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「わがひとに與ふる哀歌」詩発想の謎?
1
:
Morgen
:2025/01/10(金) 01:39:09
「わがひとに與ふる哀歌」発想の謎?
昭和8年8月号「新世界のキィノー」を手始めに、伊東静雄は『コギト』へ精力的に投稿していますが、この時点で既に初詩集を企図していました。(昭和9年12月号「冷たい場所で」まで10本投稿)特に、昭和9年2月「私は強いられる」詩の発想法はそれまでとは一変しており、その背景や「わがひとに與ふる哀歌」へと詩が深化・重層化した契機・原動力は何か? そういうテーマを想定した想定問答に確定的な回答とは参りませんが、取敢えずの詩論をまとめてみました。
昭和7年3月『コギト』が創刊され、伊東静雄は「コギトの詩人なかなかよろしい」という葉書を送りました。中島栄次郎氏(23才 京大生)は、
田中克己氏とともに静雄を訪問し、それから何度も会い、会えば2〜3時間も話し込みました。(『中島栄次郎著作選』)
その頃、中島氏は詩や小説の他「創作―自然主義と浪漫主義」「絶望の文学」「小説は問題を解かない」「2つの方向ー"旅の誘い″と"善悪の彼岸″」「文学における『距離』の問題ファンタジー考」「言語の形而上学とロマンの問題」「批評のレアリズム」「レアリズムの精神」「リベラリズムと文学の功罪」等々、毎号力の籠った論文を投稿しています。そのなかで、静雄詩の発想法に関りがあるのではないかと私が推察するのは「文学における『距離』の問題ファンタジー考」「言語の形而上学とロマンの問題」「レアリズムの精神」です。 (また長くなってしまいそうなのではしょりますが)「文学における『距離』の問題ファンタジー考」(以下「ファンタジー考」)において、「"ただ人間のみが不可能を可能にする″(ゲーテ)のは ロマンであり、想像の世界を生き生きとした現実にまでもちきたらすのがロマンである。ギリシャ語の「想像Phantasia」は「見得るものにするPhantazein)に由来するものであり、詩人が感動したものを見得るものにすることであり、人間の内の自然な心がやがて大きな自然に帰する、自然にかなう、それが歌である。それが人の心の琴線にふれるのである。」というのが「ファンタジー考」の核心です。
中島氏のこのような「ファンタジー考」と、「風景なり絵画なりに感動したときどうして美しいのか又はどうして美しいと感動するのかを探りそれを書く」という静雄詩論とが共鳴したことが、「私は強いられる」→「わがひとに與ふる哀歌』へと静雄詩の発想法が展開されたきっかけではないでしょうか。。長くなると拒否されるので一旦ここで置き、それぞれの詩の構成や造型法(?)については次稿に譲ります。読み難い拙文とのお付き合いありがとうございました。
2
:
Morgen
:2025/01/10(金) 01:53:45
訂正/取敢えずの詩論→取敢えずの試論
3
:
Morgen
:2025/01/12(日) 02:12:10
「私は強いられる」の「強いられて」という言葉の謎を解くカギとして、『中島栄次郎著作選』p77で「ただ私はそのままに置くことが出来なかったが故に歌ったに過ぎなぬ」(クライスト)という言葉を見つけました。
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