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7α編集部:2014/02/28(金) 01:22:02
α編集部
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            男と女の狭間で 




 この歳になって男と女の問題を考えるに、もはや遅きに失する感がり、また小さい頃
体験した祭につきものの恐ろしいお化け屋敷に踏みいる思いもある。このテーマを取り上
げるにいたった我が「細君」との闘争を返り見るに、いかに私が性差に無頓着なため人知
れず無駄な労力を払って来たのかが判明した。アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ夫妻の
共著「話を聞かない男、地図の読めない女」を読んで、男と女の間の会話が双曲線を画い
ていてかなり接近するもの、まるで犬語と猫語で会話していたごとく交点の望めないもの
であったのか・・・。

                   *

 その本の題名は以前から知ってはいたものの、どうせ興味本位の軽い読み物だろうと考
えていて敢えて挑戦をしなかった。しかし私が「男と女の狭間で」というテーマの標題を
パソコンの二〇〇一年の日記に記録してから何も書かないまま四年も経っていた。今回還
暦もすでに過ぎ去り、昨日まで元気だった友人が突然逝ってしまう現実をみると、いつお
迎えが来ても驚かない年齢になったので総括の意味で思い切ってこの重いテーマをものに
しようと思った訳だ。そしてT女史に何か「ジェンダーに関する良いテキスト」があれば
紹介してよと相談したら、返ってきた答えがこの本だった。

                   *

 たしかに、私が運転をするとき助手席の「細君」にナビゲーターを頼むのだが、今ど
こを走っているのかも判らないほど的確に地図を読めずに、ちっとも頼りなならない。そ
のうち急に曲がれといったり、通り過ぎてから指示したりの迷走で必ず旅の終わりはお互
いに気まずい思いを抱きながら家路につくのである。そして性懲りもなく二・三カ月を過
ぎると再び同じ役割でドライブに出掛けたものだ。

 そのような時薄々感じてはいたものの、どちらが優れている劣っているという観点で
はなく、確かに男と女の性差はあるものだという事が判った。男と女の考え方や行動の違
いは男に有利な社会制度や親の育て方のせいではなく、遙か遠い昔の原始の時代から遺伝
子に組み込まれた脳の働きの差異によるものらしい。だから一方の性による考え方の基準
で他方の性の思いを理解することにおいては微妙な食い違いを生じ、長い歴史の中で様々
な行き違いや戸惑いや誤解のドラマが演じられてきた。
 そう考えると、男に優れた分野の能力と女に優れた分野の能力がそれぞれあるというこ
とで、同じ土俵で競い合うこと自体が間違っているか、お互いの認識しているルールの違
いがあるかである。だからいくら違う土俵に乗っているもの同志が競い合っても、いくら
同じテーマで論じあってもすっきりした答えはお互いに得られないもどかしさがある。

                   *

 昔「細君」が子供のことや貧乏生活などの不安をよくぶつけて来ていたが、いま思うと
男の私はそのような重い話にうんざりしながらそれに対する解決方法を真剣に考え込んで
いると、私の話はちっとも聞いていないなどと怒り出し、私は私で遂に「これでも一生懸
命まじめに努力をしているのに判らないか」などという科白を吐いて、最期は言い争にな
ってしまうのが落ちだった。男は問題提起されたときそれを解決することを本命と考必死
で回答を得ようとするが、女はただ話に乗ってくれて、「かわいそうだね」「苦しかった
ろう」などと優しく同情してくれればいいと思っているらしい。このようなことは冷静に
なったとき実際「細君」から「私も現状の把握はできているが、ただ滅入った気分を晴ら
したがっただけなのに、男は理屈で自分の立場を守ろうとばかりしている」などと、散々
私の対応のまずさを指摘されてきたのではあるが・・・。
 テレビをみたり新聞を読んでいる最中に細君が世間話をしてくることがあった。男は一
つのことしかできないが、女性は料理をしながら電話をかけたり、子供をあやしたりする
ことができる。だから何かに熱中している男は他の話題には上の空で、細君は「私の話を
全く聞いてくれない、私を馬鹿にしているのでしょう」などと拗ねられる。いえいえ決し
てそうではありません、これは男の能力がないせいでありますと釈明するほかはないので
ある。

                   *

 男と女の生物学的差異については多田富雄著「生命の意味論」によれば、女の染色体
はXX、男の染色体はXYであるが生物としての生命の基本型はどうも女であるらしく、
人間はもともと女になるべく設計されているという。染色体Xは生存のための必須の遺伝
子で、血液凝固・色覚・免疫細胞などを作るのに必要な遺伝子であり、染色体Yは最後に
男をつくるためだけの遺伝子らしく、遺伝子Xを二つも持っている女の方がもともと丈夫
で長持ちするようにできているのである。人間の胎児は受精七週間くらいまでは、まだ男
でも女でもない状態であり、基本型がきまってから「夏目漱石曰く『でも・しか』すなわ
ち男にでもなるか、男にしかなれない」などといった程度のもので、Y遺伝子のためにむ
りやり女の体を加工して男にさせられた結果だという。だからアダムの肋骨からイブが作
られたのではなくイブ(女)からアダム(男)が作られたということである。

                   *

 さて、私は小さかったころ家の前に住んでいた踊りのお師匠さんのところへ母とよく
出入りしていて、踊りを習っていたようであった。ようであったというのももはや半世紀
前のことで、いまでは着物を着せられて踊っている断片的な場面しか思い出せない。どう
もそのころの私は性格がおとなしく体も華奢で、外で相撲や野球などのスポーツをして活
発に遊ぶより母親の周りで編み物や踊りといった女の子の興味をもつものに接していたよ
うで、人に与えていた印象は女の子ようなものだったのかも知れない。そう言われるのが
嫌で真剣に男の子らしくなろうと努力したのであるが、中学生になっても近所の随分年下
の女の子から「おばさんところのお兄ちゃんはベルのように優しかね」と云われたと母は
笑っていた。その「ベル」とは代々私の育った屋敷に住み着いた野良犬で、先代の犬が居
なくなると別の野良犬が入り込んできて「ベル」という名を引き続き与えられた、大抵は
茶色のおとなしい柴犬であった。

                   *

 とにかく今までの長い間男の私と関わったおおくの違った能力を持つ女におおい惹か
れるのは、男の世界に飽き飽きしたのか、未知への野次馬的好奇心からくるものなのか、
怖いもの見たさの感はあるがその違う世界を一度覗いてみたいと思った。そしてできるこ
となら来世は女性に生まれ変わって、三四郎に出てくる美弥子の[unconscious hypocrisy]
を駆使して男共をおおいに誑(たぶら)かし手玉にとってきりきり舞いをさせてみたいと
思わぬでもない。そして最期に、両方の性を体験した結果どらが良いかを判断しもう一度
生まれ変わる許可を神様に願い出るというのは、いかにも虫がよすぎる話であろうか??


10号 2001年10月


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