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(続き)「わがひとに與ふる哀歌」の構成
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:
Morgen
:2025/01/11(土) 01:06:47
前稿では『コギト』昭和9年2月号「私は強いられる」は静雄詩の転換点にある重要な詩であることを述べました。 私は強ひられる この目が見る野や/雲や林間に、/昔の私の恋人を歩ますることを…
「私は強いられる」―私に強いるのは何か?― 心の中に秘められた感動、苦い想い出、悲しみ等を「目に見得るようにしてみたい」という私の心の衝動であり、自然=「この目が見る野や 雲や林間に、昔の私の恋人を歩ませ」てみて、詩作することで「肉眼では眺めえなかった現実の皺をときほぐす」(『中島栄次郎著作選』71頁)という試み―これは「詩(歌)の発想法」の転換ではないでしょうか。これを転機に昭和9年4月「帰郷者」、6月「4月の風」、8月「晴れた日に」、10月「河邊の歌」、11月、12月「冷めたい場所で」と『コギト』への投稿が続けられました。
「わがひとに與ふる哀歌」冒頭7行の、太陽の輝く広大無辺の自然の中を「手をかたくくみあはせ/しずかに私たちは歩いて行った」という詩句は、昭和9年2月の「私は強いられる」詩の展開であります。
太陽は美しく輝き/あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ /手をかたくくみあはせ/しずかに私たちは歩いて行った (以下省略)
この「手をかたくくみあはせ」という詩句が「セノオ楽譜モルゲン」の表紙絵の印象からきているとか、マッケイの歌詞全体の印象が「哀歌」詩構想のヒントとなっていので「モルゲンからの本歌取り」だ(小川和佑『伊東静雄論考』)というのはその通りだ思います。。(杉本秀太郎氏『伊東静雄』はこれに猛反発しています。)いずれにしても「本歌取り」冒頭7行であり、次の展開部(抒情詩部分)6行の格調高い讃歌にまでも「モルゲン」の影響を考えるのは行き過ぎだと思います。
無縁のひとはたとへ /鳥々は恒に変わらず鳴き /草木の囁きは時をときをわかたずとするとも/いま私たちは聴く/私達の意志の姿勢で/それらの無辺な広大の讃歌を
この抒情詩部分は「肉眼で観た」いわゆるリアルな詩ではなく、目をつむって「意志の姿勢で」歌ったロマン詩であります。しかしながらファンタジー(想像)による自然は肉眼で見ると(「目の発明」)反転してしまい、讃歌は「有」から「無」に変わり、その残像だけが残されます。肉眼で見た自然には、輝く日光の中に忍びこんでいる「音なき空虚」が存在するばかりです。「切に希はれた太陽をして 殆んど死した湖の一面に遍照」させるのには「如かず」(=及ばない)と、観念上の太陽の残光でもよいから照らしてほしいと希って「哀歌」は結ばれています。さらに、内容的に繋がる翌月投稿の「冷めたい場所で」を「哀歌」と一連の詩とみれば、"私の想いは哀歌の反対ですよ"と言っていることになり、全体を見るとパロディ化されていると見ることもできます。 「冷めたい場所で」―私が愛し/そのため私につらい人に/ 太陽が幸福にする /未知の野の彼方を信ぜしめよ/そして/真白い花を私の憩ひに咲かしめよ / 昔のひとの耐へ難く/望郷の歌であゆみすぎた/荒々しい冷たいこの岩石の/場所にこそ
追記/ エリス俊子氏が「(藤原定家)“見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ”のうらさびしい秋の夕ぐれの無色感と比べて、「哀歌」は「遍照」する光に閉ざされた空間の裏側に、なおも太陽が君臨する壮大な自然の姿が見えている」「未知の野の彼方とは、(哀歌を歌った私が切望していた)鳥が鳴き、風がそよぎ、草木が香る、陽光に満ち溢れたあの野原である」と述べられているのが参考になります。(エリス俊子「伊東静雄の自然」‐川本晧嗣編『詩と歌の系譜』所収)
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