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1同人α総務:2014/03/03(月) 06:44:33
古賀幸雄の回想録について
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    古賀和彦君の父上、古賀幸雄の回想録について  1997年


厳冬の玄海灘で自分の乗った船が難破した。呑まず食わずで漂流すること五日。小さな
帆船で大波と嵐と闘いづめだ。助かってみると、この生きるか死ぬかの体験は、以後の生
きる力、苦難を堪え忍ぶ力となった。−−同窓生、古賀和彦君の父上、幸雄氏の回想録が
できた。
 恋は純情だった。置き手紙で恋心を知らせた。時に氏は十九、思われ人は十五。ふられ
たとみるや潔く身をひく。それでも思い続けた。娘さんが二十になり、歳も満ち、ようや
く自分の気持を示した。大丈夫か、本心か、思いやり深く氏は確かめ、奥ゆかしくも性急
にことを運ばない。
 氏の回想録には、我々の父母の時代ならさもあらむ、このようなエピソードが、随所に
ある。落語に出てくるような頑固な大家がいる。氏は見込まれ、家族に部屋を貸してもら
った。移り住んでみると、これが同じ屋根の下、家族の一員として暮らすという。飯の釜
が一つだ。氏でさえもこれには驚いたが、さらに間貸し賃はとらぬという。確かにそんな
こともあったろうなあ、と今ではまぶしさを覚える。
 さらに氏の「家族の幸せ第一主義」の人生設計。くだんの娘さんを貰い受けるに際し、
娘さんとそのお母さんを幸せにすることを約束する。そして生涯本当に身を粉にして働き
づめだった。ウーム、読んで胸を打たれる。自分本位になりがちな私たち子の世代であっ
た…のではないか。
 古賀和彦君は、希望者には贈呈すると言っているから、どうぞ、皆さん、詳細を読んで
ほしいと思う。楽しめ、裨益すること大、請け合いの本である。最後に、商売・ビジネス
サイドのエピソードを一つ。氏は事情あって、地元鹿島から佐賀へ出てきた。見知らぬ土
地で、農機具の修理、稲の雨避け片付け、町への使い、開店まで一年半というもの、何で
も無料でやった。この策が見事に功を奏して氏に信用がつき、店を開くや、恩を受けた人
たちが次々に買いに来てくれた。同業者が効率と低価格を標榜したのに、そっちは閑古鳥
が鳴いている。「営業は信頼の獲得から」と、この経済不振の時代に言われることを、氏
はとうの昔に実践していた。


注)父幸夫が残した回想録を本にしたいとの高校の同窓生(古賀和彦)の相談を受けその
  校正を引き受けたいきさつがあった。
????※『不器用に、ひたむきに』 −古賀幸夫回顧録−  1997/7/7
 ???? 発行者:古賀初代 監修:古賀和彦 印刷:日本印刷(株)

2キメラ17号:2014/03/05(水) 19:27:22
大和ことばの味わい
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        大和ことばの味わい 2011/4/2〜



 北氏は大和ことばに魅せられている。、『日本国語大辞典』(小学館)13巻をこつこつ
読み開き日々言葉と戯れるのだ。
「友達としゃべっても、メールのでの文字もしゃべり散らし、書き散らしでたちまち忘れ
てしまう。そういう言葉は、言葉のようで、実は本当の言葉ではないんだ。本当の言葉と
いうのは、人間をそこに立ち止まらせ、耳を澄まさせ、考え込ませるものなんだ。」
言葉に拘った池田晶子が『14歳からの哲学』に書き残した言葉だ。
 大和ことばの中に、「本当の言葉」を北氏は感じ取っているのだろう。





「お気に入り」『BUTTERFLY EFFECT』*  2010/2/16????旧α掲示板????*同人α22号作品

 エラさんのこの詩はとても良いと思いました。人里離れた自然のただ中で、一人の人が
死を迎える。人間は生き物の一部、さらに大自然の一部、そういう思いがひしひしと伝わ
ってきました。蝶や蝉、蜻蛉や蛇の行う生の営み、それに伴う、光、陰、風などの変化、
一旦事が起これば、次次と縁が縁を呼んで、諸事息を呑むほど密やかに行われる。その縁
の中で一人の人が死を迎えた。素晴らしいじゃないですか。人間の生の一面それも大事な
一面を的確に捕らえた詩だと思いました。
 やはり僕は古来の水墨画的風景画好きなのでしょう。「丈山尺樹寸馬豆人」的な風景
の抑え方に心がなごみます。人を描いてもいいが、西洋画に多くあるように、絵の真ん中
にどかんと据えてはいけません。人は、一丈もある山のもとに、豆のように小さく描かれ
るべきです。人間中心ではなくて、人間は自然の一部、一部、ごくごく一部。(もっとも
西洋画云々は当方の勝手な思いこみで、ターナーなど人間は自然の一部として描いている
ように見えるのもあるじゃないか、と言われるかもしれません。その時は自分の浅学を恥
じてすごすごと引き下がります。)
 またこのような見方はどうでしょう。僕らみなそうだと思いますが、俳句を通して自
然を見るなにがしかの目を持っている。その目がエラさんの目と似通っている。小さなも
の、微かなものに目をとめること、そして先程来の人間は自然の一部に過ぎないことなど
がそうです。一読したとき僕はむしろ芭蕉の「古池やかはづ飛び込む水の音」を思いまし
た。エラさんは、日本的感性だ!と。(エラさん、カチンと来ませんように!)しかし俳
句の場合、季語に囚われている面があって、エラさんのようにかほどに、想像を羽ばたか
せ、詳しく、詩情豊かに、自然をうち見ることは、かつてなかったように思います(少な
くとも自分には)。そういうわけで、この詩は衝撃的で、なにか「目から鱗が落ちる」趣
もあり、自然を見る新しい目を与えてもらったような思いもします(こんな詩を僕も書い
てみたい)。
 原文はゆったりとしたリズムがあり、それはとりもなおさず、大自然のリズムと感じ
させ、読み手も読みながらそのリズムに体を揺らし、その大自然の一部になっていること
に「幸せだなあ」と思う、言い換えると、生きていることをことほぐ趣となります。平易
な優しい言葉を使った一流の詩編だと脱帽しました。
 それにしてもわれわれの受験英語では窺うことのない珍しい単語が、さすが出てきま
したね。Blistering とか letup とか zephyr とか slither??とかcattail とか、20語ほ
ど辞書を引いてしまいました。エラさんには、今度はお返しに、数々の大和言葉を教えて
やりましょう(うしろやすし、かたほなり、らうあり、らうたし、むくつけし、いはけな
し、などなど)。目を白黒させるかな? もっとも彼女のことだから、この程度のことは
先刻ご存じか。
(皆さん、無沙汰しています。この文は、もともと古賀君宛にしたためたものを、古
賀君に促されてここにも掲出したものです。どうそお許しを)




クイズ解答を試みます?? 2010/ 2/21????旧α掲示板

 エラさん、大和言葉のクイズへの挑戦ありがとうございました。ここに正解を披露しま
す。お楽しみ下さい。

*「うしろやすし」=【後ろ安し】安心だ。reassuring, safe
  例文=「人となして、うしろやすからむ妻などにあづけ(現代語訳=一人前にして、
     安心な妻などに託し)」。
 ・反対語は「うしろめたし」=【後ろめたし】気がかりだ。心配だ。uneasy,
?????? worried, anxious
  例文=「思うにかなは(wa)ずぞあらむかしとぞ、うしろめたきに(=思い通りに
      ならないだろうよと、きがかりな)」
エラさん、「うしろ【後ろ】」の語が登場しているので、blackmail はいい想像でしたね。

*「かたほなり」=【片(kata)秀(ho)なり】不十分だ、不完全だ、未熟(mijuku)だ。not
    enough, issuffisient; imperfect; immature, inexperienced
  例文=(芸(gei)が)いまだかたほなるより、上手(johzu)の中にまじりて(=芸がま
???????? だ未熟な時から上手な人の中に交じって)。
 ・反対語は「まほなり」=【真(ma)秀(ho)なり】よく整っている。完全だ。perfect
????例文=「書きざまをかしきを、まほにもおは(wa)する人かなと見る(=書きざま
がすばらしいので、よく整っていらっしゃる人だなあと見る)」
エラさん、「かた」は、この場合「肩」ではありませんでした。「片」は未熟を意味する
と僕らは感じる語です。また「ほ」の rice はいい想像でしたね。「秀」を意味する「ほ」
は、僕らも「穂」から出ているのではないかと思います。

*「らう(roh)あり」=【労あり】熟練している。skilled, expert
  例文=「世にも労ある者と覚え(=世の中でも熟練している者だと人々に思われ)」。
エラさん、「らう(roh)」は漢字の「労」で、「らうあり」の全体は、大和言葉ではありま
せんでしたね。すみません、ミス掲出でした。「あり」は、 "be" を意味します。「らうあ
り」は、労がある、との意味です。

 長くなってしまいましたね。「らうたし」「むくつけし」「いはけなし」は、次にまわ
しましょう。
 なお、諸君、これらの語釈や例文は、種を明かせば、現今の高校生が使う古文参考書
からの、まる写しです(『合格古文単語380』)。興味在る方それを繙いてみてください。
(僕はいま塾で古文の勉強も見るはめになっているんですよ)。




「色」????2012/5/25

 「古い日本語もなかなかいいものだ、優れものだ」と言い、「日本語の奥深さ」に触れ
た万里さん。共感です。「色」についてだけでも(そして自分がいいなあと思って拾った
ものでも)こんなにあります。

 ある(=チャーミング)娘 色つぼむ梅 色と慾との二筋道 色に上下のへだてなし
色に染められた 色に耽り、酒にふける 色の粉(=きなこ、女房詞) 色の丸(=あず
き) 色の水(=みそ汁) 色の世 色ふか(=容色)情けあれば 色ふかく思ひし心
婬を好み色ををもくして美人を尋ぬる事天下にあまねし 色々の香は色を尽くして麝香、
沈、丁字 怫然として色をなす 色を見て灰汁をさす(=花を見て枝を折る) 色悪 色
争い 色々威し 色々衣(ゴロモ=つぎはぎ) 色々しき 色隠居 色がたき 我らもち
っくり色がま刃がま 色がましい(=好色) 色神 移した移した色神移して流してしゃ
んしゃん 色狩り 色好み・好き者 色出入り 色盛り恋盛り、情け盛り 御かたちも御
色ざしも実に美しく 色沙汰 色様の床几を(=なまめかしく美しい人) 色地獄 色品
尽くす 娘は庭におりて、身振ひに色科やりて、明日の晩よりの踊りのならし 色上戸
色を知らず 色白はかくべつ目立つ洗ひ髪 今時の女、見るを見まねに、よき色姿に風俗
をうつしける 色ずくめ 色相撲(=女相撲) 左のこめかみの薄い肉がふくらまって色
ずんでいる 色大将 色談義 紅葉やうやう色づきわたりて 草も木も色づき渡りて春雨
に これぞ今の世の色づくし美人揃え いっそここでどれぞ芸子に色付け(=芸妓が客に
初めて肌を許すこと)をなさりませぬか 色勤め 色つやのない挨拶・色つやをつけて話
す 今を盛りの桜の色どき 色床 色留袖←→黒留袖 花鳥の色音 花屋に寄って色花を
買った 色話 色婆 色文・濡れ草紙・たまづさ 色奉公 染物の色本 惣て色身を遠ざ
け 色冥加 色無垢 色娘男の顔へなんをつけ 色めかしくうち乱れたる所なき 色めき
・色めきたつ・色めきわたる・色めく 色飯 (怒って)思はず色目立ち 色目人しきも
くじん 色模様∧濡れ場 色役者……

 どうです。たまらんでしょう? 大和言葉「いろ」によって捉えられたものが、我々に
はたまらんのです。
出典は小学館の『日本国語大辞典』です。この大辞典は然13巻あります。日本語好きの
僕は全巻通読の壮図を立てました。5,6巻まで行って、塾や校正など新しい環境になった
ため、5年前から沙汰止みになっております。僕が願を立てたのがちょうど60歳の時。
1年1巻進めます。万里さんは本好きだし、まだ若いし、ぜひ通読してもらいたい。日本
語の奥深さに触れられるし、また日本にこんな珍奇なことをやっているヒマ人は他にはい
ないはず!




新年の挨拶?? 2014/1/5

 皆さん、明けましておめでとうございます。
 昨日、古賀君に「挨拶」の電話をしたところ、モロちゃんの話が出ました。可愛いと
思って、ここに披露しようとしたら、すでに古賀君本人がぶっちゃけているではないです
か。トホホホ…… (ちなみにモロイはベケットの小説で、この名を聞けば、自分ほろり
とします)
 元日より一念発起してまた『日本国語大辞典』通読に戻りました。第9巻の329頁よ
り開始です。「人の死屍のツシミ腫れ爛れ臭れる」をノートしました。ツシムはにくづき
に旁は逢という見たこともない字でした。肌に黒っぽい斑点が出ることを言うそうです。
本当は貧弱なのに、長岡さんに「神野さんは言葉が豊富だ」とお褒めの言葉をいただき、
恥ずかしいと発奮した次第です。(ですが、まあ気分屋ですので、これまたいつまで続く
ことやら。)
 本年もよろしく!




今日の『日本国語大辞典』 2014/1/10

【筒抜け声】さえぎるものがあっても筒抜けに聞こえるような太く大きい声。「佐々木
先生が立ち上がって、どもり気味な筒抜け声で視学者に質問を発した」(石坂洋次郎)

【筒音(つつね)】笛、尺八などで指孔を全部ふさいだ時に出る音。

【つづまやか】「人は己をつづまやかにし、奢りを退けて、財をもたず、世をむさぼら
ざらんぞ、いみじかるべき」(徒然草)

【堤】相撲の土俵。「相撲(すまひ)なども、清涼殿にて中宮は御覧ず。儀式有様さる方
に見どころあり。裸なる姿どもの並みたちたるぞ、うとましかりける。御前につつみかき
て、月日山などありけり」(栄華物語1028頃)



3同人α編集部:2014/03/05(水) 19:45:49
読書へのいざない
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           読書へのいざない 2002/5/28〜





読書会への勧誘    2002/5/28  落書き帳

 南方熊楠は伝説の大読書家で、和漢の膨大な書籍の読破はおろか、次々にものしためぼ
しい外国語でも読み進め、明治大正のあの当時それはエチオピア語にも及んだそうです。
 立花隆も大の読書家です。学生時代に既に、世界文学の読破は自分の右に出る者はなか
ろう、と豪語しています。
彼は、学生を終えるころ不忍池近くの根津に住んでいました。アパートを訪れると、おび
ただしい書籍がミカン箱に
入っています。
自分の例にならって「三分の一ぐらいは読んでる?」ときくと、「全部読んでるよ」と不
快げな答えが返ってきました。
 世の中は不思議がいっぱい詰まっています。宇宙論は現在多宇宙まで論じられています。
相対性理論と量子力学は統一されようとしています。科学の知見は産業革命以来といわれ
る未曾有の変革をもたらそうとしています。外国人から見た日本の文化は、海の文化・木
の文化と映るそうですが、我々はこれらについてどこまで知っているでしょうか。逆に外
国へ目を転ずると、我々が「イスラム」に関していかに無知であるか、あの昨秋の同時多
発テロ以来、明らかになりました。同人の一人田村道子さんは、大学で教えている関係で、
ジェンダーに興味を持っています。
古賀和彦君は、河野多恵子はじめ黙々と純文学関係の本を読んでいます。世の中知りたい
ことがいっぱいです。

 この度、我々同窓生の間で、「読書同好会」を持つ運びとなりました。同人の北島浩之
君は、種々雑多月々五六冊は読み上げている本好きです。古賀恵義君は、もっぱら専門書
読破の生涯であり、時間のできたこれからは一般書を読んでみたい、とのことです。中島
勝彦君も専門の鳥に厚味を持たせたいもののようで、意欲を見せています。
 読書会の進め方はいろいろあって、この本を読もう、というよくあるしばり方も一つで
すが、テーマしばりもその一つかな、ということで、今回第一回は上記「イスラム」でい
こう、ということになりました。「イスラム」関係の本を、新書、文庫など薄い物でもい
いですから、一冊は読んで月に一回(または二月に一回)程度の会に持ち寄り、これが面
白かった、「イスラム」とはこういうことだって、と茶菓をつまみながら(一杯やりなが
ら)、わいわい述べあうことになると思います。テーマは誰が提案してもよく、面白そう
だとそれが次のテーマになります。
 六十を過ぎるとやにわに「人生の秋」感、「人生の黄昏(たそがれ)感」が強くなりま
した。いいじゃありませんか。秋から冬にかけ、また夕方から夜にかけ、時間はたっぷり
あります。読書会であなたも人生をさらに豊かにしてはいかがでしょうか。




「震災文学」と古典 ??????2011/8 α28号テーマ前書きより抜粋

▼東日本大地震に思うこと
 ?『方丈記』をひもといた。大地震の記述を求めてであったが、「海はかたぶき、陸
をひたし」など好ましい国語表記に触れて良い経験になった。彼我の社会の厚みに違いが
あることは新鮮な発見であった。『方丈記』には大地震にあって、人が人を助けたという
記述はほとんどない。京に屍累々と万を数えるが放っておかれる。人々はとまどうばかり
だ。これに対して今回の震災にあっては、人が人を助け、人が人に譲り、村落共同体はま
とまって助け合い、自治体は村から町から市から県、国までこぞって行動を起こして助け
ようとし、企業も大小にかかわらず人助けに参加した。そうして『方丈記』の時代にはな
かった国際社会まで救援に乗り出した。彼我を見るとこちらは断然社会の厚みが増してい
るのだ。そこに人間・人類の進歩が見られると思った。

 ?「震災文学」というのが日本で成立していい。ドストエフスキーは、死刑台に立っ
て「止めい」の一声で死を免れるという滅多にない恐ろしい経験をした。この体験が彼の
文学の原点になっていると思われる。今回の震災でこの経験を共有する人は日本にはごま
んと生まれたことだろう。ドストエフスキーは人が人を殺して神が関わる世界を描いたが、
震災の体験は人の世というよりも、自然が人間を殺す世界が人の生の根幹であることを教
えた。ドストエフスキーよりも深い世界観・人間観を持った文学が生まれるだろう。また、

今回あれだけ人間くさい多様なドラマが繰り広げられたのだもの。シェークスピアよりも
広い人間世界の物語が展開されることも期待される。「震災文学」は固有の日本文学とな
り、世界でも輝き続けるだろう。日本は「震災列島」だから。




造次顚沛/存在論   2012/8 α32号テーマ前書きより抜粋

 一瞬は一瞬ごとに始まりがあり終わりがある。始まりがあるのだからその一瞬において
天地が開闢する。人は一瞬ごとに森羅万象に立ち会っている。その生起と消滅とにである。

 この存在論をまた人生論から見れば、こうなる。
存在するものが、存在の根拠がなくて存在しているということは、考えてみると驚き以外
のなにものでもない。存在するものは、なくてあたりまえ、ないことが本来の姿、在るこ
とこそ異様だ、ということである。つまり存在するものが在るということは稀なことで、
神秘ですらある。「在る」こと、このことだけで人は幸せだ。
 私、あなた、そして、森羅万象が、一瞬ごとに出合っているということは、またもう一
つの驚きである。このお互いに稀なものどうしがたまたま巡り合っているということは、
またもう一つの神秘ではなかろうか。
 これらの神秘へ、直線時間で疲れた目をやろう。もう明日のことは思い煩わなくてよい。
昨日のことは忘れろ。あくせくするな。今・ここ、生命の息吹を生きよう。一瞬一瞬湧き
出てくる時間があることへ目をとめれば、人は存在神秘の歓喜に包まれるはずだ。生きて
いる! 生きている! 人はあまりにも目的から目的へ、用から用へまっしぐらに渡り歩
きすぎているのではないか?

 こうしてハイデッガー=古東流の存在論をここに受け売りしたが、当方、理解不足の生
兵法披露の謗りを免れ得まい。古東哲明氏の著書を挙げるので、皆さん自ら繙かれ、あた
られたい。
 『〈在る〉ことの不思議』(勁草書房)。これは本格的な理論書である。
 『ハイデガー=存在神秘の哲学』(講談社現代新書)。右の書に似ている。
 『瞬間を生きる哲学』(筑摩選書)。啓蒙書で易しく感情移入できる感がある。
 『他界からのまなざし─臨生の思想』(講談社選書メチエ)。今・ここを豊かにする生
  き方の実例。




古典への視座  2013/11 α36号テーマ前書きより抜粋

 古典を見る自分の目は、先の東北大震災によって変わった。大震災からひと月ばかり経
た頃、《そういえば『方丈記』に地震の記述があった》と思い出し、かくて久しぶりの何
十年ぶりかでこの本をひもといた。
(略)
 僕はいつの間にか、彼我の社会を比較する視点で文を追っていた。この飢饉、今の時
代だったらどうだろう。この度の大震災を念頭に置くと、もしいったん起これば、人々は
直ちに救援の手を伸べる。人々ばかりでなく、各自治体、村から町、市から県、国まで手
を差し伸べて、手厚いだろう。さらに国内ばかりでなく海外からもこれでもかこれでもか
と援助の手が伸びるだろう。
 『方丈記』の時代は、この手の援助が見られない。人々は被災しても放置されたままだ。
彼これを比べると、社会の「密度」が違うことが感じられる。社会は間違いなく「進化し
ている」のだ。予防措置が講じられることも考え合わせると尚更のことだ。人が社会を作
ったのも、相互扶助のためだと考えられるが、その実が得られたとの思いである。
 ここに至って自分の古典の読み方が今までと違っていることに気付いた。若い時からず
っとこの方古典は「お習い申し上げる」という態度で接していた。自分の人生を照らす展
望、役に立つ教訓などを得ようとしていたのだ。いま、自己観照してみると、『方丈記』
には、社会の彼我比較という姿勢で接しているではないか!

 『方丈記』の読書から二年ほど経ったこのほど、『更級日記』に目を通した時もそうだ。
やはり「お習い申し上げる」的態度ではなく、やはり彼我の比較という視点で読んでいた。
今回、「実存空間」が、その彼我の比較の視野に入っていた。
 『更級日記』は、著者である少女が今の千葉県から京都へ旅するところから始まる生涯
の日記であるが、その記述に「恐ろしい」「心細い」という内容が幾つもあった。
(略)
 かくて今と比べて、『更級日記』を読んで、《かの時代(およそ今から一千年前)、「恐
ろしくも心細い」実存空間だったのだな》と思った次第。

 僕の余生も残り少なくなったせいもあろうか、古典の読み方が「お習い申し上げる」か
ら変化していることを感じるのである。諸君におかれてはいかがだろう。

4同人α編集部:2014/03/05(水) 20:37:57
東北大震災を思う
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            東北大震災を思う 2011/4/2〜


千年に一度という未曾有の大地震があってからというもの、氏の思索はいよいよ深まった
ように思える。向かうのは、政治や企業への糾弾ではなく、人間の生き方、在り方そのも
のへの思索のように思える。そして、地震国日本の過去の人々が残した古典に目を向ける
のだった。
  「人を救うことが出来るのは言葉であって、その意味で言葉こそが命なのだ」
  「死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、医療ではな
   くて言葉である。宗教でもなくて言葉である」

   これもまた故池田晶子の言葉である。





つれづれなるままに  2011/3/17
??このたびの未曾有の出来事に接して宇宙人のような自分もいろいろなことを考えさせら
れました。▼放射能という汚染は「この空気を吸っていいかどうか」を見ることを小生に
強いています。こんなことは生まれて初めてです。これも「生きる」です。これまでの「生
きる」「自分のこの行いが正しいかどうか」を見ることであったのとは全く異なっていま
す。(続)




とりあえずこの頃思うこと 2011/4/2

?? ?若いときから僕は生きることを祝ってきた。「明日どんな楽しいことをしよう」そ
う思いながら寝に就いたものだ。いわば全生涯「遊ん」できた。そんな生がどうも「生き
る」の全てではない気がしたが答えが見えず、この十年余り悩んできた。
 今回の震災は、「身を守る」こと、「食べる」ことを僕に思い知らせた。ある茫然自失
した態の若い女性の映像を見た時だった。「この女性はこれからどうやって生きていくの
だろう」。自然の災害から身を守ることを常に心がけるだろう。また命を繋ぐために食べ
ていかなくてはと強く意識するだろう。良い行いをするというよりも、遊ぶというよりも、
「生き物としてのこの身を」やしなっていかなくてはならないのだ。人間の生物的側面が
生には大切だと当方は思い知らされた。
?僕は福島原発が恐ろしかった。爆発したら何十万人もの人々がその被害に苦しむ。事態
は悪化の一途をたどっていた。この時期僕は自分が「心弱く」なっていることを知った。
誰かの側に寄り添いたい。誰か側にいて欲しい。ぎゅっと引き寄せたい。そして談笑して
過ごしたい。こんな経験はこれまであったかなかったのか。また、被災者の中には地震、
津波が恐ろしくて、思い出しては震え泣きわめく人も出てくるという。この時人間は「心」
であるように見える。当方は、心に領されている人間というものを今回初めて思い描いた。
?当方長らく「人嫌い」であったが、「人好き」に船出したようなこの頃だ。食事をしな
がらテレビを見る。震災下の人々の営みは、多彩でドラマチックだ。地震津波が恐ろしい。
家屋敷、家財道具、そして身内全てを失った人。人のために地震に、津波に、放射能に散
った人は雄々しい。尋ね人の再開の喜び。乏しい物の譲り合い。援助に来てくれた人への
ねぎらい。自分よりも先にあの人を助けて。……当方いつの間にかテレビの「ヒューマン
ドキュメンタリー」を好んで見ていた。新聞は地震発生からあらかた捨てずにとってある。
原発が一息つきそうではあるし、仕事も一段落したので、恐る恐る新聞を広げ、人々の声
や姿を読み始めた。涙、涙、涙…タオルを側に置きながら。「無限」「無」の世界あるこ
とを教えられたのが十五六年前のことだ。それ以来の僕にとってはまさに激震だ。
?人の助け合いも素晴らしい。人を助けようとしてどんどん善意が集まる。外国の人も盛
んに応援してくれる。日本と見知らぬ世界の人との絆がとてつもなく太いのを目の当たり
にしている。「人の群れ」というのが視野に入った。「愛」ということさえ。
?それやこれやで「人間家業もいいものだ」と、この歳になって初めて思っている今日こ
の頃だ。いやいや、してみると、十五六年ぶりの激震どころか、若い頃より五十年、六十
年ぶりの激震と言えるかもしれない。
?「震災文学」というのが日本で成立していい。ドストエフスキーは、死刑台に立って「止
めい」の一声で死を免れるという滅多にない恐ろしい経験をした。この体験が彼の文学の
原点になっていると思われる。今回の震災でこの経験を共有する人は日本にはごまんと生
まれたことだろう。ドストエフスキーは人が人を殺して神が関わる世界を描いたが、震災
の体験は人の世というよりも、自然が人間を殺す世界が人の生の根幹であることを教えた。
ドストエフスキーよりも深い世界観・人間観を持った文学が生まれるだろう。また、今回
あれだけ人間くさい多様なドラマが繰り広げられたのだもの。シェークスピアよりも広い
人間世界の物語が展開されることも期待される。「震災文学」は固有の日本文学となり、
世界でも輝き続けるだろう。日本は「震災列島」だから。
?この行いが正しいかどうか人に聞きながら生きるのが生、好きなことをして遊んで生き
るのが生、その根幹をなしているのが「身を守る」「食べる」生物的な生。そしてさらに
その生を生たらしめているのが、「在る」。どうやらこんな世界観がまとまってきた。




「無」「無限」そして「震災文学」 2011/5/8

 同人αへ投稿したら、うまくつながりません。「正しいメールアドレスを入力して
ください」ということです。古賀君のほうからそちらのほうへ転送する便宜はありま
しょうか。下にその投稿文を記します。

 仕事、仕事と続き、ゴールデンウィークも末になった今日やっと『α』にたどりつ
きました。古賀君からは小生の合評が始まっている旨の連絡を受けており、ありがた
く思いながら、今しがた拝見しました。皆様、有り難うございます。『人の像をした美
しい青い地球』は、若い頃抱いた、地球からエネルギーをもらって生きようとの思い
から、地球と人間の合体を試みたものです。 その後初老に至って「無」「無限」が視野
に入り、七十になんなんとする現在は「震災文学」が視野に入っております。このたびの
震災は、小生にとって大変な衝撃で、今まで思い描いてきた「生きる」に対して根本的な
疑問を投げつける態のものでした。「生きる」をつきつめようとしてきた者にとっては、
この体験は捨て置くことはできません。先々また新しい作品の展開ができればと思います。

 また『α』につき原稿はは届けましたが、あとがきはまだ古賀君の許まで送っていませ
んでした。上記の文を少し修正して、次の文にします。

 『人の像をした美しい青い地球』は、若い頃抱いた、地球からエネルギーをもらって生
きようとの思いから、地球と人間の合体を試みたものです。その後初老に至って「無」「無
限」が視野に入り、七十になんなんとする現在は「震災文学」が視野に入っております。
このたびの震災は、小生にとって大変な衝撃で、今まで思い描いてきた「生きる」に対し
て根本的な疑問を投げつける態のものでした。自分の「生きる」がやっとまともになって
きたような感じです。先々また新しい作品の展開ができればと思います。

 ときに古賀君、「コメント集」で、拙作のキャンバスを久々目にしました。これは色重
ねが美しくなるように気は遣いながらも、自由気ままに、筆を走らせたものです。何を描
こうというのではなく、ある所でエイヤッと人の顔を拾ったという製作過程です(『言葉
集め星創り』の製作と同じこころ)。歌麿にならって「大首絵」と称しています。自分で
言うようですが、いい絵じゃないですか(笑)。懐かしいです。
有り難う。




「震災列島」 2011/8 同人α28号前書き

▼東日本大地震に思うこと
?若い時から僕は生きることを祝ってきた。「明日どんな楽しいことをしよう」そう思い
ながら寝に就いたものだ。いわば全生涯「遊ん」できた。そんな生がどうも「生きる」の
全てではない気がしたが答えが見えず、この十余年悩みといえば悩みであった。今回の大
地震はこんな自分のターニング・ポイントとなった。今回の震災は、「身を守る」こと、
「食べる」ことの大切さを僕に思い知らせた。それはある茫然自失した態の若い女性の映
像を見た時のことだった。彼女は何もかも、家や財産そして家族をなくしていた。「この
人はこれからどうやって生きていくのだろう」。自然の災害から身を守ることを常に心が
けるだろう。また命を繋ぐために食べていかなくてはと強く意識するだろう。良い行いを
するというよりも、遊ぶというよりも、「生き物としてのこの身を」やしなっていかなく
てはならないと強く思うだろう。僕に人間の生物的側面が生には大切だと思い知らせた映
像だった。

?僕は福島原発が恐ろしかった。爆発したら何十万人もの人々がその被害に苦しむ。事態
は悪化の一途をたどっていた。この時期僕は自分が「心弱く」なっていることを知った。
誰かの側に寄り添いたい。誰か側にいて欲しい。ぎゅっと引き寄せたい。そして談笑して
過ごしたい。こんな経験はこれまであったかなかったのか。また、被災者の中には地震、
津波が恐ろしくて、思い出しては震え泣きわめく人も出てくるという。この時人間は「心」
であるように見える。当方は、心に領されている人間というものを今回初めて思い描いた。

?当方長らく「人嫌い」であったが、「人好き」に船出したようなこの頃だ。食事をしな
がらテレビを見る。震災下の人々の営みは、多彩でドラマチックだ。地震津波が恐ろしい。
家屋敷、家財道具、そして身内全てを失った人。人のために地震に、津波に、放射能に散
った人は雄々しい。尋ね人の再開の喜び。乏しい物の譲り合い。援助に来てくれた人への
ねぎらい。自分よりも先にあの人を助けて。……当方いつの間にかテレビの「ヒューマン
ドキュメンタリー」を好んで見ていた。新聞は地震発生からあらかた捨てずにとってある。
原発が一息つきそうではあるし、仕事も一段落したので、恐る恐る新聞を広げ、人々の声
や姿を読み始めた。涙、涙、涙… タオルを側に置きながら。 「無限」「無」の世界ある
ことを教えられたのが十五六年前のことだ。それ以来の僕にとってはまさに激震だ。

?人の助け合いも素晴らしい。人を助けようとしてどんどん善意が集まる。外国の人も盛
んに応援してくれる。日本と見知らぬ世界の人との絆がとてつもなく太いのを目の当たり
にしている。「人の群れ」というのが視野に入った。「愛」ということさえ。

?それやこれやで「人間家業もいいものだ」と、この歳になって初めて思っている今日こ
の頃だ。いやいや、してみると、十五六年ぶりの激震どころか、若い頃より五十年、六十
年ぶりの激震と言えるかもしれない。

?『方丈記』をひもといた。大地震の記述を求めてであったが、「海はかたぶき、陸をひ
たし」など好ましい国語表記に触れて良い経験になった。彼我の社会の厚みに違いがある
ことは新鮮な発見であった。『方丈記』には大地震にあって、人が人を助けたという記述
はほとんどない。京に屍累々と万を数えるが放っておかれる。人々はとまどうばかりだ。
これに対して今回の震災にあっては、人が人を助け、人が人に譲り、村落共同体はまとま
って助け合い、自治体は村から町から市から県、国までこぞって行動を起こして助けよう
とし、企業も大小にかかわらず人助けに参加した。そうして『方丈記』の時代にはなかっ
た国際社会まで救援に乗り出した。彼我を見るとこちらは断然社会の厚みが増しているの
だ。そこに人間・人類の進歩が見られると思った。

?「震災文学」というのが日本で成立していい。ドストエフスキーは、死刑台に立って「止
めい」の一声で死を免れるという滅多にない恐ろしい経験をした。この体験が彼の文学の
原点になっていると思われる。今回の震災でこの経験を共有する人は日本にはごまんと生
まれたことだろう。ドストエフスキーは人が人を殺して神が関わる世界を描いたが、震災
の体験は人の世というよりも、自然が人間を殺す世界が人の生の根幹であることを教えた。
ドストエフスキーよりも深い世界観・人間観を持った文学が生まれるだろう。また、今回
あれだけ人間くさい多様なドラマが繰り広げられたのだもの。シェークスピアよりも広い
人間世界の物語が展開されることも期待される。「震災文学」は固有の日本文学となり、
世界でも輝き続けるだろう。日本は「震災列島」だから。




古典への視座  2013/11 α36号テーマ前書き

 古典を見る自分の目は、先の東北大震災によって変わった。大震災からひと月ばかり経
った頃、《そういえば『方丈記』に地震の記述があった》と思い出し、かくて久しぶりの
何十年ぶりかでこの本をひもといた。

「又同じころかとよ、おびたゝしく大地震振ること侍りき。そのさま、世の常ならず。
山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり」という大地震の描写では、《文がいい》
とその把握に感心したりした。
「地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず」。なるほど。「家の内にをれば、忽ちにひ
しげなんとす。走り出づれば、地われさく」。なるほど、なるほど。

 他のタイプの天災の記述もあった。
「また養和のころとか、久しくなりて覚えず、二年があひだ、世の中飢渇して、あさま
しきこと侍りき。或は春、夏ひでり、或は秋、大風、洪水など、よからぬことどもうち続
きて、五穀ことごとくならず。むなしく春かへし、夏植うるいとなみありて、秋刈り冬収
むるぞめきはなし」。 飢饉の記述である。
 民はどうしたかというと、「これによりて、国々の民、或は地を棄てて境を出で、或は
家を忘れて山に住む」。「念じわびつつ、さまざまの財物、かたはしより捨つるがごとく
すれども、更に目見立つる人なし」。
 世では「さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、更にそのしるし
なし」。これが初年度だという。
 次の年も続く。「前の年、かくの如く辛うじて暮れぬ。明くる年は立ち直るべきかと思
ふほどに、あまりさへ疫癘うちそひて、まささまにあとかたなし」。
ついに人々は「はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家
ごと乞ひ歩く」。この者達は「かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち
倒れ伏しぬ」。そうして「築地のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知
らず」。世はどうしたかというと「取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界にみち満ち
て、変りゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはむや、河原などには、馬
・車の行き交ふ道だになし」。
 こうした遺体を数えたお坊さんがいた。それによると、「四、五両月を数へたりければ、
京のうち、一条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀よりは東の、路のほとりなる
頭、すべて四万二千三百余りなんありける」。夥しい数の遺体が放置されていたのだ。さ
らに、「いはむや、その前後に死ぬるもの多く、また、河原・白河・西の京、もろもろの
辺地などを加へていはば、際限もあるべからず」。さらにさらに、「いかにいはんや、七
道諸国をや」。

 僕はいつの間にか、彼我の社会を比較する視点で文を追っていた。この飢饉、今の時代
だったらどうだろう。この度の大震災を念頭に置くと、もしいったん起これば、人々は直
ちに救援の手を伸べる。人々ばかりでなく、各自治体、村から町、市から県、国まで手を
差し伸べて、手厚いだろう。さらに国内ばかりでなく海外からもこれでもかこれでもかと
援助の手が伸びるだろう。
 『方丈記』の時代は、この手の援助が見られない。人々は被災しても放置されたままだ。
彼これを比べると、社会の「密度」が違うことが感じられる。社会は間違いなく「進化し
ている」のだ。予防措置が講じられることも考え合わせると尚更のことだ。人が社会を作
ったのも、相互扶助のためだと考えられるが、その実が得られたとの思いである。

 ここに至って自分の古典の読み方が今までと違っていることに気付いた。若い時からず
っとこの方古典は「お習い申し上げる」という態度で接していた。自分の人生を照らす展
望、役に立つ教訓などを得ようとしていたのだ。いま、自己観照してみると、『方丈記』
には、社会の彼我比較という姿勢で接しているではないか!

 『方丈記』の読書から二年ほど経ったこのほど、『更級日記』に目を通した時もそうだ。
やはり「お習い申し上げる」的態度ではなく、やはり彼我の比較という視点で読んでいた。
今回、「実存空間」が、その彼我の比較の視野に入っていた。
 『更級日記』は、著者である少女が今の千葉県から京都へ旅するところから始まる生涯
の日記であるが、その記述に「恐ろしい」「心細い」という内容が幾つもあった。
 「足柄山といふは、四五日かねて、おそろしげに暗がりわたれり」。
 「をさかなかりし時、あづまの國にゐて下りてだに、心地もいさゝかあしければ、これ
 をや、この國に見すてて、迷はむとすらむと思ふ。人の國の恐ろしきにつけても」
「母いみじかりし古代の人にて、初瀬には、あなおそろし、奈良坂にて人にとられなば
 いかゞせむ。
 石山、関山越えていとおそろし」
「冬になりて上るに、大津といふ浦に、舟に乗りたるに、その夜、風雨、岩も動くばか
 り降りふゞきて、雷さへなりてとゞろくに、浪のたちくるおとなひ、風のふきまどひた
 るさま、恐ろしげなること、命かぎりつと思ひまどはる」
などなど著者は様々の場面で「恐ろしさ」を感じている。かの頃の、実存空間は「恐ろし
かった」のだ。
 またそれは、「心細く」もあった。
 「片つかたはひろ山なる所の、すなごはるばると白きに、松原茂りて、月いみじうあか
 きに、風のおともいみじう心細し」
 「いとゞ人目も見えず、さびしく心細くうちながめつゝ」
「父はたゞ我をおとなにしすゑて、我は世にも出で交らはず、かげに隠れたらむやうにて
 ゐたるを見るも、頼もしげなく心細くおぼゆるに」
「おはする時こそ人めも見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声もせず、前
 に人影も見えず、いと心細くわびしかりつる」
「又の日も、いみじく雪降り荒れて、宮にかたらひ聞こゆる人の具し給へると、物語し
 て心細さを慰む」
「人々はみなほかに住みあかれて、古里にひとり、いみじう心細く悲しくて、ながめあ
 かしわびて、久しうおとづれぬ人に」
 などなど「心細さ」の記述が散見される。

 かくて今と比べて、『更級日記』を読んで、《かの時代(およそ今から一千年前)、「恐
ろしくも心細い」実存空間だったのだな》と思った次第。


 僕の余生も残り少なくなったせいもあろうか、古典の読み方が「お習い申し上げる」か
ら変化していることを感じるのである。諸君におかれてはいかがだろう。




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