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伊東静雄の詩の転機に関するメモ(2)
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:
Morgen
:2025/02/02(日) 02:55:09
(4)「晴れた日に)(昭和9年8月『コギト』)につきエリス俊子前掲論文他
詩「晴れた日に」の大意は、冒険ののち(「わたし」と「自然」とのかかわり方・詩の発想法を変えたら)太陽はいやに透明になり、まわりの自然が全然見覚えのないものになった。胸は真鍮の籠のように空っぽになり、心臓はおもちゃのような音がする。名前のない体験のなり止まぬのはなぜだろう。万物(自然)が「拒絶」するもの、「拒絶」されるものになったとき、自然は抽象的な存在となる。(非実在) このようにして、『わがひとに與ふる哀歌』の世界は「私」と「自然」との緊張関係・不安定な状態となり、ファンタジー詩からの転換を予感しながら、実質約一年間にわたり『わがひとに與ふる哀歌』の各詩を作り続けたということにならないだろうか(?) また、ポケット型の『拒絶』という詩集を出す旨を述べており、「拒絶」という詩も公表していたが、これは静雄詩の転換の陰で捨てられた。この「拒絶」詩は、『哀歌』詩の詩論すなわち「詩による詩論」と見ることもできる。
(5)「水中花}(昭和12年8月『日本浪曼派』)につき松本健一「伊東静雄と保田與重郎」)
「水中花」で歌われているのもまた、抽象的な花ではなく、色や形を持った日常の具体的な花のイメージである。それが、「いかなれば」(同12年9月)で歌われているように「曾て飾らざる水中花と養はざる金魚」であり「自然」ではなかったが、滅びの美を水中花に託してうたったものであるこの歌の完璧性、完成度は、古典そのものといった風情を示している。」『哀歌』時代のイロニーという方法からも抜け出し、詩のかたちは「西洋の図」を一切こそげおとしている。「伊東静雄が日本浪曼派と画然と訣れざるを得ない質というものがあきらかである。」と松本氏は述べている。(『現代詩読本』53〜61頁) 菅谷規矩雄氏は、堪えがたければわれ空に投げうつ水中花。/金魚の影もそこに閃きつという発句と脇の恰好になっており、俳諧的な様式性(文体の擬古性)にもとづいていると述べられている。いずれも、『哀歌』期からの転換を示すものである。
(6)「燕」(昭和13年7月『コギト』)につき穎原退蔵「伊東静雄君と『夏花』-芭蕉への歩み」
「単調にして するどく 翳りなく」という一行の中にも、最初に渡りついた燕の声に対して、作者の心がいかに動きのない確かさを持って居るかは見られる。それは観照というよりも寧ろ燕の声の中に投げ入れられた作者の心自体の表現である。私はそこに芭蕉の所謂〝句と身と一枚になる″境地を思わずには居れない。作者の歩いてきた道は、やはりここを目指して居たのであろうか。習俗への作者の烈しい反撥は独り弧寂の道をたどってついにこの境地に到ったのだ。
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