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alpha-archive-07 - 小柳理正
17
:
編集部
:2014/04/29(火) 15:37:10
言葉 言語 翻訳2
.
??言葉 言語 翻訳 2011-2012
言葉、言語、そして翻訳に触れる文章が多く見られます。
歴史ひもときは文献に当たることが中心になりますから、氏にとって、まず
言葉を正確に知ることが大前提になって当然です。
ひもといていった持論(推論)を文字で残す作業もまた、「正確な表記」へと
繋がります。
日本語に訳された資料に対して敏感になるのも、当然の結果なのでしょう。
肥と筑 第十六回:評のお答えより?? 2011/ 3/21
注)★評者
★丸々4年の間、登場家族は年を取らないのに作者は年を取る:
なるほど、指摘されてみればその通りです。
それでは、時間経過の倍率は実際にどうなっているのか、調べてみました。
勉強会は、毎週日曜日の開催なので、年に52回有る事になります。これを出版回数の年
に4回で割るとな、なんと13倍でした。
作者は、登場家族の13倍の早さで年を取っております。全然気がつかなかったなあ。
★作者は検証しまくり自分の目で真実を見ようとする:
言われてみれば、検証好きですね。しかも、大方は白川静博士の[字通]に頼ってい
ます。どうしてこうなったのか。
白川博士の本の内、東洋文庫・講談社学術文庫・中公文庫などで出版された物は、α入会
以前から興味が有って所有していましたが[字通]は高価でなかなか手が出ませんでした。
しかしα入会の頃に、長男が何かのお祝いとして贈ってくれました。
同じ頃、赤松さんの文章中に、東京を引き払い鹿島に帰る際に在京の友人から餞別とし
て[字通]を贈られたと言う逸話を読んだことが有り、その不思議な暗合に驚いた記憶が
有ります。
★言葉と文・字を持つ人類はきっとこれ(福島の原発事故)をきっかけに大いに考え始め
るでしょう。:
同感です。願わくは日本人の鋭気と努力で速やかに現在の危機的事態が沈静化せんこ
とを。
★漢字の音読み・訓読みの意味:
この両方の読みを持っていることこそが、日本人の漢字学習を容易にしている理由で
す。以前、肥と筑で書きましたが、漢字を音訓両方の読みで覚えることは、英語国民がラ
テン語の単語を常に英語の意味と一緒に覚えるのと同じ作業をしているのです。言葉を二
つの側面から学習することは、一見迂遠なように見えて、実は記憶をより強固で確実にす
る効果があるのです。
★水戸家の蔭紋:
ひょっとすると、葵紋ではあっても、双葉の葵では有りませんか。
だとすると、それは徳川家康の本当の先祖の紋であって正しく蔭紋ですね。
★「雲」は夏王朝の隠れ姓、「風」は殷王朝の隠れ姓:
日本の蔭紋からの類推ですね。遠い先祖を示すという意味では確かに蔭紋と共通性が
有りそうです。これをより解りやすく言えば
「雲」は夏王朝を含んだより広い範囲の民族の通姓
「風」は因王朝を含んだより広い範囲の民族の通姓
と言うように考えています。
つまり、姒や羋は、雲姓の夏民族中の各部族の姓であると思います。
★?農炎帝が焼き畑の神様:
焼き畑の「畑」字は、日本で作った所謂国字ですが、その由来は漢語の「火田(焼き
畑)」に有ります。同様に「畠」字も国字であり、その由来は漢語の「白田(水田)」に
有ります。面白いですね。
★「羋」「姒」などの普段みたこともない漢字が漢字第3水準のなかにある理由:
仰有る通り、中国の古代史に出てくるからだと思います。
同様な例として、唐に先立つ国名の「隋」も、滅多に使わないのに漢字第2水準の中に含
まれて居ます。
肥と筑 第十六回:評のお答えの2 より??2011/ 3/22
★得意分野の技術をもった集団に神が降りてくる:
そう。技術を共通にする集団には、その集団なりに、アーラヤ識への固有の窓を持って
いるんでしょうね。
降臨する神とは、この窓を通って発現するのだと思います。
★コーヒーブレイクでは26号お題「仮面」がブレイクします:
私は、この「仮面」から[夏]王朝を連想したのですが、これを調べていくと夏民族の
通性は[云]姓、
つまり[雲]姓であると推定出来たわけです。
また単にこれだけに止まらず
1)この[雲]と25号の題であり殷王朝の通性と推定した[風]とが、それぞれのト
ーテムたる龍と
鳳とに結びついている一対の概念であること
2)[雲]と[風]とは、25号の肥と筑のコーヒーブレイク中で、後藤家の父母であ
る一対の男女が、
その好む詩の中で無意識に取り上げた一対の言葉であること
の2点に気がつきました。
25号と26号の題は、私の意志とは無関係に選ばれたにも拘わらず、自然とこのよう
な暗合に導かれた
ことが、実に不思議です。
★神ではないけれど祈りを通じてシャーマンになる:
祈りとは、言葉を介して共通した思いを集中できる所の人間という存在にだけできる行
為だと思います。それだけ、言葉には強い力があるんですね。
双数と言語
「三点セット:評の3」より?? 2011/4/17
?? 今なお続く余震による船酔い症状と、家の片付けとに追われ、なかなか時間が取れま
せん。
★3は最初の複数?
著者は、三点セットという言葉から、トルコで印象深かった三つの飲料に触れています。
これについて思い出すことは、アラビア語文法には双数という概念が有ることです。ほか
にアジアの言語では、ヴェトナム語と関係あると見られる南アジアのモンクメール語、イ
ンドのムンダ語にも双数が残っています。印欧語系にも昔は広く分布していたようですが、
今ではケルト系のスコットランド・ゲール語やウェールズ語、それにスロベニア語やソル
ブ語などの少数派言語に残って居るのみです。
この双数概念は、本来目や耳などの一対の物を表わす形であり、このような言語では所
謂複数とは3から始まります。つまり、3は多様性の始まりとも言えるわけです。
著者が触れているように、オスマン帝国ではアラビア語やペルシャ語の影響が強いのです
がアラビア語では現在も、ペルシャ語ではその古形に於いて双数が存在するので、この双
数の最初の対立概念としての3が、オスマン帝国で特別の意味を持っていたのかも知れま
せん。
ケルト語と古代ローマ語
三点セット:評の4?? 2011/ 4/17
★アナトリアとトロイ
トロイの遺跡は、アナトリア西端に有り、その始まりは西暦前3000年頃とされていま
す。
ホメロスが「オデッセイア」で、ギリシアとの戦いを描いたトロイは下から数えて第7層
の「第?a市(西暦前1275〜1240年)」に当たると言われています。
あくまで伝説ですが、イタリア半島にローマを建国したのはこの時ギリシアに滅ぼされ
たトロイ人の子孫という話もあります。もしこれが本当だとすればトロイの東北のビザン
チン(現イスタンブール)に都を置く東ローマ帝国が出来たのは、先祖返りかも知れませ
んね。
また、ケルト族の伝説の王アーサーの先祖はトロイから渡ってきたという伝説もあります。
ケルト族のアーサー王の先祖が、トロイからイギリスへ渡ってきた中継地が、もしローマ
であったなら、ケルト語と古代ローマ語との類似性が見事に説明できます。
色認識と言語
馬上少年過ぐ、あるいは黄昏:評 より??2011/ 6/11
?? 文中一番気になった箇所の「人間の色認識」について私なりの感想を。
これは、著者が職場で設計開発したテレビカメラの色再現に関連して出て来る問題である。
色認識について、著者は言う。
「人間の色認識というのは実に心理現象であり、物理的実体と必ずしも対応していない。
また色認識というものはかなりルーズで、大部分において自分が記憶している色像があり、
それにより判断している。・・・
たとえば、晴天の屋外での色と白熱電灯で照明室内での色は、本当は相当に違うのである
が、人は同じ色と認識している」と。
つまり、著者は「人は色について先入観を持ち、それによって判断している」と言うこと
を物理現象に即して解説している。
これを見て驚いたのは、これが唯識が説く人の認識論と実に見事に対応しているからであ
る。
考えてみると、ブラウン管または液晶の色再現としては、緑青赤の三原色が使われてきた
が実は、世界各地における古語の基本的色名は意外に少なく、しかも必ずしもこの緑青赤
とはピッタリ同じではない。(例えば、日本の古語では赤黒白青の四色が基本色であった)
これは、民族により基本色が受け持つ色範囲が少しずつずれている、つまり基本的色認識
に係わる先入観には差があることが言語面からも解ると言うことであって、人の脳内にお
ける色認識は、一体どういう仕組になっているのだろうと、最終的にはそこまで興味が広
がっていくのである。
肥と筑 第十七回:評のお礼の4 より??2011/ 7/14
★ある家庭の・・・かなり教養指数の高い人々による勉強会というありえない設定:
これは以前にも、他の読者から指摘を受けたことがあります。
確かにそうでしょうが、この設定は私に取っては必須なのです。
というのも、私のこの一連の作品は本質的には「論」だと思っています。
その目的は、毎回幾つかの歴史的・民族的・宗教的または言語的謎を系統的に解き明か
しこれに対する反論と再反論つまり想定問答を複数の視点で行なうことなのです。
(この論証でも漏れた部分は、読者からの質問に対する説明として補っています。)
このため、作品中に各分野に強い人物を想定し、このような集まりを設定したわけです。
同じ「論」でも、作者一人が全ての論証を行なう場合に較べ、登場人物一人一人の個性が
浮かび出るため、幾分かでも読みやすくなっていると思います。
人の像をした美しい青い地球:評の3?? 2011/ 9/14
?? 家族旅行で、またもや評の3が遅れてしまい、神野さんの合評御礼まで出てしまいま
した。 九月九日も過ぎ、六菖十菊の嫌いは有りますが、ままよと眼をつぶって出すこと
にします。
[「人の像をした美しい青い地球」はまだ世界を知らない] について
1〜5のいずれも、恐いか恐ろしいという言葉を含む文章で始まるのは、今号のテーマた
る震災列島に係わるものでしょう。
文章表現を見る限り、この節の主人公「人の像をした美しい青い地球」は、著者が持つ純
で初心な内面を示しているように読めました。
と、ここまで書くと、赤松さんの評の意図にまたもや反することになりそうです。
そこでは比喩の持つ効用が、作者の巧みな表現を成り立たせる要素として説かれていて
「神野さんのこの作に対して解析・分析の類を加えるのは的外れである」
という趣旨が述べられています。
確かに、それは尤もな批判だし、私も何時も私の分析偏重に対して反省しています。これ
は一種の職業病で、なかなか直りません。
しかし、以前にも書いたことが有りますが、分析という作業そのものが比喩という作業
と大きな基盤を共有しているのも事実です。
ここでは、事のついでに再度そのことについて私の考えを述べてみたいと思います。
★言葉と連想
連想は、言葉の力を基にした意識の共有という人類に特有な作業であり、ほかの動物で
は(多分イルカでも)この作業は不可能でしょう。
★連想の和と積:比喩と分析
連想は、意識範囲の拡大と縮小とのいずれにおいても、人が自然に用いています。
範囲の拡大は、複数の言葉のいずれかで象徴される対象の和(集合の和です)を用い
範囲の縮小は、複数の言葉のすべてで象徴される対象の積(集合の積です)を用いま
す。
敢えて単純化すると、前者が比喩・後者が分析と言えるでしょう。
「肥と筑 第十八回 のお答え より??2011/10/15
★周とトルコ族
万理さんの評中に[滅亡時のヒッタイトの移動]と有りますが、アナトリア半島を中心に
存在した古代ヒッタイト王国の民族は、その言語から印欧系の民族です。
一方、私がヒッタイトの製鉄技術を受け継いで東アジアに東遷したと見ているトルコ族は、
アルタイ語族の言語を話すアジア系の民族であり、ヒッタイトの民族とは無関係です。
ただし、トルコ族の四頭立ての重戦車[駟]も、ヒッタイトから受け継いだ物でしょう。
トルコ族の周は、この重戦車の[駟]で、二頭立て戦車からなる殷の軍勢を破ったのです。
言語と文字表記
窓辺にて−そして、それから:評?? 2012/6/17
★言語と文字表記
水村美苗の著書をきっかけに著者の持論が展開される。
そこで挙げられるのは
文化・伝統を文字表記にすることの意味
日本語の漢字仮名交じりの表記の持つ意味
日本古来の多彩な色彩名称(もちろん鈍色も中間色としてその中に入る)
後々まで残る書かれた文章に対する校正の重要性
母国語の習得の重要性
などであり、いずれも評者の年来の意見とも符合していて意を強くした。
[知恵]と[智慧]
心にあるよしなしごと:評の1より?? 2012/7/1
★忘れぬ内に未校正の誤植を挙げておきます。(→の右が本来有るべき表示です。)
注意はしたつもりですが、校正が行き届かなくて申し訳ありません。
p69、 5行 限界もなく→眼界もなく
p69、 8行 阿耨多羅のルビ「とくあのくたら」→「あのくたら」
p69、11行 般羅掲帝の般羅のルビ「ぱら」→「はら」
p69、11行 般羅僧掲帝の般羅のルビ「ぱんら」→「はら」
★佛の知恵と今の日本で通用している知恵は異なる
仰有る通りです。ただし、中国では佛の[チヱ:般若]を翻訳する際に伝統的に[般若]
でなければ[智慧]と漢訳しています。日本佛教でも、世間知を示す[知恵]と佛の[智
慧]とは区別して用いてきました。
異文化間の言語翻訳の困難さは、日中で共に意識されていたようですね。
「クルアーンの翻訳について」より 2012/7/6
「心にあるよしなしごと」−評3(完)の文中、「イスラームでも(翻訳による布教とい
う) 同じ努力がなされてきたのでしょう」とありますが、実はイスラームの経典クルア
ーンは、他の言語に翻訳して布教することが禁止されているのです。
(ただし、布教を目的としない翻訳はあり、日本語訳も存在します。)
つまり、イスラームでは、世界中何処に行ってもモスク内で用いられるクルアーンの文章
は共通であり、翻訳による誤解は生じないようになっています。
アラビア語には、非常に広い地域に渡る国・地方・民族それぞれに異なる方言アンミーヤ
が存在しますが、一方ではイスラーム圏共通の文章語フスハー(日本語では文語に当たる)
がこのクルアーンの文章を基礎として生まれました。
[肥と筑」の評へのお答え より?? 2012/12/25
貴重なご意見と評とを戴き、ありがとうございました。
★肥前と肥後の間に筑後が割り込んだ形になっている位置関係の不思議::
何故このような事が起きたのかについては、以前作品中で軽く触れました。
私の意見としては、今の河北省にあった孤竹国とその隣国の肥如国は、血族からも元々密
接な関係に有り、日本へも同時期に渡来した両国が筑と肥の基になったものと思います。
当然、両者の居住地域も入り組んだ構造があり得たし、そのことが筑後川という北九州の
大きな航路沿いの住民分布にも反映されたのではないでしょうか。なお、邪馬台国のヤマ
ということば、孤竹と近しかった山戎のことばトルコ語のヤマに由来しています。
古事記によるとイザナキ・イザナミの国生みで生まれた九州の通名は、筑紫の島です
が、筑紫の筑は、元々倭人同様に南方系であった孤竹国の竹から来ています。
筑紫の島には筑紫の国・豊の国・肥の国・熊曽の国がありました。この名付け方からみ
ても初期の九州においては筑紫が支配的だったことが解ります。
★【異国人の受け入れ】
縄文人と弥生系海人族つまり倭人とは、いわゆる異国人だったのでしょうか。彼らは全
く別の言語を話していたのでしょうか。確かに骨格や頭蓋骨の形状からは両者には差異が
あることが指摘されています。
しかし、これとは別に、稲作技術からみて両者の通話は意外に簡単にできたのではない
かと思っています。
と言うのも、岡山県で六千年前の陸稲(熱帯ジャポニカ種)のプラント・オパールが次々
に発見され、縄文人が稲作を知っていたことが解っているからです。
稲作は、江南地方から伝来した技術であるとみられていますが、この技術を伝えた民族
は、苗族や倭人に近い越族だったとすると、縄文人も海人族が話す倭人の言葉を解した可
能性があります。
す。
18
:
編集部
:2014/05/09(金) 10:20:57
占 術
.
占 術
科学技術者であった氏が、三十代終わりに占星術の本を出していることを知りました。
科学と占術、一見すると相容れないようにも思えますが決してそうではないようです。
そこに何か共通する根っこ/世界があるようにも思えます。
肥と筑の中では主に、プログラマーである芳賀に占術について語らせます。
掲示板書き込み以外に作品の中からも取り上げました。(編集部)
相続形態の例外と周易
「話を相続問題に戻すと、高嗣の指摘のように古代における相続は、中間子の叔が受け
持った。ところが高嗣が言ったように、この相続形態に明白な例外がある。それは周王朝
と江南の呉だ。
例外となった問題の人物は、周王朝の始祖で文王と贈り名された西伯昌と、文王の伯父
で江南の呉の始祖となった呉太白の二人だ。ただし、呉太白は自分の子孫を残していない
から、通常の意味の始祖には当てはまらない。
この周王朝の初期において明白な例外が生じた理由を、誰か説明できるかな。」
ここで、和昭の友人の芳賀信行が話に加わった。本業はプログラマーだが、趣味で占術
をこなすという変わった人物である。
「はい、司馬遷の著した史記によると、後に文王と呼ばれた西伯昌の父親は、周部族の
族長で、実名を季歴、贈り名を公季または王季といいます。名前から明らかなように末子
です。江南の呉を建国した呉太伯と虞仲の兄弟は、王季の長兄と次兄なので、文王から見
て伯父つまり父親の兄に当たります。虞仲は、仲雍とも呼ばれました。
実は周部族は、陝西(せんせい)省で農業を営んでいましたが、もともとは騎馬民族出
身と推定できます。季歴のような末子相続は、騎馬民族の習慣だったらしいですね。
季歴も末子だったので父の後を嗣ぎます。これに先立って呉太伯と虞仲は、江南の池に移
り住んで、その土地の住民の頭首となりました。これが呉の始まりです。
季歴の死後、その子の西伯昌つまり文王が後を嗣ぎます。文王は、当時の中央政権の殷
の紂王に危険視され幽閉されるんですが、この幽閉期間中に、周易中の後天八卦の注釈、
いわゆる説卦伝を作ったという伝説があります。」
「すみません。『しゅうえき』とか『こうてんはっか』ていうのは何ですか。」と清香。
「夜の街頭で見かける筮竹を両手で捌いて占う人が易者、その占いの原典となっているの
が易経で、周の文王が大成したと言う理由で、ふつう周易と呼ばれています。筮竹を使っ
て占うようになったのは、騎馬民族が占いに柳の枝を使っていた名残のようです。周以前
の占いは、亀の甲羅や牛・鹿の肩胛骨に占う内容の文字を刻んだあと焼け火箸を当てて、
割れ方から吉凶を見る、いわゆる甲骨占が正式の方法でした。
八卦は森羅万象を八つに区分するシンボルと思って下さい。易占いではこの八卦を上下
に重ねた六十四卦が基本になっています。ところで、八卦の森羅万象への割り当て方法に
は早期に成立した先天八卦と、後期恐らくは周易成立時に出来た後天八卦とが有ります。
説卦伝というのは、この八卦に対する文王流の解釈です。従って、先天八卦と後天八卦の
違いは、周以前の一般的習慣と周の習慣の差を反映しているはずなんです。」
「よく分かりました。」
「この後天八卦の配置で面白いのは、相続を象徴する東北の部分に、末男を示す艮卦(ご
んか)が配当されている事です。つまり騎馬民族の末子相続の習慣が、文王の編集した周
易に織り込まれています。
一方、易の先天八卦では、相続を象徴する東北の部分には、長男を示す震卦(しんか)が
配当されているんです。これは、周以前の相続形態を示していると考えられます。」
「うまい。その通りだ。周易の先天八卦・後天八卦と結びつけての相続方法の説明は、非
常に明快だ。」と英夫。
「ちょっと待って下さい。当時の一般的相続者は、中間子の仲・叔だったはずです。先天
八卦で相続の象徴する部分に長男が配当されたという話とは、矛盾しませんか。」と高嗣。
「もっともな疑問だ。これは、相続において宗教上の相続を重視するか、血統上の相続を
重視するかの問題なんだ。
古代の一般的相続で、最も重視されたのは宗教的相続であり、それは伯が受け持った。
騎馬民族の相続では、最も重視されたのは武力的相続であり、それは季が受け持ったと言
うわけだ。シャーマンの家は、族長家とは別に存在したんだ。」
「肥と筑 第一回」より?? 2007/5
占星術と龍・蛇・蠍
★占星術と九星における龍蛇と鳥の共存:
これは、一見すると偶然の関係に見えますが、やっぱり根っこでは密教に繋がっている関
係だと思います。
★私は蠍だ。何か関係あるのだろうか:
Horoscopeで、天蠍宮に太陽か上昇点がある人は、精力が強く集中力もあるので、目標
を一点に絞ると成功しやすい特性が有ります。
肥と筑十二回のお答えの5 より??2010/3/31
春分点
★数千年前の星座の位置を特定:
春分点の移動は、昔から占星術で論じられてきました。この移動は、地球の自転軸が黄道
面に対し2万6千年弱という時間を掛けて首を振る事から起きる現象で、それ自体はごく
単純な計算で求められます。ただし、星座を形作る恒星群は、太陽系から十分離れている
ために恒星間の相互位置は、固定されていると近似しています。
それでも、黄道12星座の境界線がどこに有ると見なすかで、春分点が星座に入る時期が
変わってくるのです。
肥と筑 第十四 回感想その2へのお答え より??2010/10/2
五大と六大
五大とは、インド人の見方による世界の五つの要素(地水火風空)を言う。
この内、地水火風の四大の概念は、アラム文明で発生したもので占星術でも使用される。
最後の空大は、空気ではなく虚空を現わすインド独特の概念である。
これらの五大は、自然界では、ブーミー(地)・ウルミー(水)・ラスミー(火)・マルタ
(風)・アーカーシャ(虚空)とも呼ばれ、空間の要素を記述する。
さらに佛教では、この五大以外の要素として識大というものを立て、六大とする。
識大は、表面の五識・第六意識・第七マナス・第八アーラヤ識までを含む意識であるが、
第七マナスは、時間の観念も内包する特別な存在である。
人の意識は、この識大の働きによって起こる。
むげん君はいつから「自分」になったのか:合評 より??2010/10/23
風と唯識・占術
コーヒーを飲みながら、芳賀信行が話し出した。
「いや、驚いたなあ。今日も雲呑(わんたん)の雲の後に、宇宙生成の風が出てきましたね。
雲と言えば、夏王朝とアーラヤ識を連想するし、
風と言えば、殷王朝や占星術の黄道十二宮中の風性の宮、宝瓶宮・双児宮・天秤宮の三つ
を連想します。
風性は、知識・知性の象徴なので、この風性三宮はアーラヤ識から表面意識が生まれて来
る三段階の象徴とも言えるし、占星術では、個人がある現象と出会う後天運の時期を定め
る仕組の象徴でもあるんです」
「えー、なになに、占星術なの。すごい。面白そうね。さっきの話で、が痛くなってると
ころだから、芳賀さんの話は解りやすく説明して頂戴な」
コーヒーカップ片手に、清香が叫んだので、思わず皆が笑い出した。
「そうですか。今食べているケーキのように、出来るだけ柔らかく、また甘く説明して見
ましょう。占星術では、固体・液体・プラズマ・気体の象徴である地・水・火・風の四大
を立てますが、佛教で説く識大も空大も、明らかには立てません。それでは、佛教の識大
はこの四大の何に含まれるのでしょうか。実は、識大は風大に含まれます。風は、遠くま
で吹き渡るので、通信・伝達・知識を意味するのです。この時の仕組は、響子さんと二人
で考えました」
【風性三宮と意識の転変】
「ふむ、ふむ。お二人さん、相変わらず仲良くやってますね」と清香。
「止めなさいよ。折角の芳賀さんの面白い話が聞けなくなりますよ」と顔を赤らめた響子。
「ホイ、しまった。しばらくは、口にチャックよね」
周りで、クスクス笑いが聞こえる中、芳賀が澄ました顔で続けた。
「さて、さっきの宝瓶宮・双児宮・天秤宮という風性三宮が、それぞれ持っている意味の
差が問題です。私たちが得た結論では、風性三宮のそれぞれが、次のように識大の各層に
当て嵌まります。すなわち、宝瓶宮は第八アーラヤ識に、双児宮は第七マナスに、天秤宮
は、第六意識に当たります。実は、この風性三宮は意識の転変の順序を表わす三つ組なの
ですが、意識の転変とは、次のような仕組で起こります。
先ず、深層意識である第八アーラヤ識中の複数の種子(しゆじ)が、ある時間が経つと縁
により自我の元である第七マナスに捕捉され、第六意識として表面化します。マナスは、
複数種子(しゆじ)が登場する謂わば舞台なのです。人は、表面化した第六意識に基づい
て種々の判断と行動を行ない、その結果として善悪の業を作ります。
今度は、その業が、第八アーラヤ識中に種子(しゆじ)となって植え付けられます。これは
意識の循環または周回の仕組ですが、アーラヤ識中の種子の中味は、瞬間毎に変わってい
きます。そこで、この唯識で説く意識の転変という見方から、風性三宮の唯識配当を見直
して見ましょう。
【風性三宮の唯識配当】
・宝瓶宮は、保守の働きを持ち知識の元である第八アーラヤ識を保ちます。
宝瓶は、アーラヤ識という種子(しゆじ)を容れておく容器の象徴なのです。
・双児宮は、異なる物を取り持つ働きを持ち、複数のアーラヤ識を捕捉し受け入れるマナ
スです。カストルとポルックスの二人は、異父・同母の双児とされ異質で複数の識を受
け入れる象徴なのです。
・天秤宮は、マナスが受け入れた複数の識を結合、従来の知識・経験と照合して判断を下
します。天秤は、対象の善悪判断をするだけでなく、価値判断・識別等を行なう働きの
象徴なのです。
以上は、風性三宮を、人の意識の転変もしくは周回の機構として、唯識的に説明しました。
なお、占星術に興味をお持ちなら、解説本付きの非常に優秀なフリーソフトが有ります」
【風性三宮と命運】
「次に、これら風性三宮を、運命学的に検討してみましょう。
人の一生を占う運命学は、先天命と後天運の二つから成ります。この二つを併せて命運と
も呼びます。先天命とは、人が生まれたときに定まっている大きな枠組みであり、基本的
には変化しません。ただし、佛教では人の心掛け次第で、先天命も後天運も改善できると
見ています。
後天運とは、人が先天命として持っている善悪・苦楽の因子が何時発現するかという運気
のことであり、通常は、ゆっくりと変化する長運気と、早く変化する短運気の組み合わせ
で詳しい時期を見ます。
例えば、長運気は、占星術では進行、四柱推命では大運と呼び
短運気は、占星術では経過、四柱推命では流年と呼びます」
「じゃあ、風性三宮と命運との関係は、どうなってるんですか」と清香。
「はい、それをこれから表を使って示します。
実は、唯識のアーラヤ識・マナス・意識という三つ組は、先に述べたように風性三宮と良
く対応します。この関係を使って二人で結論づけたのが、次の表です。最後に密教の曼陀
羅の対応も追加しました。
風性三宮 八識 命運 曼陀羅
宝瓶宮(不動宮):アーラヤ識:先天命:種子(しゆじ)曼陀羅
双児宮(柔軟宮):マナス :後天運:三昧耶(さんまや)曼陀羅
天秤宮(活動宮):意識 :選択運:法曼陀羅と羯磨(かつま)曼陀羅
【選択運】
この表は、じっくり眺めれば納得して貰えるでしょうが、一つだけ大事なことを補足して
おきましょう。
それは、天秤宮に対応する命運を、選択運とした部分です。
実は、通常の命運学では、選択運と言う言葉は有りません。人の運命は、先天命と後天運
とによりおおよそ決められるとする場合が殆どです。
しかし、実際の人の運命は、その人の心掛け次第で変わるものです。つまり、目の前に幾
つかの選択肢が有る場合、そのどれを取るかの選択は、その人の将来にとって非常に大き
な力を持つことが有ります。実際ある著名な占星術師は、人の命運の鑑定に先だち、客の
心掛けに関し、ある事を質問するそうです。何故かというと、その条件を満たしている客
については、大きな凶事は起こらないというのです。私自身、それほど多数の鑑定をこな
したわけでは有りませんが、実際有りそうなことだとは思いますね」
同人α27号「肥と筑 第十七回」コーヒーブレイク中の会話:芳賀信行 より??2011/5
ケンタウロス
所で、ヒッタイトが騎馬民族だったのに対し、ギリシア人が馬に乗るようになったのは、
ずっと後の話です。その証拠に、ギリシア神話に登場する半人半馬形の賢人ケンタウロス
は東方の騎馬民族と戦ったギリシア人が、彼らの騎乗の姿に驚いて彼らを擬人化したもの
だと考えられています。
ケンタウロスは、ギリシア人と敵対する反面、彼らに色々な事も教えてくれた民族でした。
例えば、クロノスとピリュラーの息子ケイローンは、医学の祖であり、アポローンの息子
で医術の神となったアスクレーピオスや、アキレウスなどの英雄を教育した不死の賢者で
す。
ちなみに、占星術の人馬宮(射手座)の像は、このケンタウロスの姿から来ていますが、
人馬宮(射手座)は、知的活動のシンボルなのです。
このケンタウロスとヒッタイトの関係が詳しく解明できると、きっと面白いでしょうね。
肥と筑 第十八回 評の4の答え?? より2011/10/15
無意識と占術/応用
★兆:響子
「ところで、さっき話に出た兆(きざし)って、何に由来する言葉なんでしょうか」と信行。
響子が承けた。
「日本語の[きざし]は、多分[気指す]から来てると思います。[気]は、目には見え
ないけれど何となく感じる一種の雰囲気であり[指す]は、ある事柄に先んじてやって来
ることね。噂をすれば影が指すという場合の[指す]の用法と同じでしょうね。
一方、漢字の兆は、殷代の甲骨占に使われた亀甲が、火箸を当てられ割れた形の象形文
字です。亀甲といっても、この場合は、背中側の盛り上がった部分ではなく、腹側の平ら
な部分を用いています。
[兆]の字形は、いかにも亀甲が火箸の熱でひび割れて亀裂が走った跡みたいに見えるで
しょう」
「あ、そうなんだ。ひび割れを示す亀裂って言葉は、そこから来てるんですか。知らなか
った」と信行。
「そうよ。もう一つ面白い字は、占いの[卜]の字です。これもまた、火箸の熱で出来た
亀甲の割れめの象形文字なのね。も一つおまけに面白いのは、火箸を当てるとポクっと音
がして亀甲が割れる。その時のポクっという音が、[卜]字の音になっているそうです」
「響子さんの話は、すごく解りやすくて面白いな。もっと詳しく話して下さい」と信行。
「いいえ。私の[兆]字や[卜]字についての話は、大きな辞書を見れば、すぐに解るこ
となんです。芳賀さんこそ、よそでは絶対に聴けない貴方独自の占術と無意識との話を聴
かせて」と響子。
★占術における兆・無意識と意識の捕らえ方:信行
「それでは、ご要望に応えて、私が考えていることを話して見ます。
兆を唯識的に捕らえて見ると、深層のアーラヤ識と表面意識、つまり無意識と意識の狭間
で、チラチラと現われてくる表象を指します。これを占いの対象と見る場合、表象の現れ
方には、相と数との二つの型が有ります。相とは具象的な姿形で、人相・手相・家相など
の相という名が付く占術の判断材料となります。一方、数とは抽象的な分類で、干支術・
方位術・占星術などのデータとなるものです」
「具象的な姿形の相と、抽象的な分類の数について、もっと解りやすく説明して」清香が
突っ込んだ。
「はい、吉兆と凶兆とに分けて、例を挙げて説明しましょう。具象的な相の吉兆とは、折
々の好ましい姿形、例えば屋外で紫雲が棚引いたり、その一帯だけに雲間から日の光が射
したり、などの現象です。具象的な相の凶兆とは、世間でゲンが悪いと言われている現象、
例えば正月に門松が倒れたり、旅立ちの直後に葬列に出会ったり、極端な場合として魔物
や幽霊などに出会ったりする現象です。魔物や幽霊などの極端な凶兆は、犬や猫などの動
物でもそれと感知し防御しようとします。魔物や幽霊などは昔の人間なら感知できても、
直感が鈍い現代人では、なかなか感知出来ないでしょう。
次に、抽象的な数の吉兆・凶兆は物事をいくつかに分類する数やシンボルと成って現わ
れます。吉凶はその時現われるシンボルまたは複数のシンボルの組み合わせによって判断
します。シンボルの例としては東洋占術の五行・干支・易卦、占星術の惑星・黄道十二宮、
タローカードなどが有ります。
占者は、出会った現象を直接数として、あるいはシンボルとして認識できます。例えば田
舎道で出会った猪の子のウリ坊の数とか危うく衝突しそうになったスポーツカーの車のナ
ンバーなどは直接数として認識できますし、猪の子は五行の水、スポーツカーは九宮中の
震宮とシンボルとして認識もできます。
このようなシンボルの意味を知り、兆が暗示する過去・現在・未来の事象を判断し適切に
処理するのが、数型の占術です。このような数型の占術による判断と処理とは、言葉を持
つことで抽象概念を持てるようになった人類だけが持つ能力です。このように、言葉を持
つ人類はシンボルを用いる数型占術という武器を得ましたが、その代償として他の動物が
持つ直感力を弱めてしまったのです」
「なーるほど、そういうわけね。でも聴いてるだけで私の抽象的思考力は、使い果たされ
そう」と清香。「なに言ってるんだ。それは多少でも思考力のある奴がいう台詞さ。ほと
んど直感だけで成り立っているお前がいう台詞じゃないよ」と高嗣。
「こいつめ、おぼえてろ。いつかお仕置きをしてやる」と清香(さやか)。
「芳賀さん、いつものことよ。気にしないで続けてちょうだい」と響子。
「はい。それでは、この数型と相型という二つの占術の型には、どのような特徴が有るの
でしょうか。
数型占術は、思考と分析に優る人に向いており、予め一定の知識を身につければ、誰で
もある一定水準の判断が可能です。もちろん、その水準を超え、より上に行くには、日頃
の修練と長年の経験が必要です。この数型占術のうちで、占星術や干支術の持つ大きな特
徴は、過去・現在・未来の長期間にわたる占断が出来ること、更にそのためのデータは、
大抵の場合計算で求まるので、プログラム化が可能なことです。易占やタローカード等の
占いでも、適切に発生させた乱数を使えば、プログラム化可能です。
相型占術は、直感の優れた人に向いています。これも達人の域に達するには、長年の修
練が必要です」
「それじゃあ、芳賀さんは、数型と相型のどっちに向いているの」と智美。
「はは、そんなこと決まってるじゃないか。今の体系的な説明は、彼の能力が分析面にお
いて優れていることを明確に示しているよ。和昭に聞いたら、芳賀君の得意分野は占星術
と干支術だそうだね」と英夫。
「はい。私は元々プログラマーなので、占星術と干支術についての独自システムを作って
実占に活用しています。しかし、相型占術では対象の数が膨大でパターン化が難しくプロ
グラム化は困難です」と信行。
「いや、コーヒーブレイクとしては、かなり時間を取ったが、なかなか面白い話だった。
みんなどうだ。このまま、芳賀君に話を続けて貰おうか」
英夫の提案に皆が賛成し、茶菓を片付けたあと、後半に移った。
◆占術の応用:信行
★周易八卦と九宮
「それでは、数型占術の代表的例として周王朝の文王が大成したという周易を考えて見ま
しょう。
周易の基本である八分類、いわゆる八卦(はつか)には、先天八卦と後天八卦の二つがあり
ます。詳しい説明は省きますが、先天八卦は文王以前の分類です。 後天八卦は元々騎馬
民族出身の文王が導入した西方文化の影響、具体的には騎馬民族文化とインド文化の影響
が入っています。この後天八卦以外にも筮竹を用いる周易の占筮法は、殷代の甲骨占に代
わる物として文王が導入した騎馬民族の文化です。
さて、この後天八卦が、後代になって干支術と結びつくときには、八方位に配当された
八卦の中央に、中宮と呼ばれる新区分が加わえられて全体で九宮となります。この九宮に
配置される数は、日本では気学九星と呼ばれています。その九星の数の配置は、5を中央
に置くインドの魔方陣の考え方そのものですし九星に当てる紫白と呼ぶ色の配置も、中国
の五行分類とは異質で、明らかにインド文化の導入です。
★九宮を用いる占術とマナス
さて、占術に戻って見ましょう。占術とは、兆をいかに捕らえ、それをどう解釈するか
という技法です。
それでは、先天八卦では意識されていなかった中宮が新たに加えられたのは、何故でし
ょうか。
大胆な仮説ですが、私はこの中宮は外界を見る個々人の心、およびその心が置かれた部位
を示していると思います。この場合、中宮の回りの八宮は、人の心が見る外界、および人
の手足その他の部位と成ります。
それでは、唯識的にみて中宮に収まる心とは何なのか。私は、この心をマナスと見まし
た。マナスは、通常外界からの刺激に染められ善にも悪にも傾き易い心ですが、それでも
個々人の心の働きの中心部分で有ることには間違いありません。
要するに、九宮を用いる占術の場合、中宮は人の心、唯識で言うマナスです。それ以外
の八宮は、外界で起こってくる色々な現象、見方を変えれば色々な選択肢です。
人は、色々な選択肢中のいずれを選ぶかで、その時々の進行方向を決めているのです。
この構造を、密教的に置き換えて見れば、中宮と回りの八宮とは、浄化された心と人を
含む回りの環境であると見る事が出来ます。
金剛界曼陀羅の基本である九分割構造は、今言った心と外界の全てが浄化された九宮の構
造にピッタリと当て嵌まるのです。その他にも・・・」
そこに、清香(さやか)が割り込んだ。
「待って、あたしにも少し言わせてよ。九宮に類似した九分割構造は、金剛界曼陀羅だけ
じゃあなくて、胎蔵曼陀羅にもあるんです」
「ほほう。確かにその通りだけれど、どうしてそう思ったのかね」と英夫。
「前に、父さんが指摘した通り、胎蔵曼陀羅は座禅中の修行者の正面図を、密教的に表わ
したものです。その中央部には、修行者の心の象徴でもあるアナハタ・チャクラが、中央
の大日如来とその回りを囲んでいる八人の佛・菩薩の形で描かれています。
さっきの芳賀さんの分類に従って言うと、金剛界曼陀羅は数型の曼陀羅であり、胎蔵曼陀
羅は相型の曼陀羅なんです」
「そう、その通りだ。金剛界曼陀羅では、専ら意識の分類を試みているのに対して、胎蔵
曼陀羅では、身体位についても興味を払っていて、ヨーガが説く体の構造も暗示的に描か
れている。心臓部位にあたるアナハタ・チャクラに人の心があると見ているのも、その考
え方の現われだね。
あ、芳賀君。話を中断して悪かったね。先を続けて呉れたまえ」と英夫。
★マナスの出会いと三昧耶曼陀羅
「はい。先ず人の意識は、密教ではどう表現されているのでしょうか。
意識は、大まかに四層に分けた、四種曼陀羅で表わされます。
これらを深層意識がわから並べると
アーラヤ識は種字で表わした法曼陀羅で、
マナスは三昧耶形(さんまやぎよう)で表わした三昧耶曼陀羅で
第六意識は平面の姿形で表わした大曼陀羅で、
その他の前五識は立体像で表わした羯磨曼陀羅でそれぞれ表わされます。
それでは、運命で言う出会いは、曼陀羅構造では、どう表現するのでしょうか。
自我意識の拠り所たるマナスが出会う外界の選択肢は、三昧耶曼陀羅中の八分枝によって
わされます。
実は、三昧耶の原語SAMAYAには[出会い・出会いの場]と[時間]という意味があります。
これを占術的に言えば、四柱推命の大運と流年運、占星術のDIRECTIONとCURRENTな
どの組み合わせ、つまり各人が持っている因としてのアーラヤ識が、縁によって現象界に
発現する時期に当たります。
要するに、複数の選択肢が象徴により表示されている三昧耶曼陀羅は、外界との出会いで
あり、また時の流れでもあります。人が、この複数の選択肢から何を選択するかが、その
後の運命を左右します。
★奇門遁甲による選択と改運
今言ったように、三昧耶曼陀羅の九分割構造は、人の心が外界と出会う際の選択肢を示
していると見ることが出来ます。占術としては、最適の選択をどの時期にどう取って行く
かという判断が可能な仕組を、この九分割構造で構築すれば良い訳です。実は、それにピ
ッタリなのが、奇門遁甲です。奇門遁甲では、九つの宮に入る要素を何層も重ねる構造を
持ち、外界で起きる複雑な現象を示すのに向いています。
運命を定式化し、人の運気を見る四柱推命や算命との相性が良いことも、奇門遁甲の長所
です。ただし、遁甲盤は、年月日時という時間規模や用途によって色々な種類があり、詳
細はここでは省きます」
「それでは、一つ質問。例えば奇門遁甲が示す選択肢の中で、常に最適の選択を積み重ね
ていけば、人の運命はどこまでも改善されるの」と清香。
「常に最適の選択を積み重ねることが可能であれば、そうなる筈です。しかし、実際には
それを邪魔する業の力が働くために、常に最適の選択を積み重ねることは、先ず不可能で
す。最適の選択を、出来るだけ多く取れるようにするためには、邪魔になる業を取り除く
それなりの修行が必要となります。
それについては、響子さんに訊いて下さい」
肥と筑 第十九回 コーヒーブレイク中の会話:無意識と占術:芳賀信行と響子 2011/11
占星術
少し、説明を補足しておきます。真面目な話です。
占星術は、天体の動きが、その時々刻々に誕生或いは発生した人や物が持つ命・運の間
に並行的な対比を持っているという経験則に基づく占術です。命は誕生の瞬間に生地で見
える星の配置で決まる先天的な大枠ですが、運は誕生後に一定の比率で実際よりゆっくり
と変化する仮想的な星の動きと、実時間で変化する星の動きが誕生時の星の配置との間に
織りなす関係で定まる廻り合わせです。元と成るデータは星の実測位置なので一意的に定
まり、流派によってその値が変ることはありません。過去から未来に渡って星の位置の予
測データ表が作られて販売されています。
これに対し、干支系の占星術は基本的に60変化する干支が年月日時のそれぞれに配当
されて動く構造を持っていて、季節あるいは時刻による寒暖の変化を基盤としています。
干支あるいはこれから導き出される星は仮想的なもので有り、流派によっては差が生じま
す。
あした天気になーれ・第五回を読んで より2011/12/11
青銅と錫
芳賀信行が手を挙げた。
「はい、その問題については少し調べたことがあります。青銅は、銅と錫との合金です。
そのうちの銅は比較的簡単に見つかりますが、錫は銅に比べて稀少な金属であり、青銅器
時代には貴重品でした。
ところで、占星術で星に対する金属の割り当てを調べて見ると、次のようになります。
黄金:太陽 白銀:月 水銀:水星 銅:金星 鉄:火星 錫:木星
鉛:土星
占星術で最大吉星である木星は、現代では別に貴金属ではない錫が割り当てられていま
す。これは何故でしょうか。この割り当ては、占星術の基礎が作られた時代を反映してい
ます。つまり当時知られていた日月火水木金土の七曜に、同じく当時知られていた金属を
割り当てるという基礎作業の中で、その当時は貴重品であった錫を、吉星であった木星に
割り当てたからであると考えられます。このことは、占星術の基礎が青銅器時代に築かれ
たということを示しています。
ついでに、日本における銅について振り返って見ましょう。
日本の銅器は銅鐸・銅矛から始まりますが、その技術は中国江南の銅鼓から受け継がれて
来たものです。因みに、南方を意味する[南]と言う字で南の方位を示すのは、元もと南
方に住む苗族の釣り鐘型の銅鼓[南]・[南任(なんじん)]からきています。
つまり[南]字で南の方位を示すのは、転注なんです。
日本最初の銅銭としては、和銅元年(西暦七0八)年に武蔵で取れた銅を元にして作ら
れた和同開珎が知られています。年号にまでなった和銅とは大和の銅という意味ではなく、
熟銅つまり純度が高く精錬を要しない自然銅のことです。
ところで、日本での銅の生産量は戦国期以降に大きく増えて、銅が日本の主要な輸出品
となりました。中国の銅生産量は逆にこのころから急速に減少したため、銅は日本からの
輸出に頼るように成りました。江戸時代に日本が輸出した良質な寛永通宝は、ヴェトナム
を含む東南アジアで従来の中国製銅銭に取って代わる基軸通貨となっていました。現在の
ヴェトナムの通貨単位[ドン]は、当時流通し始めた銅銭の[銅]から来ているそうです」
同人α33号 「肥と筑第二十三回」 より2012/11
地球はどのような金属を割り当てられているのか:
伝統的占星術では、地球への金属割り当てはありません。
それは、どうしてか。占星術が起こった時期の太陽系は天動説を基盤としていたからです。
つまり、地球は飽くまで動かぬ大地であり、いわゆる星の仲間ではなかったのです。
とはいえ、時代と共に天王星・海王星・冥王星が発見されると、それぞれ
天王星:ウラニウム ラジウム
海王星:ネプチュニウム
冥王星:プルトニウム
などと新しい割り当ても出てきました。
これらに倣えば、地球の金属はさしづめ希土類元素とでも成るのでしょう。
肥と筑台二十三回の評へのお答え??より 2012/12/25
19
:
編集部
:2014/05/23(金) 09:20:37
同人α編集後記集
.
??????????????????????同人α編集後記集
????????????????????????2010年5月(23号)〜2013(38号)
23号『蝶の夢』 2010/5
今回は、創刊号と同じ縦書きと成り、色々と新しいことを学びました。
原稿の集まりが心配だったけど、従来の平均以上の百頁超が得られてほっとしています。
今回は、飛び入りの原稿が一つありますが、その作者の正体は秘密です。
次回からは、また新同人が増えることを期待して、みんなで頑張りましょう。
24号 『夢碍无(むげん)』 2010/8
今回は、前号のオール・ド・エレガンスさんの「三つの願い」を承けて、新シリーズが始
まりました。その気宇のなんとまあ壮大なこと。一体誰が、こんなことを考えるんだろう。
この二作目を書き継ぐ人は誰なんだろう。何でも書けて面白い反面、辻褄合わせに相当苦
労しそうだなあ。
25号 『颯』 2010/11
PCの不調をなだめつつ、やっと自分の原稿を書き上げました。
当初は、バラバラの項目をどう一つに纏めようかと呻吟していましたが
締切り間際に、今回のお題[風]にハッと気がついて、一気に纏め上げました。
お題提供の赤松さんに、感謝、感謝。
さて、新人の加入です。新人と言っても私より2期上で、文章についても余程長けた方
ですが。
十月の二十三日、これまでは、四人で頑張りながら守って来たα同人に十一期の田辺悟朗
さんが、赤松さんのご縁で加入されました。
なにせ、大学在学中には「傾斜」、十五年前には「斜光」という同人誌を創始されたとい
う経験を お持ちの方だとか。今後のご活躍を期待いたします。
我々も、これでホッと一息つけそうです。
引き続いて十一月四日に十一期の竹内一郎さんが、これまた赤松さんのご縁で加入され
ました。[風]という今号の題名と同じハンドルネームをお持ちです。
これからが、ますます楽しみになってきました。
26号 『仮面』 2011/2
今回の原稿は、早めに準備したつもりだったのに、思わぬ仕事が舞い込んで時を奪われ
ました。矢っ張り、私がアンカーか。いや、そいつは違うって。ドンジリと言わなくっち
ゃ。赤松さんによると、どうやら26号のページ数は、過去最高に成るそうな。
そろそろ電子ホッチキスが欲しいなあ。製本時に提案してみよう。何はともあれ、先ほ
ど二作目の原稿を仕上げて、ほっと一息。ゲラ刷りが来るまで、いや来た後も、思う存分
休めるぞ。
27号 『こんとん』 2011/5
今回は、大震災の影響で身の回りの整理に時間を取られ、大いに苦労しました。
おまけに、原稿最後の追い込み段階で、PCがツムジを曲げ、後半の数頁が宇宙の彼方に
飛んでいく災難まで有りました。やっぱり、この辺でPCの新調が必要なようです。
28号 『震災列島』 2011/8
今回のテーマ「震災列島」は、私の文章中ではなく、図らずも期間中の実生活を支配す
ることになった。
というのも、カミサンが仕事で使っていた建物の躯体が震災の影響でひどく弱り、作業中
の安全のために旧宅を改修して新しい仕事場に変えるという作業に私も巻き込まれたため
作品にかける時間と精力とがえらく制限される結果になったからである。当然、原稿締切
り間際の人様の評や掲示板への書き込みが、おろそかになった。挙句、心配した友人から
は、病気見舞い?のメールを戴くという羽目になった。
掲示板の管理人さん、評をお届けできなかった著者さん、御免なさい。
これから、ちゃんと埋め合わせをします。
29号 『兆』 2011/11
櫛田宮に思う
肥前風土記によると、昔、基肆(きい)郡と神崎郡に荒ぶる神があり、往来の人が多数殺
害されたという。これは、徐福船団がもたらしたタタラ炉の暴発記事だろうというのが、
私の従来の推定だったが、今回縁あって、以前に触れた神崎の櫛田宮のことを[肥と筑]
に詳しく書くことに成った。
この櫛田宮の大蛇祭り尾崎大神楽は、この肥前風土記の記事や周辺に残された様々な状
況証拠から見て尾崎地区に置かれたタタラ炉が暴発し流れ出た溶鉄を大蛇と見立てた安全
祈願祭であろうこと、モンゴル・宋・朝鮮の軍が来寇した元寇の際、櫛田宮から末社の博
多櫛田神社に神剣を移して異賊退散を祈り、霊験あらたかなものがあったこと、二度目の
来寇の弘安の役において、河野水軍の将、河野通有が博多沿岸で立てた武勲の恩賞として
与えられたのが、神崎荘の小崎(恐らくは尾崎の別表記)郷であったこと、時代は下った
幕末、再度来航予定のペリーの侵略を恐れた徳川幕府が、お台場に大砲百門を据え付けて
欲しいと佐賀藩に要請して来た時に、佐賀藩がそれに答え、一年間で五十門作って幕府に
提供できたのは佐賀の多布施に据えた反射炉で製鉄したからであること、などなど。
基肆(きい)郡・神埼郡・佐賀郡と郡名こそ異なれ、有明海を通って来た徐福船団タタラ
技術者の影を見るようで佐賀という土地にまつわる縁(えにし)が、今もなお生きていると
いう思いを禁じ得ない。
ちなみに、私の本籍は櫛田宮と同じ神埼郡の吉野ヶ里町、櫛田宮の東北4km程の所にあ
る。
30号 『沈黙』 2012/1
今回も、肥と筑は神埼の櫛田宮が中心となった。佐高十一期の牟田元明さんから赤松さん
宛の書信に触発されたからである。この方の牟田家は、景行天皇を先祖に戴き、曾祖父ま
での先祖代々、櫛田宮宮司を勤められた由緒ある家柄なのだ。十一期の卒業三十周年記念
誌[青春のあの日]で、その会員名簿を見て更に驚いた。牟田さんの勤務先は昔で言えば
タタラ関係者の川崎製鉄、社員寮は福原京の故地神戸市、本籍は神埼の櫛田宮地内と、共
に平清盛の対宋貿易港の直ぐそばにある。更にその社員寮が、海人族の住吉神社の総本宮、
元住吉神社とは数百メートルの至近距離にある。牟田さんが持つ製鉄と貿易港への縁(え
にし)は単なる偶然ではなく、タタラ製鉄に巧みな海人族としての血の縁(えにし)と見て
良いのではないだろうか。
31号 『遊び』 2012/5
[遊び]を自分なり定義し、人に読んで貰えるように書くのは、易しいようで難しい。
さてどうしよう。そうだ。今回αの号数は素数の三十一、これを利用しない手は無い。
と言うわけで、[肥と筑]前半は短歌中心に書き始めたけれど、難しそうな話になってし
まいました。
後半は、源平の戦いの清和源氏を論じるつもりが、嵯峨天皇から出た嵯峨源氏が中心に
成りました。
嵯峨源氏からは、大江山の鬼退治で有名な渡辺の綱の子孫の摂津の水軍渡辺党、分家の
肥前の水軍松浦党さらにその松浦党一族に支えられて神埼で武士と成った神埼御荘の荘官
源満末(みつすえ)という、佐賀・神埼に係わる武人が輩出しています。
その一方、貴族身分の嵯峨源氏には、光源氏のモデルに成った源融(とおる)や、和歌の名
手で且つ和名類聚抄まで著わした源順(したごう)と非常な文化人もいて、興味をそそられ
ます。
さらに、サカ・サガをキーワードにした探求の間に徐福船団・秦氏との関係が再浮上して
きました。
矢っ張り佐賀と京都の嵯峨の関係は見逃せない。ということで、今後の検討課題も増え
てきそうです。
それはそうと、今回の万理さんの表紙絵は[遊び]のテーマに沿ったイメージがよく表
現できてますね。
32号 『造次顚沛』 2012/8
今回の原稿締切りは、何時になくきつかった。
何せ、我家では久しぶりの祝い事に加え、猛暑中での時差の大きいロンドンオリンピック
観戦があった。 当然、結果は慢性の寝不足になった。といっても、日中の大半は眠って
いたが。
いやー、なでしこJAPANと侍ニッポンのサッカーは、良く頑張りましたねえ。
連続する戦いの中で、この両チームが見る見る成長して行く過程が見られて、実に楽しか
ったしこれぞ、ヒトのみが味わえる人生中の成長の典型的見本だと思った。
異なる同人によるシリーズ作品については、従来の作品との整合性を重視してようやく
書き上げた。今まで書き継いでくれた人たち、アイデアと苦労の種をたっぷりと供給して
戴き、ありがとう。シリーズ中の作品は当然として、個人の作品中のアイディアをちゃっ
かり、利用させて貰いましたよ。
33号 『無常』 2012/11
今年は、十月二十七日に佐賀で佐高十三回生の五十周年記念同窓会が開かれ、翌二十八
日には附中同期生の同窓会、またその後には仲間との五島列島への小旅行も開かれ、全て
参加してきました。
これらに先立つ二十六日には、六月に結婚した長男夫婦が吉野ヶ里町にある先祖代々の墓
のお参りに同行してくれました。
と行事としては実り多き時期でしたが、その分原稿を書く身としては、なかなかにきつ
い時期でした。
ところで、附中同窓生の資料を整理中に気がついたこと。
それは、我々が中学校では十一回生に当たるという事実でした。
どうやら、これからも素数との縁が猶も深まって行きそうです。
34号 『息吹』 2013/2
今号のαは、私の担当として第何回目になるのか、と数えてみたら何と第四回目に当た
っていました。う―ん。これは多すぎる、なんとかしなければ。などと考えながら遅筆の
我が身にむち打って、なんとか一作品を書き上げました。
対照的に早々と二作品を書き上げた万理さんは、今号のテ―マ[息吹]の表紙絵用に[息
吹]を形として表わした風に因む二枚の挿絵を描いてくれました。その出来が素晴らしか
ったので、一枚目鳳凰の画像を表紙絵に、二枚目風の精シルフの画像を作品中の挿絵に使
わせて貰いました。万理さん、どうも有り難う。
35号 『ラビリンス(迷宮)』 2013/5
肥と筑と解深密経(げじんみつきょう)
今回の肥と筑では、肥前鹿島の出身で真言宗中興の祖となった興教大師覚鑁(かくばん)
を取り上げた。
覚鑁は京都の御室仁和寺で修学、その後高野山に入山したあと修行を重ね三八歳の時に
高野山内に住房としての密厳院を開いた。私事にわたるが、四〇年ほど前に仕事のついで
に高野山にお参りしたとき偶然泊まった宿坊が密厳院であった。このとき覚鑁に対する私
の眼に見えない縁(えにし)が顕在化し始めたのだろうか。
覚鑁はこの後、金剛峯寺に大伝法院を建立し、その座主に就任した。さらに金剛峯寺座
主に就任のあと山内の僧侶に佛教学の基礎たる唯識を学ぶことを課した。唯識の依経は、
解深密経(げじんみつきょう)である。今回この経については、昭和五十年十月に永田文昌
堂発行で手持ちの解深密経(げじんみつきょう)講讃を参考としたが、その序文を読むと著
者の修山脩一(ながやましゅういち)師は佐賀出身で、龍谷大学の教職を辞して帰郷後、佐
賀龍谷短期大学で教鞭を執られたという。この佐賀龍谷短期大学は、今は鳥栖市に移転し
九州龍谷短期大学と改称しているが、当時は佐賀市水ヶ江にあった。それならば、私の通
った小学校の隣だったのだ。
興味深いことに[龍谷]という名称を用いたのは、龍谷大学を頂点とする西本願寺の教
育組織の中で、佐賀龍谷短期大学の前身第五仏教中学が明治41年4月に私立龍谷中学と
改称したのが最初であり、龍谷大学は二二年あとの大正一一年に、佛教大学から改称した
ものだという。
何とも不思議な縁が重なったものである。
36号 『言葉』 2013/8
この夏は、とにかく暑い。暑いから日中は昼寝する。昼寝すれば筆は進まない。
日暮れていくぶん涼しくなっても、音楽を聴きたくなったり、読み残しの本を読みたくな
ったりと、書く材料は数多く有っても、それらを作中でテーマに繋いで行く脈絡を付ける
のに苦労しました。
しかし、佐賀の県木の樟が、越人・海人族・古代の大型船・伊予水軍の河野氏を結びつ
けてくれました。どこかで誰かさんが、これを読んで「クスッ」と笑うだろうなあ。
37号 『古典』 2013/11
連続した暑い日々が急に冬の日に取って代わられたこの頃で、一時期体調を崩していま
したが、原稿に一区切りを付けた段階となって漸く元気が出て来た感じです。
今度の製本日は、またみんなで集まって楽しくやりましょう。製本用の新兵器も用意し
ましたよ。
38号 『心情風景』 2013/11
現住地石岡市で、昨年度後期の市民講座「万葉恋歌講座」を受講した。
講師は、吉澤中正先生。足尾山頂の足尾神社の宮司を兼ねながら、石岡一高・土浦一高で
永年教えられた国語学者である。私とは同じ団地にお住まいの縁で、日頃色々とご教示を
戴いている。
この講座で先生から万葉集について教わったことは正に目から鱗であり、今回のテーマ
[心情風景]のもとに「肥と筑]を書き上げる大きな力を戴いた。
今更ながらであるが、日本古典の世界は広くまた高い。われわれは、この優れた遺産を
欠かすことなく子孫に伝えて行きたいものである。。。
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