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4α編集部:2014/02/27(木) 21:05:05
都市と田舎の狭間で
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          都市と田舎の狭間で



お断り・・・ここに登場する時代、場所、団体、人物等の構成する環境は架空のもので、
現実のものとして特定できるものでなく、また普遍的価値を含むものでもない。


プロローグ

三十年間暮らした首都圏を離れ、郷里の親元で暮らすこととなった。それはドフトエフス
キーの 「スチェパンチコブォ村とその住人」 にでてくるフォーマー・フォミッチを巡る
人々のごとく、価値観の微妙なずれによるさまざまなトラブルを発生させた。私はそこで
都会生活では考えたこともない悩ましい環境に陥ってしまった。


パンドラの箱その?

大都会を離れたことを都落ちと考えるか、自ら都心の窮屈な生活から脱出したのだと考え
るかは個人の感じ方次第であろう。とは言え、若い頃は知的で洒落た都市の生活に憧れて
田舎から出て来た訳だから、どの時点ではっきりと「田舎に帰っても良いかな」という心
の変化を覚えたかは定かでない。兎に角バブル崩壊が大きな要因に間違いなさそうである。
その不況の結果とんでもない会社に就職してしまい、その労務のはちゃめちゃぶりに辟易
し、また新宿西口の朝の殺気だった出勤風景に嫌気がさしたのが決定的であった。オーナ
ーと呼ばれるヤクザまがいの風貌と前近代的な思考の輩に支配されることは長年自由業で
過ごした私には耐えがたいものであった。 しかし、私が「今の勤めは地獄のようなもの
だ」と嘆いても、友人達は「地獄の苦しみはそんなもんじゃない。その程度の環境はサラ
リーマンなら殆どの人が経験するもので、あんたは甘い。地獄とはもっと過酷でずっと先
にあるものだ」といって、一向に同情してくれなかった。
それにしても朝八時半から夜十一時までの拘束時間、休日も日曜だけなのに突然の召集命
令でどこにいようとも駆けつけなければならず、まさにやくざの世界であった。私的時間
まで拘束されるより飢えても自由が欲しいと思っていた丁度その時、脱税で一年十ヶ月程
の実刑を受けまもなく収監されるオーナーとの幹部会でのやりとりで、「歳ばかりとって
いて何もできないなら辞めてしまえ」という売り言葉に「じゃあ辞めましょう」の買い言
葉の結果、その日のうちに三ヶ月間勤めた会社を辞めてしまった。社員を殴る蹴るの暴力
が日常茶飯事の彼のその言葉は口癖だったし、いままでそれで辞めた社員はいなかったの
で、まさか私がそのような行動に出るとは夢にも思わなかったにちがいない。それでも二
百人近い社員を擁し、人権無視の労働で膨大な利益を確保した結果、近い将来上場を目指
す会社なのである。その会社の常識であれば、残務整理や、引継ぎに数ヶ月は引き止めら
れることは確実であるが、あまりにも酷い組織の正体が判明するにつれて、そうでなくと
も切れかかっていた私の側にとってきっぱり辞める口実を作ってもらったという有難いチ
ャンスに他ならなかった。途中で仕事を投げ出すのはいかがなものかという幹部の説得と
も叱責ともつかない話し合いはあったが、「辞めさせたのはそちらで、私は明日から路頭
に迷う覚悟でそういう行動をとったのだからその責は拒否できる」と主張した。

                  *

もうひとつ私に決断させたことは朝夕の出勤退社時のあの風景である。それまで私は幸い
なことにそのような殺人的混雑の出勤とは縁がなかった。どの首都圏の主な駅も同じ光景
ではあるが、特に新宿西口の地下通路の殺伐とした雰囲気は、慣れない人にとっては異様
で寒気を生じるほど殺気だっていた。例えば、うら若き女性といえども例外なく、目的地
に向かってあらゆる方向に一直線に通り抜ける人のその速さと強引さは、少しでも心に余
裕をと考える人、やさしく道を譲る生き方をしている人には耐えがたい情景である。最早
気合の勝負で、少しでも怯(ひる)んだほうが負けで道を譲るはめになるのだ。
その空間のすべての人々が自分の目的のために周りの人のことも切り捨てて行動できるに
到った経緯はなんであろうか。そして子供や老人のいないその時空間の異常さは、それが
都会の現実とはいえ、そのような環境にたいする慣れや割り切り方を私はとてもできない
と思った。その決断の結果、遂に次の日からまた私は浪々の身となってしまったのである。
そしてその時私は田舎の八十四歳になる一人暮らしの母と同居することを決断したのだっ
た。

                  *

私はそれまで都市生活者として、大都市の便利な交通システムを満喫し、全国のあらゆる
食品や品物を選択し、自分にあった職業に従事し、最先端の学問や文化を享受出来ること
に満足していた。たとえ午前様になっても公共の乗り物で安全に家にたどり着くことがで
きることに快適さを覚え、不思議なことに生産地よりも安く新鮮な一級の食材を求められ、
会社勤めをしないフリーターとよばれる若者達も食べるには困らない社会、世界の一流の
芸術に毎日接することのできる生活環境があった。しかし最近私の意識のなかに影のよう
に潜むものに気づいた。それは髪は白く、足は遅く、肩は痛く、物忘れに閉口する自分を
叱咤してこの都会生活を楽しむというメリットに疑問を抱くようになっていた。それまで
はたしかに些細なこととして敢えて無視してきたか、あるいは気づかなかった大都会のデ
メリットにたいする意識が密かに私の頭の隅に巣を作り始めていた。人口集中による交通
の渋滞、空気、水の汚染、騒音、土地の高騰、危険物の集積、大地震の予感、人々の心の
荒廃などである。 私は二度と郷里には戻らないと親に息巻いていた自分の考えを翻し、
希望をもって田舎暮らしをしてみようという心境が、例えやくざのような会社からの離脱
という契機があったとしても、知らないうちに出来上がっていたのだった。

                  *

パンドラの箱その?

そこは肥前風土記逸文にも記してあり、また和泉式部の生誕地といわれるある山の麓の町、
行政上では町ではあるがむしろ昔風に村落という方が理にかなっている。山と川に挟まれ、
堤防や道路の拡張で平地の水田はほとんどなくなってしまってはいるが、何十年も前から
変わらない家々が散らばって建つ、いわゆる里山とよばれる風景である。
同居する母の土地は山が四町、裏山の段々畑が千坪ほどである。その山のほとんどを生産
性のない雑木が占めるなか一部梅の木が二十本ばかりある。一方畑地は四十坪の家に隣接
して梅およびみかんが数十本、柿、すももその他の野菜が育てられている。私がその箱を
開けてしまったのはこのような環境のもとでである。
私はまず、都会の三LDKのマンションに収まっていた家財道具をこの家に押し込めなけ
ればならないという困難にぶつかってしまった。八帖と六帖の二間続きの座敷と二十帖の
LDK、六帖の母の寝室、そして六帖の私達の寝室と十六帖の土間。広い家とはいえ、そ
れらの品物を納める場所はそう多くは無いということが判った。私は親兄弟に指示される
まま、それらの家財道具の全部を一時別の家すなわち甥の広い家に預けることにした。

そして徐々に母の家を整理しながら運び込む目論見であったが、田舎の家の押入れや、納
屋に詰まっている品物がいかに不合理な代物であるかということが段々分かってきた。ま
ずお中元、お歳暮、冠婚葬祭の引き出物の氾濫に驚くとともに、いかに日本の社会経済が
虚礼の集積で成り立っていることかと思った。本人が夢みる、自分の好みに合ったものに
囲まれた趣味の生活が、溢れ返っている贈答品や引き出物でどのくらい損なわれているか
一度考え直して見る必要がある。私はだから人からものを貰うことが厭だし、また好みの
わからないまま人にものを贈ることも憚るのである。
そのような中、二ヶ月かけてやっとそれらの数十年に積もり積もった不要なものを焼却し
たりゴミとして処分した後出来た空間に家財道具をなんとか持ち込んだ。しかしこの「も
の」を処分するという行為は物の無い時代を生き抜き、人様から頂いた物を無下には出来
ないという母の生き方や好みに大いに反することであったとみえて、整理のための廃棄の
決断を促すときにはいつも「捨てろ」「捨てない」の鬩ぎあいを繰り返すのであった。



都会に住む人達が想像もつかないことが田舎にはある。着いたその日、白い子猫が庭先に
こちらを向いて座っていた。一点の斑毛もなく全身真っ白でいかにも優雅で愛らしかった。
しかし初めて見る人間に逃げようと後ろを向いたその瞬間、私はなんと形容してよいか戸
惑う姿を見てしまった。それは「因幡の白兎」よろしく腰から下の皮膚がべろりと剥げて
いるのだ。母にその経緯を聞くと、生死の瀬戸際だったので犬猫病院に二月ほど入院させ
て戻ってきたばかりだという。犬でも猫でも噛み付いてもそこまではダメージを与えない
のにと考えていると、獣医さんがいうには「たぶん狐か狸のような野生の動物に噛まれた
のでしょう」との説明であったとか。
新月の真夜中は墨を流したような闇夜で、寝室の裏山に面した窓から得体の知れない鳥な
のか動物なのかはたまたこの世のものでないものか、陰陰とした鳴き声が聞こえてくる。
今は簡易水洗便所でほっとするが、小さいころは床の穴の下は奈落に通じているかもしれ
ないほど暗く、散々お化けの話を聞かされた夜の便所へ行く恐怖は計り知れないものだっ
た。幸い今は改良されて奈落と魑魅魍魎の恐ろしさから開放されているが、猫の一件はま
さにこれからの私の田舎ライフを暗示するにふさわしい出来事であった。

                  *

梅ちぎりの作業をしていると毛虫や蜂や蚊に刺され、免疫のない私にはつらい環境である。
引越してきたばかりのある夜中、寝ている私の髪の上でもそもそとしたものがいた。思わ
ず手で払いそうになったのを制止したのは、夢心地のわが脳の正しき判断であった。飛び
起きて明かりを点けて枕を見ると二十?もある巨大なムカデで、その体の黒さはいかにも
毒の強さを表すものであった。噛まれたら手が二倍に腫れたという人を知っている。この
時首筋を這って行ったのだから、頚動脈でも食らわれたらこの物語も書けず、今ごろはベ
ッドの上で生死の狭間でさ迷っていたにちがいない。
 また、昼間入り込んだ親指大の蜂に気づかず、夕方の暗がりのなか広縁のカーテンを勢
いよく閉めたその瞬間右手中指の第一関節の甲にナイフでスパリと斬られた感触を覚える
ほど痛い蜂の一刺しを食らった。幸いそんなに腫れるほどでもなかったが、一晩中その痛
さに悩まされたのである。ムカデといい蜂といい油断できない現実の自然を都会生活で誰
が予想したか。優雅な田舎の暮らしなどという軟弱な雑誌の特集をみていると、あれは田
舎に持ち込まれた都会の暮らしで、冗談もほどほどにしろ生死の瀬戸際の格闘があること
を知るべきだと反駁したくなるのである。編集者に蝿、蜘蛛、蜂、蚋(ぶよ)、毛虫、ムカ
デ、マムシのいる中での生活を一度体験させてみたい。 それでもなお「田舎暮らし」は
素晴らしいと絶賛すれば本物である。

                  *

私はちょうどその時、そうとは知らないまま運悪く一年中で一番忙しい時期に引っ越して
きたのであった。梅の採取の作業である。それで生計を立てている訳ではないが、亡くな
った父が趣味として丹精したもので、毎年お世話になった人に差し上げたり、一部青果市
場に出荷したりして楽しみに育てたものである。数十本ある中から出来具合を判定しその
日のうちに採取するわけだが、種類も多くちぎるに適した日もまちまちで、しかも成熟し
た果実は一日として延ばせないのでやたらに忙しい。成熟してくると産毛のある細長い形
から艶のある丸い実に変化する。それらを午前中に採取し、午後に選別して次の日の朝早
く市場に出すという一工程の作業がある。ジャンボ高田とか青軸とか白加賀とか南高梅、
小田原梅などいままで私の想像だにしなかった世界である。競走馬などその道でない人に
はなんだか変に聞こえる名前のように、最初は私にはどれがどれなのかさっぱりわからな
かった。加賀とか南高、小田原などの品種を聞くと生産地の名前なのかと思うが、これか
ら私も毎年従事することから逃れられないとすれば、その謂(いわ)れぐらい知る必要を
迫られるに違いない。
しかし、そのような収穫物を百?や二百?市場に出してもたいした収入にはならない。こ
れで生活費を賄うとすれば、今までの都市生活からは想像も出来ないくらいの労力を必要
とし、知識も体力も忍耐も足りない軟弱な私ではとても持ちこたえることは不可能だと悟
った。実際毎日そのような作業を続けている八十四歳の母のほうが私より持久力において
は優れているのである。男一人のここでは、母にそのような農作業にこき使われ、疲れで
ダウン寸前までいったことがある。なにせ毎日の重労働で筋肉痛が治るひまもないのだ。
本当の親子かどうか一度DNA鑑定をしてもらうべきではなかろうか、しかしもし親子で
なかったと判明したらこの三倍は酷使されるかもしれないリスクを覚悟しなければならな
いと思ったりした。

                  *

この時期はお金よりもむしろ梅の実が労働の代価となる。円という貨幣の呼称よりむしろ
一?梅(ばい)という単位の通貨が似つかわしく、お手伝いに来る近所の人にはその日の
労働のお礼として市場に出荷しないものの中から何キロという梅を持って帰ってもらう習
慣なのである。そして、私は一?の梅が行商のオバアサンの魚の干物と交換されたり、進
呈した何がしかのそれが苺やケーキや田舎饅頭に化けたりする物々交換の時代が未だに存
在しているのを見たのである。この時期は実の出来具合や自分の漬けた梅干しの自慢の話
題で沸き返っていて、この集落は興奮状態であり、いままでその喜びを知らない私達はた
だその迫力に見入るばかりである。

                  *

村舅(むらじゅと)という言葉をご存知であろうか。これは辞書には載っていない言葉で
はあるが、字面らや意味がぴったりの誰からともなく聞かされる造語である。私は都会で
は既に失われた人情や環境が、田舎ではまだ充分に残っていると期待していた。静かで、
空気は清く、素朴ないい人に囲まれて平和で、命が延びる生活ができると思い喜んでいた
のだが、いざそこで暮らしてみるとそう単純ではないことを思い知らされた。確かに田舎
の家は玄関のみならず、広縁や勝手口や土間からの出入りは自由であるが、どの部屋であ
ろうと近所のおばさんの侵入攻撃を受けるのである。おまけに食べ物の味付けに口を出す
し、プライバシーのなさと、声の大きさと、まだ残る因習に悩まされている。そこでの生
活習慣をまったく知らない私達が犯した村のルールを即座に指摘するのが村舅である。彼
らにとっては無知な私達を好意で修正してやるという思いがあろう。しかし私達にとって
それはたいした支障でもないと考えている者なので、私達は「余計なことを」と、片方は
「礼儀知らず、世間知らず」という思いの違いが生じてくるわけである。
財産をめぐる長子制度による兄弟の確執や、日々の行動を規制する迷信、しきたりといっ
た都会生活で忘れ去られていたものが、真夜中の裏山の藪の中だけでなく現実の日々暮ら
しの中に出没する魑魅魍魎の世界に私はついに足を踏み入れてしまった。田舎の人は素朴
で、人が良くて、大人しくシャイであると相場は決まっているはずなのに、声高に早口で
喋り、ちらりと皮肉を言い放って去り行き、したたかで繊細さに欠ける人達がいる。それ
も人に危害を加えたり、良心に付込んで財産を奪ったりするような悪ではなく、好意的に
考えて「裏返せば親しさの現れかもしれない」と思わぬでもないが、私達が大事に守って
きたテリトリーの中に平気で踏み込まれるという不快さがあるのである。
また、鶏の飼料の生臭い匂い、何かの食べ物の腐った匂い、家に染み付いた説明のつかな
い不快な匂いの数々。一日中うんうん唸っている冷蔵庫の音、数匹飼われている近所の犬
によるリズムも音程もめちゃくちゃな暁の大合唱、地鳴りのような耳の底に残る虫の鳴き
声。ヘビ、アブ、蚊、蚋(ぶよ)、蜂、ハエ、毛虫、ムカデ、ヤスデ、なめくじ、くも、
道路の向こうの偏狭で強欲で粗野な鼻つまみ老人、白の餌をぬすみに来るふてぶてしい黒
斑のオスの野良猫、そしてこのすべてを焼きつくような高温多湿の今日このごろ、そして
一番の問題は「金も力もなかりけり」の甲斐性なしの己の存在である。


エピローグ

あまりにも清潔に、あまりにも繊細に、あまりにも個人主義的な都市の暮らしが、この田
舎の荒削りのしぶとい生き方に翻弄されてその脆弱性を露呈したことを認めずにはいられ
ない。しかし私は自ら望んでここを選んだのだからそれらの攻撃にいかに対処するか、排
除するのかあるいは受け入れるのか、感覚を鈍化させて慣れてしまうのか、この田舎ライ
フを続けていくためはケリをつけなければならない大問題の狭間で私は苦悩しているので
ある。

5号 2000年7月


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