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「曠野の歌」の造型法

1Morgen:2024/12/29(日) 15:41:36
寒い大晦日となりそうですが皆様お元気でしょうか?
先日、諫高23期卒前原健三様から資料を頂き本HP投稿を約束しましたので、長文となり恐縮ですが書かせていただきました。

 「曠野の歌」の造型法
(前稿/住高訪問メモ参照) 昭和10年2〜3月頃の朝会の時、伊東静雄の脳裏にその詩想がふと浮かび、職員室に戻りストーブにあたりながら急ぎ文章化したのが「曠野の歌」となった。終戦後、詩碑建設機運が高まり、「曠野の歌」を同校で作られた詩として碑文とすることが同建立委員会で決まり、昭和57年11月1日にその伊東花子さん、江川ミキさんも列席されて除幕式が行われたそうです。



「曠野の歌」の詩想のモチーフ?

a→昭和5年9月24日付け百合子宛はがきに、メーリケ『プラークへの旅路のモーツアルト』読了 とありますが、同書(独逸文学叢書9として15年12月25日岩波書店刊全226頁)の201~2頁(本文末尾)に「ベーメン(ボヘミア)民謡の写」として次の詩が載せられています。
・・・・・・

若駒の黒き二頭の

草食みて、牧場にあり、

今し巷へ帰りゆく

かろがろと足躍らせて。

此駒ぞ、汝が亡骸(むくろ)を曳きて、

しずしずと歩み運ばん、

その時の来る可き日は、

誰か知る、今し我眼に

光る見ゆ蹄の鐵の

離れ落つる前にはあらじと。



*昭和14年4月に125頁の文庫化「旅の日のモーツアルト』と改題、詩文も次のように改訳されています。(小高根『生涯・運命』p138 岩波文庫からの引用が後日誤解を生む元となる)ったのでは? 岩波文庫は昭和14年発刊)

「この駒ぞ、汝が柩を曳きて」



昭和10年作伊東静雄「曠野の歌」で、「近づく日わが屍骸(なきがら)を曳かむ馬を」と強い詩句になっているのは、大正15年発行石川錬次訳によるメーリケの詩句「汝が亡骸(むくろ)を曳きて」の影響を感じが如何でしょうか?



b→また、メーリケの詩末尾の柩を馬車に載せて「今し巷へ帰りゆく」場面は、セガンチー二画集「帰郷」(画面に見える村の教会までの)と奇しくも類似していますが、「曠野の歌」の「息苦しい稀薄のこれの曠野」「永久の帰郷」という厳しい詩句は、むしろ同画集の「生」「自然」「死」三部作の画面を連想させます。「曠野の歌」前半部のモチーフとなる「帰郷」のシーンは、昭和6年1月以来約4年余りの間伊東静雄によって、詩的純化されたうえ脳裏で温められ、何時でも応用可能な詩素材ストックにひとつとして出番を待っていたのだと思います。全集「書簡」等からも明らかなように昭和10年3月頃には伊東静雄初詩集発行が正式に決まり、生涯最高の旺盛な活動期を迎えて、多くではないでしょうかています。

昭和10年2〜3月頃の朝会で、「帰郷」シーンと「わが痛き夢」を繋ぐの発想が生まれ、「あゝかくてわが永久の帰郷を 高貴なる汝が白き光見送り 木の実照り 泉はわらい・・・」という調子の高い詩句によって双方が繋がれ、「わが痛き夢よこの時ぞ遂に 休らむもの!」という詩人の本音となる詩句で結ばれたのが「曠野の歌」詩の造型ではないでしょうか。伊東静雄は「詩想というものは一日の中でたった三分か四分。その時を大切にしなければ」と語っていたそうで、朝会がまさにその時であり初詩集発行という絶妙のタイミングで「帰郷」は「曠野の歌」の素材となりました。

「曠野の歌」は詩文の流れの通り素直に読んでも素晴らしい詩であります。

この詩を萩原朔太郎に捧げた裏には、『氷島』を超えようという自恃が潜流していた。『氷島』の「漂泊者の歌」を意識して「曠野の歌」を造型したのかどうか解明が必要だと米倉巌氏は書いています。(『伊東静雄ー憂情の美学』38頁) 

そうなると伊東静雄得意な「新古今風」や「パロディ化」(parodia 反対の歌)が導入されます。『氷島』を超えようという自恃ーこれが伊東静雄の本音であり、「曠野の歌」前半部の素となる「永久の帰郷」のシーンは、「夭折願望」の香りをさせながらも、実は「わが痛き夢」という詩句を引き出す「本歌取り」の一種ではないのかと私は思います。

(このような詩の造型法は「わがひとに与ふる哀歌」でも用いられているように思います。次の投稿で述べます)



このようにして、萩原朔太郎「「漂泊者の歌」を下敷きにして自己の「永久の帰郷」₍夭折願望?)を述べる風をしながら、『コギト』の詩人達のみならず朔太郎に並びまた彼等を超えたい「熱烈な夢想」を秘かに吐露し、或いは当時の「痛き夢」の状況から一時的にに「休らはむ!」ことを願ったのかもしれません。

 

*川本晧嗣編『歌と詩の系譜』所載の「松尾芭蕉におけるパロデイ-と異言語混淆』を参考にしました。

2Morgen:2024/12/29(日) 15:50:02
訂正/「生涯最高の旺盛な活動期を迎えて、多くではないでしょうかています。」→「生涯最高の旺盛な活動期を迎えて、多くの詩を各誌に発表しています。」

3Morgen:2024/12/29(日) 21:22:14
お詫び/ドキュメントホルダーからコピペした時に文章が崩れたり校正洩れがあったり、不自然なスペースが空いたりしています。読み難くなってしまって申し訳ありません。

4Morgen:2024/12/30(月) 05:44:07
杉本秀太郎『文学の紋帖』126頁には、「昭和5年9月、メーリケ『プラークへ旅するモーツアルト』を原文でよみ、感動したことを、彼の書簡は報告している。」と書かれていますが9月24日書簡は「メリケのあの傑作をいまよみおはった」としか書かれていません。小高根氏はたぶん岩波文庫と書いています。


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