの冬至の真夜中、現在の12時にシリウスは真南から20度東に傾いた方向に煌々と輝きました。この方向に向かって、新年を告げるシリウスを遥拝すると遥拝する者の真後ろ(後ろの正面)は、真北から20度西に傾くことになるといいます。
この方位を聖なる方位、聖方位として日本列島至る所に今も存在するのです。
隠れてしまって気づかれることは、ほとんどありませんが。
しかし有名な童謡『かごめ かごめ』は、このシリウス信仰を唄っていることが解かりました。
カゴメとは籠目、冬至線と夏至線が交差して出来た菱形の文様をいいます。
例えば、ある地点に立ち、そこから冬至の日没を望む方位線を引きまた同じく夏至の日没を望む方位線を引いたと考えます。
この二つの線は、その地点で59度強の角度をもって交わるがこの線を一定の距離をもって平行に少しづつ、ずらしていくことによってある一定の距離をもって平行する網の目を作り出すグラフィック・ネットワークが作られます。
その網目の文様を『かごめ かごめ』といったのでしょう。籠の網目も菱形で同じですから。
また六芒星のことかもしれません。すると『籠のなかの鳥は いついつでやる』とは蘇我氏は鳥との縁が深く、鳥のシンボリズムをもっていました。
そこから八咫烏や烏帽子が生まれ、『飛ぶ鳥』と書く飛鳥が生まれたのでした。
『夜明けの晩に鶴と亀がすべった』これは夜明けなのに晩という矛盾した時間に鶴と亀は四神獣の朱雀と玄武、すなわち方位を示します。
つまり南北が統べった。それはシリウスの聖方位を示します。その時の『後ろの正面』は誰?ということでしょうか?
グラフィック・ネットワーク・・・三角網?
三角網の用語解説 - 地上に配置された複数の三角点を線分で結んで形成される網(三角網)において,各線分間の角(水平角)を測定して三角点の水平位置(経度,緯度)を求める測量。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
【三角測量】より
…地上に配置された複数の三角点を線分で結んで形成される網(三角網)において,各線分間の角(水平角)を測定して三角点の水平位置(経度,緯度)を求める測量。地球上での三角点の位置は,旧来経度,緯度,高さの3量によりあらわされるのが普通である。…

A端からB端(ひきあみ) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F3629

羅?・・・一等三角点網 ・・・網羅!(あらひとがみ)
 相模野基線に端を発した一等三角点網は日本全土に広まった。はじめ一等(本点)を約45?間隔で設置して大体の間隔を定め、ついで一等の補点(本点を含めて約25?間隔)の測量をして一等三角点網を完成させた。
 なお、基線は全国に14か所設置され、そのれぞの網が重なる地点で誤差が調整された。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkansekimanpo.okunohosomichi.net%2Fmame_sokuryo.html
三角測量の機材
 三角測量には、測量地点を示す三角点標石・盤石、角度を測定する経緯儀を用いる。ただ、数十?もの先の測定をする場合、地面の三角点標石を見定めることができないので、覘標と呼ばれる測量櫓を建て、視界を妨げる木々を伐採しなければならなかった。

三等経緯儀
覘標 カール・バンベルヒ三等経緯儀(けいいぎ)
 ドイツ製のこの三等経緯儀は最小読み取り角度が2秒で、水平角と高度角の両方が測定できた。新田次郎の小説「劒岳」で有名な柴崎芳太郎測量官が剱岳測量の際に用いた。

覘標(てんぴょう)
 覘標は観測の目標としての目印で、三角点標石上に建てられる櫓(やぐら)で、相手の三角点が見通せるよう二階建てのものもあり、ときには30mもの高さにもなった。

現人神(あらひとがみ)」の読み間違えか、あるいはアラジンのこと…ではなく、東方 Projectの二次創作である「絶対許 ... ヤマトは荒人神の国だった―完全制覇古代大和 朝廷の謎 (関裕二古代史の謎コレクション). 関 裕二
アラジン
荒人神の用語解説 - 古代では葛城一言主神(かつらぎの ひとことぬしのかみ)や八幡神(はちまんしん)および航海神である住吉大神がそう呼ば れ,中古以降には菅原道真(北野天神)をはじめとする御霊神(ごりようしん)をさすことが 多い。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F%25E8%258D%2592%25E4%25BA%25BA%25E7%25A5%259E

網 の目のように並べ連ねる。並ぶ。「羅列/森羅万象」3 うすぎぬ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdictionary.goo.ne.jp%2Fleaf%2Fjn2%2F228757%2Fm0u%2F

詒 羅 維
孫 詒譲や、羅振玉、王国維らが、『説文解字』等を手掛りに甲骨文字の解読につとめる。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.all-japan-arts.com%2Fmeisyojyunrei%2F14.04jyunrei.html
詩に曰く我に来ボウを詒(おく)る」 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fshimo.exblog.jp%2Fi12%2F75%2F
ボウを詒
网(モウ ボウ)
羅は「网(あみ)+維(ひも・つなぐ)」からなり、 説文・网部に「絲を以て鳥を 罟 ( あみ ) するなり。网に従ひ、維に従ふ」とある。
森羅万象しんらばんしょう /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.kokin.rr-livelife.net%2Fyoji%2Fyoji_si%2Fyoji_si_26.html
万物、宇宙、ありとあらゆる事象。
森は茂るの意で、羅はつらなるの意。

部品に「网」が含まれる漢字を検索 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fjigen.net%2Fdata%2F%25E8%25A9%25B3%25E7%25B4%25B0%25E6%25A4%259C%25E7%25B4%25A2%25EF%25BC%259A%25E7%25BD%2591%25E3%2582%2592%25E5%2590%25AB%25E3%2582%2580%25E6%25BC%25A2%25E5%25AD%2597

?魎(もうりょう)」、赤黒く三 歳児程の姿をした山川の精《ノ丿田甶ノ丿L乚儿ム厶鬼冂メ2网?》.
「木石の怪を夔蛧蜽と曰ふ」 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdic.nicovideo.jp%2Fa%2F%25E9%25AD%258D
木人 石人
木人石心
ぼくじんせきしん /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.woodman.biz%2Fmoji89.html
情が薄く冷酷な人のたとえ。木でできた人のからだと、石でできた人の 心の意から。・もとは意志が固く、簡単に心を動かされない人の形容。
出典は、『晋書(しんじょ)』夏統伝(かとうでん)
利用のしかたとしては、彼は同僚の間で木人石心だとうわさされてい る。

石人が立てられた古墳が菊池市にも存在し、「木柑子(きこうじ)二つ塚古墳」として知 られています。地元では「フタツカサン」という愛称でよばれています。木柑子の名が しめすように、菊池市の南西部、木柑子集落の南に迫る花房台地の縁に造 ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.pref.kumamoto.jp%2Fsite%2Farinomama%2Fkikouji.html
二つ塚古墳は、古墳時代後期の前方後円墳で、内部に横穴式石室を造っています。墳丘は全長約60m、後円部の径約20m、高さ約15mの大きさです。また、墳丘の周りには壕(ほり)と共にその外側に堤があったことがわかっています。
    この古墳は、菊池市では唯一の前方後円墳とされていましたが、近年の発掘調査により、二つ塚古墳の西側にたくさんの古墳が次々に発見されました。それらの古墳は5世紀から6世紀に造られ、なかでも新たに発見された「木柑子高塚古墳」は、二つ塚古墳とほぼ同じ大きさの前方後円墳と考えられ、石人も4体発見されています。
    これらの古墳群は、七城町岩瀬から木柑子にかけて広がっているため、岩瀬・木柑子古墳群とよばれるようになりました。おそらく、5世紀から6世紀にかけて菊池平野に集落を開いた人たちのなかで有力者の墓地としてこの場所が選ばれたと考えられます。

鞠智城(きくちじょう)は七世紀後半国家存亡の危機に直面した日本が国を守るために西日本各地に築いた古代山城の一つで、古代国家が編纂した国書に城名の記載された由緒正しい遺跡です。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.kikuchikanko.ne.jp%2Fmodules%2Fpage%2Findex.php%3Fcid%3D3%26num%3D10%26orderby%3DtitleA%26pos%3D70

北緯33度0分4.64秒
東経130度47分19.76秒
文武天皇時代の修築記事(698年)で初めてその名が正史に登場するが、築城年は記載がなく現在も確定されていない。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E9%259E%25A0%25E6%2599%25BA%25E5%259F%258E
当時としては珍しい八角形建物(韓国の二聖山城跡に類似の遺構がある)をはじめ72棟の建物基礎が現在までに確認されている。
・・・・
北緯33度線の剣山からイスラエルとの繋がりを『33』にこだわって考えてみたら /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fsomin753_0210%2F18743178.html
日本とイスラエルに共通する何かを探すと『北緯33度線』が出てきます、と言いますか、コジツケでもありますが。
では、北緯33度線には何があるかと言いますと、北緯33度線に位置する日本の剣山です。
剣山にはイスラエルの宝が眠っている、という伝説といいますか、噂とも言える類いなのかもしれませが伝えられています。
イスラエル(エルサレム)も北緯33度線。

剣山、そこには何があるというのでしょう?
何故イスラエルが関係しているとされるのでしょう?
私にはわかりません。
剣山には鶴石と亀石なるものがありますが、鶴亀はめでたい象徴ですね。

鶴はイエス・キリストの象徴かもしれません。
理由はヘブライ語の『ツル』にあります。
その意味は『岩』です。
キリストの象徴には、子羊、魚などがあり、その象徴は様々な形となり表れていて、ローマ教皇が頭に被っている帽子を横から見ると二つに割れていますが、これ、キリストの象徴である魚の頭なんです。
そして『岩』もキリストの象徴です。
また鶴は日本の国鳥で、頭の丸い赤色は太陽で、赤色と鶴全体の白色と黒色を象徴として表したのが日の丸国旗と白黒の棒で、棒の先に付いている金色の玉が八咫烏。
キリストも太陽神。
キリストには12使徒が存在しましたが、八咫烏も12人の組織だと言われます。
<高知商業高等学校校歌>
作詞 竹村正虎
作曲 平井惣太郎
天にそびゆる喬木を
レバノン山の森に伐り
舟を造りて乗り出でし
フェニキァ人のそれのごと

これは?
レバノンの森で木を伐りとは、ソロモン神殿建築に使用されたレバノン杉のことでしょう、多分。
そして、舟を造りて、とありますから、これはノアの箱船の事ではないでしょうか?


8725これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 00:43:04
Re: 『キングダム』嬴政 推定O-M117(O-M133): 申
> > 呂不韋が出たから姜姓いこうか。
> > 図は姜姓分布図。こんな北方に分布の中心があるのがポイント。遼河地域と重なる。
> >
> > 『キングダム』姜姓
> > 桓騎将軍(秦)
> > 斉(姜姓)王室系。
> >
> >??慶舎将軍(趙)
> > 斉(姜姓)王室系。
> >
> > 『キングダム』ではないが『封神演義』の元祖・太公望(呂尚)もO-M117。
> >
> >


神 という 文字 は 商 王朝 の とき には 存在 し ない。 神 と ほぼ おなじ 意味 を もつ のは、 申、 という 字 で ある が、 申 足 と 書け ば 雷光 の ごとき 速 さの 足 という こと に なる。 神 は かみ なりの こと で あっ た と 理解 し て よい。   とにかく 廉 の 足 の 速 さは、 人 で ある こと を 超え て おり、 それ ゆえ かれ は、 「飛廉」   と よば れ、 蜚廉 とも 書か れる ので ある が、 蜚 には あぶら虫 の 意味 も あり、 商 民族 を きらう 族人 が のち に 飛 の 字 の かわり に 蜚 を あて た ので あろ う。

じつは この 人物 は、 れっきとした 君主 で あっ た。 西方 に 秦 と よば れる 邑 が あり、 その 邑 の 支配 者 が かれ で あっ た。 が、 西戎 と よば れる 異 民族 に 攻め られ、 亡邑 の 憂き目 に あっ て、 子 の 悪 来 とともに、 各地 を さまよい 歩き、 ようやく その 異能 を 認め られ て 太子 の 受 に 仕え、 重用 さ れる よう に なっ た ので ある。 姓 は 嬴 で ある。 ついで ながら、 秦 の 始皇帝 の 先祖 にあたる 人 で ある。

宮城谷昌光. 合本 太公望【文春e-Books】 (Kindle の位置No.228-234). . Kindle 版.


8726これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 00:52:19
Re: 『キングダム』嬴政 推定O-M117(O-M133): ハプログループの「正しい遊び方」はこういうもの
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009183M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009183_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009183_3M.jpg

嬴姓ハプログループO-M133

贏政
李信(新六大将軍in『キングダム』)
白起(旧六大将軍)

ハプログループの「正しい遊び方」はこういうものだよ、あはは。



8727これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 00:56:51
Re: 『キングダム』嬴政 推定O-M117(O-M133): ハプログループの「正しい遊び方」はこういうもの
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009184M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009184_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009184_3M.jpg

嬴姓2

O-M133
廉頗(旧三大天)
李牧(新三大天)
龐煖(新三大天)



8728これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 00:59:31
『キングダム』南越の刺客ムタ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009185M.jpg

南越の刺客ムタ

推定O1a/O1b。笑




8729バカ2の原人:2019/08/25(日) 01:05:41
「台」五芒星 三角網・・・
文字が作られた銀河の全範囲
禸ジュウ(けものの足跡)
「鳥獣の足跡」を、学者たち は「文字を考案するヒントとなった鳥と獣の足跡」と思いこむ。
漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fhimiko-rekishi.cocolog-suruga.com%2Fblog%2F2013%2F07%2F5-eedf.html
「夏の銀河」を「足跡」と表現することによって、文字が作られた銀河の全範囲「秋の銀河と夏の銀河」が表示できる。
五芒星 三角網・・・雄竜の鳴くときは、上に風ふき、雌竜の鳴くときは、下に風ふく。その声竹筒を吹くごとく、その吟ずるとき金鉢を戞(す)るが如し。
その声竹筒を吹くごとく、その吟ずるとき金鉢を戞(す)るが如し。 二匹の竜といえば、「愚偶遇隅寓」などの「禺」という字も二匹の竜です。
L 字形・・・九?・・・禹(双竜)・・・旭 9の太陽+日? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4521
台座 參臺 | 古代史掲示板(清談論議)
《解字》象形。 ... 死を象徴するピラミッドの(1/4)π=φ^(1/2)生を象徴する(太陽の方向を示す)ストーンサークルの(5/6)π=φ^2である。 ... 巫祝王とは、悪い巨竜であり、それは剣を持つ英雄王により、倒される。 ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2310
「台」の本字は「」です。 「台」はこの字の代用です。 下村式では次のように考えました。 ... 『説文解字』(許慎)では「観(見晴台)の四方(四角)にして高きものなり。 ... 室、屋と意を同じくす」とあります。 ブログ ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fshimo.exblog.jp%2F6928478%2F
『説文解字』(許慎)では「観(見晴台)の四方(四角)にして高きものなり。至に従い、之に従い、高の省に従う。室、屋と意を同じくす」とあります。

さいだんざ【祭壇座】とは。意味や解説、類語。南天の小星座。蠍 (さそり) 座の南にあり、8月上旬の午後8時ごろ南中するが、日本から全部は見えない /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
プトレマイオスのアルマゲスト以来、星図では、この祭壇は南側に炎、北側に本体という姿で描かれている。また、ケンタウルス座がおおかみ座を捧げるための祭壇として描かれる[3]。
隣接する星座
みなみのかんむり座
さそり座
じょうぎ座
みなみのさんかく座
ふうちょう座
くじゃく座
ぼうえんきょう座

台。 《解字》象形。 足つきの四角い台を描いたもの。 机(キ) の原字。 ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4521
[4659] 天子 獣ジュウ(けものの足跡) https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/4659
机(キ) の原字…
テーブルさん座 (テーブル山座、Mensa) は、南天の星座の1つ。現在、天の南極にあるはちぶんぎ座の次に南にある星座である。日本から全く見ることのできない星座の1つ。 88星座のうち、最輝星が最も暗い星座である (+5.09)。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
隣接する星座
かじき座
カメレオン座
みずへび座
とびうお座
はちぶんぎ座

祭壇座は、供物を燃やす祭壇として描かれる。
地味だが、ギリシアでは古くから知られていたようである。
この祭壇は、 ケンタウロスが、狼を生贄に捧げるための祭壇ともされるが、バベルの塔の頂上に立つ神殿の祭壇ともされる。

テーブル山座は、アフリカの町ケープタウンの南側にそびえる山の事。
実在の地名の名前という、他に類を見ない、珍しい星座。

はちぶんぎ座(八分儀座、Octans)は、南天にある星座の1つである。 地味な星座であまり目立たないが、現在、天の南極はこの星座の中にある。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ただし南極星として使えるような明るい星はないため、天の南極を知るには、みなみじゅうじ座が主に使われる。
…南極星…
テーブル山座 南極星 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkids.yahoo.co.jp%2Fzukan%2Fastro%2Fsouthern%2F0003.html
天の南極(北極星の反対側)の近くの星座の1つ。

はちぶんぎ座 テーブル山座
テーブルさん座 (テーブル山座、Mensa) は、南天の星座の1つ。現在、天の南極にあるはちぶんぎ座の次に南にある星座である /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwpedia.goo.ne.jp%2Fwiki%2F
テーブルさん座に掛かる大マゼラン雲の姿は、実在のテーブル山に掛かる「テーブルクロス」と呼ばれる雲に喩えられている[1]。

大マゼラン雲(だいマゼランうん)[4][5][6]は、かじき座からテーブルさん座にかけて位置する銀河である。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
南半球の人たちにとっては有史以前から知られており、発見者は特定できない。10世紀イスラームの天文家アル・スーフィーは著書『恒星の書』において、ほぼ北緯12度15分にあるバブ・エル・マンデブ海峡 Babd al Mandab (sic.) を境にして、バグダードやアラビアの北部では観えないが、アラビアの南部では観え、al-Bakr (「白い牛」の意)と呼んでいたと記している[2]。
「- マゼラン雲」の名は、ポルトガルの航海家フェルディナンド・マゼランが1519年の世界周航において記録していたことにちなむ。それ以前の航海者は「ケープの雲」と呼んでいた[2]。

(CNN) 今から20億年後、宇宙空間で大マゼラン雲と銀河系の大衝突が発生する――。英国の研究チームがこのほど、天文学会誌にそんな説を発表した。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fcapturelife1.net%2F
「私たちの子孫は、銀河系の中心部で新たに目覚めた超巨大ブラックホールが、ものすごく明るいエネルギー放射の噴流に反応する現象を、素晴らしい宇宙花火として観測できるだろう」。ダラム大学のカルロス・フレンク氏はそう語っている。


8730バカ2の原人:2019/08/25(日) 01:31:16
申 「申,神也」
隠された神・太一七? 「申,神也」「曰(いわ)く」とは神の示す言葉であった。
隠された神・太一 七? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1978
「申」はもともと「七月」
金文の「申」はもともと「七月」を表し、更に、雷とは神秘なものだったため、「申」は「神」 の意味も持つようになりました。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1270069807
二つのイナヅマの間に縦棒が一つ。
これは「イナヅマ」がたくさんあることを表現しているようで(これも諸説ありそうです)、旧暦七月のことだそうです(夕立の時に雷が多かったからでしょうね)。
金文の「申」はもともと「七月」を表し、更に、雷とは神秘なものだったため、「申」は「神」の意味も持つようになりました。
『説文解字」で「申,神也」と言っているのはこれですね。

甲骨文字から金文にかけて「申」の字形が大きく変わったのは、単なる「イナヅマ」から「七月」とか「神」といった異なる意味を持つようになったからだと思われます(単純な象形文字から指事文字に変わったから。縦棒は「ある事象から抽象的な意味を生み出していること。指事文字であること」を示す)。
縦棒
申 シン・もうす・さる 田部 解字 甲骨文・金文は電光(イナズマ)の象形。イナズマが屈折 して走る形で、のびる意味を表わす。イナズマは神が鳴ると考えられており、神の原字で あり、また電の原字でもある。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Fd2bce4d8097d36dfbbda000a27d0ae77
「口」
さい(「口」の篆文、神への祈りの文である祝詞を入れる蓋付の器の形[8 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25AD%2597%25E7%25B5%25B1
(さい)の発見 「史・告・右・吉」などの字に含まれる「口」の形は、みな口から発する言葉を示すという字形解釈が行われていたために、文字が作られて3000年以上の永い間にわたってその本来的な意味が理解されることなく今日に及んだ。口という字は、甲骨文や金文には人の口とみるべき明確な使用例はなく、みな神への祈りの文である祝詞を入れる器の形の(さい)である。これは白川が漢字研究のごく初期の段階で独自に発見し、昭和30年(1955年)に発表した[12][13][14]。

曰(いわ)く
「曰(えつ)」である。 「曰(いわ)く」とは神の示す言葉であった。
曰(ひらび)部・・曰をもとにして、口から発することばに関する文字ができているが数は少ない、として挙げられているのは、 甲、申、由、 曳、曲、更、 沓、曷、曼、曾、會、替、曹、 東、書、最、量、智、魯、?・・ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fflora.karakusamon.com%2F2011f%2Fkanji_koyomi_201103.html

「口」+「I 縦棒」中 曰 申「雷…貫く」・・・串…

【?】 (串)口3+11=総画数14 U+20077 [サン、セン/] 【?】 [口I|丨中2串 4? ... しば)る、固く結ぶ、「申命(シンメイ、しっかりと命ずる、堅く命ずる)」
【?】(申)田5+4=総画数9 U+24C36 [シン/さる、もう・す] 【申???????】[日曰I|丨田申2?]
◆さる、十二支の九番目、時刻では午後四時を中心に前後一時間、方角では西南西、動物ではサル(猿)を当てる{十二支}
◆伸(の)ばす、折れたり曲がっているものをまっすぐにする、同”伸”
◆引き締める、しっかりと縛(しば)る、固く結ぶ、「申命(シンメイ、しっかりと命ずる、堅く命ずる)」、「【?文解字注:申部:申】・・・韓子外儲?曰申之束之今本申譌紳申者引長束者約結・・・」「【釋名:釋天】身也物皆成其身體各申束之使備成也」
◆(特に上位者に対して、身なりを整えて)述べる、説明する
【?】(田)田5+5=総画数10 U+7555 [キョウ、コウ/] [田2?]
◆二つの隣り合った田
【?】(申)田5+5=総画数10 U+24C53 [シン/さる、もう・す] 【申???????】[田申2?] /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fksbookshelf.com%2FDW%2FKanjirin%2Fappendix%2FKurikaeshiji.html
◆さる、十二支の九番目、時刻では午後四時を中心に前後一時間、方角では西南西、動物ではサル(猿)を当てる{十二支}
◆伸(の)ばす、折れたり曲がっているものをまっすぐにする、同”伸”
◆引き締める、しっかりと縛(しば)る、固く結ぶ、「申命(シンメイ、しっかりと命ずる、堅く命ずる)」、「【?文解字注:申部:申】・・・韓子外儲?曰申之束之今本申譌紳申者引長束者約結・・・」「【釋名:釋天】身也物皆成其身體各申束之使備成也」
◆(特に上位者に対して、身なりを整えて)述べる、説明する

. 祝 申(神) さる?・・・禹氏(祝) 巨勢祝あるいは巨勢姫明神という神
猿田彦 巨勢姫明神 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1750
祝   申(神) さる?・・・禹氏(祝)
巨勢祝あるいは巨勢姫明神という神
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E6%2598%25A5%25E6%2597%25A5%25E7%25A5%259E%25E7%25A4%25BE
巨勢
巨勢氏(こせうじ)は大和国高市郡巨勢郷を本拠とした古代豪族。 許勢、居勢とも書く。 ... 巨勢臣・雀部(ささきべ)臣・軽部臣につながる。 6世紀以降、集中的に『日本書紀』に現れる。 継体紀:巨勢男人が大臣となり紗手媛・香々有媛を安閑天皇に嫁がせる。 ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25B7%25A8%25E5%258B%25A2%25E6%25B0%258F
用明2年(587年)丁未の乱では巨勢臣比良夫が従軍し、物部大連守屋を滅ぼす。
姫神 苔牟須売・・・++ 台  ム 牛 須(恵比須) 儿 売(バイ) 梅
祭神木花咲耶姫神、苔牟須売神。( 又、ニニギノミコトなるべしとの説あり) 祭日 十一月五日。 ... 「古計牟須姫命」という神名には、この姫神の素性が解明できる何かが、かくれているのではと考えました。 ... 姫氏が浮かびました。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.furutasigaku.jp%2Fjfuruta%2Fkaihou57%2Fkai05706.html
姫 (姓) - Wikipedia
基本的に左が年長。 重要でない人物は省略してある。 姫(き)は中国の姓の一つである。 中国史では、周王朝の国姓、及びそこから分家した晋(諸説あり)・魏・韓(晋の分岐国)などの国姓である。 姫姓は元々、帝嚳の別姓(本姓は公孫)であったという。 ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25A7%25AB_%28%25E5%25A7%2593%29
姫姓の国として呉(諸説あり)・燕(諸説あり)・魯・晋・魏・韓・鄭・衛・虞などが挙げられる。
姫(き) 紀氏 箕(巳・蛇〔虫宀ヒ・・・眞)氏
邪 ジャ 蛇  邪馬台国
王氏(琅邪王氏)出身。 晋代の人物。 王氏(太原王氏)出身。 [編集] 王渾 (琅邪王氏) 王渾(おう こん、生没年不詳)は、 晋の軍人・政治家。 王雄の子。 ... 魏晋南北朝時代の人物 | 琅邪王氏 | 太原王氏 ...
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E7%258E%258B%25E6%25B8%25BE
王 渾(おう こん、223年− 297年)は、晋の軍人・政治家。字は玄沖。王昶の長男。王済の父。妻は鍾氏。太原の人。
223年− 297年
239年に魏に使者を
卑弥呼  卑弥呼はだれか 一覧 前項 次項 戻る 卑弥呼 卑弥呼は、魏志倭人伝に現れる邪馬台国の女王で、239年に魏に使者を...
ヒ(蛇 陀)巳ミ(蛇)仔(こ シ)ミシ 箕氏

ヒヒ=さる・・・申=神(祝) 申【解字】 会意。もと 」の 壘 ...
VΛVΛVΛVΛ 隼人の盾 △紋 「申」 であるが、この金文はS字 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F3143
雷ギザギザ
・タケミカズチ(建御雷之男神)
名前に雷を当てているので、雷様といわれた人です。藤原氏の氏神であり、茨城県にある鹿島神宮のご祭神であり、剣(十拳の剣)は、伝説ではタケミカズチの霊力が宿る刀といわれ、鉄の技術を伝えた氏族の一人です。
隼人の盾のデザインが、ミクロネシアの火祭りと同じ紋様であったりするのも、刺青文化も含め、南国からやってきた人がたくさん九州地方にいたという事です。
三脚巴紋はミケーネ文明の容器、リュキア地域の鋳造硬貨、パンフィリア地域のスタテル(古代ギリシア銀貨)(アスペンドスB.C370年 - B.C330年)そしてピシディアなど多くの古代文化で見られる[要出典]。四つ脚が結合したシンボル卍(テトラスケリオン、tetraskelion)は同様にアナトリア半島で知られている。ガリア地域に集約されたアナトリア半島のケルト人勢力は、ガラティア地域に侵攻して住み着き三脚巴のケルト起源の分析によって特に有名になった /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E4%25B8%2589%25E8%2584%259A%25E5%25B7%25B4
三脚巴をシンボルにする以前のシチリアはエーゲ海を越えたギリシャの植民地領マグナ・グラエキアの一部だった。ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは古代トリナクリア島の各地点の先端が互いに等距離にある三つの主要な頂点の街メッシーナ、パキーノ、マルサーラで島に形作る三角形がシチリアの三脚巴の起源と考えた。三脚巴の三つ脚は同様にギリシア神話の神ヘーパイストスの三脚器を連想させる。
三つの渦巻きを結合させたケルトシンボルは三脚巴の裏に横たわる観念と似通った三つの意味という意味を持つ。三つの渦巻きの基調は西ヨーロッパの新石器時代シンボルだ。それはアイルランド・ミース地方の先史時代ニューグレンジ遺跡の正面玄関 近くにある菱形の石に刻まれていた。
(角状三脚巴) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%2595%25E3%2582%25A1%25E3%2582%25A4%25E3%2583%25AB%3ASnoldelev-three-interlaced-horns.svg
渦巻(うずまき)は、渦が巻くような、旋回するにつれ中心から遠ざかる(あるいは逆向きにたどれば近づく)曲線である。主に平面曲線であるが、曲面上にも定義できる。
渦巻線(うずまきせん)、スパイラル (spiral)。しばしば螺旋とも呼ばれる。自然界での気体や液体は螺旋となるものは少なくほとんどは重力や圧力によって渦巻を成す。植物の蔓(つる)は局部的に螺旋または渦巻を成すことがある。
りんごの皮から円球とS字渦巻き文様の関係がわかります。 地球もまた /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmessages.yahoo.co.jp%2Fbbs%3Faction%3Dm%26board%3D1835985%26tid%3Dmbca4acg3a4a8a4fga8a4la4fbaa4a4ja4dea49%26sid%3D1835985%26mid%3D15652
「渦巻きは神そのものであった」
鏡にS字渦巻文様を映すと、鏡面を堺にS字渦巻文様と等距離の向こう側に逆S字渦巻文様が映ります。
【神】示+申(○+)
「申」という字は“電光が屈折して走る形”、つまり稲妻を象(かたど)ったものであるとする説もあるのだが、その真相を字形図(下記)を参考にしながら明らかにしたい。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmei2jikai.blog113.fc2.com%2Fblog-entry-110.html
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog-imgs-27.fc2.com%2Fm%2Fe%2Fi%2Fmei2jikai%2F20090815165022092.jpg
、「申」という字は「成長」と「実り」と「繁栄」の象徴なのであって、それが甲骨文や金文の字形となり、さらには唐草の紋様としても図案化されたわけである。
男巫女 禹 | 日本古代史掲示板(荊の紀氏) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2984
時に六竜に乗り、もって天を御す。」 禹は男巫女(陰性) http://8628.teacup.com/toraijin

象形文字の秘密 「田」の展開−その9 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fshoukei.blog65.fc2.com%2Fblog-entry-11.html
この字の部分はもはや単独では存在せず「電」と「竜」の中にのみ残っています。 まず 辞書の記述です。 「電」 字義:いなずま 解字:会意形成。意符の雨と、意符と音符を 兼ねる申(「甩」は変わった形。いなずまの意)とからなる。雨を伴ういなずまの意。 「竜」 は「 ...
手始めに「雷」「男」「果」を検討しましょう。まず辞書の内容を確認します。
「雷」 字義:いかづち,かみなり
    解字:形声。意符の雨と、音符の[壘/上](活字がないので壘の上の部分を以下[壘−土]又は[壘/上] と表現します)」(田はこの省略形)とから成る。雨の中でそれからそれへと繋がって回転する音、「かみなり」の意。
「男」 字義:おとこ
    解字:会意。意符の田(たがやす)と、意符の力(ちからの意)とから成る。耕作に堪える力の意。ひいて、堪える力を持つ「おとこ」の意に用いる。
「果」 字義:くだもの,はたす,まこと
    解字:象形。果物が木の上になっているさま、木の上部にある小さな塊、果実の意。
 「男」では「田」が「たがやす」意味で、「果」は田を飲み込んだ象形とされています。
 これまでに検討した「田」の意味が当てはまるのでしょうか? 以下のようになります。
「雷」:「雨」+「田」=>雨から生まれるもの(雨が生むもの)=>かみなり
「男」:「田」+「力」=>力を生むもの=>力のあるもの=>おとこ
畾>色々櫑:さかだる儡:〜傀儡(カイライ)〜 操り人形壘・塁:とりで罍:さかだる疊・疂・ 畳:たたむ、たたみ疉:たたむ、たたみ 纍・累: わ ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F3003
「累」 解字:形声。意符の糸(いと)と、音符の畾(??の省略形。田は更に省略された 形。きちんと整理する意=理)とから成る。糸でつづってきちんと整理する意。ひいて、 「しばる」意、借りて、「かさねる」意に用いる。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fshoukei.blog65.fc2.com%2Fcategory6-22.html
「累」=「田」+「糸」:=うむもの+いと=>生み出される糸=>繋がったもの=>つながる=>(先祖代々)繋がるもの=>(世代を)重ねるもの=>かさねる
「累」 解字:形声。意符の糸(いと)と、音符の畾(??の省略形。田は更に省略された形。きちんと整理する意=理)とから成る。糸でつづってきちんと整理する意。ひいて、「しばる」意、借りて、「かさねる」意に用いる。
「畾」(田三つ)は、ごろごろという雷 の音を表したもので、古くは「雷」を単に「 .... する男=>みつぎものの男=>みつぐ ... 「貢」 解字:形声。 意符の貝(貨幣)と、音符の工(両手で持ち上げてたてまつる意)とから成る。 ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2915
簡化字では、田三つを「ム」三つに簡化した。一見すればそのように見えるが、もともと中国漢字には「厽」( lei3 ) があり、同音同義であるので、むしろそれによったものといえる。したがって、田→ムの簡化例とはならない。
田三つを「ム」三つに簡化した。
「厽」 雷 かみなり ・・・神〔示申〕
示乙(【己】おのれ 【ム】われ(台) 私 【乙】おつ示 乙示(かみ)と意符と音符を兼ねる帝(丶を祭る大きな台の意) ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww2.ezbbs.net%2F36%2Funderbranch%2F
ム」 部首解説:これを元にしてできている字はきわめて少なく、おもに文字整理のために 設けられた部首。 字義:わたくし、ござる 解字:象形。すきの形にかたどる。農耕用の すきの意、借りて私の意にもちいる。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fshoukei.blog65.fc2.com%2Fblog-entry-16.html
?私?という字の右にあるムは、もともと鋤(すき)を用いて 耕作する人のことをいう。 禹王はみずからもっこや鋤を手にとり、全土の川を幾度と ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2916
からすきぼし【唐鋤星】の意味は?国語辞書。 二十八宿の一、参宿 (しんしゅく) の和名。 星の配置を唐鋤に見立てた名。→ 参 (しん) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdictionary.goo.ne.jp%2Fleaf%2Fjn2%2F45774%2Fm0u%2F
しん【▽参】
二十八宿の一。西方の第七宿。現在のオリオン座の中央部に三つ連なって並ぶ星をさす。からすきぼし。みつらぼし。三つ星。参宿。
?しん【臣】
?しん【辛】
?しん【辰】
?しん【芯】
?しん【信】
?しん【神】
杉 彡(参?衫) 鶴亀(角規)(円線・衫!)が頂点で出会う (両方から やって来て出会う)・峰(頂点で 出会う)・蜂(とがった針をもつ虫)」など頂点で ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww2.ezbbs.net%2F36%2Funderbranch%2F
参」字について、中国二〇〇〇年前の漢字辞書『説文解字』には、次のように説明してい ます。 「参は商星なり。晶に従い」 「商」は殷王朝の自称で、その正号であります。 甲骨文の「参」字は写真が示すようになっています。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fsinagawa50%2F13442653.html
オリオン座は古代中国の星座区分である「二十八宿」においては「参」と呼ばれており まして、その中でも特に3つ星を「将軍星」と呼びます。 ★ 右将 また小三つ星を「伐」と ベテルギウス(平家星) いいまして ★ 左将 天の武官をあらわします /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.asahi-net.or.jp%2F%7Enr8c-ab%2Fafjpkamon.htm
源氏 白旗 源氏星 オリオン座のリゲル(白い星)
平家 赤旗 平家星 オリオン座のベテルギウス(赤い星)


8731これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 01:42:57
Re: 『キングダム』嬴政 推定O-M117(O-M133)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009188M.jpg

朱凶の刺客・徐完

ムタと同じく実在しないが、徐姓だから嬴姓でO-M133。

「有名人のハプログループ」
中国 秦代の方術士・徐福のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1(O-M117)であると推定される(注1)。これは、江蘇省の徐氏 男性複数名から得られたデータに基づく(注2)。
注1)分子人類學論壇『江蘇揚州徐氏O3a3c1,M117+』(2010.6.20)




8732これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 01:58:43
Re: 『キングダム』嬴政 推定O-M117(O-M133): 姫姓王氏O-M117
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009189M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009189_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009189_3M.jpg

姫姓王氏O-M117

・王騎(旧六大将軍)
・王翦(新六大将軍)
・王賁(新六大将軍)

王氏のハプログループの4分の1をO-M117が占める(『世界王氏網』「大会?文.王俊海?王氏起源」)。

王氏は周王室の出。
文王はO-M117のうちのO-CTS10738と見られる。この周族ハプロが中国で最も拡大。

ウィキ中国語版「名人(有名人)DNA」
周文王,姓?,名昌,中国商朝末期周氏族首?。周文王多支后代的???果属于O-M117-CTS9678?个?倍群,推?周文王有很大概率也属于?个?倍群。




8733これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 02:56:07
Re: 『キングダム』嬴政 推定O-M117(O-M133): 呉慶
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009190M.jpg

呉慶

呉姓は姫姓O-M133。

越は羋または姒姓。
羋姓ならばO-M7、姒姓ならばO-M133。
羋姓は「春秋?期楚国的祖先的族姓」。項羽の項姓も含む。項羽はO-M7。
古越語はタイ・カダイ語族。住民はタイ系だった。華東にはO1aが多い。



8734これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 03:01:39
三角縁神獣鏡 :日本人が好きな「呉の末裔」。だとしてもO-M133。
日本人が好きな「呉の末裔」。だとしてもO-M133。

これ まで 三角縁神獣鏡 は 日本 国内 で 三百 以上 出土 し て いる が、 中国 からの 出土 例 は ひとつ も ない、 さらに、 この 鏡 の 形式 は 中国 北部 のでは なく、 南方 の 呉 の 地域 の 形式 で あり、 それ は、「 呉 国 の 工人」 が 日本 に 渡来 し て き て、 日本 国内 で 作っ た もの で ある、 と 結論 し た ので ある( 三角縁神獣鏡 に関する 王 仲 殊 論文 は、 王 仲 殊 著/ 尾形 勇・杉本 憲 司 編 訳『 三角縁神獣鏡』 学生 社 に まとめ られ て いる)。

本格的 な 鏡 作り 遺跡 が 発見 さ れ て い ない のは 残念 だ が、 大和 盆地 で あれ ば、 箸墓古墳( 奈良県 桜井市) や 行 燈 山 古墳 から 遠く ない、 鏡 作 神社 と 呼ば れる 延喜 式内 社 が 集中 的 に 存在 する 奈良県 磯城 郡 三宅 町 石見 を 中心 と する 地域 と、 もう ひとつ の 青銅器 生産 の 根拠地 だっ た と 思われる 大阪府 茨木市 の 奈良 遺跡 付近 が その 候補 地 で ある。   おそらく 両方 が そう なの だ。 私 は この 茨木市 あたり が 崇神天皇 の 本来 の 根拠地 で あり、 彼 が この 奈良 遺跡 での 青銅器 生産 を 背景 に、 大和 盆地 に 入り、 覇者 と なっ た と 考え て いる。

おそらく 若杉山 の 水銀 鉱山 は 早く 枯渇 し、 この 交易 に 関わっ て い た 神武天皇 の 一族 は 新た な 水銀 鉱山 を 求め て 紀の川 筋 の 水銀 鉱山 を 押さえ て、 最後 に 宇陀 に 侵入 し た ので ある。   これ が 大和王権 の 始まり で あり、 それ は 古墳時代 初期、 すなわち 三 世紀 の 後半 という のが 私 の 考え で ある。 つまり、 神武天皇 から 四 世紀 初め の 崇神天皇 までは 二 代目 ぐらい の 繫 がり でしか ない。 しかし、 そう し て みる と、 記紀 の 崇神天皇 直前、 直後 の 記述 も かなり 信用 し て 読む こと が できる よう に なる の だ。

『歴史読本』編集部. ここまでわかった! 「古代」謎の4世紀 (新人物文庫) (Kindle の位置No.89-93).??. Kindle 版.

8735バカ2の原人:2019/08/25(日) 03:31:41
〉ちなみに、朝鮮語「石」はdol。…「石」は「嚴」?
「石」は「嚴」?
「嚴」(ごつごつしたもの) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1471223119
岩が聖…=神の声?
聖の本来の意味は、普通の人には聞こえない声(=神の声)を聞き取ることで、耳は聞き取りを表現しているのだと思います。
口は祭器?王は祭壇かな?

「夫婦岩の割れた角度は何度なのだろう・・、目印の山と合致しているだろうか…
夫婦岩(西宮市)は、イエス終焉の地とマリアの墓とイエスの陵墓とモーセの墓がある方角を全て教えていた /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fkagome1248%2Fe%2F9bcb9feff341ed95f13d38b3d20e253e
やはり岩の上にも大きな切り込みがありましたが、この切り込みは、丹後半島にあるモーセの墓の位置を見事に教えていました。
帰って地理院地図と照らし合わせたりすると、それはもう見事にイエス終焉の地やイエスの陵墓、モーセの墓、マリアの墓の位置と見事に符合しました。
その角度が教える先に見える目印の山も、マリアの墓を教える観音山。
観音様はマリア様だと教えています。
又、イエスの陵墓を教える山が、小天狗山で、天狗とはイエスだと教えていますね。
そして、夫婦岩を中心点としてイエス・キリストの陵墓までの半径で円を描くとそのライン上には高野山や修験道の本山である吉野の金峯山寺など、山岳信仰にゆかりのある山々や磐座、神社寺院などが存在しています。 偶然でしょうか。
岩が教える全ての角度は、モーセ イエス マリア の墓の位置と符合しています!
 あまりにも凄すぎるのです!!

先史時代の多くの人々は、ベルベル人を含めて、岩が聖であると考えていました。
元字の巖は、「山」+音符「嚴」(ごつごつしたもの)であり、その略字体である「岩」は、「山」+「石」の会意。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wiktionary.org%2Fwiki%2F
「厳」という字の上に、「山」が付いた漢字
「巌」→訓読み「いわお」「いわ」音読み「ゲン」「ガン」
「巌」の意味→?ごつごつした大きな石。岩。?岩穴。岩屋。?ごつごつしてけわしい。
「巌」のつく言葉には「巌窟王」(がんくつおう)「巌流島」(がんりゅうじま)などのほか、「奇巌」「巨巌」「巌棲」(がんせい)などがあります。
また、「君が代」の歌詞にも「巌」(いわお)が出てきますね。
「敢カン」 <あえてする> と <厳ゲン> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F7f1906ba613e657cff772bcd7179cceb
解字 金文と篆文第一字は、「古(ふるい)+上の手+下の手」の会意。古は、祭礼の祝詞(神への祈り言葉)を入れた器を盾で大事に守るかたち。(音符「古コ」を参照。)これに上下の手をつけた敢カンは、大事に守る器を両手であえて開けようとすること。今までの慣例にこだわらず、あえてする意となる。篆文第二字は、「ヨ+月+殳」の形に変化し、現代字はさらに敢となり、原形をとどめていない。語呂合わせで覚えると便利。
覚え方 え(エ)いと、みみ(耳)ぼく(攵)は敢(あえ)て、ふさいで敢行す。(エと耳のあいだは重なる)
意味 (1)あえて(敢えて)。あえてする。「果敢カカン」「敢行カンコウ」(思いきって事を行なう) (2)いさましい。「勇敢ユウカン」
イメージ
 「あえて」(敢・厳)
 「同音代替」(瞰・巌)
音の変化  カン:敢・瞰  ガン:巌  ゲン:厳

巌 ガン・いわお・けわしい  山部 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F7f1906ba613e657cff772bcd7179cceb
解字 正字は巖で、「山(やま)+嚴(ガン)」の形声。ガンは岩ガン(いわ)に通じ、山のような岩をいう。新字体に準じた巌が通用する。
意味 (1)いわお(巌)。いわ。大きな岩石。「巌頭ガントウ」(大きな岩の上)「巌窟ガンクツ」(=岩窟。岩の横穴) (2)けわしい(巌しい)。「巌阻ガンソ」(巌も阻も、けわしい意)

ハプログループQ (Y染色体)
親系統
P
定義づけられる変異
M242, P36.2, MEH2
高頻度民族・地域
南北アメリカ先住民、ケット人、セリクプ人、ユカギール人等

日本人のY染色体ハプログループは、18の大分類のうち、O、C、Dの3系統で、全体の9割以上を占めています。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ffirst-genetic-testing.com%2Fgene%2Fy-haplo.html

ハプログループE1b1b系統ベルベル人に80-93%[7]と高頻度である。

古代のベルベル人の豊かな神話と巨石文化 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fbokeneko22%2Fentry-12456565347.html
ベルベル人の交差点
先史時代から、ベルベルの土地はアフリカ、ヨーロッパ、そして中東からの人々の交差点でした。
カルタゴ人、ローマ人、ヴァンダル、ビザンチン、アラブ人、トルコ人、スペイン人、フランス人、そしてイタリア人は侵略とベルベル人の故郷の部分を支配してきました。
しかし、ベルベル人は統一された政治的アイデンティティを経験したことがありません。
北アフリカやスペインのさまざまな地域では、ベルベル王国や文化が並んで存在してきましたが、統一された「ベルベル帝国」は存在しませんでした。
何世紀にもわたって、ベルベル人はアラブ人を含む多くの民族グループと混合してきました、
そしてこのため、彼らは言語学ではなく人種によってもっと識別されるようになりました。
彼らの言語は、世界で最も古い言語の1つで、古代エジプト語とともに、アフロアジア言語ファミリーのアフリカ支部に属しています。
ベルベル神話
地元のカルトを超えて正式に定式化されたことはないが、ベルベル人は神々のパンテオンを中心に構築された豊かな神話と信念体系を持っていた。
彼らの信念の多くは地元で開発されたものもあれば、輸入されたものや、後にエジプトの宗教、フェニキアの神話、ユダヤ教、イベリアの神話、古代のヘレニズムの宗教などの他のアフリカの神話との接触によって影響を受けたものもあります。
最も最近の影響は9世紀の間にベルベル人がイスラム教に改宗したときのアラブ神話から来ました。
今日では、伝統的な、古代、いくつかの異教のベルベル人の信念はまだ特に、文化と伝統の中に存在するアルジェリアの古いカルトはまだ様々な程度に生き残ります。

ハプログループE (Y染色体)(ハプログループE (Yせんしょくたい)とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループの分類のうち、ハプログループDE (Y染色体)のサブクレード(細分岐)の一つで、「L339, L614, M40/SRY4064/SRY8299, M96, P29, P150, P152, P154, P155, P156, P162, P168, P169, P170, P171, P172, P173, P174, P175, P176」の変異で定義づけられる系統である。50,000 - 55,000年前[1][4]に東アフリカ[5]で誕生した。出アフリカせずにアフリカ内にとどまったハプログループである。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
推定発生時期
50,000-55,000年前[1]
推定発生地
アフリカ東部[2]または西アジア[3]
親系統
DE
子系統
E1,E2
定義づけられる変異
L339, L614, M40/SRY4064/SRY8299, M96, P29, P150, P152, P154, P155, P156, P162, P168, P169, P170, P171, P172, P173, P174, P175, P176
高頻度民族・地域
アフリカ、中東、南ヨーロッパ
E1b1b系統 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
アフロ・アジア語族に関連するタイプであり、特にベルベル人に80-93%[7]と高頻度である。下位系統E1b1b1a1b1-V13がアルバニアで高頻度であり[8]、有史以前のある時期にエジプト付近からの直接渡来が存在したようである。ヨーロッパで見られるタイプはほとんどがこのE-V13系統またはE-M123系統である。また話者の多くがR1bとなっているチャド語派の元来の担い手はカメルーン北部にのみ低頻度に見られるE-V259と考えられる


8736これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 06:50:50
新羅に西アジア起源の文化複合体を齎した集団の正体:匈奴≠フン族
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009193M.jpg

出張中?の管理人が勧めてくれた由水常雄『ローマ文化王国ー新羅』は、いや、実に興味深い!

ローマン・グラス単体ではなく、西ユーラシアの文化が新羅に「文化複合体」として導入されている。

これには人の移住を伴ったと見るのが普通だろう。
しかし、それは誰かが問題となる。

由水の推定によれば、西走した北匈奴が南ロシア平原に拠って、ローマ文化に遭遇、運び屋として東に逆走した。

でも、南ロシアに拠ったのは匈奴じゃなくフン族ね。

北匈奴がフン族になったというのは定説になってない。行方不明。
中央アジア南部の諸民族の中に消えたと見るのが妥当だろう。
北匈奴Q1b2が揃って南ロシアに出現して、ヨーロッパを蹂躙したというのには無理がある。

しかし、管理人さんは、上記の由水仮説に従い、一所懸命に匈奴Qの跡を日本や韓国に探そうとしていたわけね(笑)。でも、北匈奴の指標となるQは、半島や日本に事実上いない。当然だ。

フン族は、テュルクとウラル、イラン・アーリア人の混合だろう。彼らが東方へローマ文化を運んだ。もちろん、東アジアまで運んだわけではない。何回も中継されて届いた。

フン族から北匈奴の残党にも中継されたと考えても、弱体化した北匈奴は東アジアまで来れない。やはり、この時期というとテュルクだろう。途中、西アジアの物品は、南匈奴や鮮卑や羌族にも渡されたはずである。彼らの主流はO-M134であり、彼らが西アジア起源の文化複合体を新羅に齎した。

鮮卑はO-M134とC2が主流で良い。
なぜ南匈奴=Qではないか?南匈奴がほぼ全て漢化した一方で漢族のQ1aの比率が無視できる程度だということは、南遷・東遷した匈奴の主流はO-M134しかいないから。



8737秦野北斗:2019/08/25(日) 07:29:41
Re: 新羅に西アジア起源の文化複合体を齎した集団の正体:匈奴≠フン族
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009194M.jpg

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

新羅の建国を知らずにずうずうしく書くな、詳細は『唐会要』倭国・日本国伝にある。
読めんな、新羅は倭国が与えた。王國與新羅、王國は倭国で王=女王=卑弥呼なんだ、
AI君の頭では無理。また、匈奴=卑弥呼なんだ、

『唐会要』倭国・日本国伝
永徽五年十二月。遣使獻琥珀瑪瑙。琥珀大如斗。瑪瑙大如五升器。高宗降書慰撫之。仍云。王國與新羅接近。新羅素為高麗百濟所侵。若有危急。王宜遣兵救之。倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。頗有絲綿。出瑪瑙。有黄白二色。其琥珀好者。云海中湧出。



> 出張中?の管理人が勧めてくれた由水常雄『ローマ文化王国ー新羅』は、いや、実に興味深い!
>
> ローマン・グラス単体ではなく、西ユーラシアの文化が新羅に「文化複合体」として導入されている。
>
> これには人の移住を伴ったと見るのが普通だろう。
> しかし、それは誰かが問題となる。
>
> 由水の推定によれば、西走した北匈奴が南ロシア平原に拠って、ローマ文化に遭遇、運び屋として東に逆走した。
>
> でも、南ロシアに拠ったのは匈奴じゃなくフン族ね。
>
> 北匈奴がフン族になったというのは定説になってない。行方不明。
> 中央アジア南部の諸民族の中に消えたと見るのが妥当だろう。
> 北匈奴Q1b2が揃って南ロシアに出現して、ヨーロッパを蹂躙したというのには無理がある。
>
> しかし、管理人さんは、上記の由水仮説に従い、一所懸命に匈奴Qの跡を日本や韓国に探そうとしていたわけね(笑)。でも、北匈奴の指標となるQは、半島や日本に事実上いない。当然だ。
>
> フン族は、テュルクとウラル、イラン・アーリア人の混合だろう。彼らが東方へローマ文化を運んだ。もちろん、東アジアまで運んだわけではない。何回も中継されて届いた。
>
> フン族から北匈奴の残党にも中継されたと考えても、弱体化した北匈奴は東アジアまで来れない。途中、西アジアの物品は、南匈奴や鮮卑や羌族に渡されたはずである。彼らはO-M134であり、彼らが西アジア起源の文化複合体を新羅に齎した。
>
> なぜ南匈奴=Qではないか?南匈奴がほぼ全て漢化した一方で漢族のQ1aの比率が無視できる程度だということは、南遷・東遷した匈奴の主流はO-M134しかいないから。



8738これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 07:33:02
Re: 新羅に西アジア起源の文化複合体を齎した集団の正体:匈奴≠フン族
秦野北斗さんへのお返事です。

おめえは対朝鮮人コンプレックスにまみれた糞だ。
糞がまともなこと考えられるはずがない。おクスリ飲んで寝ろ、このノイローゼ患者!w


8739これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 07:38:04
Re: 新羅に西アジア起源の文化複合体を齎した集団の正体:匈奴≠フン族
秦野北斗さんへのお返事です。

> これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
>
> 新羅の建国を知らずにずうずうしく書くな、詳細は『唐会要』倭国・日本国伝にある。


わたしゃ前投稿で新羅の建国についてなんて書いてないんだけどな〜。
ノイローゼ患者の目の付け所は違うんだろwww あ〜キモイキモイ。目あわさんとこ?
あ、幻視か幻聴なら他の病気も併発しとるよ

8740秦野北斗:2019/08/25(日) 07:53:32
Re: 新羅に西アジア起源の文化複合体を齎した集団の正体:匈奴≠フン族
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009197_2M.jpg

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
> > これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
> >
> > 新羅の建国を知らずにずうずうしく書くな、詳細は『唐会要』倭国・日本国伝にある。
>
>
> わたしゃ前投稿で新羅の建国についてなんて書いてないんだけどな〜。
> ノイローゼ患者の目の付け所は違うんだろwww あ〜キモイキモイ。目あわさんとこ?
> あ、幻視か幻聴なら他の病気も併発しとるよ



8741これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 08:10:56
Re: 新羅に西アジア起源の文化複合体を齎した集団の正体:匈奴≠フン族
秦野北斗さんへのお返事です。

こいつ秦野って爺さん、匈奴と鮮卑の中核集団が日本人、それもy-Dなんて抜かしたんだよ。
オカシイでしょ、あたまw
もうレスつけてくんな、迷惑です、気持ち悪いです!

8742これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 08:41:41
Re: 新羅に西アジア起源の文化複合体を齎した集団の正体:匈奴≠フン族: ローマ文化王国新羅!への伝播ルート
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009199M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009199_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009199_3M.jpg

草原系と山岳系の違いについて。日本は当然山岳系。
モンゴルもテュルクも羌族も、遊牧民は防衛に適した山に拠るよね。逃げるときは山伝い。

日本語集団は、東朝鮮含め、日本までずっと山伝いじゃないかと。
東朝鮮には太白山脈が走り、小白山脈が歴史的に百済地域と新羅地域を分ける。

テュルクのベースも山岳系。鮮卑山に逃げ込んでる。拓跋の故地もこの辺り。
鮮卑語はテュルク語とパラ・モンゴル語。

日本語集団O-M117は、甘粛・青海から長城ルートでフフホトあたりまで隠山山脈伝って来て、
燕山山脈、大興安嶺山脈に北上した。

O-M117も、赤峰・ナイマン旗あたりと吉林哈達嶺に集積地がある。北東モンゴルでO-M117=25%。O-F444の言語つまりテュルク化して一部が中央アジアまで行ってる。

モンゴル北部も山地だから、テュルクO-F444はモンゴル北縁ルートでモンゴル西北部へ行った。北匈奴の北方に展開する。

西アジアの文化を東アジアまで持って来たのはテュルクで、新羅に入っていた羌族系O-M117もアチラの物が大好きなので積極的に取り入れることになる。
まあいろいろ考えられるが、このシナリオ、かなりイケてると思います。

草原系については、また後でw





8743バカ2の原人:2019/08/25(日) 08:46:26
匈奴の主流…
…匈奴は、韓、魏、趙、燕、斉の五カ国と連合し、秦を攻撃したとされる。
〉元代・オングート(白韃靼)の王で、趙王・闊里吉思のY染色体は、ハプログループQ(Q-M242)
オングートの用語解説 - 遼以後モンゴル帝国,元代までモンゴル高原の陰山山脈付近にいた遊牧民族。トルコ系。汪古惕と漢音訳される。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
トルコ系 汪古惕
遼以後モンゴル帝国,元代までモンゴル高原の陰山山脈付近にいた遊牧民族。トルコ系。汪古惕と漢音訳される。根拠地は陰山山脈北方のオロン・スム。遼,金に服属し,両王朝の北辺防衛の任に当たり,13世紀初めチンギス・ハーンが勃興すると,その部族長アラクシ・ディギト・クリはすすんで服属し,以来歴代部族長は皇室の娘と王号を与えられた。オングート部はネストリウス派を熱心に信仰していたが,元代にはカトリックの信者もかなり出た。
中国、金・元代に内モンゴル、陰山山脈の北に居住したトルコ系の遊牧部族。その起源は、唐末の混乱期にこの地方に移った、沙陀突厥(さだとっけつ)やウイグルの一部などが混成したものという。宋(そう)人からは白達達(はくたつたつ)とよばれた。中国文化や西方の文化を取り入れ、モンゴル高原の遊牧民のなかでも比較的高い文化をもっていたといわれる。オングートの一部は金朝に服属し、その北西辺の防衛の任務を受け持った。モンゴル部にテムジン(チンギス・ハン)が現れ、モンゴリアの統一を進めるうち、13世紀の初め、オングート部長アラクシュ・テギト・クリはこれに臣従し、その同盟者となった。オングートは熱心なネストリウス派キリスト教徒であったことが知られ、オングート部長は司教の位をもっていた。王城は内モンゴルのオロン・スムにあったが、元朝の滅亡後、明(みん)軍の攻撃によって破壊された。オングートの後裔(こうえい)はエングートとよばれ、内モンゴル、トゥメト部の一員となった。[森川哲雄] /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F

匈奴は、トルコ系もしくはモンゴル系とされる騎馬遊牧民で東アジア最初の遊牧国家を建設した。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fhitopedia.net%2F
匈奴は紀元前4世紀ごろ、中国では春秋戦国時代の末期。あの秦・楚・斉・燕・韓・魏・趙の「戦国の七雄」が覇権を争っていたときに突如としてモンゴル高原から南ロシアの草原地帯に出現した騎馬遊牧民族です /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdic.nicovideo.jp%2Fa%2F
匈奴の出自は定かではないが、一説には西からモンゴル平原にやってきたアーリア人(スキタイ)とも言われている。匈奴が初めて資料に現れるのは、中国の戦国時代の真っ只中の前三一八年であった。匈奴は、韓、魏、趙、燕、斉の五カ国と連合し、秦を攻撃したとされる。
匈奴の全盛期、冒頓単于の登場
冒頓は単于の長子として生まれながら、愛妾の子を跡継ぎにしたかった父の頭曼に疎まれ、当時西にあった匈奴のライバルの月氏に人質として送られてしまった。頭曼が月氏を攻めた際に、冒頓は月氏に殺されそうになったが、馬を奪って逃げ出すことに成功した。これには頭曼も冒頓を認めざるを得ず、一万の兵隊を冒頓に与えたが、冒頓の父への不信は高まっていった。
その後、冒頓はクーデターを起こし、頭曼とそれに連なる閼氏(匈奴における妻の意)、弟、大臣を誅殺し、冒頓単于として匈奴のトップにたった。時に前二〇九年のことであった。冒頓が頭曼を倒す時のエピソードや東胡を討った時のエピソードも有名である。 詳しくは冒頓単于の記事で。
東胡を討った後、冒頓単于は西方の月氏も敗走させ、漢の領土にまで侵攻を開始した。ここに匈奴の全盛期が始まった。
中華思想の下、全世界の上に起つ皇帝にとって匈奴との対等な付き合いは屈辱以外の何ものでもなかった。
漢側に衛青や霍去病などの優秀な将軍が誕生したことにより、情勢は漢に傾いていった。好戦的な伊稚斜単于が死ぬと、その跡を継いだ烏維単于は匈奴を北に撤退させた。匈奴が北に移ったことによって漢と西域との間に安定した道が開かれるようになった。武帝は烏孫に張騫を送り、また大宛、康居(キルギス・カザーフ草原の遊牧民)、大月氏、大夏、安息(パルティア)、身毒(インド)にも使者を派遣した。これがかの有名なシルクロードの始まりと言われる。
4世紀に欧州に猛威をふるったフン族はこの北匈奴の末裔という説もある。

トルコ人(トルコじん、Türk HalkıあるいはTürkler)は、アナトリア半島とバルカン半島、アラブ諸国の一部に居住し、イスタンブール方言を公用語・共通語とするトルコ語を話すテュルク系の民族である。アゼルバイジャン人やトルクメン人とは民族的に親近関係にある /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
遺伝子 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
アナトリアは古来より文明の十字路として多種多様な系統の人々が移り住んできたため、遺伝子は多様である。トルコ人のY染色体ハプログループの上位6種の割合[87]を示す。
J2=24%
R1b=14.7%
G=10.9%
E1b1b=10.7%
J1=9%
R1a=6.9%
トルコ語はアルタイ諸語に属すが、アルタイ系C2系統の割合は非常に少ない。

〉漢 代北匈奴の夏の王庭から出土した複数の男性古人骨を解析した結果、それぞれハプログループQ*(Q-M242*)、ハプログループQ1a*(Q-MEH2)、ハプログループQ1b1(Q-M378)であることが明らかとなった(注1)。これらは、2007年9月に中国・新疆ウイグル自治区バルコル県の東黒溝遺跡から発掘された古人骨に基づく解析結果である(注2)(注3)(注4)。
〉趙王・闊里吉思 ハプログループQ(Q-M242)
趙の武霊王(在位前325〜前299年)は前307年、「胡服騎射」という、匈奴の服装と騎馬の戦法を取り入れることを決意した。
戦国の七雄の中で秦が強大になると、東方の韓・魏・趙・斉・燕の5国は連合してあたることになった。そのとき、連合国は秦を牽制するために、その北方にいた匈奴にも参戦を要請した。前318年のこの戦いは、連合国の内紛のため函谷関の戦いで秦軍に敗れてしまった。この時はじめて匈奴の存在が中国の歴史に登場した。
 趙の武霊王(在位前325〜前299年)は前307年、「胡服騎射」という、匈奴の服装と騎馬の戦法を取り入れることを決意した。当時の中国の戦いの主流であった戦車戦は、戦車に御者と弓を引くもの、戈(ほこ)を持つものの三人が一組となって乗り、これが歩兵軍団を指揮して戦うものであった。戦車に騎乗するのは貴族であり、その働きが勝敗を決することが多かった。それにたいして武霊王が導入しようとした匈奴の戦法は騎兵を主体とするもので、騎兵は平民でも訓練さえ積めば強い戦闘力を発揮できるため、当時の貴族の立場を犯す危険性があった。司馬遷の『史記』趙世家では武霊王の胡服騎射導入に対して貴族たちが強く反対したことが物語られている。<沢田勲『冒頓単于』世界史リブレット 人14 2015 山川出版社>
 武霊王の軍制改革で騎馬戦術を採り入れた趙は、前296年に東の中山国を征服した。しかし、秦の強大化はその後も続き、前260年には秦に敗れ(長平の戦い)、捕虜になった40万の兵士が秦軍に坑埋めされて殺されるという敗北を喫した。その後、将軍李牧が現れて、よく匈奴や秦と戦ったが、両面からの軍事的圧力で国力を消耗させ、ついに秦王政(後の始皇帝)に攻められて、前222年に滅亡した。
趙 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.y-history.net%2Fappendix%2Fwh0203-041.html
趙(ちょう)は、韓・魏とともに、春秋時代の有力諸侯であった晋の家臣であったが、前453年に韓氏・魏氏と協力して実権を握っていた知氏を倒し、事実上晋を三分することとなった。前403年に周王から諸侯であることを公認され、一般にこの時からを戦国時代とされている。
 趙は華北の山西省北半から河北省東南部にかけて支配し、都は邯鄲(かんたん)におかれた。北方を異民族と接していたので軍備に力を入れ、次第に強国となって戦国の七雄に加えられるようになった。

趙王・闊里吉思
元代・オングート(白韃靼)の王で、趙王・闊里吉思(   -1298)のY染色体は、ハプログループQ(Q-M242)である(注1)(注2)。これは、梳?楼墓地にあるオングート高唐王・闊里吉思の遺骨を鑑定した結果による。
闊里吉思は、クビライ(忽必烈)の皇太子・チンキム(真金)の娘、忽答的迷失を娶リ、後にはテムル(成宗)の娘、愛牙失里を娶った。1292年、元の成宗は、闊里吉思を高唐王に封じた。1305年、「趙王」の号を追封され「駙馬高唐忠献王碑」が建てられた。この結果により闊里吉思と同祖で、テュルク系民族の突厥沙陀族出身である後唐の始祖・李克用もまたハプログループQ(Q-M242)であったと推定されている(注3)。

「M242, P36.2, MEH2」のSNPの変異によって定義されるグループ
ハプログループQ (Y染色体)(ハプログループQ (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup Q (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、「M242, P36.2, MEH2」のSNPの変異によって定義されるグループである。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
Q1a2c (M323) (旧 Q5, Q6, Q4, Q1a6) イエメンのユダヤ人に15%
Q1b1 (M378)  ハザーラ人、ウイグル人、[34] イラン、ユダヤ人[35][36]。

親系統DE
子系統E1,E2
定義づけられる変異
L339, L614, M40/SRY4064/SRY8299, M96, P29, P150, P152, P154, P155, P156, P162, P168, P169, P170, P171, P172, P173, P174, P175, P176
…P?
N、O、Q、Rなどの祖先ハプログループK (Y染色体) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4962
ハプログループIJK…IJ…サブクレード
IJのサブクレード(細分岐)の一つ
ハプログループJ-P209 (Y染色体)(ハプログループJ-P209〈Yせんしょくたい〉)、系統名称ハプログループJとは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループの分類のうち、IJのサブクレード(細分岐)の一つで、「12f2.1, L134, M304, P209, S6/L60, S34, S35」の変異で定義づけられる系統である。約48,000年前に誕生した。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
大きくJ1とJ2にわかれる。J1はアラブ人に多くみられ、アラビア半島や北アフリカで多い。J2は肥沃な三日月地帯からトルコ、ヨーロッパの地中海沿岸、中央アジア、南アジアなどに多い。J1は南東人種、J2はアルメノイドの分布と概ね相関している。コーカサスでは民族や地域間の差が大きいが、全体的に見ればJ1もJ2も多い地方の一つとして挙げられる。
J1系統 イエメン76%[3][4]、サウジアラビア64%、クウェート58%[5]、ダゲスタン56%[6]、アルジェリア35%[7]、イラク33%[8]、チュニジア31%[9]、リビア30.5%[10]、シリア30%、エジプト20%[11]、アシュケナジーユダヤ人20%[12]など。
J2系統イングーシ人88.8%[13]、グルジア北東部72%[14]、チェチェン人56.7%[15]、イタリアCentral Marche 35.6%[16]、ウイグル人34%[17]、ウズベク人30.4%、キプロス30-37%[18]、レバノン30%[19]、イラク(アッシリア人、マンデ人、アラブ人)29.7%[20]、シチリア島22.6%[21]、アゼルバイジャン人24%-48%、シリア22.5%、クルド人24-28%、イラン人23%[22]、トルコ24.6%[23]、ギリシャ・クレタ島35%[24]、アシュケナジーユダヤ人24%、セファルディーユダヤ人29%、ドラヴィダ人(カースト)19%[25] など。

ハプログループIJKから誕生
47,000年前[1]に南アジア-西アジアのいずれかでハプログループIJKから誕生
ハプログループK (Y染色体)(ハプログループK (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup K (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、「rs2033003 (M526)」によって定義されるグループである。N、O、Q、Rなどの祖先に当たる。した。
なお、ハプログループKの子系統のうち、特にO、Rなどは現在のユーラシア大陸とアメリカ大陸においては最も一般的に見られ、全男性の50%以上がハプログループKの子系統に属すると言われている。ハプログループKは比較的若い系統であるにも関わらず、非常に多くの人々の最近共通祖先となっている

ハプログループQ* (Q-M242*)
漢代・北匈奴の王庭附近墓地出土・古人骨
漢代北匈奴の夏の王庭から出土した複数の男性古人骨を解析した結果、それぞれハプログループQ*(Q-M242*)、ハプログループQ1a*(Q-MEH2)、ハプログループQ1b1(Q-M378)であることが明らかとなった(注1)。これらは、2007年9月に中国・新疆ウイグル自治区バルコル県の東黒溝遺跡から発掘された古人骨に基づく解析結果である(注2)(注3)(注4)。
注1)呉偉榮『匈奴、孔子、曹操的基因』(2015年秋)
注2)新疆哈密地區巴里坤-?溝梁墓地的發掘, 被認爲是漢代匈奴夏季王庭所在地, 墓地人類遺骸檢測出全是Q類型: Q1a*, Q1b, Q*。 後來的研究表明,還存在幾例Q-M3, 即印第安人的主要類型之一。
注3)中国通信社『新疆東黒溝遺跡は北匈奴の夏の王庭、専門家が初歩的認定』(2007.9.16)によれば「(中国通信=東京)ウルムチ2007年9月16日発新華社電によると、新疆ウイグル自治区文物局と考古研究所は先ごろ、現在発掘、整理中のバルコル県東黒溝遺跡は中国最大の古代遊牧民族の集落跡であるだけでなく、漢代北匈奴の王庭と初歩的に認定されたと発表した。西北大学文化遺産・考古研究センター、新疆ウイグル自治区考古研究所、ハミ地区文物局は昨年から、バルコル県東黒溝遺跡について2年連続の考古学発掘を進めている。これまでに石で築いた高台1基、石で囲んだ住居の土台4基、墓12基が発掘され、大量の岩画が発見され、少なからぬ土器と銅器が出土した。発掘作業の推進者の一人、西北大学考古学科主任の王建新教授は出土文物の真剣な考証を行うとともに、詳細な歴史資料を参照した後、遺跡の年代が最も古くて、戦国晩期から西漢初期に遡ることを確認した。遺跡は同時に、当時強大な匈奴が月氏を打ち破り、この地域を占拠したという史実を証明している。東黒溝遺跡の規模を基に、王教授はこれが北匈奴の夏季の王庭であることを確認した。また、早くもシルクロード開通以前に、東・西洋の各民族間の交流、融合がすでに始まっていたとみている。小河墓地考古学研究の発起人、新疆ウイグル自治区考古研究所所長の伊弟利斯教授は次のように話している。中国で古代遊牧文化の大型集落跡の総合的考古学研究が行われるのは初めてであり、東黒溝遺跡の発見と研究は、古代遊牧文化の社会・経済形態の探求、特に漢代の匈奴と月氏両民族の文化の研究に、非常に重要な最新資料を提供している」とある。
注4)ISOGG Tree(ver.10.79)による表記。原文ではISOGG 2008による旧表記で各々「Q*(Q-M242*)」、「Q1a*(Q-MEH2*)」、「Q1b(Q-M378)」である。


8744これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 09:07:54
Re: 新羅に西アジア起源の文化複合体を齎した集団の正体:匈奴≠フン族: ローマ文化王国新羅!への伝播ルート
匈奴にも鮮卑にも羌族にもD1b(旧表記)などイ・ナ・イ。文字通り皆無w
新羅には、どうじゃろね、ごく少数いたかも?

8745これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 09:20:44
Re: 匈奴の主流…
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009202M.jpg

バカ2の原人さんへのお返事です。

匈奴はワシの片割れじゃw
ちょうどこんな感じ(図)。「ワケあり」のw



8746これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 09:27:43
Re: 新羅に西アジア起源の文化複合体を齎した集団の正体:匈奴≠フン族: mt-G3aとの関係も考えて見たい。
mt-G3aとの関係も考えて見たい。
由水が推定する「ローマ文化の伝播ルート」は、私が比率の推移から推定した「mt-G3aの日韓への道」(南シベリア・バイカル・満洲・日韓)に当たる。

G3aは前匈奴(後期青銅器時代フブスグル人)にも匈奴にも出ている。
一方、東アジアには極僅かにしか見られない。
G3aは匈奴が落ち延びた中央アジア南部の山岳地帯やカシミールなどに散らばっている。
匈奴とG3aは繋がる。一部がフン族にも渡ってヨーロッパに残った。

3〜4世紀初めにかけて漠北を襲った寒冷乾燥化と南匈奴の南下、その南下匈奴の中には羌族や丁零も含まれていた(講談社『中国史 魏晋南北朝』27頁)。

いずれにせよ、日本に渡来した僅かなG3aは、こんな道を使って北東アジアに出たのである!

匈奴G3a、東アジアのローマ文化王国北魏と新羅、そして、日本へ!

8747バカ2の原人:2019/08/25(日) 16:08:52
> ・G3a=40%:南シベリアのトルコ系トゥヴァ人。
羌族は3000年以上前から存在し、縄文人のルーツであり、春秋戦国時代の斉を建国し、秦の国も同族の国で、ついには斉、秦は日本列島に渡来し、邪馬臺国からヤマト朝廷になりました。
羌族とは! /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12055802900.html
参考
? 中国文明:遊牧民族「古代羌族」の歴史(参考)を丸々コピぺし、新知識を挿入しました。
この「羌」とは一体何者なのか?調べてみました。
>羌という文字は甲骨文のなかに頻出する。商(殷)王朝と戦って捕らえられた羌人は人身御供、つまり祭祀の生贄とされたのである。→ 宦官になった者もいる
>古代羌族(きょうぞく)は、陜西省から寧夏回族自治区(ねいかかいぞくじちく)にいた遊牧民族で、白狼を崇拝し、自らを白狼の子孫一族としています。
>羌族はチベット系民族ですが、その呼称文字の「羊」から知られるように、西アジア地域の遊牧民族で、やがて、中国西部に広く勢力を伸ばしてきます。三皇五帝以前より、度々中原に進出し、葛藤と同化を繰り返します。やがて同化し、漢民族とし漢水の上流にいる羌族を南羌族、青海周辺に居る羌族を西羌族と呼ばれます。
南羌族は周王朝建国の功労者「太公望」の故国であり、後に漢民族の大姓となります。→ 斉、秦のルーツ
その時代になると、南羌族のトーテムは「羊」に変わっています。「白狼」崇拝は、西羌族だけとなり、彼ら一族は、時に胡人とも呼ばれるようになります。
・・・漢水とは長江の支流のことで陝西省の南部を指します。
>チベット高原の東端、四川省西部の山岳地帯は、かつて幾つもの古代民族が移動と興亡を繰り返した地域である。数千年前、中国西北部の古代民族「羌」の一部は故地を追われ、新たな土地をもとめてここを南下したという。現在、この一帯に居住するチャン族やギャロン、白馬、ナムイなどのチベット族および雲南のプミ族は、この古代「羌」の末裔と目される人々である。
ここで中国の地図を載せておきます。青海湖辺りに西羌族、天水辺りに南羌族がいたわけですね。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fimage-12055802900-13379812668.html

[5952] 羌族O-M117=甘青地域集団のmtDNAハプログループ https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/5952
> 羌族のうち丹巴ホルパ人という集団を例に取ると、G(17%%)+C(11%)+A(6%)=計34.5%。コレ、日本人だと15%ほどとなります。
>
> 2. で、羌族に多い配偶として、GとM8が抜き出せる。
> y-NOのN1とO-M134にパラレルな形で、mt-GとM8も羌族、北方漢族、アルタイ系、ウラル系に特徴的なハプログループとなるのです。
> 北方漢族になる集団には羌族からこれらの遺伝子が入った(Ancient DNA reveals genetic connections between early Di-Qiang and Han Chinese, 2017)。
>
> 加えて、チベットが最大集積地(10%)のM10も挙げられるでしょう。
>
> ええと、チベットにはM9aも多いですが(19%)、これは東南アジア起源のD1aの配偶なので切り捨てます。
> 羌族ではD1a=18%、M9a=2ー13%です。
>
> 3. では、mt-Gのうちチベット族や羌族に特徴的なサブグループは何か?
> ーこれ、G3bとなります。南シベリア・バイカル・中央アジアに多いG3aの姉妹ハプロです。
>
> 自分自身がG3aなので、頻度表を計算して「民族ごとのGにおけるG3の割合」を調べたことがありますが、次のようになります:
>
> ・G3a=100%:南シベリアのトルコ系ハカス人、エヴェンキ人(ブリャート共和国)。
> ・G3b=67%:チャムド(東チベット西半分)のチベット人。
> ・G3a=50%:ブリヤート人、アルタイ・カザフ人、タジク人。
> ・G3a=40%:南シベリアのトルコ系トゥヴァ人。
> ・G3b=33%:湖北・湖南省のチベット・ビルマ系土家族、ロカ地方のチベット族
> ・G3b=30%:羌・ギャロン居住地域(G3a:7%〔雅江〕)
> ・G3a=25%:ウズベク人
> 以下、G3a
> ・21%:韓国人(ただし、同規模の別データでは0%)
> ・17%:青海省のチベット族、ウイグル族
> ・13%:内モンゴル・アルン旗の朝鮮族
>
> 4. これらのmt-G3の頻度の地図上でのプロットが進んでその 概要が目の前に現われていったとき、 私は身が震えるような衝撃と興奮を 覚えました。笑
>
> G3bはチベット特有なので切り離せますが、G3aについて、
> 中央シベリア高原⇒南シベリア(100%)⇒バイカル地方(50%)⇒内モンゴル(13%)⇒日韓という「北の道」が頻度の勾配とともにくっきりと浮かび上がって来たのだ!!!
> 我がG3の数が少ないからこそ分かった、スモール・イズ・ビューチフォー!
>
> G3は日韓ともにコンマ以下の低頻度ですが、「内モンゴル・アルン旗の朝鮮人」に多いのが目を惹きます。「新羅の匈奴起源説」ってのと関係あるなら面白いですが、んまー、満洲の朝鮮族がモンゴル入って地元の女性と結婚したというのが妥当な線でしょう。
>
> ギャロン語集団にはG3aも見られることが注目されます。
> 現代羌族・ギャロン語集団ではGの多様性も高いのです。G*、G2、G3が揃っています。
> この集団、ホントにシベリアから下りてきたんじゃないの?とも思います。ブリヤートにはO-M134=20%の集積地もありますから。
>
>


8748これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 20:54:36
Re: > ・G3a=40%:南シベリアのトルコ系トゥヴァ人。
バカ2の原人さんへのお返事です。

「羌族とは」のMATTはホント糞嘘のトンデモだなw

[5952]って、
私の投稿も保存してあるのかw
バラ撒いて弘めるが良い!

トゥヴァ・ゲノムは私に6.6%(Home DNA)ほど入ってるから関係あるだろう。

> 現代羌族・ギャロン語集団ではGの多様性も高いのです。G*、G2、G3が揃っています。
> この集団、ホントにシベリアから下りてきたんじゃないの?とも思います。ブリヤートにはO-M134=20%の集積地もありますから。

この部分は修正だな。
G3は、匈奴由来。G3aは東西に、G3bは南下してチベット人に吸収されたということだろう。

8749バカ2の原人:2019/08/25(日) 21:22:28
〉自分自身がG3a…トルコ系…?
〉G3は、匈奴由来。G3aは東西に、G3bは南下してチベット人に吸収されたということだろう。

G2c(アナトリア) は捕囚の時混血? or ディアスポラ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fyohane.natsu.gs%2F00%25200%25200%2520dna2.htm
G2c系統:  これもセム系で、アシュケナジ系ユダヤ人に G2cのみが見出される。コーカサスのG2aは入っていない。
  ・ G2a ・・・ コーカサス(黒海、カスピ海の北)、 イラン、アフガニスタン、カシミール
         ex) ヨシフ・スターリン G2a1a、 アイスマン(コルシカ島・特殊) G2a2a1b
  ・ G2c ・・・ アナトリア(トルコ中部)、 アシュケナジム・ユダヤ
       ・・・・・ したがって、アシュケナジムが ハザール王国(コーカサス)の改宗者の子孫(7−10c)という説は、DNAから見て間違いで、現在では俗説とされている。

> ・G3a=50%:ブリヤート人、アルタイ・カザフ人、タジク人。
> ・G3a=40%:南シベリアのトルコ系トゥヴァ人。
> ・G3a=25%:ウズベク人
> 以下、G3a
> ・21%:韓国人(ただし、同規模の別データでは0%)
> ・17%:青海省のチベット族、ウイグル族
> ・13%:内モンゴル・アルン旗の朝鮮族

> ・G3b=67%:チャムド(東チベット西半分)のチベット人。
> ・G3b=33%:湖北・湖南省のチベット・ビルマ系土家族、ロカ地方のチベット族
> ・G3b=30%:羌・ギャロン居住地域(G3a:7%〔雅江〕)

(1) 日本固有の Y染色体DNAハプロタイプの移動: /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fyohane.natsu.gs%2F00%25200%25200%2520dna5.htm
   1) D系統(古モンゴロイド):  DE*(祖型)  ・・・ ナイジェリアで5例       D*(祖型)  ・・・ アンダマン諸島
             グアム、タイでD-M174が10−20%、カンボジアでD1−Mが3.8%
     ・ DE → D系統と E系統の分岐 の遺伝距離は 3.8万年(=3950年、洪水後50年)
            D1a1 (D1)  ・・・ ヤオ族、      D1a2 (D3)  ・・・ チベット、 朝鮮半島(6%)
            D1b(* 旧 D2 2014 5月から名称が変わっている)  ・・・ 日本(縄文系) (大和、琉球、アイヌ)、
            D2  ・・・ フィリピンのマクタン島、グアム島
   チベット: D1a1 16%、 D1a2 33%、    ヤオ族: C 20%、 D 30%、 O2a* 40%、 O3* 10%  チワン族: D1 29.6%
   漢民族: D1a  1−2%、   羌族(羌岷族)のプミ族: D1a1 70%(最多)
   日本(大和): D1b 36%、  (琉球): D1b 45%、 (アイヌ): D1b 88%、 C3 12%
   ● D1b(国内平均36%): 北海道56.3、東北35.6(D1a2 2.2)、関東48.2、中部34.8、近畿31.4、中国18.8、四国25.3、九州28.8、沖縄45.1
     ・ D1aと D1bの遺伝距離は 3.5万年(=3900年前、洪水後100年頃でかなり初期)。 D1b は 古くから日本にのみあった独自のもので、日本のD系統は全て D2-M57で、日本以外には存在しない。 朝鮮半島は D1aのみ(6%)であり、縄文人は半島からではなく、南方から古い時代に来て定住した。陸続きであり、東シナ海を徒歩で北上のルート。 階段状ピラミッド等を海沿いに作った後、海面が上昇し 弥生人が来るまで日本に孤立した。

  トップ 神のホームページ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fyohane.natsu.gs%2Findex.html
聖書関連のDNAまとめ ・・・・ ユダヤ人と日本人のDNA、C14法修正、ネアンデルタール人、皇室(15 10月1日) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fyohane.natsu.gs%2F00%25200%25200%2520dna1.htm
2. ユダヤ人周辺のDNA /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fyohane.natsu.gs%2F00%25200%25200%2520dna2.htm
(2) ユダヤ人が属する Y染色体DNAハプログループ:   Y染色体DNAハプロタイプ系統樹(2003) 、  List of haplogroups of historic people(有名人のハプロタイプ)
    F(セム) >  G、H、I、  J  > J系統=アブラハムの子孫  > J2a が オリジナルのユダヤ系、 G2c(アナトリア) は捕囚の時混血? or ディアスポラ時代?
    (ハム)  > A、B、C、  D、E  >  E系統= クシュ、ミツライム、プテ、カナン  > E1b1b1a3 は 主にフェニキアとの混血
    K(ヤペテ) > L、M、N、O、   P > Q、R  >  R1a1 は ディアスポラの時に東欧系が混血 (アシュケナジムのみ)
・・・


8750これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 21:46:02
Re: 〉自分自身がG3a…トルコ系…?
バカ2の原人さんへのお返事です。

> 〉G3は、匈奴由来。G3aは東西に、G3bは南下してチベット人に吸収されたということだろう。
>
> G2c(アナトリア) は捕囚の時混血? or ディアスポラ<A


えーと、チミ、またy-とmt-混同しとるがなw


8751これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 22:30:18
Re: 匈奴の主流…
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009208M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009208_2M.jpg

> バカ2の原人さんへのお返事です。
>
> 匈奴はワシらの片割れじゃw
> ちょうどこんな感じ(図)。「ワケあり」のw


日本人のルーツ:古西戎人O-M134(日本語集団)と古匈奴人Q1a(「ワケあり」) 。

セカン:遼河先住民N1 (「ワケあり」)とアムール先住民C2

サード:シナ人(東夷) O-JST002611と西南夷O-M7

外野(お好みで):海洋民的O1b2と原始的D1b(旧表記)



8752これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 23:01:30
秦野「あー, 日本のy-Dは匈奴と鮮卑の主力でぇ...」←この酔っ払い!w
秦野「あー, 日本のy-Dは匈奴と鮮卑の主力でぇ...」←この酔っ払い!w


8753これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/25(日) 23:13:20
Re: 新羅に西アジア起源の文化複合体を齎した集団の正体:匈奴≠フン族
> 出張中?の管理人が勧めてくれた由水常雄『ローマ文化王国ー新羅』は、いや、実に興味深い!
>
> ローマン・グラス単体ではなく、西ユーラシアの文化が新羅に「文化複合体」として導入されている。
>
> これには人の移住を伴ったと見るのが普通だろう。
>

しかし、2009年に出た山川出版社『ユーラシアの風 新羅へ』によると、代表的な皇南大塚のガラスを調べたところ、中央アジア由来のガラスであったと言う。

西アジアから新羅への中継地としての中央アジアではなく、製造地としての中央アジアを考える必要がある。

由水の『ローマ文化王国ー新羅』は2000年の刊行。南ロシアから匈奴を介して新羅へという推論はちょっと先走り過ぎの感はある。
『ユーラシアの風 新羅へ』の方が新知見が取り入れられている。
青少年にはまずコチラを勧める。

8754これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 00:23:22
ローマ文化王国新羅地域ではないか?
まず、これはmt-Gの中におけるG3の割合だから気を付けて。

> ・G3a=100%:南シベリアのトルコ系ハカス人、エヴェンキ人(ブリャート共和国)。
> ・G3b=67%:チャムド(東チベット西半分)のチベット人。
> ・G3a=50%:ブリヤート人、アルタイ・カザフ人、タジク人。
> ・G3a=40%:南シベリアのトルコ系トゥヴァ人。
> ・G3b=33%:湖北・湖南省のチベット・ビルマ系土家族、ロカ地方のチベット族
> ・G3b=30%:羌・ギャロン居住地域(G3a:7%〔雅江〕)
> ・G3a=25%:ウズベク人
> 以下、G3a
> ・21%:韓国人(ただし、同規模の別データでは0%)
> ・17%:青海省のチベット族、ウイグル族
> ・13%:内モンゴル・アロン旗の朝鮮族

内モンゴル・アロン旗の朝鮮族については、アロン旗は内モンゴルのかなり北にあるので延辺朝鮮族自治州とは関係ない。民族籍は朝鮮族でも女系はモンゴルやエヴェンキであると考えて良い。

しかし、韓国(n=103)には、G3がGにおいて2割というデータもある。
mtDNA全体の比率としてはアロン旗と同じ2%。

もっとも、別のデータ韓国(n=203)では0%。
地域は書いてないので分からないが、n=103のは、ローマ文化王国新羅地域ではないか?
日本は0%。私がいるのにw

8755これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 01:07:16
我が国の天孫・天神族は「ローマ文化王国新羅地域」から渡来した.
我が国の天孫・天神族は「ローマ文化王国新羅地域」から渡来したということで良い。

日本側のただの伝承ではあるが、「稲飯命伝承」によれば、新羅の祖は鵜草葺不合命の子の稲飯命で、神武の兄とする(『新撰姓氏録』)。

他に「アメノヒボコ伝承」があり、日本から朝鮮半島に倭人が渡来し新羅を建国したとするが、ただの「外交上の駆け引き」が反映されたものと解して良い。

素直に信じるのはバカである。朝鮮側でも昔氏が外国から来たという伝承があるが、日本とは書かれていないし、後の王統によるディスリだろう。

朝鮮古代史を日本側の立場だけから論じるのではなく、『三国史記』や中国の関連古典から論じ、それに比して『日本書紀』等の朝鮮関連の記述は批判的に解釈するという研究手法が重要である。

いずれにせよ、DNA上の日本人のルーツや古代における関係に関しては、アチラを次男と立てて良い。中国との関係では、劉邦O-F155という説もあるので、中国を長兄と立てて良い。

でも、言語(チベット・ビルマ語)は、コチラが末子相続してまっせ!ということ。

8756これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 01:51:38
Re: 我が国の天孫・天神族は「ローマ文化王国新羅地域」から渡来した.
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009213M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009213_2M.jpg

図:江上より引用

DNAと言語系統から分かる日本人のルーツ。
北九州で1割ずつを占めるO-M117とO-F444系統集団にとってはニニギさんが伝説上の棟梁だね。

O-M117は長崎で1割を占め、O-F444は福岡で1割を占める。合わせてO-M134が2割というのは相当な数だよ。

ニニギとシラギ、ギはなんぞ?何か意味あり気だけど。
それから、「五部の族長」って何?



8757これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 01:56:39
Re: 我が国の天孫・天神族は「ローマ文化王国新羅地域」から渡来した.
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009214M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009214_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009214_3M.jpg

高句麗王族ハプロはO-P201(「有名人のハプロ」)。決まりでしょ。
ただし、高句麗語や扶余語は朝鮮語族、日本語は日本=チベット・ビルマ語族というのがミソ。




8758これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 02:07:00
秦野「あー, 日本のy-Dは地中海の海の民でぇ、米大陸にも渡ってぇ...」←あ、おクスリの時間です、幻聴でてまっせ幻聴!w
秦野「あー, 日本のy-Dは地中海の海の民でぇ、米大陸にも渡ってぇ...」←あ、おクスリの時間です、幻聴でてまっせ幻聴!w

8759これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 02:46:57
y-Qではだめだけど、 mt-Gのうちの古匈奴・匈奴系G3aの比率で見る「ローマ王国新羅へのルート」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009216M.jpg

y-Qではだめだけど、
mt-Gのうちの古匈奴・匈奴系G3aの比率で見る「ローマ王国新羅へのルート」
・G3a=100%:南シベリアのトルコ系ハカス人、エヴェンキ人(ブリャート共和国)
・G3a=50%:ブリャート人、カザフ人(アルタイ共和国)、タジク人
・G3a=40%:南シベリアのトルコ系トゥヴァ人
・G3a=25%:ウズベク人
・G3a=21%:韓国人(n=103。n=203の別データでは0%)←ローマ文化王国新羅地域か?
・G3a=17%:青海チベット族、ウイグル族
・G3a=13%:内モンゴル・アロン旗の朝鮮族

東欧・北欧、イギリスにも低頻度に見られる。Family Tree DNAではG3aの半数を欧州勢が占める。



8760これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 03:23:39
Re: 我が国の天孫・天神族は「ローマ文化王国新羅地域」から渡来した.
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009217M.jpg

.



8761これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 05:21:03
はい。もう決まりですね。 日本語は「日本=チベット・ビルマ語族です。天孫・天神族「アマ族」です。 おまけに現代羌族の自称も「アマ」。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009218_2M.jpg

http://htq.minpaku.ac.jp/databases/rGyalrong/)



8762これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 06:20:14
日本人のルーツにおいてO-M117と「日本=チベット・ビルマ語」の右に出るものはいない! 残りの要素は遥か下方に遠のく、そこまで言おう。 隠れたルーツはいろいろあって良いが、妄想とは手を切らねばならない。。
掲題通り。
いや、O-M117=5%じゃ寂しいからO-M134=9%くらいにしとこうかなw
最大でO2+N1+C2=26%。そして、QとNとは母系を交換してる。
ただ、「原日本・TB語族」との結び付きという点では古人骨でも現代人でもO-M117となる。

8763秦野北斗:2019/08/26(月) 07:31:23
Re: 日本人のルーツにおいてO-M117と「日本=チベット・ビルマ語」の右に出るものはいない! 残りの要素は遥か下方に遠のく、そこまで言おう。 隠れたルーツはいろいろあって良いが、妄想とは手を切らねばならない。。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009220M.jpg

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

匈奴すら説明できないAI君・・・

> 掲題通り。
> いや、O-M117=5%じゃ寂しいからO-M134=9%くらいにしとこうかなw
> 最大でO2+N1+C2=26%。そして、QとNとは母系を交換してる。
> ただ、「原日本・TB語族」との結び付きという点では古人骨でも現代人でもO-M117となる。



8764バカ2の原人:2019/08/26(月) 07:39:55
天孫降臨
天孫降臨神話を持ち、天孫を自任していることや、太陽神、祖先神、山の神、樹木を崇拝すること。羌族には優れた灌漑技術があったこと。成都の深井戸は彼らが掘ったものだという ...
四川省チャン族と日本人は兄弟か /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkaikai.ch%2Fboard%2F12058%2F
「羌族」のサイトの「フォトギャラリー」を見ると、チャン族の容貌は日本人に近い。「では古代イスラエル10支族の末裔ではないのではないか?」と思う人もいるだろう。だが、アフリカに渡った10支族の容貌は、はほとんどアフリカ人化している。
また『中国・開封のユダヤ人』で紹介されている、千年ほど前にヨーロッパから中国へ移住したユダヤ人の末裔を見ると、その外貌はほとんど漢民族だ。このように、現在どういう顔つきをしているかは、2千年以上の間その土地の人々と婚姻を繰り返すうちに変わってくるものなので、あてにならない。
Googleで「羌族」でイメージ検索してみると、チャン族のさまざまな顔を見ることができる。なかには、いかにも中東の血が混じっているのではないかと思わせる顔も見られる。それを言うならば、日本でもそうだが。モンゴルあたりに多い、いわゆる北方モンゴロイド的なのっぺりした顔立ちは、あまり多くない。
日本人と近い?
じつは、チャン族と日本人のルーツが、どこかで共通の要素があるかもしれないと思わせることがある。チャン族は日本語を聞くと半分ぐらい理解できるだのだという。つまり日本語とチャン語に、似たような発音の単語が多いということだ。例えば「タタミ」という単語は同じ床を表すという。
羌族の宗教でも、日本に似ている要素がある。天孫降臨神話を持ち、天孫を自任していることや、太陽神、祖先神、山の神、樹木を崇拝すること。羌族には優れた灌漑技術があったこと。成都の深井戸は彼らが掘ったものだという。
日本にかんがい技術をもたらしたのは5世紀ごろの渡来人集団である。日本に高度な治水技術をもたらした秦氏のことだろうか。ちなみに、古代イスラエルでも、高度な治水技術があった。「羌」(羊と人の合成)という漢字の示すとおり、西方から来た「羊飼い」としての遊牧民であり、その民族に日本人と共通の要素をがある。
イスラエル人の移動ルート /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fimg.kaikai.ch%2Fimg%2F12058%2F4
まず日本人とチベット人が非常に近い関係にあることがわかる。ではチャン族はどうなのかと知りたくなってくるが、そんなデータはどこにもないだろう。あるサイトでは、古代イスラエル10支族がどのようなルートで四川省や日本にやってきたのかを説明している。
チベット族とチャン族は、同じ「チベット・ビルマ語族」−「チベット語族」に属している。狭義のチベット族とチャン族は別々に考えなければならないが、両方とも何かしらの点で日本人とつながりがあるのかもしれない。チベット族もチャン族も、日本に来て日本人の中に入り込んでも、まったく違和感がないのではないか。日本人とチベット人は、互いに親近感を持っている場合が少なくないようだが、上記のDNAの系統からしても、「兄弟」のようなものかもしれない。

日本は、チベットと同じ D系統が半分近くも入っているが、その他の地域にはほとんど存在しない。驚くべきことに、このD系統は、アジア人種よりも地中海沿岸や北アフリカに広く分布する DEからE系統と、古い時代に分岐したものとなっている。恐らくエジプトか中東あたりで分化したと思われる。

沖縄・与那国島や青森沖の海底遺跡や、日本各地にある 謎のピラミッド(山を階段状に加工した構造物)などは、アフリカ発祥のアニミズムを感じさせる。ピラミッドの起こりは古く、ノアの洪水後間もなくハム系の人々が(単なる墓としてではなく)”神の宿る山”として建設したと考えられる。

キングダムの元ネタ?


8765これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 07:55:01
Re: 日本人のルーツにおいてO-M117と「日本=チベット・ビルマ語」の右に出るものはいない! 残りの要素は遥か下方に遠のく、そこまで言おう。 隠れたルーツはいろいろあって良いが、妄想とは手を切らねばならない。。
秦野北斗さんへのお返事です。

アマ族とは、天=アッラーを崇拝し独立不羈で、ちょっと雨が好きな集団じゃない?

8766秦野北斗:2019/08/26(月) 08:09:58
衛氏朝鮮は朝鮮歴史創作文書
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009223M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/衛氏朝鮮



8767これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 08:22:04
Re: 天孫降臨: D1bの古羌の古人骨と現代チベット・ビルマ人を挙げれる? 挙げられる人なんていないし、これからもいない。だって、いないんだよ、そんな窓際ハプロ。
バカ2の原人さんへのお返事です。

あのねぇ、、、
y-D1b(旧表記)の比率が少しくらい高めだからって、渡来時期が早いからって、敬譲する必要なんか少しもないんだよ。
客観的・科学的・論理的に行く、これに尽きる!

D1bを縄文人に主流のハプロとは認めても良い。
だが、日本人の全ゲノムにおけるD1b由来の比率なんて微々たるものなのだよ。

日本語には確実に関与してないし、初期国家の権力にも関与してないだろう。

現代におけるD1bの高比率なんていくらでも説明できる。
渡来人と縄文人が古墳時代まで棲み分けることができた日本の自然の許容力とか、為政者のD1bの拡張とかね。

それと、縄文人のD1bとチベットのD1aは4万年も開きがある別物で、ルートも違えば人種も言語も違った(D1aはビルマ北上、D1bは南シナ海ランド北上ね)。
4万年だよ。人類皆兄弟だろw

はい、それで、言語ね。
チベット・ビルマ語集団に古人骨でも現代人でもD1bなどいないだろ。皆無なんだよ。

D1bの古羌の古人骨と現代チベット・ビルマ人を挙げれる?
挙げられる人なんていないし、これからもいない。だって、いないんだよ、そんな窓際ハプロ。

そう、やっぱり言語ね。
「日本人であること」にとってこれが決め手だ。
日本語の系統、これを皆んな喉から手が出るほど欲してたね。

この点において、近時のDNA人類学・言語学・歴史学・考古学の知見から、日本語集団の言語は弥生後期から古墳時代に渡来した集団の言語で間違いない。

狭く解せば古人骨でも現代人でも連関がはっきりと確認できるO-M117の言語。天孫・天神族の言語と言い換えてもいい。

初期天皇のハプロを知るには古墳を暴くことが必要だ。その時、D1bやO1b2でなくO2などであることが認識されたとき、「日本人とは何か」「国民とは何か」についての日本人の「民度」が試されるだろう。

わかったかい?ボケ老人ども。
お前らは新しいことを吸収できない、記憶力も悪い。柔軟性もない。
古い連中はどいてりゃいいんだよ。大人しく終活でもしてな。

8768これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 08:33:22
Re: 天孫降臨: D1bの古羌の古人骨と現代チベット・ビルマ人を挙げれる? 挙げられる人なんていないし、これからもいない。だって、いないんだよ、そんな窓際ハプロ。
そうそう、D1bであること、縄文ゲノム10%
の利点もある。

D1bや縄文人がどの集団とも近くないことをさ、「人類皆兄弟」に持って来れないのかね?

それをなんでワザワザ関係ないユダヤ人とかチベット人とかの誇大妄想に走っちゃうんだろ??
年取ってても未熟なのだよ、君らはね。


8769これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 08:43:24
Re: はい。もう決まりですね。 日本語は「日本=チベット・ビルマ語族です。天孫・天神族「アマ族」です。 おまけに現代羌族の自称も「アマ」。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009226M.jpg

やっぱ、この破壊力!笑
こんなこと言えるのそうはいないよ。ネットではねw

日本語「ama・ame」(天・雨)は「単語家族」

【天(ama)】
・現代羌語:m?(マ)
・ギャロン語:t?m?(タマ)、mo(モ)
・ビルマ語:mo(モ)

【雨(ame)】
・現代羌語:m?(マ)
・ギャロン語:t?mo(タモ)
・ビルマ語:mo(モ)
同源です。


日本語は「日本=チベット・ビルマ語族」です。
現代羌族とギャロン人はO-M117の多様性の高さからチベット・ビルマ語集団の起源集団とされる。
ギャロン語は古い形態を良く保存しているので「チベット・ビルマ語の生きた化石」と呼ばれる。近年、記述研究が進む。
おまけに現代羌族の自称も「アマ」w

天神族は北九州と中国地方に入る。北九州では長崎O-M117=1割、福岡ではO-F444=1割。中国地方にも多い。決まりでしょ。


写真:ギャロン人で日本で活動した歌手alanさん。



8770これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 08:51:24
秦野「あー, 日本のy-Dは匈奴と鮮卑の主力でぇ...」←この酔っ払い!w
秦野「あー, 日本のy-Dは匈奴と鮮卑の主力でぇ...」←この酔っ払い!w.


8771秦野北斗:2019/08/26(月) 08:52:43
Re: 天孫降臨: D1bの古羌の古人骨と現代チベット・ビルマ人を挙げれる? 挙げられる人なんていないし、これからもいない。だって、いないんだよ、そんな窓際ハプロ。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009228M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/ハプログループO2_(Y染色体)



8772これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 09:01:24
Re: 天孫降臨: D1bの古羌の古人骨と現代チベット・ビルマ人を挙げれる? 挙げられる人なんていないし、これからもいない。だって、いないんだよ、そんな窓際ハプロ。
秦野北斗さんへのお返事です。

んじゃ、挙げてみろよ、チベット・ビルマのD1b。古人骨でも現代人でいい。

「学者はダメだぁ、騙されてる」の負け犬じじい。オメはもう終わりなんだよ。
つか、完全ビョーキ。
タイム・オーバーΩ\ζ°)チーンw

8773バカ2の原人:2019/08/26(月) 09:05:50
「金色の毛を持つ羊」…
トルコやイタリア等と同じでアフリカ系の遺伝子を持たない人…
「羌」(羊と人の合成)という漢字…白羊宮…
金毛の羊 今夜の星座、そして秋の星座物語のラストを飾るのは、おひつじ座です。
この羊は、巨人族に追われたゼウスが変身して逃げた姿である、ともされています。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fktwis567%2F30094982.html
巨人族…
聖書に登場する巨人兵「ペリシテ人」の遺骨が大量出土! 150体が眠る墓地の発掘調査が公開される /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftocana.jp%2F2016%2F07%2Fpost_10280_entry.html
謎の“海の民”ペリシテ人の墓地が発見される
 旧約聖書にも登場するペリシテ人だが、彼らのルーツや文化の多くは謎に包まれている。
 紀元前12世紀頃より地中海に来襲した海の民と呼ばれる諸集団の人々の一部であり、古代イスラエルの主要な敵として知られているが、今回の調査で葬送慣習の詳細からひいては生活の様子についても手がかりが得られるのではないかと関係者の間で期待が広がっている。
 発見された墓地の規模は大きく、遺骸は数多くの小部屋に埋められており、およそ150体が見つかったという。調査チームは今後、人骨の一部をDNA解析に回しペリシテ人の起源に迫りたいとしている。
関係者らは超正統派のユダヤ人からの反発を避けるため発掘に目処がつくまで外部に一切公表しなかった。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftocana.jp%2F2016%2F07%2Fpost_10280_entry_2.html

星座の起源は古く、紀元前3000年の古代バビロニアにまでさかのぼります。メソポタミアの羊飼いたちは、羊の番をしながら夜空を見上げ、明るい星に名前をつけたり、星の並びを線でつないで夜空に絵を考えていきました。これらの絵は後にギリシャに伝わり、神話や伝説と結びつけられて、現在の星座の原型と星座神話が完成されていったのです。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.astroarts.co.jp%2Falacarte%2Fkiso%2Fkiso05-j.shtml

キリスト教において、人間を羊に、キリストを羊飼いに例えることがありますが、これは人間と羊にいくつかの共通点があるからだと聞いたことがあります。 その共通点とは・羊は周りの羊がしていることと同じことをする... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1271652992
羊=義人、神に育つ神の子=腹の虫を治める反省に生きる=己の十字架を運ぶ者=自らを処刑する自己贖罪(外撥ね)に生きる。
つまり、イエス贖罪論の教会(パウロ=羽に洞)の解釈が根本的な誤読で、これを改め(ヨハネ=預羽)なければ救いはないのである。
=羊の皮衣を着て十字架の杖を持つ洗礼者ヨハネ=人間は羊の皮をかぶった狼(真無視=蝮)であることを知って、神とのクロスの反省(イエス=YES=はい=礼拝=主直)に生きる姿を現している。

贖罪羊 (しょくざいよう)。いけにえの山羊 (やぎ)。古代ユダヤでは『旧約聖書』「レビ記」の定めに従って、年に一度ユダヤ人の罪業 (ざいごう) を山羊に身代りさせ、荒野に放つ儀式を行うことで、自らの罪科を贖 (あがな) ったという。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F

「おひつじ座」こと、白羊宮(はくようきゅう)は、黄道十二宮の1番目に当たります。
古代バビロニア時代には、春分の日を年初めの正月としていて、おひつじ座が年のスタートを導くとして別格扱いで崇拝されていたようです。
…おひつじ座の下
きたばえ座 - Wikipedia
彼はこれを星座としては数えなかったが、おひつじ座の下に分けて残していた。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.m.wikipedia.org%2Fwiki%2F
南天のはえ座と区別するために Musca Borealis という名前が登場するのは、1822年に発表されたイギリスのジェミーソンの星図が最初である[2]。
南天のはえ座…
はえ座(蝿座、蠅座、Musca)は、南天の星座の1つ。天の南極に近く、日本の大部分の地域からは星座の一部さえも全く見ることができない。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
小さな星座で北半球からはほとんど見えないため、今まではあまり注目されることがなかったが、連星であるμ星に、1991年に新星爆発が起こり(1991年はえ座新星)、日本のX線観測衛星 「ぎんが」 によってそのとき発生したX線が捉えられた。μ星のうち一方はブラックホールである可能性がある。

ハエの星座。天の南極(北極星の反対側)の近くで、「みなみじゅうじ座」のとなりにある星座で、2〜3等星でできていて、割に見つけやすい。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkids.yahoo.co.jp%2Fzukan%2Fastro%2Fsouthern%2F0005.html
この星座は紀元前4世紀のエウドクソスと紀元前3世紀のアラトスによる言及がある。プトレマイオスは、この星座の37の星のカタログを作った。現在はギリシャからこれらの星を見ることは困難だが、プトレマイオスの時代には歳差運動による地軸の向きの関係で見ることができたと考えられている[13]。
歳差運動…

…才差
しし座は、太陽や月の動きで収穫などを占うために重要な星座でした。それで、星座がはじめて作られたといわれる5000年前の古代バビロニアでも注目されていました。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.kodomo123.jp%2Ftsu_wkk%2Fseiza%2Fleo%2Fk_leo.htm
レグルスの観測記録はBC2100年ごろまでさかのぼることができるといいます。これらの記録をもとにして、古代ギリシャのヒッパルコスはBC130年ごろに才差という現象を発見しました。才差とは、地球の自転軸の向きがゆっくり変化していることで、現在はこぐま座アルファ星(北極星)の近くに向いています。

この「おひつじ座」は、「しし座」と同じく、火の星座になります。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Firenekitakami.com%2F2018%2F03%2F26%2F
「おひつじ座」のα星は、ハマル (Hamal)。アラビア語で「羊」という意味。
一番明るい恒星で、2等星。
β星は、シェラタン (Sheratan)。
もともとはβ星とγ星の2つの星から成る連星だったので、アラビア語で「二つ」という意味。
これらの星が、羊が横たわっているように見えるのが、「おひつじ座」! というわけです!

このお話の最初の舞台は、ギリシャ中部のボイオティア。
この地を支配するアタマス王は、ネペレという妻の間に、プリクソスという男の子と、ヘレという女の子がいました。
アタマス王はネペレの後に、イノという女性とも結婚し、この二人の間にはレアルコス、メリケルテスという子供が生まれました。
こうなると、後妻のイノは、先妻の子、プリクソスとヘレが目障りになって来ます。
だって、王権を巡って、自分の子供のライバルになる存在ですからね!
そのため、長男のプリクソスを、神に生贄に捧げなくてはいけない、という神託が下ったとありもしない嘘をつきます!
これを聞いた先妻のネペレは、自分の子供たちに危険が迫っていることを知り、
ヘルメス神から授かった「金色の毛を持つ羊」に、子供のプリクソスとヘレを乗せて逃がしてやりました。
この、プリクソスとヘレを乗せた
「金色の毛を持つ羊」が、「おひつじ座」の羊ということです。
金色の毛…
オーストラリア先住民の金髪は主に女性と子供に見られ、通常は年を取るにつれて濃い茶色に変化していく[3]。
遺伝情報学に基づく推定 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
いわゆるブロンドは、突然変異としてある確率で発生する。(いわゆる色素欠乏症)[4]ヨーロッパ圏外の人種において、その確率は低く、また仮に発生しても、子供の間にしか見られない。 それに対し、ヨーロッパ圏内では金髪は他の人種より頻繁に発生し、しばしば成人期まで残存する。このためブロンドは人種固有のものではないかと認識されている。このようにヨーロッパ圏内で、ブロンドの頻発が起こる理由は以下のような説が唱えられている。最近の遺伝情報学に基づけば、ヨーロッパにおいて金髪の人口がはっきりと増加しだしたのは、最後の氷河期である約1万1000年前から約1万年前のことである可能性が高い。これ以前のヨーロッパ人は、他の人種の支配的な特徴である焦茶色の髪と暗い色の瞳を持っていた[4]。
性淘汰仮説
なぜヨーロッパの各人種が、人類の進化の速度としては、かくも最近かつ急速にこのような高確率で金髪(と多様な虹彩の色)を持つようになったのかは、長年の疑問であった。このような変化が通常の進化の過程(自然淘汰)で起こったのであれば、約85万年の歳月が必要となった筈である[4]。しかし現代の人類は、アフリカからヨーロッパまでの移住を成し遂げるまでに、僅か3万5000年から4万年の期間しか費やしていない[4]。セント・アンドルーズ大学の後援を受けたカナダの人類学者ピーター・フロストは、最後の氷河期の終わりにおいて金髪の人種が急速な発生を見たのは、性淘汰の結果であるとの説を、2006年3月に Evolution and Human Behavior において発表した[5]。この研究によれば、多くのヨーロッパの地域において金髪と青い瞳を持つ女性は、乏しい数の男性を相手にした過酷な配偶者獲得競争において、彼女らの競争相手より優位に立てたのである。ヨーロッパ圏において食糧不足の為にクロマニヨン人の人口が低下していた1万1千年前から1万年前の時期において、金髪は増加を見たのであると、研究は主張する。ヨーロッパ北部におけるほとんど唯一の食料源は放浪するマンモスやトナカイ、野牛、野馬の群れのみであり、それらの獲物を発見するためには長く困難な狩りのための遠出が必要であり、狩りの間に多くの男性が命を落としたために、生き残った男性と女性の比率の不均衡が生じた。この仮説では、金髪の女性はその際立った童顔熟女な特徴が男性を誤認・錯覚ないし脳内補完へと誘導して獲得する際に役立ったために、その結果として金髪の人口の増加につながったのであると主張されている。
『The History and Geography of Human Genes』(1994年)によれば、金髪は紀元前3000年頃に現在リトアニアとして知られる地域において、インド・ヨーロッパ祖語族の間でヨーロッパの支配的な頭髪の色となった(現在においても、リトアニアは金髪人口の比率が最も高い国として知られている)。男性が金髪の女性を魅力的であると見なすようになったために、この特徴はスカンジナビアへの移住が行われた際にも、性淘汰によって急速に広まったのであると考えられる[6]。
他の要素との関連
金髪を持つ人間は(しばしばそばかすを伴う)ピンクベースの薄い黄色の肌と関連している。強い太陽光線はあらゆる色の髪を徐々に退色させるばかりではなく、少年期に多くの金髪を持つ人々の肌にそばかすを生じさせる。
また一般に、ヨーロッパのブロンドは淡い瞳の色を持つ傾向にある。ただしここで言う「淡い瞳」とは「緑系、薄茶色」と広い範囲を示す定義であって、必ずしも青い瞳だけを指す訳ではない。金髪碧眼とも呼ばれる「金髪と碧眼」という組み合わせは少数でしかなく、更に淡い瞳と金髪自体も一致した分布規模を持つ訳ではない。この事は後述するセント・アンドルーズ大学による金髪の分布調査の際、同時に行われたヒトの虹彩の色の分布調査によって明らかにされている[7]。 金髪碧眼は他の人種でも一部現れるが、ヨーロッパ系を含め少ない。
各地域における発現
メラネシアの子供の金髪[8]
金髪は、特に北欧諸国、ロシア北西部、バルト三国などの人々の特徴ともされており、非常に明るい金髪ともされている。これより暗い色合いの金髪は、ヨーロッパ全域はもちろん、現在のシリア人やレバノン人やイスラエル人、ペルシャ人、クルド人や、イラン、アフガニスタン、パキスタンのイラン人などの、中東の様々な地域でも見られる。ただし地域もブロンドは多くはなく、広大な領土を抱えるロシアで10%(数千万人)、イギリスに至っては3%しか存在しないとするデータも存在する。とはいえ詳しい分布や割合に関しては染めたブロンドを判断するのに大きな手間があることや、人種差別運動に関わる可能性への配慮など、難点が多い為に大規模で信頼性のある調査は行われていない。
金髪
聖書が描写された中東地方は人種的には、アジア人種と同じであり金髪や銀髪は聖書には発見できない。

髪型とヘブライ語増加との関係 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fsoujyakuwakasa%2Fe%2Fda6b09adf3af20eaf92d7c3eabbff2d1

旧約聖書によると、ダビデ王 は金髪碧眼だったと書いてありますけど、金髪碧眼の人って、高い確率で肌が白いですよね?
ダビデ王が金髪碧眼だったとは驚いた。サムエル記上16には『彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。』(新共同訳)と書かれていますが、べつに金髪だとは書かれてませんけどね……。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq10184173190
キリストは,今から2018年前にイスラエルに誕生したのでしょうか。それならばいわゆるコーカソイドの下位分類で地中海人種です。地中海人種とは当時の地中海の沿岸部に住んでいた人達です。髪の毛の色と瞳の色と肌の色は関連しません。当時の地中海人種は,青い瞳や金髪もいたでしょうが,肌の色は基本的に褐色です。
当時はと言いますのは,現在とは違った民族が生活していました。例えば,エジプトは現在のエジプト人等の北アフリカ人はサハラ砂漠以南のアフリカ系の遺伝子を持った人達ですが,当時のミイラのDNA分析からは地中海人種でトルコやイタリア等と同じでアフリカ系の遺伝子を持たない人達です。

昔のユダヤ人はアルメニア系の有色人種です。…
R1 定義づけられる変異 M343 高頻度民族・地域 西ヨーロッパ、アルメニア、カメルーン、バシコルトスタン、北米北東部等
ハプログループR1b (Y染色体)(ハプログループR1b (Yせんしょくたい)英: Haplogroup R1b (Y-DNA))とは、分子人類学で用いられる、人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、ハプログループRの子系統R1のうち、「M343 」の変異で定義づけられるものである。18500年前に[1]西アジアで発祥した[2]。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ハプログループR1b系統は西ヨーロッパと南ヨーロッパに顕著に分布している系統であり、バスク人やケルト系民族に80%以上の高頻度に見られる[3][4][5][6]。ヤムナ文化人で高頻度に見つかる[7][8]ことから、印欧語族の担い手である。(R1bはケントゥム語、R1aはサテム語の担い手である[9])ヨーロッパ西部には青銅器時代に分布を広げ[10]、ウーニェチツェ文化の担い手[11]と考えられる。またトカラ語派とアファナシェヴォ文化の担い手である[12]。大航海時代以降の人種の流動に伴って、南北のアメリカ大陸やオーストラリア大陸にも分布の範囲を拡大した。またバシキール人にも86%の高頻度である[13]。この流れとは別に、古代にもアフリカ内陸部へ移動したR1b系統の一集団があったと見られ、ハプログループR-V88に定義づけられる分岐系統がチャド語派の言語を話すカメルーンの先住民族の間において高濃度で発見されている[14][15][16]。
系統樹から、オリエント発祥が読みとれる。R-M269はもともとインド・ヨーロッパ語族集団であったが、非印欧語のバスク語でも高頻度である(後述)。(太字は元来の印欧語系関連言語、斜字は話者交替を起こした言語。関連文化を記載。[17])
インド・ヨーロッパ語族#系統樹と年代と照らし合わせると、サテム語に属すバルト・スラブ語派、アルバニア語、インド・イラン語派を除き、言語系統樹と遺伝子の系統樹がほぼ一致している。
ツタンカーメンはハプログループR-M269に属す。これはヨーロッパに分布し、現在のエジプト人にはほとんど見られないタイプである[24][25]。
中南米の先住民においてもハプログループR1(おそらくほとんどがR1b)が低頻度でみられる先住民族がおり、従来はコロンブス大陸発見後のヨーロッパ人との混血によるものと考えられてきた。しかしアステカ文明にエジプトと同様のピラミッドが存在すること、マチュピチュにおいて驚くほど高精度な石材加工技術が存在すること、世界最後の巨石記念物であるイースター島のモアイ像が南米の巨石遺跡起源の可能性があることなどから、巨石記念物の製作技術をヨーロッパより携えたハプログループR1bが紀元前のある時期に北米のみならず中米、南米にも至った可能性がある。またアメリカ大陸で始まった農耕もハプログループR1bの集団がヨーロッパ方面からもたらした可能性がある。

失墜し始めたカトリック教会の権威を取り戻すための見せ物
ペリシテ人(フィリスティア人)の町であるエクロンの神バアル・ゼブブ(バアル・ゼブル) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ベルゼバブ、ベールゼブブとも表記される。新約聖書にもその名がみえる。この名はヘブライ語で「ハエの王」(一説には「糞山の王」[1]、糞の王」[2])を意味する。
本来はバアル・ゼブル (????? ?????? [Ba‘al z??ûl])、すなわち「気高き主」あるいは「高き館の主」という意味の名で呼ばれていた。これはおそらく嵐と慈雨の神バアルの尊称の一つだったと思われる。 パルミュラの神殿遺跡でも高名なこの神は、冬に恵みの雨を降らせる豊穣の神であった。一説によると、バアルの崇拝者は当時オリエント世界で広く行われていた、豊穣を祈る性的な儀式を行ったとも言われる。
しかし、イスラエル(カナン)の地に入植してきたヘブライ人たちは、こうしたペリシテ人の儀式を嫌ってバアル・ゼブルを邪教神とし、やがてこの異教の最高神を語呂の似たバアル・ゼブブすなわち「ハエの王」と呼んで蔑んだという。これが聖書に記されたために、この名で広く知られるようになった。
新約聖書の「マタイによる福音書」第12章や「マルコによる福音書」第3章、「ルカによる福音書」第11章では、律法者がイエス・キリストに対し、「悪霊のかしらベルゼブル (Βεελζεβούλ) の力を借りて悪霊に取りつかれた人を救っているに違いない」と非難したことが記されている。これに対してイエスは「悪霊が、仲間である同じ悪霊と争うはずはない、自分は聖霊によって悪霊を追い出しているのだ」と反論している。 旧約聖書では辛うじて神と呼ばれていたベルゼブブは、この時代には完全に悪魔とされていた。 このことから、イスラエルに移住してきたヘブライ人は、新約聖書の時代においてペリシテ人の生活様式や信仰を嫌い、仲が悪かったことが窺える。
また外典「ニコデモ福音書」3章に、ハーデースがサタンに対しベルゼブルと呼びかけている箇所がある。
かつて、天界では最高位の熾天使で、天界の戦争においては、ルシファーの側近として戦ったという説話が創られた。また、蝿騎士団という騎士団をつくっており、そこにはアスタロトなど悪魔の名士が参加しているとされる。
パランジェーヌの「ゾディアコ・ヴィテ」によると巨大で、王座もそれなりに巨大、炎の帯を額に巻き頭には大きな角が二本ある。足はアヒル、尻尾は獅子、全身が真っ黒であったとされる。顔は眉毛はつりあがり、目をぎらつかせていたとあった。 また、ジル・ド・レは、ベルゼブブが豹の姿に変わるのを見たという。
『失楽園』(著:ジョン・ミルトン、1667年)でベルゼブブは、賢王にふさわしい威厳ある姿として描写されていた。一方、『地獄の辞典』(著:コラン・ド・プランシー)第6版(1863年)では、M・L・ブルトンの挿絵によって、羽根にドクロの模様がある羽虫の姿で描かれている(羽が四枚あるなど厳密にはハエそのものの姿ではない)。これはハエの王たる悪魔ベルゼブブもまたハエの姿であるというイメージによるもので、近代以降の絵画などではこの姿で表されることが多い。

ペリシテ人(E系統) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fyohane.natsu.gs%2F00%25200%25200%2520dna2.htm
ハム系 → ミツライム(エジプト) → カスルヒム → ペリシテ人(E系統)  + J2系統(シリア人)  ≒ フェニキア人(言語はセム語系の フェニキア語、 人種は混合)  → BC9cにはアッシリアに服属、 カルタゴへ移る → ポエニ戦争以降 共和政ローマに併合

ペリシテ人 前12世紀頃、パレスチナに定住した海の民の一派と考えられる人々。 前12世紀頃、エーゲ海方面から地中海東海岸に進出した「海の民」の一派と考えられている。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.y-history.net%2Fappendix%2Fwh0101-058_1.html
(旧約聖書の)サムエル記によれば、ペリシテ人は鉄の精錬を独占してさえいたらしい。彼らは各地の拠点に守備隊を置き、征服地の実効的な継続的支配を図った。」<山我哲雄『聖書時代史 旧約編』2003 p.71>
 それに対してセム語系のヘブライ人はいくつかの部族に分かれて戦い、不利な戦いを強いられていたが、前11世紀にはダヴィデ王が各部族を統一してヘブライ王国を建国し、ダヴィデ王はペリシテ人に反撃し、それを打ち破った。旧約聖書の「サムエル記」には、ダヴィデがペリシテ人の巨人ゴリアテを投げ石で倒した物語がある。


8774これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 09:06:44
非常識にも学者の勤務先に電話して、「今は勤務中ですので」と冷たくあしらわれたことを根に持つ秦野じいさん
非常識にも学者の勤務先に電話して、「今は勤務中ですので」と冷たくあしらわれたことを根に持つナニガナンデモ学説否定派・秦野じいさん、

70才、大阪在住ネトウヨ。妻、ダッチワイフ。

これじゃ死んでも成仏できねぇわな…

8775これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 09:08:05
Re: 秦野「あー, 日本のy-Dは地中海の海の民でぇ、米大陸にも渡ってぇ...」←あ、おクスリの時間です、幻聴でてまっせ幻聴!w
秦野「あー, 日本のy-Dは地中海の海の民でぇ、米大陸にも渡ってぇ...」←あ、おクスリの時間です、幻聴でてまっせ幻聴!.w

8776荊の紀氏:2019/08/26(月) 09:35:12
Re: 天孫降臨: D1bの古羌の古人骨と現代チベット・ビルマ人を挙げれる? 挙げられる人なんていないし、これからもいない。だって、いないんだよ、そんな窓際ハプロ。
これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。


「全人類の兄弟 愛という理想の実現」…


荊の紀氏の世界史掲示板です。みなさんからのご意見お待ちしています。 Reload teacup. [ 掲示板 ... 世界中の全人類は皆、兄弟なんですよ。
DNAでみる古代日本人と /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F3144

フリジア帽はミトラの帽子 ... (イザナギ、イザナミでもいいです)から生まれたのなら、言えることは、ただ一つ。「人類は一家、皆兄弟」 ウガリットの宮殿 ... /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F6707.teacup.com%2Fgamenotatsujinn%2Fbbs%2F2984

ミトラ教はフリーメイソンの教義でもある /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Footadoragonsato%2Fentry-10703372350.html
ミトラ教という一般には耳慣れない宗教が存在するほぼ全ての宗教の元となっているらしい。
いわゆるメシア、救世主宗教はおおむね、ここから来る。
ウィキペディアではマニ教、ゾロアスター教などと共に過去に廃れた宗教であると書かれているが、それは本当だろうか?

ミトラ教〜キリスト教〜弥勒信仰〜聖徳太子〜フリーメイソン・イルミナティ…
令和…令(詔)和(「仲良くしなさい」という教えではありません。)
神武天皇の即位により天孫降臨の一段は完結し、神人分治(顕幽分治)の世界が始まります。
橿原奠都の詔… /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww2.ezbbs.net%2F36%2Funderbranch%2F

現代は、中世に舞い戻ったかのように宗教と人種の偏見に満ちた戦いが世界各地で勃発しています。このような時代にこそ宗教、思想、信条、国籍、人種の垣根を越えたフリーメイソンリーの精神はいっそうその価値を増すと思います。
フリーメイソンとは? 近世以降、フリーメイソンは自分たちを友愛団体と呼んでおり、あらゆる宗教、思想、信条、国籍、人種の垣根を越え「人類皆兄弟」を目標にしています。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.y11.tokyo%2Fproject-1%23%21

フリーメイソンリーとは「全人類の兄弟 愛という理想の実現」 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F



> そうそう、D1bであること、縄文ゲノム10%
> の利点もある。
>
> D1bや縄文人がどの集団とも近くないことをさ、「人類皆兄弟」に持って来れないのかね?
>
> それをなんでワザワザ関係ないユダヤ人とかチベット人とかの誇大妄想に走っちゃうんだろ??
> 年取ってても未熟なのだよ、君らはね。
>

8777これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 09:57:58
Re: 天孫降臨
バカ2の原人さんへのお返事です。

> キングダムの元ネタ?
>

え、キングダム?え、どこが?w何?何?w

8778秦野北斗:2019/08/26(月) 10:34:30
Re: 秦野「あー, 日本のy-Dは地中海の海の民でぇ、米大陸にも渡ってぇ...」←あ、おクスリの時間です、幻聴でてまっせ幻聴!w
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009235M.jpg

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

> 秦野「あー, 日本のy-Dは地中海の海の民でぇ、米大陸にも渡ってぇ...」←あ、おクスリの時間です、幻聴でてまっせ幻聴!.w



8779秦野北斗:2019/08/26(月) 11:01:00
Re: はい。もう決まりですね。 日本語は「日本=チベット・ビルマ語族です。天孫・天神族「アマ族」です。 おまけに現代羌族の自称も「アマ」。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009236M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=OyI_fdbSx4g



8780荊の紀氏:2019/08/26(月) 17:04:48
参考HP 2019/7/26…
参考HP 2019/7/26
日本の巨石文化 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.historyjp.com%2F
巨石文化 益田岩船の不思議
イスラエルのマサダ要塞と金田城に由来する可能性を探る
古代から日本列島の各地では巨石信仰が広まり、神仏が宿る聖なるスポットとして、多くの巨石が崇められてきました。岩には神が宿る、すなわち「岩なる神」という宗教感は自然崇拝の賜物であり、時には大陸より渡来した移住者により巨石文化の思想が持ち込まれることもありました。


8781秦野北斗:2019/08/26(月) 18:35:12
Re: 参考HP 2019/7/26…
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009238M.jpg

http://www.historyjp.com/



8782荊の紀氏:2019/08/26(月) 18:40:02
ミカ(預言者)・ミカエル・ヒミカ(卑弥呼)
預言者ミカは「モレシェテ人」
ミカのプロフィール /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmeigata-bokushin.secret.jp%2Findex.php%3F%25E3%2583%259F%25E3%2582%25AB%25E6%259B%25B8%25E3%2581%25AE%25E7%259E%2591%25E6%2583%25B3%25E3%2582%2592%25E5%25A7%258B%25E3%2582%2581%25E3%2582%258B%25E3%2581%25AB%25E5%25BD%2593%25E3%2581%259F%25E3%2581%25A3%25E3%2581%25A6
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「ミカ書」の中には、キリスト(メシア)の初臨と再臨によるメシア王国、そして新天新地における新しいエルサレムの領域についての預言がなされているように見えます。とすれば、「ミカ書」はイザヤ書をかなりコンパクトにした書であると言えますが、「ミカ書」の個性をも味わいたいと思います。その個性の一つとして、ミカは自分の出身地以外には、自分自身についてほとんど語っていないことが挙げられます。
預言者イザヤが「ユダとエルサレムについて」見た幻を語っているのに対して、預言者ミカは「サマリヤとエルサレムについて」見た幻を語っています。
モレ   シェテ
モレク(Molech、ヘブライ語:??? (mlk))は、古代の中東で崇拝された神の名。カナンの神のヘブライ語名。男性神。モロク(Moloch、[?mo?l?k])ともいう /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ジェイムズ王訳聖書では、アモン人の神やフェニキアのティルス市守護神 Melqart を言及するものとして Milcom ( ???????? Malkam、「偉大な王」) という表現もある。
フェニキア語では???、マソラ本文では ??????、ラテン語では mōlek、ギリシア語(七十人訳聖書ではΜολόχ。

モレヤ神は 諏訪地方や ミシャグジ神に関係するものとして世間に登場した。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fautopedia.jpn.org%2Fq%2F%25a5%25e2%25a5%25ec%25a5%25e4%25bf%25c0

東西南北を司る天使。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsmcb.jp%2Fcommunities%2F8776%2Ftopics%2F2124784
南を司る天使ミカエル。
大天使ミカエル は双子 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
双子…
シリウスは「シリウスA」と呼ばれる恒星と「シリウスB」と呼ばれる白色矮星による双子星(連星)になっています。

南の2つの連星
シリウスはシリウスaとシリウスbの2つの連星を形成していて、我々が夜空を眺めて見えているのはシリウスaの方で、シリウスbは肉眼で見ることはできません。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fcosmolibrary.com%2F
神話に登場する「女神イシス」はシリウスと同一視されています。

シリウスの和名は【秦星】と言うんです。シリウスの和名は、秦始皇帝の【秦】です。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Futyuu-no-housoku.hateblo.jp%2Fentry%2F2019%2F04%2F22%2F133827

【シリウスとルシファー】秦星=シリウス『そして666 …
銀狼星シリウス・・・Part.2 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fuzumasa-1962.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2011%2F09%2Fpost-5a95.html
シリウス→秦氏→陰陽道と繋がる。
参考サイト
【シリウス=秦星】卑弥呼はシリウス信仰だった・ | 〜★photon★〜
☆秦氏の家系から弥勒菩薩が・・・☆ | ☆moonangel☆

卑弥呼 ヒミカ…ミカ(預言者)!
三国志原文は「邪馬壹国」やまいちこく)の女王卑弥呼(ひみか)でしょう /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkoganikki.furutasigaku.jp%2Fkoganikki%2Fcategory%2Fhimika-the-a-shaman-queen-of-wa%2F
「有阿蘇山、其石無故火起接天者」
【読み下し文】阿蘇山あり。その石、故無くして火を起こし、天に接す。
 この表現は実際に阿蘇山の噴火を見ていなければ書けないリアルなものです。そしてこのイ妥国には昔「?彌呼」が女王として君臨したことも記されています。
 「有女子、名卑彌呼、能以鬼道惑衆、於是國人共立爲王。」
【読み下し文】女子あり、名は卑彌呼。鬼道を以て能(よ)く衆を惑わす。ここに於いて國の人、共立して王と爲す。

卑弥呼の弟の名は不明です。「魏志倭人伝」の記述には、「夫壻無く(ふせいなく・夫がいない)、男弟有り、佐(たす)けて国を治む。・・・・ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1332099423

モレ(Moreh)の樫の木がある場所で、主がアブラハムに現れて契約を更新された。
預言者ミカは「モレシェテ人」
創世記 12・6-7 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.livedoor.jp%2Fsue20-momo%2Farchives%2F1065852144.html
アブラムはその地を通ってシケムの所、モレのテレビンの木のもとに着いた。そのころカナンびとがその地にいた。時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。

聖なる木「宿り木」 ドルイド教では樫に寄生するやどり木は神聖なもので、やどり木自身が宿主としてる木(やどり木が生えている木=樫)に神が在ることを示していると信じられていました
ケルトの言葉で「ドゥル」は「オーク」、「ウィド」が「知識」を意味することから、「樫(オーク)の木の賢者」という意味です。(「ドル」は「多い」、「ウィド」が「知る」で「多く知る」という意味だという説もあり)。主にガリア(フランスあたりを中心とするヨーロッパ地方)とブリタニア(ブリテン島:イギリス)に記録が残っている「ドルイド教」の神官(僧侶と書かれている本もある)のことです。|
ドルイド教の教えとは「物質と霊魂は永遠であり、宇宙の実体は水と火が交互に支配する現象の、絶え間ない変動の下でも普遍であり、人間の魂は転生にゆだねられている。」ということでした。
女魔法使い(ドルイダス=女のドルイド)
女のドルイドがいた、という明らかな考古学的資料はないようですが、ドルイドらしき女性は記録に残っています。(ドルイダスという名詞はどこにも見つからないのだ…すごくマイナーな言葉なのかも)
ディオドールス・シクルス(紀元前60-30)の『世界記』に「ドルイデス」という名称が出てきますが、これは「女魔法使い」という意味ではなく、哲学者や神学者を指しています。
ドルイドになるためには?
ドルイドになるには、長い修行が必要で、時には20年にも及んだそうです。バラーの姉エラータは12年で修行をおえた事になっていますが、これはかなり優秀だったということでしょう。
ドルイド達は軍務・税金を免除された特権階級であったため、多くの者がドルイドを目指し、また身内からドルイドを出そうと両親や親戚によって修行に出されたようです。しかし出身や家柄の良さ、高い道徳的人格を持つことなどが条件とされたために、選ばれたものにしか道は開かれませんでした。さらにドルイドの教義を受ける資格を得るためには、棺の中に埋葬され、それに耐えて生還すること、また屋根のない小舟に乗せられて、海に流されるという試練を通過しなければなりませんでした。
このような修行制度の「本場」はブリテン島で、ドルイドの術を熱心に学ぼうとする者はブリテンまで赴いて修行したそうです。修行の内容は、今日で言うと、神学を含む哲学、自然哲学、天文学、数学、歴史学、地理学、医学、法律学、詩学、演説法などを学びました。
修行の場所は人里離れた洞くつや秘密の森の中でした。
教義の伝授は全て口伝で行われ、文字に書き取られることはありませんでした。ドルイドの修行の初めは口誦伝承から行っていたようで、「語り部(フィーレやバード)」を経てからドルイドの修行へ入るという説もあります。(アリアンも「見習い」としてサガの暗唱をさせられていますね)
「文字として残す」習慣がないケルト人にとって、口伝えでの口誦伝承は重要な記録を残す手段で、宗教の教典や法律の規則、戦争の武勲の記録、家系図など部族の歴史は語り部の暗唱によって保持していたからです。
なぜ、ドルイド(ケルト人)は書物のような記録を残さなかったのでしょうか?その理由をカエサルはこう推測しています。「書き物にすることで、修行の方法や内容が外部に漏れるのを防ぐためと、書き記すことによって、記憶する力が弱まる(あるいは記憶する努力を怠る)ことを防ぐため」。
ただ、全く文字を書かなかったわけではないようです。
カエサルも「すべての日常の記述にはギリシア語のアルファベットを用いている」と記していますし、19世紀末には、ブルグ近くのコリュニーで、紀元前一世紀〜紀元一世紀初期のものと見られる暦が発見されました。青銅板にローマ字とローマ数字で刻まれていますが、ローマ暦とは別のもので、ガリアのドルイドによって記録されたものだと推測されています(リヨン美術館蔵の「コリニ暦」と呼ばれている物です)。

聖母と邪馬台国・卑弥呼 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fbewithgods.com%2Fhope%2Fdoc10%2F10-12.html

卑弥呼が能くしたという鬼道や沖縄のユタであればドルイドに近いものと考えられるかもしれません(そもそもドルイドの実態は伝わってませんのでそれに類似するかどうかという議論は無意味でしょう)が,神道は自然崇拝とは言えません。より土俗的な自然崇拝についてでしたら山岳信仰など世界中に似たような形態のものがあります。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1291714772
ユタ ドルイド…

「ロスチャイルド一族がドルイド妖術で支配している」 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsatehate.exblog.jp%2F12794988%2F
「それぞれのピラミッドの頂点では、あなたはその中に一つの目が付いた冠石を見るだろう。その冠石はロスチャイルド家あるいはイルミナティを支配する法廷である;彼らがその創設者であった。その目はルシファー、つまり彼らの神・彼らの声である。すべてのピラミッドの上には、最初の三つの頂上ブロックがある。頂点のブロックは、私が加わっていたところであるが、グランド・ドルイド・カウンシルと呼ばれる一三人評議会である。彼らは、他の誰でもなく、ロスチャイルド家からのみ指図を受ける。彼らは彼らロスチャイルド家の私的な司祭職である。三三人評議会が直接それらの下にある。それは世界での三三名の最高位のメイソンである。次が、[ビルダーバーグ会員や、デュポンやケネディ家のような家系を含む]世界の最も裕福な人々と巨大複合企業の者たちからなる五〇〇人評議会である。」

日本の歴代首相も天皇もみんな古代ケルトの悪魔教「ドルイド教」の僧侶の末裔です。
この系図をよく見ると、トップには「島津忠義」とか「島津忠欽」とか、「島津家」の人々が名前を連ねています。
ということは、ここに出てくる人たちはみな「島津家」の末裔ということになりますね。つまり、田布施一族とは「島津家」の末裔なのです。
で、「島津家」といえば、「秦氏」の末裔でしたよね。これについては前にも記事を書きました。
○イルミナティが天皇中心の世界統一政府を樹立しようとしていることを裏付ける幾つかの客観的事実。
で、「秦氏」といえば「ゾロアスター教」の神官であり、「ゾロアスター教の神官」はもともと「ドルイド教の僧侶」でした。
ということは、天皇一族はみんな「ドルイド教の僧侶」の末裔ということになります。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Frapt-neo.com%2F%3Fp%3D32234
〈ウィッカーマン〉 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Frapt-neo.com%2Fwp-content%2Fuploads%2F2015%2F10%2FWickerManIllustration.jpg
このウィッカーマンという人形の中に多くの人を詰め込んで、このウィッカーマンごと火で焼いて、人々を生贄として捧げていたわけです。本当に恐ろしい話です。
で、この「ドルイド教」の信者たちが、今や「世界連邦運動」という名の下で、天皇を中心に世界の宗教や国々を一つにしようとしているわけですね。

巨大なワラ人形「鹿島様」
秋田の各地に出現する謎の巨神「鹿島様」とは? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftenki.jp%2Fsuppl%2Fkous4%2F2016%2F07%2F23%2F14141.html
男女一対で子孫繁栄の男根や女陰などが強調されるものは縁結び道祖神としての側面もよく出ていますし、また顔もポーズもユニーク。中には槍を掲げ未開のジャングルの精霊を思わせる神秘的でエキゾチックな姿のものもあり、実に独創的です。
人形道祖神の呼び名は、鍾馗様(しょうきさま・中国道教の神で疫病神を追い払い魔を除く。玄宗皇帝の夢に現れ、皇帝の病気を治した鍾馗伝説に基づく。)、仁王様もしくは草似王(執金剛神・金剛力士ともいわれ、仏教の護法善神。寺院の表門などに安置することが多い)、ドンジン(道祖神の訛り)、ジンジョ(お地蔵さまのこと)、人形様など、地域ごとにさまざま。「鹿島様」もそんな呼び名の一つなのですが、もっとも印象的でインパクトのある湯沢市などの巨大道祖神が「鹿島様」であることや、鹿島様という呼び名の地域がもっとも多いことから、便宜上、秋田周辺の人形道祖神を「鹿島様」と総称してもいます。
秋田の鹿角市には、日本最大の環状列石(ストーンサークル)大湯(おおゆ)環状列石が存在します。成立した時代はまるで違うものの、まるで巨大な鹿島様は、それと呼応するかのよう。古代の東北を統べていた神が、人々の直感を通して人形道祖神として姿をあらわしたかのようにも思えます。最近では七月に衣替えをする鹿島様が多いとか。圧巻だったり、ちょっ不気味だったり、かと思うと笑ってしまうようなユニークなものなど、さまざまな姿の「鹿島様」
環状列石(ストーンサークル)…
ストーンサークルにもレイラインが存在するか /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.historyjp.com%2Farticle.asp%3Fkiji%3D202


8783これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 20:03:17
秦野「あ゛〜、学者はみんな漢字が読めない」←勝手解釈言いたい放題妄想狂のお前が言うな!笑
秦野「あ゛〜、学者はみんな漢字が読めない」←勝手解釈言いたい放題妄想狂のお前が言うなっ!w

8784秦野北斗:2019/08/26(月) 20:14:28
Re: 秦野「あ゛〜、学者はみんな漢字が読めない」←勝手解釈言いたい放題妄想狂のお前が言うな!笑
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009241M.jpg

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

ギャロン難問ですな、古事記が読めたら解決するのに・・・・

> 秦野「あ゛〜、学者はみんな漢字が読めない」←勝手解釈言いたい放題妄想狂のお前が言うなっ!w



8785これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 20:23:04
Re: はい。もう決まりですね。 日本語は「日本=チベット・ビルマ語族です。天孫・天神族「アマ族」です。 おまけに現代羌族の自称も「アマ」。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009242M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009242_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009242_3M.jpg

単語家族で見事に一致しています。同源です。
【天(ama)】
・現代羌語:m?(マ)
・ギャロン語:t?m?(タマ)、mo(モ)
・ビルマ語:mo(モ)

【雨(ame)】
・現代羌語:m?(マ)
・ギャロン語:t?mo(タモ)
・ビルマ語:mo(モ)

単語家族で見事に一致しています。同源です。
前に「黒い・暗い・暮らす」で一致していることなどを出しましたね。
・日本語:黒kur-o・暗kur-a・暮らすkur-a。
・ギャロン語:黒・暗k?r-nas/k?n-ak・暮らすk?n-i(/k?-ni)

ギャロン人・現代羌族のO-M117の多様性の高さから、この集団がチベット・ビルマ語集団の起源集団とされています。起源地は現代羌族が移動してきた甘粛・青海です。また、原則チベット・ビルマ系に不在のO-F444も含むことでも注目されています。


図:現代羌族、ギャロン人で日本でも活動している歌手のalanさん

チベット人は居住地の気候の厳しさから顔立ちが粗っぽいですが、現代羌族・ギャロン人などは日本の美人さんと言っても通じます。





8786これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 20:30:37
Re: はい。もう決まりですね。 日本語は「日本=チベット・ビルマ語族です。天孫・天神族「アマ族」です。 おまけに現代羌族の自称も「アマ」。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009243M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009243_2M.jpg

チベット人でも山から下りて町に住むようになったものは色も白く美形です。
でも、チベット人女性てちょっと男っぽいんだよねw

図:青海のチベット人モデル




8787これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 20:54:32
Re: はい。もう決まりですね。 日本語は「日本=チベット・ビルマ語族です。天孫・天神族「アマ族」です。 おまけに現代羌族の自称も「アマ」。
羌族 出征歌
この多声合唱は中国の歴史遺産になっている。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DvTPB5YHERN4


8788これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/26(月) 21:56:10
Re: 天孫降臨: D1bの古羌の古人骨と現代チベット・ビルマ人を挙げれる? 挙げられる人なんていないし、これからもいない。だって、いないんだよ、そんな窓際ハプロ。:「中国のユダヤ人」客家を元羌族に認定する。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009245M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009245_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009245_3M.jpg

秦野北斗さんへのお返事です。

> ハプログループO2、漢民族(最大65.7%[2])やビルマ系民族(最大86.7%[3])、朝鮮人(最大50.9%[4])に高頻度であり・・・、説明できないだろう・・・
>


あははは、君ってホントバカだよね。日本のシロウトで、O2(O3)の知識において私の右に出るものはいない。

O2(旧O3)のうち重要なのは羌族O-M117だ。
これほど語族集団と古人骨・現代人のハプロが一致しているハプロはないと言える。

漢民族のO-M117最大は台湾。
羌族系O-M117単独で23%。対岸の福建では10%なのに、である。

台湾客家ではさらに顕著で、38%。
対岸の泉州市でも40%と局地的にはチベット・ヒマラヤ地域と並ぶO-M117の高比率地となっている。

したがって、江南のO-M117は「中国のユダヤ人」客家由来と言うことができる。


客家は中原・東北地方に住んでいたと言われるが、その南下には6段階ある。
・第1段階:秦の時代辺りから江西地帯への入植
・第2段階:西晋の八王の乱から永嘉の乱にかけて黄河流域の中原や華北の北方住人が長江以南に避難。
重要なのは、八王の乱後の中原からの移住だ。
興味があれば、以下の段階は、自分で調べること。

泉州は重要な国際都市でイスラーム商人で栄えた。8世紀にムスリム大虐殺があり、周辺都市から泉州にムスリムが避難したのが繁栄の始まりとされる。

ただし、江南のO-M117のサブグループは日本人には見当たらないか極低比率。

ともあれ、「中国のユダヤ人」客家を元羌族に認定する。

図:台湾の歌手とビビアン・スー。ビビアン・スーは嬴姓徐氏だから、親父さんはO-M117。
母親がアタヤル族らしいね。





8789秦野北斗:2019/08/26(月) 22:45:41
Re: 天孫降臨: D1bの古羌の古人骨と現代チベット・ビルマ人を挙げれる? 挙げられる人なんていないし、これからもいない。だって、いないんだよ、そんな窓際ハプロ。:「中国のユダヤ人」客家を元羌族に認定する。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009246M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/始皇帝



8790これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/27(火) 00:01:33
アイヌ人に縄文人やD1bを投影しようと頑張ってるんだろうが、妄想だよ。
秦野北斗さんへのお返事です。

アイヌ人に縄文人やD1bを投影しようと頑張ってるんだろうが、妄想だよ。

アイヌ人は北海道の先住民とは言えても、他の地域ではそう言えない。何も証拠がないのでは無理筋。それにアイヌさんはオホーツク人だ。

縄文人は古東南アジアの狩猟採集民、フィリピン、台湾の少数民族としかゲノムを共有していない。縄文人がやって来た道はシナ海ランドに沈んでいる。共有たって微々たるレベルだ。

中国の古人骨でも見つからない。現代人にも事実上皆無。
広西チワン族自治州の古人骨が縄文人と似てるんだっけか。
あり得るとすればこの辺りだね。内陸には行けてない。
初期拡散に失敗して拡散できなかったんだよ。失敗作。

中国の石油採掘とかで掘り起こされるのを期待するんだな。


8791秦野北斗:2019/08/27(火) 00:13:43
Re: アイヌ人に縄文人やD1bを投影しようと頑張ってるんだろうが、妄想だよ。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009248M.jpg

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
> アイヌ人に縄文人やD1bを投影しようと頑張ってるんだろうが、妄想だよ。
>
> アイヌ人は北海道の先住民とは言えても、他の地域ではそう言えない。何も証拠がないのでは無理筋。それにアイヌさんはオホーツク人だ。
>
> 縄文人は古東南アジアの狩猟採集民、フィリピン、台湾の少数民族としかゲノムを共有していない。縄文人がやって来た道はシナ海ランドに沈んでいる。共有たって微々たるレベルだ。
>
> 中国の古人骨でも見つからない。現代人にも事実上皆無。
> 広西チワン族自治州の古人骨が縄文人と似てるんだっけか。
> あり得るとすればこの辺りだね。内陸には行けてない。
> 初期拡散に失敗して拡散できなかったんだよ。失敗作。
>
> 中国の石油採掘とかで掘り起こされるのを期待するんだな。
>



8792これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/08/27(火) 00:21:10
大中央アジア(内陸アジア)4億人。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009249M.jpg

大中央アジア(内陸アジア)4億人。

希望を言えば、図の「大中央アジア」の範囲をもう少し遼河や遼西に拡げてもらいたい。
あと、ローマ文化王国新羅地域もオブザーバーとして。

私はハプロ的には東アジアよりもコチラ寄りである。
admixtureでも西ユーラシア系が他の日本人と比べて遥かに多い。個人的には親近感が湧く。
もちろん全ゲノムでは圧倒的に北東アジア人であることも自覚しているよ。

「中央アジア」というと世間的には「単なる通り道」のイメージで、閉じ込められた感じ気もするが、
「大(Greater)中央アジア(内陸アジア)」となると、これはスーパー・パワーだ。

ブレジンスキーが言ったように、これからは、再び、「ユーラシア大陸の時代」となる。
欧米を再び半島と島にするために、中国に頑張って貰わないといけない。

前に調べたので、人口内訳を載せてあげよう:

大中央アジアあるいは拡大中央アジア4億人

1.「中国の中央アジア」7省(西北地域+チベット):1億3千万
(1)陝西3800万
(2)甘粛2600万
(3)内モンゴル2400万新疆2000万
(4)新疆2000万
(5)寧夏600万
(6)青海540万
(7)チベット270万

2. 「旧ソ連の中央アジア」5カ国:7千万
(1)ウズベキスタン3200万
(2)カザクスタン1800万
(3)タジキスタン860万
(4)クルグズスタン600万
(5)トルクメニスタン500万

3. モンゴル300万
4.アフガニスタン3300万
5.パキスタン北部3300万
6.インド北部3000万
7.イラン北部2200万
8.ロシア南シベリア2600万

ダサくてブサイクなD1bなんて、もう忘れていいじゃないか?w






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