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momoyo

5資料管理請負人:2014/09/12(金) 21:12:31
趣味と道楽の狭間で
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  趣味と道楽の狭間で(狭間シリ-ズ1)    古賀 和彦


 棋譜を並べながらふと考える。将棋を楽しむことは、趣味なのか或いは道楽なのかと。
 音楽ならジャズ、ラテン、クラシックなどあらゆる分野を聴いてきたし、高校時代はブ
ラスバンドに席を置き、野球の応援で甲子園まで行く幸運を得た。ただ一つハードロック
は生理的についていけない。聴力に問題がある私もこの騒音には精神を痛めつけられ出家
したくなる心境に陥る。又、絵を観ることも好きである。実は上手下手は兎に角、画く事
も大好きであったし、たびたび一人でお堀端にスケッチに行った記憶があるが、美術の教
師に散々貶された時からそれもぷっつり止めた。若さの馬力で敢えて難しい書も読み漁り
もした。スペンサーの『衣装哲学』とかラスキンの『胡麻と百合』、或いは日本文学だと
一語で表現するであろう事を百語も駆使し飽くことを知らないようなロマン・ロラン、ジ
イド、スタンダール、サルトル等のフランス文学。或いはロシア、ドイツ文学。アラン全
集とプルーストの『失われた時を求めて』は中途でやめて長くなるが、人生の最後の安ら
かな数年間、過去を求めたくなる時まで置いておくつもりでいる。
 広辞林によると、趣味とは専門としてではなく楽しみとして愛好すること。道楽とは本
業以外の趣味などにふけること。二つとも同じ事を述べている様でどうもまだその相違が
判然としない。ふだん我々はなんとなく確かに使い分けしているようだが、いざその違い
を述べよと言われると、人は何故に生きるかと問われると同じくらい一瞬戸惑うものであ
る。

 英語の辞書では
  ◆道楽: a loose life, debauchery, profligacy
       放蕩、不品行、浪費
 ◆趣味: taste, interest
       味、味覚、風味、風情、審美眼、興味などが同義語としてある。
前者は興味の対象より生活態度を、後者はむしろ対象そのものにたいする興味を表現して
いるようである。
 では、一般的に道楽としては、呑む・打つ・買うの表現で代表される酒・賭事・女の他
に、釣り、収集等であろう。釣りや収集等は趣味と言える場合もあり、どうも熱中の度合
いで表現が変化するようである。又あいつは女の趣味がよいと言う具合に表現しないこと
もない。女権拡張に伴い、あの人は男の趣味が良いという風になりつつあるかも知れない。
趣味は、絵、読書、音楽、カメラ、旅行、スポーツ、囲碁、将棋等になろう。趣味も度が
すぎると道楽になる危険を孕んでいるが、しかし道楽が趣味に昇華することはなさそうで
ある。
 経済的、社会的、性格的等の視点で考えてみると、道楽は不道徳で一種後ろめたさを伴
いながら財力を省みず、又は他の生活部分を切り詰めて、夢想的、情熱的、破壊的に己の
みの興味に耽り、家族、親類縁者に多大な迷惑をかけても一向にその状態から抜けられな
いし、本業よりも更に時間と労力と金を惜しまない状態としての対象に対する生活態度。
趣味はある一定の自由になる財力の範囲内(ポケットマネー)あるいは本業に差し障らな
い時間内で教養的、理知的、余技的に、節度ある楽しみを求めるためのものであろう。
 また、前も述べたように半分以上は本業よりも道楽に傾いているから、食いつめてそれ
を職とすることは考えられる。しかし、趣味においては、一般に趣味と実益を兼ねて羨ま
しいなどと云うが、このことについては矛盾がある。趣味を金儲けの手段としたとき、社
会通念の束縛を受け、また義務と責任をおわなければならないので、本業以外の楽しみと
いう定義と、楽しみそのものの二重の意味で矛盾する。ゴッホやシューベルトのように職
業としたおかげで生前は悲惨だった例が数多く存在する。パチンコや競馬などの賭事の楽
しみ、ひいきのプロ野球チームの勝敗に一喜一憂したり、些細なことで楽しみを見つける
ことの出来る人は幸せである。
 そこで最初の問いに戻ってみると、数百万円の碁盤を求めるとか、高価な初版本の収集
にのめり込むとか、ベートベンの「歓喜の歌」を歌うためにウイーン詣でをするとかの夢
想的、情熱的、破壊的な熱意もないし、道楽の生活にある一種の憧れ、羨ましさの感情が
残ることも否定出来ないながら、後ろ指を指されない趣味の範囲であるという結論に至っ
てほっとしている。

 だが最後にもう一度広辞林を調べてみて驚いた。なんと末尾の項目に「道楽とは道を解
した楽しみ」とあるではないか。だとすると、いままで述べてきた反社会的な暗いイメー
ジの表現を述べた、呑み・打つ・買う等の眉をひそめるだけの対象だけではなく、本来は
趣味といわれるものが対象ではなかったか。一種の羨ましさの感覚があったのはあながち
的はずれではなかったのかも知れない。経済的、精神的余裕があり、趣味的な自己規制を
した楽しみではなく、より自由に、より闊達に、より高度の域に達する楽しみの出来る環
境にいる人のみが得られる楽しみではないのか。そう考えると、趣味とはなんと時間や金
銭やその他の条件を憚りながら楽しみを見つけなければならないのか。願わくは一度道楽
の世界を覗いてみたいものである。

https://img.shitaraba.net/migrate1/9312.momoyo/0000007M.jpg


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