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80α編集部:2014/03/13(木) 20:28:44
本の生活5
?? .
????????          本のある暮らし5 2009





「続・コレラ時代の愛」について 2009/1/28

冷たく言い放つ場面
 箱入り娘だった女が男と引き裂かれて暮らした数年間にいろいろの世間を経験して知識
も広くなり、以前の男の執拗なストーカーじみた一途な愛に言われなき窮屈さを感じたか
ら。それとも女の尻を追っかけ回すだけではなく、もっと価値ある仕事に打ち込め、外に
求める前に己の内の充実を図れ、社会のために何かをしろということでしょうか。敢えて
「泣いて馬謖を斬る」行為だったのでしょうか。私にはどれも確信がありません。
 夫が亡くなって徐々に男を受け入れる精神状態
安芸さんの言われるように、鋼鉄のような女性でも熱せられると飴状になるのではないで
しょうか。
医者であった上流階級の夫との生活も甘いだけの生活ではなかったことや、もともと一緒
になるときも惚れ込んだ訳ではなかったという風に描かれていたのをみると、初恋の男の
なかに夫になかった「癒し」を再発見したからか。男と女の感覚の差だと割り切って納得
することも出来るでしょうが、またまた私には確信できませんでした。



本を注文 2009/2/7

 かねてより「アーラヤ識」に関する書籍について、小柳さん推奨の「仏教の思想(4)認
識と超越(角川文庫ソフィア)をamazonに購入注文をした。
赤門の前の山喜仏書林に電話するも在庫はないとのこと。最早絶版になっているかもしれ
ない。この認識と超越を読んでみてよければ全巻を買うかもしれない。西洋の価値観に偏
った物の見方を脇に置いといて、少し仏教思想の覗いてもいいなと思うようになった。



伝えるために身を削る  2009/2/14
 今日の朝日新聞「試写室」に「合評会の熱い夜」というTV番組が紹介があります。
今日のNHK 夜10:40
紹介記事は「言葉による表現を志す人が集う大阪文学学校という学舎がある。開校55年。
田辺聖子ら芥川賞作家も腕を磨いた。 作品を持ち寄り、遠慮なく評価をしあう合評会が
伝統だ。アマチュア作家が「伝えるべきは何だろう」と見を削るように書き、それぞれが
抱える弱さに立ち向かう姿は、けれん味がない」とあります。私は是非見るつもりです。



「言魂」を読む 2009/2/15
 図書館にずっと前に予約していた「言魂」が、待つこと26番目でやっと私の手元に届
いた。そして今日読み終えた。石牟礼道子さんと、夛田富雄さんの間で交わされた往復書
簡集である。
 老人医療に関する医療費カットに怒り、忿怒仏と化した夛田さん、水俣病を長年告発し
てきた石牟礼さんが「新作能」を通して、この世の不条理を訴えている。それらの能には
最終的に救いが描かれているのか、見ていないので私には判らない。
夛田さんは長崎や広島の原爆を題材に「長崎の聖母」やアインシュタインをモデルにした
 「一石仙人」、水俣病を描いた石牟礼さんの「不知火」などであり、常に虐げらている
弱者の側に立って問題点を訴え続けている。
 夛田さんや石牟礼さんが憤るように、今現在のいろいろの不祥事や政治や官僚システム
の破綻で生じる国民に与える不利益にたいして、国や企業の対応の不誠実さは目を被うば
かりである。なんとかせにゃーいかん!!



エルサレム賞を受賞した村上春樹  2009/2/18

 イスラエル最高の文学賞である「エルサレム賞」を授賞村上春樹へのいろいろの意見が
ありました。受賞を評価するもの、紛争に反対する演説を評価するもの、反対表明をする
くらうなら受賞することを拒否すべきという意見等々である。この行為はいろいろの立場
で村上春樹を見ている人にいろいろの印象を与えたことは確かだ。

 社会派の吟遊私人さんが言われる通り、招待されて美味い物を散々食べた後で不味かっ
たと文句を言うようなものだ思う人もいるし、私のように「羊をめぐる冒険」、「世界の
終わりとハードボイルド・ワンダーランド」、「海辺のカフカ」などに出てくる、世俗か
ら隔絶された「この世とあの世の境界」で彷徨う主人公のように、不思議な気持ちを味わ
った人も居るだろう。
 そこで彼が演説した問題の内容は次のようなものである。
仮に壁が堅く高く、卵が潰えていようと、たとえどんなに壁が正しく、どんなに卵が間違
っていようと、ぼくは卵の側に立ちます。何故でしょう? ぼくらはそれぞれが卵だから
です、ユニークな魂が閉じこめられた、脆弱な卵だからです。ぼくらはそれぞれ高い壁に
直面しています。高い壁とはすなわち、ぼくらに普段通り個人的には考えさせないよう仕
向けている、システムにほかなりません。
 演説はさすがに隠喩上手な作家だけあって見事なものであったと思う。軍事力に長けた
イスラエルを、ベルリンの壁のような強固で仰々しいコンクリートに例え、パレスチナを
壊れやすいちっぽけな卵に見立てた。その卵は硬い壁に向かってぶつかり壊れるが、私は
彼等の側に付く。たとえその卵が悪者だとしてもという演説だった。
 受賞について尋ねられた時、ガザは戦闘状態だと警告されました。ぼくは自分に問いか
けました……イスラエルを訪れることが正しい事かどうか? 片方に荷担することが?
少し考えがありました。そこで行くことにしました。多くの小説家と同じ立場を、ぼくに
言われていたこととは反対の立場をとることにした訳です。小説家としては自然なことで
しょう。小説家は自分の目で見るか、自分の手で触れていないことを信じることが出来ま
せん。ぼくは見ることを選びました。何も言わないことよりも、話すことを選びました。
 こんな風にぼくは述べに来たのです。とかれが自分の行動を釈明している。このあと先
の「仮に壁が堅く高く」につながるのである。

村上春樹の個人の問題だから、その行動がなにのよるものかはカラスの勝手であるが、こ
れから私は彼の本を読むにあたって、彼の発する言葉と彼の行動との間をどう結びつける
か、今までのような単純な思いこみは出来ないという違和感が生じたことは確かだ。



速読について 2009/2/28

 新聞の広告欄に「熟読のすすめ」なる文字を見つけた。良く読むと何のことはない、読
んだ本は一冊のノートに要約を纏めようという、整理用のノートの宣伝だった。私は熟読
という用語に反応した訳だが、日頃速読を薦める公告もあり、一ヶ月で50冊も読むと自
慢する人もいるなどという記事に常日頃の疑問を持っていたからだ。
 速読法の専門スクールがあるくらいだから、それが必要な職業があるのだろうか、どの
ような人達にその技術が必要なのか、私にはよく分からない。
速読の講座の要点として、 筆者の「意味の世界」→「筆者の出筆行為」→「読者の解読
行為」という経路をたどって再構成されたものなので、筆者の意味の世界が、読者によっ
て再体制化されたものに他なりません。意味の再体制化作業(心的作業)、これが読書の
実体です。短い時間により多くの文字を知覚し、その文字によって表現される意味を認識
することが要求されることになります」など言った訳の分からない能書きが書いてある。
 いろいろ調べてみるが、肝心の速読のメリットについて明確に書いたものは見あたらな
い。
今の私は、目が悪くなったのもその理由のひとつではあるが、何冊も平行して読むから、
一冊の本を読むのにも数週間、下手すると半年もかかることがある。付箋をつけたり前を
読み返して見たり、用語について辞書で調べてみたり、どちらかというと遅い方に属する
だろう。
 熟読がいいか速読がいいかは本の内容によるものだろう。ハウツウものは一時間で読め
る程度の内容だから斜め読みでもよかろうが、「存在と時間」や「純粋理性批判」などの
本を速読しても何も残らんだろう。だれか速読の必要な職業やその効能についてご存じの
方はご教示賜りたい。



「肥と筑 第八回」の感想  2009/3/15

 どうも作品の内容について質問を探すことに四苦八苦しているのが実情であります。裏
を返せば、まさにそれは長岡さんの論にたいして確たる反論を見いだせないという我が不
勉強を如実に表わしているのであります。しかしへそ曲がりの赤松次郎らしく、大海に浮
かぶ、ちっぽけな史実という島々を結ぶ線に、飛躍や食違いや強引な接合という弱点がき
っとどこかにある、と目を皿のようにして探すのだですが、皆目見当もつきません。それ
は作者の知識が私の思い及ばぬほど宇宙的な壮大さ、深淵さでとてつもなくすごいものだ
からでしょう。 せめてロッキ−ド事件の榎本三恵子が証言した「蜂の一刺し」のように
「まいった」と一本とりるような意地悪な質問をしてみたいものです。
◆骨相学
 海人族などの渡来人が日本の各地に拡散するとき、先住民である縄文人・弥生人との関
係、どのようにして融合していったか。
 有史初期、古事記や日本書記のころにも帰化人が貴族の三割くらいを占めていたと読ん
だことがありましたが、大阪の人達の骨相を調べたら、朝鮮の人達に極めて近いひとが多
いと聞いたことがあります。縄文人・弥生人・北方騎馬民族・南方海人族の骨相的特徴
は?
◆出雲のズーズー弁
 松本清張の「砂の器」のなかに東北地方ばかりでなく山陰地方でにも存在することに言
及されて、それが犯人を追いつめていく筋だったと記憶していましたが、あまりに昔読ん
だので定かではありません。
◆曼荼羅を描いた本は私も持っていますが、人間の奥深く探求した思想を視覚的・象徴的
 に表したもの。個々の真理探究をする西洋の思想にはないものであり、その統合された
思想の世界は精緻さと深さに満ちていて驚くべきものですね。今読んでいるアーヴィン・
カリヴァン著の「CosMos」がまさにこの宇宙の統一理論の基礎のなっているような
しています。
◆法曼荼羅と深層意識のアーラヤ識について、以前なにかの哲学者の本のなかで読んだこ
 とがありましたが、長岡さんの紹介された【認識と超越<唯識>仏教の思想4(角川書
店)】を購入しましたので、もう一度読んでみたいと思っています。
次号の表題「空」を解説するなんざぁ、長岡さんも策士だなあ。



堀田力氏の記事をよんで  2009/3/21

 元東京地検特捜検事の堀田力氏の文を読んで奇異に感じた。堀田氏の言われるように単
に手続き上の問題として論ずるだけでことがすむのか。そこに何らかの政治判断が働いて
いるとすれば、形式犯よりもむしろそちらの方が国民にとって重要な問題ではないのか。
だからそれを払拭するためにも説明責任があると思うのだが。
どうも堀田氏の論はあえて職務範囲の中に問題を押し込めた、身内意識の論理なような気
がする。




北君来訪  2009/3/21

 AM11:00約束通り北君が事務所にやって来た。彼はいろいろの本をリュックサック
から取りだして、その中から私の読んでいないものを貸してくれた。
「言葉とは何か」・丸山圭三郎・夏目書房
「歳時記・句歌」・山本健吉・新潮社
 数十年前の日記にもう一度今の観点に立った批評を加筆した作品を前もって見せてくれ
た。その作品について話し合う。同人αに投稿する方法も検討した。
それから、田村さんや北島君たちと昼食をとろうという話になって連絡をとる。二人で丁
度六本木の国立美術館へ日本美術会主催のアンダパンダン展を見に行くところだというこ
とで、そこで我々と落ち合うことにする。六本木も40年前に勤めていた会社があって、
よく昼食や飲み会などで歩いたものだが、防衛庁跡地にミッドタウンというの大きなビル
が建ち、すっかり変わってしまった。展覧会を見た後、ホールの喫茶コーナーで談笑。そ
れぞれが自己顕示欲の少ない友人達だから、会話も一方的ではなく4分の1ずつ話すから、
ゆったりした気持ちよい時間が保てた。4時前に地下鉄でそれぞれ別れ、れ、帰宅の途に
ついた。



「新自由主義」 2009/4/6

 今日、ルポ「貧困大国アメリカ」堤 未果 岩波新書を読み終えた。
ミルトン・フリードマンは反ケインジアンとして「危機のみが真の変化をもたらす」とい
う考えを唱え、新自由主義としての経済システムを市場競争に任せた。その結果、負の遺
産を商品化したサブプライムローンとか、石油や農作物などの高騰を招いたヘッジファン
ドの投機を放任し、現在の世界的金融危機をもたらしたと言っていい。なぜなら米国のレ
ーガン政権や英国のサッチャー政権、ブッシュ政権の経済政策の理論的支柱を提供した。
日本の小泉・竹中政権の「聖域なき構造改革」についても、大きな影響を与えたといわれ
ている。
 アメリカでは小さな政府を創るために軍・医療・健康保険・災害救援などの社会的な機
能を民営化したことで、社会を安定させる役目の中産階級がなくなり、少数の富裕層と大
多数の貧困層を生み出した。その政府主導による政策によって、経済至上主義・効率至上
主義が国民全体の生活向上させるためというものよりも、企業、株主、経営者優先が大企
業を生みだし、寡占化して大勢の国民から搾取するシステムを作り上げた。
 一人の庶民が生きるために汗して働く時間給の数百倍を得る人達がいることは確かで、
マクドナルドなどの店員と証券マンや銀行マンなどの間のこのような格差があっても何の
痛みも感じないという人達は、そちら側の人達かまたはとにもかくにも満たされていると
思いこんでいる能天気な人達だろう。
日本でも数多くの企業の不祥事が庶民の信頼を失っているのは、まさに経済至上主義、金
儲け主義、効率主義を追い求めた結果であろう。今世紀にはいって価値観が二十世紀とあ
きらかに変わったもかかわらずその弊害を認識しないか、判っていても無気力に放置する
かどうかが、今我々に問われていると思う。



『性についての雑考』*の感想 2009/4/7 *同人α18号

 私としては今更我が性について改めて考え直す気はない。もともとこの手の話題は苦手
で、時代に取り残された部分をまだ心の片隅に潜める方だから、あまり興に乗らないので
ある。また渡辺淳一の小説は一偏も読んだことがないから、彼がどのような高邁な考えを
お持ちか知るよしもないが、ここに書いてあるようなことを訳知り顔に、くだくだと述べ
て一般化することはおこがましいと考えた。
 エロチシズムはもともとどういう言葉であるかを辞書で引くと
 「愛の神エロスに基づく。本来は精神的な愛を意味する」
  (1)愛欲的・性欲的であること。好色的。色情的。
  (2)芸術作品で、性的なものをテーマにしていること。官能的であること。
とあり、私はむしろ原点に戻って精神的な愛を含む性的なものと考えた方がいいような気
がする。だからブログ写真の作者ように何かを求めて彷徨う姿や、コメントの物語のなか
にほのかなエロチシズムを感じるのである。



透明標本について 2009/4/8

 科学雑誌「ニュートン」5月号に生物の「透明標本」なるものが載っていた。
ある特殊な方法で処理したもので、生物の生きていたときの姿そのまま、体内の骨や胃腸
の内容物のようすを見ることが出来る標本である。
 ハツカネズミの標本を見たとき、人類の祖先だなと感じたのは前足、後ろ足とも見事な
五本の指を持っていた。まさに人間の手や足の指そのものだ。その外ヤマカガシがニホン
アマガエルを呑み込んだ直後の標本で、そのカエルの体の形態も見事に見てとれる。

      



長崎市立図書館より資料が届く 2009/5/16

◆長崎市立図書館
〒850-0032 長崎県長崎市興善町1-1 TEL:095-829-4947 FAX:095-829-4948
リファレンス担当 矢口育美
1.「広報長崎 ダイジェスト・縮小版」
2.「長崎市制六十五年史 後編」
3.「長崎の対岸 稲佐風土記」
4 「長崎市統計年鑑 第15回(昭和44年度版)」
5.「ふりかえる二十年のあゆみ」
6.「五十年史」
コピー代+郵送料=440円 切手にて支払い(5月末まで)



長崎市営交通船の資料送付のお礼   2009/5/18

矢口育美 様
 長崎市営交通船の資料、確かに受理しました。ここにコピー申込書2通及びその費用で
ある切手を同封いたします。
 本来ならそちらに出掛けて調査すべきところ、電話でこのような便宜をはかっていただ
き、本当に感謝します。
 この資料は私達が作っている「同人α」という同人誌に掲載する、私の作品(シリーズ
・歪んだ風景−沈み行く家」に用いたものです。今月の末に第19号を発行しますが、四
十年ほど前にそちらで四年間暮らした思い出を「長崎賛歌」として綴った文章です。この
小説は続きもので、もし貴女が興味がおありでしたら、下記の同人αの「言の輪」という
ホームページをご覧ください。その中に作品集というブログにリンクしてありますので、
今までの全ての作品が無料で見れます。私達同人および読者の皆様と共に、これらの投稿
作品を合評という形で下記のホームページ上で感想を述べ合っています。もし貴女が興味
がおありでしたら、どうぞ遠慮無くお寄せください、期待しています。
なお、今回の19号の作品集への掲載は6月7日くらいになると思います。
同人αURI:xxxxxxx
                             2009年5月18日

      




面白そうな本  2009/6/11

 今日の天声人語に紹介してあった面白そうな本がある。
あのね 子どものつぶやき   朝日新聞出版
460円(本体価格)/483円(税込価格)
 幼い子どものつぶやきには、素直な疑問や新鮮な驚き、深い愛情など、大人が忘れてし
まった大切なこころがつまっている。2歳から8歳くらいの子どものふとしたコトバを書
きとめた朝日新聞連載中の大人気投稿欄「あのね 子どものつぶやき」を編集したオリジ
ナル文庫。子育ての悩みや仕事の疲れを吹き飛ばし、やすらぎとファイトを与えてくれる
一冊。大人も子どもお年寄りも楽しめて、プレゼントにも最適。
あのね 子どものつぶやき
あのね 子どものつぶやき   朝日新聞学芸部
900円(本体価格)/945円(税込価格)
 朝日新聞「くらし」面連載で大人気の投稿欄、1年分を単行本化。小さな子どもの何げ
ないつぶやきが、子育ての苦労を忘れさせ、大人の心を和ませ、子ども時代の大切さを改
めて教えてくれる。装丁・イラスト=和田誠



吟遊視人氏の反論について  2009/6/13  *同人α19号

 吟遊視人氏の*「安曇野便り」の合評において、農業問題についてあの様な長文の理論
を数ページに渡って展開するのは、小説という想像の世界を創り出す行為においてそぐわ
ないのではなかろうか、と私もO−chanと同じ感じを抱いた。
 どのような物を書こうが一向にかまわないが、合評という場でなされた議論にたいして、
自分の真意と違うことを強制するなとばかりに「一切受容しません」と言い切るのは、合
評という主旨にたいしての理解がなされていないように思う。
 彼の反論を見ていても、「為にする」議論ばかりで、冷静にお互いの言い分を理解しよ
うという努力が感じられない。なにも人の意見に全て従えと言っているのではない。相手
の意見と自分の意見の相違を真摯に討議していくという度量、柔軟性が欲しい。一を言う
と十の「為にする」論をしてくる。
 吟遊視人氏の作品にたいする私の微妙な感覚は、今回の反論を見ていると理解し合えな
い、いくら言ってもその真意が伝わらないような思いがした。
為にする議論(タメにするギロン)
議論において、その結果としての結論を出すことを目的とせず、まず結論があって、議論
をしたという体裁を整えるために行うもの。



吟遊視人氏の合評のお礼について 2009/6/14

手法について
 確かに私は氏が目指している手法を繰り返し問題にして批評してきたと思います。だか
ら氏はそのしつこさに「何回もその意図するところを説明しているのに、ちっとも理解し
てくれない」というもどかしさに、思わず感情的な(これは私の感じたもので、他の人は
そうでもないかも知れない)言葉の吐露があったと判断しました。
 氏が何か新しい挑戦を試みることには吝かではありますが、私はまだその手法に違和感
を感じ続けていることは確かです。このシリーズの第15号「ひとり芝居『天の魚(いを)』」
や第17号の「農業問題」、今度の「農業悶題」がこの手法でありますが、このような長大
な解説は論文か講演のものと私は感じていて、小説のなか登場人物の情景描写や筋とこの
主張との関係で、どちらに主体があるかという判断に戸惑ったからです。それは現に第16
号では「地球温暖化について」という問題を独立したエッセイの形で纏められていて、私
にとってはこの方がずっと判りやすい手法で、氏が日頃から社会問題に通暁されている主
張が素直に読みとれるからです。しかし氏が引き続きこの手法で創作されても、私はもは
やこの件についての問題提起をしないことにしましょう。願わくば新しい挑戦には反発や
異論がつきものですので、それを肥やしにして進むくらいの柔軟な
姿勢を私は望みます。



北君に会う 2009/6/15

 昨日11時30分頃から神田明神のソバを食べに細君と散歩に出かけた。休みだったので
お茶の水駅近くのリンガーハットのちゃんぽんを食べる。「これは本場長崎のちゃんぽん
麺とは少々違う」などとケチをつけながら、それでも結構満足していた。ついでに丸善に
よって、「もっとすごい!!このミステリーがすごい!」と帯に書いてある派手な宣伝文
句の「生ける屍の死」・山口雅也の本を購入。小さい活字が見えないから小難しい本は読
むのが辛いが、この程度の娯楽小説だったら根気も続くだろうと思った。
 午前中に井上君の携帯電話を借りた北君から電話があった。中学の同窓会が銀座であり
午後4時頃終わるから会いましょうと言うことになり、借りていた彼の書き物を抱えて細
君と約束の三越の前で会う。「うまい鮨勘」でビールを飲みながら歓談する。「アーラヤ
識」や「宇宙」の話をする。是非インターネットでスバル望遠鏡の宇宙写真を見てご覧、
何だか頭が変になり「生きる」ということの不思議さに思いを馳せるからと薦められる。
そのあと三愛のドトールコーヒを飲んで6時頃別れる。荘島君が体の具合が悪くて同窓会
に来ていなかったと聴き、山形旅行の時香月君が言っていた「彼は入院している」という
情報が本当だろうか 。ちょっと気になる話である。



偏西風−臓器移植について  2009/7/3

 今朝の朝日新聞のコラムに柳田邦男氏の臓器移植改正法案についてのコメントが載って
いた。それは脳死状態の次男の臓器提供に悩んだ経験のある柳田氏が、参議院厚生労働委
員会での参考人としての意見を問われたものだ。衆議院通過したA案は全ての人の脳死を
死と判定する法案である。
 柳田氏は脳死を死と認める人と、そうでない人がいて、まだ社会全体のコンセンサスが
得られているとは言えない。もう少し社会の成熟を待つべきだと結んでいる。世界の情勢
として脳死は死であるとすることと、日本的な「人一人の人生と死生観を大事にするとい
う」脳死を死と認めないというダブルスタンダードは新しい文化のあり方であり、日本が
持っていたあいまいさの良さを残してもいいのではないかと言っている。
 それにつけても、TVタックルで河野太郎議員が顔を真っ赤にして、臓器移植法案のA
案になぜ反対するのか「引き延ばしている間に、移植を待っている患者の何人殺せばいい
のか、これは殺人だと」と激高していたのが印象に残る。提供する側の親は脳死でも心臓
や肺は動いているのに死と認める訳には納得がいかない。移植を待つ患者側がそれを承知
でまるで権利のごとく声高に主張するのはちょっと違うような気がする。死んでいく命と、
生き延びる命に優劣は付けがたく、権利や義務の関係を発生させるような法を拙速に作る
ことに違和感を感じた。たしか生物学的・倫理的・医学的にも難しい問題ではある。



「心霊写真」 2009/7/4

 早朝「生ける屍の死」という妙な題のミステリ−の本を読み飽きたので机の置き、その
上に老眼鏡を何気なくのせた。すぐにはそうと気か着かなかったが、なんとなく気を散ら
した後に、もう一度意識を戻した時ハッした。本が人間の顔をしている。さてそれは作者
の顔だろうか、物語の主人公の顔だろうか。山口雅也という作者の顔は知らないし、遅々
として捗が行かない私の読書に、面白いから早く読めと小説の主人公がシャシャリ出たの
だろうか。妙に感情移入を誘う顔である。

      



「高橋たか子」 2009/7/27

 昨日の朝日新聞の読書欄に、横尾忠則による高橋たか子の「過ぎ行く人たち」という本
の紹介があった。高橋たか子はかつて読書会で「骨の城」を取り上げたことがあったので、
神秘的というか宗教的というか、人間の意識や真理を隠喩を通して書いた不思議な物語に
興味をもった記憶がある。
 この「過ぎ行く人たち」では「『私』の中を流れている運命の河の岸辺に寄り添うよう
に顕れる既視感(デジャヴ)は『私』のもの?」。それとも宇宙空間にある人類のとてつ
もない昔の大河から流れてくる見知らぬ誰かの情報なのか?」。それは大乗仏教の深層心
理である「阿頼耶識(あらやしき)」なのではないか?
私も先の同人α第5号・表題『Deja-vu』で「既視感(デジャヴ」について書いた事があ
る。その中では
1.仏教の輪廻転生(りんねてんしょう)の中で次の世に生まれ変わる時、  前世の記憶
  を全て消されると言われている。しかし何かの拍子に一  部の記憶が消し忘れされ
  たために、前世の経験の断片が微かに思い出されることのようでもある。
2.遠い祖先から何百万年の情報を受け継ぐ私の中の遺伝子がご先祖の  生きた世界の
  経験を、あるとき突然気まぐれに私の心に体現させる  行為なのか。
  と書いている。 だからこの高橋たか子の「過ぎ行く人たち」の中で「既視感」や
 「阿頼耶識(あらやしき)」をどのような解釈をしているか、大乗仏教の「唯識」論を
 今読んでいる私にとって興味をそそる本である。



北くんより 2009/11/17

北君よりおすすめの思想家
池田 晶子(いけだ あきこ、1960年8月21日 - 2007年2月23日)は、日本の哲学者、
文筆家。東京都出身。 ... 大学時代、哲学者木田元に師事し、アルバイトとして雑誌『JJ』
の読者モデルを務める。埴谷雄隆、小林秀雄などに傾倒したという。
 今年になってまだ寒ころお茶の水の丸善に池田晶子著の「14歳からの哲学 考えるため
の教科書」を買いにいったが、探せなかったので別の本を購入したことを思い出した。



三省堂にいく  2009/11/28

 昼食に神田駿河台下の讃岐うどんを食べに細君とでかける。帰りに三省堂に寄り、私は
池田晶子の「暮らしの哲学」「14歳からの哲学」の2冊を買う。細君は「ルビコン川」と
かいうローマ史の本を買ったようだ。
 池田晶子は雑誌のモデルをしていた。なるほど美人だ。天は二物を与えた希な例であろ
う。しかし46歳で死去。なるほど天は我々に常に言い訳を与えてくれる。彼女ほどの才
覚を与えてくれなかったけれど俺はまだ生きている・・・という。
今日は「梁山泊」の連中の忘年会で銀座の「うまい鮨勘」で飲む。
博田、小宮、田村、田辺、中島、近藤と私の計7名。

      



北君より  2009/12/7

 北君から写真のお礼の電話あり。じつは小柳氏より以前教わっていたにも関わらず練習
していなかったからその方法を失念していた。一太郎の改ページ機能について、及び私が
興味ある問題について話していたことに関する本を、北君に教えてもらう。
改ページ機能:ctrl+y
追悼池田晶子にささぐ:ある統合失調症の手記



北君へ  2009/12/14

 池田晶子の「14歳からの哲学」を読み終えました。現実は今の意識の一瞬にしかなく、
過去や未来にはない。存在そのものが奇跡などの論をみるとフッサール現象学の流れをく
む、「存在と時間」のハイデッガー、「実存主義」のサルトルなどの論が展開されている
ようです。時間というものは、本来流れるものでは無い。過去から未来へ流れるものでは
なく、ただ「今」があるだけだ。「今」しか無いのだから、今やりたいことをやろう、や
ることができる。
 〈在る〉ことの不思議 古東 哲明 (著) などを読んだことが、最初は全く理解できなか
った難しい哲学の本の内容が少しづつ、理解できるような気がします。これから池田晶子
の「暮らしの哲学」を読み始めます。最初の1ページを読んでみると、花の美しさや、別
れの辛さを思う心「クオリア」の問題を考える内容ではないかと思われます。「クオリア」
は茂木健一郎の本でも取り扱っていましたが、現象学の延長にあるようです。
 目が悪かったこの1年間は本を読むのがつらくて、ほとんど根気も失せていましたが、
今は努力すればなんとか読み続けることが出来るようになりました。いままで休んでいた
分を取り戻さなくてはと思っています。月刊誌をなにに決めるかはまだ思案中です。青土
社の「現代思想」、芸「ユリイカ」は特集にかたよっていて、しかもサブカルチャーが多
く、余り読みたいとは思いませんでした。昨日は岩波書店の「思想」を試しに買ってきて
読み出しました。




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