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25同人α編集部:2016/06/06(月) 08:23:09
種子は希望 
岩波書店『図書』 2016.6    楊 逸

 一人で無人島に行かされることになった。ものは以ドのうち、何か一つしか持っていく
ことができないとしたら、あなたは何を選びますか? ―― 本、お金、道具、食料。の
ような四肢択一という問題。
 これは、以前お勤めしていたとき、社員の定期研修で出された性格診断のテス
トだ。「馬鹿げている」と鼻であしらったものの、すぐ性格が僻んでいるのではないかと
自己診断して不安になってしまった……
 無人島物語を語るなら、小さい頃小説「ロビンソン漂流記」を読んだし、学校で大航海
時代の歴史も勉強した。海や空が隔てた向こうに宝が転がるような陸地があると信じたヨ
ーロッパの航海家の先駆たちは、きっと道具や食料、武器、薬、たぶんお金や書物も、何
でも財力のかぎりに周到に準備されてから出発したに違いない。それでも途中でいろんな
事情によって様々の無人島にうち上げられ、サバイバルの末、命を落とした人が多くいた
ようだ。
 人間が住んでおらず、灼熱の太陽と茂る植物が横行する島。異常な孤独好きだからかそ
の響きになぜか、憧れてしまう。だがもう火星に移住ずることを企む時代。人に知られて
いない無人島なんてこの地球上に未だにあるかどうかに首を傾げてしまう。ふと、古代に
日中の間で起きた話を思い起こした。
 それは、大航海時代から遡ることおよそ一六〇〇年、中国は秦の始皇帝時代で、主役は
徐福。いわゆる不老不死の薬を探しに、海を出て「東方の三神山」を尋ねることから始ま
った物語だ。
 蓬莱、方丈、瀛州――神や仙人が住む三つの山。東の海に浮かんでいて、不老不死の薬
がたくさんあるという言い伝えで、東方こ三神山と呼ばれていた。これが明確に今の日本
の島々を指していたかどうか定かではないが、徐福という方士が、始皇帝の命を受けて仙
薬を探すため、三度海に出て、最終的にたどり着いたのは日本の九州だったとも言われて
いる。二度目の航海から戻った徐福は、「神に会い、薬の取引条件について直談判した」
のだと報告した。司馬遷の「史記・淮南衡山列伝」に、彼が如何にして始皇帝を欺いたか
という記述がある。
――臣見海中大神、言曰「汝西皇之使邪?」臣答曰「然。」「汝何求?」曰「願請延年益
寿薬。」神曰「汝秦王之礼薄、得観而不得取。」即従臣東南至蓬莱山、見芝成宮闕、有使
者銅色而龍形、光上照天。於是臣再拝問曰「宜何資以献?」海神日「以令名男子若振女与
百工之事、即得之矣」
 要約すれば、海の中の神に会った徐福は、長寿薬がほしいと申し出ると、始皇帝からの
プレゼントが不充分で、薬を上げるわけにはいかず、見せるだけならできると言われて、
霊芝(不老不死効果のある薬草)でできた宮殿に連れていかれ、龍のような体をし、銅色
に輝くというような仕え者もいた。圧倒された。そこで再度ずうずうしくごどのくらいの
価値のものを差し上げれば良いのでしょうか?」と徐福が訊ねた。――良家出身の男子女
子と、各業の職人を連れてくれば、薬をやってもよい、と。
――秦皇帝大説、遣振男女三千人、資之五穀種々百行而行。
 大してウマい嘘をつかれたわけではなかった。だが不老不死になりたい一心の始皇帝は、
いとも簡単に引っかかってしまい、「神」に求められた良家出身の童男童女三千人と、各
業種の職人のほか、五穀や様々な農作物の種子なども、おまけつきで徐福に持たせて、海
に送り出した。結果は、いうまでもなかろう。徐福が二度と大陸に戻ることはなかった。
 まだ縄文時代から弥生時代への過渡期にあった日本列島。なんとなくのどかで、原始的
な風景が私の目に浮かんだが、文明が進むも、戦乱が絶えない中国大陸に比べ、華麗な宮
殿も酒池肉林のような贅を尽くす美食もなければ、国や王、戦乱や殺戮もなく、平和な楽
園のように、徐福の目に映ったのかもしれない。
 自分の理想の国を築けるのではと、新天地を発見した徐福は、そう閃き、続いて野心が
蠢いただろう。日本沿海に、「徐福の上陸地」という跡地が複数あるのは、日本上陸した
のは一度だけでないことを物語っているように思えてしまう。つまり、始皇帝から人材物
資を騙し取るまでに、日本列島を歩き回り、神あるいは敵がいるかどうか、どんな人がど
のくらい住んでいるのか、農耕可能な上地はいかほどあるかなどについて調査し、「国づ
くり」の計画や見積もりをしたと推測が広がる。
 徐福一行を見た弥生人は、おそらく敵意識を示さず、友好的で、あるいは喜んで歓迎し
たのかもしれない。というのは、始皇帝に「人と物」を求めた徐福のリストに、武器や兵
士はなかったのが、一つの裏付けになるではないか。それに、「童男童女」とくれば、土
地を開拓し、農耕をするのには、大陸の従来の、家庭を最小単泣とする農作業スタイルを、
そのまま新人地でも実行させようと、生育によって自らの勢力を強めようという彼の「ビ
ジョン」も見え隠れする。
 弥生時代については稲作の技術を持つ集団が列島の外から北部に九州に移住したことに
よって始まったといわれる。稲作技術を持つ外来の集団とは、徐福一行だろうか。
 昨年の夏、九州地方を訪れてみた。筑紫平野から佐賀平野へと駆け抜ける電車の中で、
外を眺めながら、脳裏でなんとなく景色を紀元前三世紀に戻そうと努めた。
 佐賀県の吉野ヶ里公園駅で下車し、弥生時代の遺跡に歩いて向かう。真夏の真昼、陽差
しが炙った大地はもう加熱した土鍋のように干上がっていた。畑を縫うように伸びる細い
道の先は、古の環濠集落が広がる。復元されたものなのだけれど、いわゆる竪穴式の住居、
糧食の貯蔵庫、中心の広場、食事処の囲炉裏など、ところどころに人形も配置して、古の
暮らしが再現されている。この地で出土した、当時の生活や生産に使った品々も展示され
ている。石器、土器、青銅器、鉄器、種類が様々あるうえ、銅鐸に描かれた精緻な絵から、
文化的空気も伝わってくる。
 発掘と復元のほか、遺跡と駅の間に広がる畑にも、古から息づいてきたものがあるよう
に感じられた。稲田と大豆の畑だった。集落を囲むように広がる農地。二OOO年前と同
じだったのだろう。
 稲作を教えるという伝説が列島のあちこちに散らばっているという徐福とその一行は、
この地でどんな生涯を遂げただろうか。――数十年、あるいは百年も長生きしたにしろ、
二OOO年の中ではほんの一瞬でしかない。時間を前にして人生を考えるなんて虚しくな
ってしまうが、同じ月日を経た稲の種子は、今日世界一のブランドになった。――日本の
米、その美味しさと言ったら、日本人でない私でも、一週間も食べないと、落ち着かなく
なるほどで、無人島に絶対に持っていきたいものである。
 散々道を迷って、また原点、無人島の話に戻ってきた。もし無人島が今も本当にどこか
に存在し、そのうえ、アンラッキーなことに私が、一人で何かもの一つしか持っていかな
ければならないような状況になったらと、もう一度考えてみる。――種子、そう、人や文
化を育む種子よりほかなかろう。農耕文化が衰えた今振り返っても、種子がやはり文明の
原点であることに気がつく。無人島へ行って種子を蒔いておけば、希望へと成長し、やが
て収穫期を迎えるだろう。
????????????????????????????????????????????????????????????(ヤン イー・作家)




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